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厄咲く箱庭 〜 祟神と贄の花巫女  作者: 佐保彩里
終幕.厄、咲きりて
34/35

祝祭



 ――……ひと月ほどの時が流れ、季節が通り過ぎた。



 アマリと荊祟は、いつかの川沿いに訪れていた。以前、来た時よりも暖かい空気が漂うそこは、ゆるやかな春の匂いに変わっている。

 あの時咲いていた水仙は姿を消している。彼らが花開く期間(とき)は終わったのだ。


 代わりに漂うのは、沈丁花(じんちょうげ)の芳香な香りだ。辺りに木々があるのだと荊祟が言った。

 白と紅紫の混じり合う薄紅の十字形の小さな花。それらが(まり)のように寄せ合いながら咲く、健気で美しい出で立ちの彼らは、樹皮や実、樹液に毒を作り出し生きている。

 だが、甘く香り高い空気を漂わせ、この界に春の訪れを教えてくれる、貴重で、強靭な花だった。



 もう一つ変わった事がある。監視は一切無い。この界に来てから初めての二人きりの外出だ。

 街中に出掛けて食事や買い物などという、この界の文化に触れるという案も考えたが、あらゆる(しがらみ)から解放された今、あえて二人きりになれる場所でゆっくりと過ごせる場を選んだのだ。



 ……――あの後。厄神明王の力を授かったアマリと荊祟は、互いに重傷を負っていたにも拘らず、異例の早さで回復した。

 勿論、彼らの厄払いの力のお陰こそだが、医師達の尽力の成果にもあった。


『我らの()()の力は、人族の力あってこそ。生命を救う務を担う者。全力を尽くせ』


 そう言い残し、厄神明王の二人は天に昇り、消えていった。事実、未だ身体の治療は続いており、もう暫くは絶対安静だと、医師達から言い渡されている。

 そして、カグヤや家臣達から双子神から受けたと聞いた、もう一つの重大な告知。当時、気を失っていたアマリには、今、心に引っ掛かっていた。


『荊祟殿ら御二人の心身の再生に、巫女殿の元来の異能(ちから)を多大にお借り申した。巫女殿は異能者では無い、無能の人族になられた』


 事実、陽光が当たっても濡羽(ぬばたま)色のままの結い上げた髪に視線をやり、アマリの胸中に様々な想いが過る。

 あれから花能(はなぢから)は発動させていない。利用する機会がなかったのもあるが、使える『感覚』が無くなった気がしていた。明らかに、今までの自分では無いのも自覚していた。

 身体の奥底に在った花の(イメージ)が消え、彼らの囁きも感じられなくなったのだ。何の肩書きも無い、何者でもないただの人族の女となった。

 荊祟も同じく、その事実をカグヤや家臣から聞き、知ったという。

 その事がアマリの胸中を乱し、複雑な思いにさせていた。



 首巻きを外し、素顔を晒した以外はいつもの黒装束姿の荊祟は、今日、ずっとアマリが抱えている紫紺の風呂敷包みに視線をやる。


「……そろそろ、それについて尋ねても良いか」


 複雑な思いの中にあふれ止まない、高揚した昂りを必死に堪え、なるべく平静を装い、尋ねた。


「女中さんにお願いして、調理法を教えて頂きながら、私が作りました」


 いつかの夜に交わした『約束』の時、荊祟と共に食事をしたいと考えていたが、『せっかくなら憧れていた手料理を』と、アマリ直々に女中(がしら)に頼み込んだのだ。

 だが、『元とは言え尊巫女様に飯炊きなどをさせ、しかも自分のような身分の者が指南するなどとんでもない』と、彼女は顔面蒼白になった。


「随分な啖呵(たんか)を切ったそうではないか。もう屋敷中に広まっているぞ」


 一連の出来事は、既に荊祟の耳に入っている。その場を想像し、思わず苦笑しながら荊祟は言う。堪えようと口元を拳で抑えていたが、くっくっ、と喉の痙攣が止まらなくなっていた。


 彼にまで耳に入っていた事。この界の(ことわり)を何も知らず、大それた事を口走った事。それらが、今更ながら羞恥心に襲われ、アマリは俯いた。

 ……それでも、言わずにはいられなかったのだ。自分が放った言葉が脳内で再生され、錯乱する。


『私は、もう尊巫女ではありません。ただの人族の女です。それに、命を()かし保つ為の食物を万人の口に合わせ、毎日毎日、美味しく作れる貴女方の手練れは、誇るべき職人技でございます! 事実、貴女方が作られた食事のおかげで、私は何度も回復出来たのです!』


 普段上手く回らない口から、よくあんな大層な事が発せられたと、自分でも驚いていた。

 だが、そんな立派な仕事が、下働きなどと見られる風潮が、アマリには理解出来なかったのだ。今の()からの言葉で、()()だった。


「わ、私はもう、ただの……人族ですから」


 変に特別扱いされるのは嫌だし、不当だとも思っていた。



 ――あの夜明けから数日後。目覚めたアマリにカグヤから言いにくそうに伝えられた、両親の言動がちくちく、と今も心に疼き、自分の状況、在り方を思い知らされる。

 珍しく憤慨した素振りを隠し切れない彼女から聞いた話だと、『治るのなら娘の望み通り、ここに居たら良い』『無能となったなら問題は無いでしょう』と、厄界の者達に医師の元へ急ぎ運ばれてゆく二人を一瞥し、一族と共にあっさりと帰っていったという。

