無価値な落書きと揶揄される引っ込み思案な令嬢が、好きな人のために自分を変える話
"小さな屋敷の壁に飾るのもおこがましい、無名作家の落書きのような人間"、それが男爵令嬢ミリーだった。
ミリーは幼い頃から引っ込み思案で、社交の場でも目立たず、うつむきがちで声も小さい。
会話に加わっていたことすら忘れられてしまう。
まるでそこにいないかのように感じられることが多かった。
周囲から「無名作家の落書きレベルに華がない」と揶揄されることもあった。
ミリーはそれに慣れてしまっていた。
ミリーの家は裕福ではなかったが、ミリーは心優しく、使用人たちにもいつも丁寧に接していた。ありがとう、とお礼を言うことを忘れなかった。
そのため、ミリーのことを理解し、好意を持つ人も少なからずいた。
しかし、ミリー自身は自分の性格をだめだと思っていた。自分の内気な性格に悩んでいた。
「変わりたいわ。リック様のように、太陽のような明るさがほしい」
ミリーは地上の太陽とうたわれる、明るい青年に憧れていた。
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子爵家の長男リックは、ミリーとは対照的に快活な性格で、どこにいても周囲を明るく照らすような存在だった。
彼は子爵の息子として多くの社交の場に顔を出し、誰とでも親しくなれる性格だった。
冗談も言うけれど、人を傷つける冗談や揶揄はけっして言わない。
友人や使用人の体調が悪そうなことにもすぐに気づき、さり気なく声をかけるような青年だった。
ある日、リックは仕事の関係で、王立の図書館にいた。
そこで「無名作家の落書き」と呼ばれる令嬢ミリーを見かけた。
ミリーは司書に丁寧な物腰で話し、深々とお辞儀をする。
重そうに本を抱えている老人の手助けをしていた。
「口数が少ないだけで、とても優しい子じゃないか」
リックはそれから夜会でミリーを見かけると、率先して声をかけるようになった。
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ある朝、ミリーは一人で庭を歩きながら、リックのことを思い出していた。
前夜の舞踏会で話しかけてくれたリックのの明るい笑顔や、落書き呼ばわりされるようなミリーにも優しく接してくれたことを思い出すたびに、胸が温かくなった。
「リック様のような方が夫なら、どんなに素敵だろう。でも、私のように後ろ向きな人間が妻では、リック様の恥になってしまう。例え話でも失礼ね」
夜会に参加する令嬢たちはみんな、美しいだけでなく社交的で気配りもできる人ばかり。
そんな才色兼備な令嬢がいるから、ミリーが選ばれる可能性はゼロ。
けれど、リックの隣にほかの令嬢が並ぶのは、リックが誰かと結婚するのは、想像して苦しかった。
きっとリックの結婚式に参列しても、「おめでとうございます」と心から祝福できない。
なら、努力しよう。
リックに好いてもらえるような、隣に立って恥ずかしくない良い女になろう。ミリーは決意した。
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ミリーはまず、自分の内向的な性格を改善するために、日常の小さなことから始めた。
毎日鏡の前で笑顔の練習をする。
挨拶は相手の顔を見てしっかりした声でする。
社交の場で自ら話しかける。
話題の幅を広げるために、多くのジャンルの書物を読んだ。
小さな挑戦を繰り返した。
「あらいたの?」
「そんな声も出せたのね」
「意外と博識なのですね」
人々の反応は揶揄半分、驚き半分。
ミリーはリックに会ったときに、好きなものを聞いた。
趣味、好きな食べ物、好きな本、休日の過ごし方。
とにかく、なんでも。
「リック様。あなたの好きなものを知りたいです。本はお好きですか? おすすめがありましたら教えてください」
「ミリー殿は本がお好きなんですか? でしたら、馬術入門が良かったです。暴れ馬の対処の仕方も詳しく載っていて」
「ありがとうございます。私も乗馬がうまくなりたいので、読んでみます」
「ふふっ。なら貴女が乗馬の腕に自信がついたら、一緒に遠乗りに行きましょうか」
リックが好きなものの知識と理解も深めて、リックの好きなものを自分も好きになった。
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ミリーの努力は少しずつ実を結び始めた。
彼女の明るい笑顔や積極的な態度に、周囲の人々も驚きとともに好意を抱くようになった。
そして何よりリックも、ますますミリーに惹かれていった。
もう、無名作家の落書きなんて笑う人はいない。
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ミリーとリックの関係は日々深まっていき、やがてミリーは自分の気持ちを伝える勇気を持つようになった。
鏡の前で何度もシュミレーションして、振られたらそのときは潔く諦めて枕を濡らそうと決めた。
ある夕暮れ時、ミリーはリックに思い切って告白した。
「リック様。私はあなたのことが好きです。ずっと前から、あなたの明るさや優しさに惹かれていました。あなたのように、なりたかった」
リックは微笑みながら答えた。
「ミリー殿、俺も君のことが好きだよ。君さえ良ければ婚約して、結婚してほしい」
「ほ、本当に、良いんですか? 落書きと呼ばれていた、私で」
空想は、告白するところで終わり、どんな返事をもらうかは怖くて想像できなかった。
君ではだめだと言われる覚悟のほうが大きかった。
いい返事をもらえたのに、涙目でうろたえるミリー。
リックはミリーの手を両手で包んで笑う。
「君の生来の優しさや、変わろうと努力する姿が好きなんだ。君は壁の落書きなんかじゃない」
二人はお互いの気持ちを確かめ合い、幸せな時間を過ごした。
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ミリーとリックはただの顔見知りから友人へ、そして友人から婚約者になった。
休日は仲良く過ごし、仕事で会えない時間が長くなるなら手紙を送った。
周囲の人々からも祝福された。
ミリーは引っ込み思案だった自分を乗り越え、新しい自分を見つけることができた。
そしてリックも、ミリーの真の魅力に気づき、ますますミリーを大切に思うようになった。
二人の物語はこれからも続いていく。