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★奇襲

【※PG12程度の性的、残酷描写がありますのでご注意下さい】


 夜空の藍が朧気に霞み始めた頃。いつの間にか視界に映っていた、鬱蒼(うっそう)とした水草の茂みを潜るように抜けると、舟場のような入り江に到着した。

 柳らしき木々と、停留している何槽か停留している木舟に囲まれるように、鉄紺(てつこん)色の石で造られた扇状の渡り橋が、前方に少し離れた所に見える。

 意識した瞬間、全身の皮膚がざわついた。開けた場にもかかわらず、洞穴の奥に入り込んでしまったような…… 人族の界とは明らかに違う異質な()が辺りを覆い、漂っている。


「あの橋を渡った先が我々の地――厄界になります」

「あちらに(おさ)様が参られます。暫しお待ちを」


 河はまだ先に続いているが、どうやらここが彼らの終着点らしい。特に変わった場所を通った様子はなかったが、いつの間にか神界への()()を抜けて来たようだった。


「私達が到着した事……どうやってお分かりに?」

「長様が従えておられる伝達役の(たか)を、今から呼び寄せます」

「到着した旨を知らせる印を届けさせるのですよ。なあに、奴もあの方も突風の(ごと)く飛んで来られるので、あっという間です」


 舟を停め、下りる準備を始めながら番人の一人が説明する。『そう……ようやく……』と、疲労困憊状態のアマリは思った。――瞬間。背後にぞわり、とした至極不気味な気配を感じた。何事かと振り向く間際、両手首を掴まれ、あっという間に羽交い締めにされる。


「な、に……⁉」


 困惑する彼女を捕らえたのは、先程まで同行していた番人の一人だった。


「貴女様こそ、先程密かに飲まれていたのは何でございますかねぇ?」


 思いがけない問いに、アマリの心臓が、ぎくり、と恐怖で絞られた。彼らが自分の方を見ていない隙に急いで飲んだが、ばれていたのかと冷や汗が吹き出す。


「何かの薬……まあ臭いから毒の類いでは無いとお見受けしますが……(いささ)か感心できませんなぁ」

「わ、私は……」

「隠さなくともよろしいですよ。人族が何か良からぬ(はかりごと)を企み、貴女を我々に差し出した事など、既にお見通しでございます。――あの方も」


 番人の言葉に意識が遠退(とおの)き、さあっ、と血の気が引いた。こちらの策略は、とうに見透かされている。贄にすらされない尊巫女の末路がどうなるのか知らない。拷問されて機密を全て吐かされた後、殺されるのだろうか……

 伴侶にも贄にもされず、ただ無意味に折檻(せっかん)されて終わるなど……いくら何でも惨めで――(むご)すぎる。


 麻痺していた心が動き、焦ったアマリは逃げようとした。捕まれた手首を必死に振りほどこうとするが、例の薬が効いてきた身体は力が入らず、思うように抵抗できない。頭にふらつきを感じ、眩暈(めまい)まで起こり始めている。


「ああ……やはり、催眠剤でございますか。贄となられる為の積極的な心構え……健気でなんともお痛わしい」


 そんな彼女の状態を愉快そうに眺めている、もう一人の番人が、嘲笑混じりの皮肉を言う。


「い、嫌……‼ お止め下さい……」

「ご心配なさらずとも、命はお助けしますよ。少しばかり、その清いお身体で楽しませて頂けたら」

「左様。勿論、純潔を奪うなどという、鬼畜な所業は致しませんよ。我々に何かしらの影響が起こり得るかもしれないと、あの方も仰いましたしねぇ」


 能面の笑みの二人は、琵琶の重い声色を震わせ、そんな恐ろしい思案を言う。背後で手首を掴んでいた方の番人が、白無垢姿のアマリを強引に抱え、乗っていた舟底に無理矢理横倒した。そのまま覆い被さると、年季の入った木舟が揺れ、ギギイッ、と軋む音が耳障りに鳴る。


「痛っ……!」

「ふむ、白無垢の花嫁の柔肌を曝すというのは、なかなか興奮しますな。あの方が実に羨ましいが、尊巫女とあっては迂闊(うかつ)に手出しできない……なんとも口惜しい事で」


 顔形は人族と変わらないが、ぎょろり、と見下ろす吊り上がった()は、黄金(こがね)色にぎらついている。飢えた(けだもの)――化け物の目だ。吐く息も荒くなっている。彼らは本気で自分に無体をはたらく気だと、アマリは本能で危険を察知した。


「止め、て‼」


 助けが欲しかったが、今のアマリに味方は皆無だ。絶望的な状況だが、いくら何でもこんな目にまで遭うのは御免だと、必死に渇いた口を開く。


「間もなく……妖厄神様が、いらっしゃるのでしょう? このような、勝手な仕打ちが……赦される訳……」


 震える声で絞り出した切り札だったが、能面から下卑(げひ)た笑みに変わったもう一人の番人が、そんな彼女を更に蹴り落とす事実を告げる。


「案ずる必要はございません。あの方には、雪の為、到着は明日になると伝えております。折角ではございませんか。貴女も尊巫女の務めなど忘れ、我々と楽しみましょうや……」


 信じたくない、恐ろしい返答が飛び込んできた瞬間、押し倒していた方の番人の手が、乱暴に白無垢の襟元を引き下げる。(けだもの)のように鋭く伸びた爪が、上質な絹生地をビッ、と裂き、切れ目を入れた。

 もう完全に逃げ場は無いのだと、映る闇が更に濃くなり、無力感に(おちい)る。


 ――また、こうなるの……? 嫌でも抵抗出来なくて、騙されて、利用されて……

 ――……ああ、そうだった。始まりも、終わりも…… それが『私』の、元々の在り方で……宿命……


 『諦め』『自棄』という類いの思いが、疲労と薬で朦朧(もうろう)とした脳裏に、再び(よぎ)った――刹那。

 ヒュ――シュッ――‼ という、かまいたちのような鋭利な音が、その場を切り裂くように、駆けた。


「早い仕事だったな。ご苦労」


 ずっと緊迫していた場に初めて響く、抑揚の無い冷淡な音で発された声が、明け出した宵空から降ってきた。途端、番人達がみるみる青ざめ意気消沈し、ガチガチ震え出す。ごく、と密かに息を呑む音が、どちらかともなく鳴る。

 聞こえた賞賛の言葉に反し、今にも斬りかからんばかりの重圧が、周囲に放たれている。眼前の番人の首元に当てられた、ギラリ、と鈍く冴える刃先が、アマリにも向かっている。

 だが、今の彼女には救いの天啓、天明のように聞こえ――映った。

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