 帰る場所を失くした事を改めて痛感した今、尚更、身の程を(わきま)えたかった。



「女中頭がカグヤに申したらしい。『長様と貴女のような用心深いくノ一様が、尊巫女様とは言え得体の知れない人族に絆され、信頼された理由がわかった』と」

「……⁉」


 どこか意味ありげに、それでいて穏やかな琥珀の眼差しを荊祟は向ける。

 今日のアマリは、いつか荊祟から贈られた白梅柄の(あけぼの)色の小袖に加え、新たに金糸で織られた帯、紅紫の帯紐を締めている。

 そして、()()最後に煌めいた髪の色――紅掛空色(べにかけそらいろ)が段々と白地に変化している羽織を着ていた。

 全て意識が戻った後、同じく全ての経緯を知った荊祟が、急いで仕立てた特注の代物(しろもの)だ。


「お前は他者の心を(ほぐ)し、和ませ、開かせる。まっさらな(まなこ)で物事を捉え、偏見などものともしない。どんな経緯(いきさつ)であろうとも、それはお前が生きてきて積み上げた財産だ。異能があろうと無かろうと、それは変わらん」


 ()()()()()は何も変わっていない。変わらない。その事をどうにか伝えたかった。


「……その着物も……やはり、よく似合う」


 ぼそり、と照れ臭そうに荊祟は告げる。

 意表を突かれ、アマリは頬を仄かに赤くした彼を見つめた。今の自分の胸中を見抜かれているのだろうか。


「そ、そんな事、初めて聞きました……」

「あの頃と今は違う。疑心暗鬼に探り合う必要は、もう無い」


 確かに、それは良い変化ではある。界の者に信用してもらえてきたのも喜ばしい。あれだけアマリの存在を危惧していた家臣達からも、『長様を変貌から鎮めた恩人』という目で見られるようになった。

 お陰でいつかの夜に交わした『約束』を果たしたいが為に、長である荊祟直々の頼みを許してもらえたのだ。



 だが、それはこのまま此処(ここ)……彼の傍にいられる理由にはなれない。むしろ、別の理由で厄介者になるのではと考えていたアマリは、ずっと気に留めていた事を、遂に口にした。


「あの」


 驚く程の大きな、それでいて切羽詰まった声が、喉奥から出た。


「この命尽きるまで、お傍にいさせてくださいませんか。この界に根を張り植物学を学んで、学者様、庭師の方と共に、この界の土壌改善をお手伝いをしたいのです」


 瞳孔が開き、『何を言う』と言いたげな怪訝な表情を荊祟は浮かべた。自分の傍にいるなど、当たり前の未来だと彼は考えていた。

 だが、アマリには決死の考えだった。人族は荒らし、壊すだけでは無い。造り上げ、直し、再び甦らせる。新しく生み出せる生き物だという事を実現させたい……


「……カグヤさんの過去、ご本人からお聞きしました。彼女のご実家の作物が育ちにくかった、不作が多くなった事に、この界の土壌や質にも一因があるのではないかと考えました」

「――聞いたのか。だが、そこまで話していたとは…… カグヤは、よほどお前を信頼したのだな」


 変わらず植物、草花に関心を向け、愛着を見せるアマリの姿勢に、無くなったはずの花能(はなぢから)の残像を感じた。不本意な宿命故では無い、彼女が生まれ授かった資質なのだと……

 本人は気づいていないようだが、この界に来てからずっと彼女から香っていた、ほのかな花の香りも……消えてはいない。


「――いつの日か、貴方様に新たな尊巫女が差し出されたその時は……他界に行くなり陰の身となりましょう。ですから……」


 続きの言葉は、途切れた。いや、封じられたのだ。彼の性急な深い口付けによって。

 初めて感じた柔くも少し荒々しい所為の息苦しさで、涙を滲ませたアマリの瑠璃の眼を捉えた後、ゆっくりと唇を離した荊祟は、びりっ、とした声音で制した。


「二度と、その様なことは口にするな」


 妖艶な眼差しの奥に、怒りににも近い哀しみと、雄の本能にぎらつく琥珀の光が見え隠れしていた。

 風呂敷包みを持っていたアマリの手が、思わずふるえる。喉奥に詰まる、熱い息を呑み込むのすら忘れていた。


「……お前は何故、自分に対する()は曇り、(あたい)を下げるのだ」


 アマリの両肩を掴み、半ば言い聞かせるように嘆く荊祟の声色は苛立ちを含んでいたが、どこか哀しみも滲ませていた。


 相対する異能者故に伴侶になれないでいたが、無能の人族の女としても、それは同じなのではないか。神の伴侶としての資格はない……そんなふうにアマリは考えていたのだ。


「……も、申し訳ありません。ですが、尊巫女ですらなくなった私は、いずれにしろ貴方の傍には……」

「俺はもう、お前無しの日々などあり得ない。……一つの界の主として……情けないが」


 きまり悪そうに少し視線を逸らす荊祟を、アマリは未だに信じられない思いで見た。

 あの瀕死の最中、()を告げられていても、自分に言われている実感が未だにない……


「……以前、お前を傍に置くのは界の者から守る為だと言ったが…… 半分は、嘘だ」

「え」

「界の為にも己の為にも、お前の為にも、離れた方が良いと、一度判断したのも確かだ。故に、他界に嫁がせる事も……考えた」


 自虐的な彼女の心に少しでも届くよう、言いにくそうでいて、次々に放たれる真摯な言葉が、アマリの縮こまりひび割れていた心に沁みた。

 厄介者だった自分の行く先を、どれだけ真剣に考えてくれていたのか。それだけは真に伝わる程に。


「だが、離れている時間が長くなれば、なる程……辛かった」

「本、当ですか……?」


 返した言葉がふるえているのが判る。が、自然に発したはずの声が自分のものなのかすら、今のアマリには自覚出来ないでいた。

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