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対峙

 この期に及んで、まだ信じたかったのかもしれない。自分の両親始め一族の理性と善性を……一縷の望みだった。


「我を忘れておられるのでしょう。双方の惨事を防ぐには、私が大人しく人族の界に戻るしかありません」


 慕う男を案じるアマリの両手を思わず握りしめ、一瞬俯いた後、カグヤは覚悟を決めた。


「……解りました。但し、私も護衛として付いて行きます」

「ありがとう。我儘を言って……ごめんなさい」


 いくら惜しくとも、容赦なく変化してゆく世で、何故、良くない事だけは変わらず続くのだろう。それも、人族(ヒト)が起こす事ばかりだ。

 己の宿命からは、決して逃れられない。どうしても変えられないものなのだろうか……


 いつの日か腹の底に棄てたはずの、()()めいたものが煮えてゆくのを感じながら、そんな事を思った。




 厄界の入口でもある、アマリも知る八百万の河の入り江。

 鉄紺の桟橋を渡った付近で、荊祟は家臣共に護衛の忍部隊を従え、アマリの一族の重鎮、弓や槍を携えた白袴(しろばかま)の護衛部隊と対峙していた。


「……文にあった厄祓いの神は、どちらにいらっしゃる?」


 逢魔ヶ刻。辺りには鬱蒼とした林と開けた砂場、そして自分達しかいない。生き物の気配すらなかった。


「はは。やはり、気にしておられるか。心配御無用。我らとて必要以上に事を荒立てたい訳では無いのだ」

「天に待機して頂いておりますが、私達の()()尊巫女を返上さえして頂ければ、彼らの助けは借りません」


 群の筆頭にいる年配の男女二人が、どこか勝ち誇ったような口振りで答える。おそらくアマリの両親だろう。特異な神と称されているが、只の一介の神族に関わった理由が解らなかった荊祟は、油断ならないと、更に気を引き締めた。


「本題だが、厄病神。如何(いかが)して娘をたぶらかしたか知らぬが、我々に返上頂きたい。貴方とて、このまま厄界に置いておくのは何かと不都合であろう?」


 父らしい神主姿の男が、礼儀を保ちながらも、どこか優越感を含ませた張りのある声で発した。神界の長に対抗するに相応しい、威厳というものを意識しているのが垣間見える。


「……貴殿(あなた)方は、敢えて、()のような者に娘を献上……もとい刺客、見捨てたも同然で差し出した。ならば、あの娘をどう扱い、私がどうしようと、こちらの勝手ではないのか」

「な……‼」


 予想外の荊祟の言葉に、一転、狼狽え、表情は真っ赤に沸いた。『あんな迷惑者、さっさと連れ帰れ』等と言われると考えていたのだ。


「それを『思い通りにいかなかったから返せ』だと? 思考が稚児以下ではないか。いい大人が揃いも揃って、愚かしい事だな。人族の格は、遂に神職者までも堕ちたか」


 荊祟の辛辣な言葉に、アマリの父始め親族一同は騒然となった。わなわな、と唇を震わせ、額に脂汗が滲んでいる。忌み者に侮辱された事、的を得た発言であった事で、自尊心(プライド)を傷つけられた怒りで、沸点に達した。


(たわ)けたことを()かすな……! お前の所為で、我らの界は多大な害や災いを(こうむ)ったのだ。忘れたとは言わせんぞ」


 激昂するアマリの父を宥め、側近らしき神官が、怨念めいた指摘を代わりに放つ。が、長年の現状を切に訴えるかのように、荊祟も吐き出した。


「……俺がした事は、それのほんの一部だ。それも警告程度に過ぎん。お前達人族は、自身が現世の頂点、万物の支配者だとでも変わらず自認しているのか? 思い上がるな」

「何……⁉」

「界の資源という富……他生物無くしては、数日とも満足に生きてゆけぬくせに…… 厚顔無恥に生態系を壊し、慢心して操り、人族の界を荒らし続けているのは……一体どちらか」


 妖厄神として生きるようになってから幾年もの間、密かに胸の内で燃やしていた怒り、憤りだった。そして、あの尊巫女の悲劇を生んだのも……


「貴様……‼」

「その反動……犠牲を受けているのは、人族の弱き立場の者だけでは無い。その実はご存知の上だと考えていたのだが」



「荊祟様……!」


 その時。麹色(こうじいろ)の着物姿のアマリが、カグヤが操る馬から乗り出し、彼を呼んだ。


「……アマリ」


 驚きと喜び、全て通り越して『何故、来たのだ』と言いたげに、荊祟はいとしい名を呟く。……が、絶望的な表情を浮かべた。出来るなら危険に曝したくなかった。


「……お前‼」

「アマリ‼」


 荊祟らに手を貸され、馬から下りた娘の姿を目にした瞬間、アマリの両親は揃って怒号混じりの金切り声をあげ、叫んだ。

 懐かしいとは言い難い二つの声に、びくっ、とアマリの身体は反射的に強張る。


「やはり、生きていたのか。役目も果たさず、何と愚かな」

「務めを放棄するなど……無責任極まりありませんね。界の者がどうなっても良いのですか」


 久方ぶりに会う娘へ、怒気を含んだ非難を浴びせ続ける。当然ながら、アマリの心身の安否を尋ねる起来は無い。


「父様。母様。ご心配を、おかけし……大変、申し訳……ございませんでした。ですが」

「言い訳は無用です」


 頭を下げた娘の言葉を、ぴしゃり、と切り捨てる様に吐き捨てた母に、奮い立たせていたアマリの心は縮んだ。こうなる予測は勿論していたが、今まで以上に、辛く感じる。


「全て貴女が悪いのですよ。しくじるだけでなく、逆に懐柔されて……情けない」

「……母、様」


 喉奥が詰まり、蚊の鳴くような声しか出ない。身体が強張り、微かに震えているのが自分でもわかった。

 アマリの母は、娘が着ている麹色の小袖に目をやり、じろりと鋭く睨んだ。薄桃の山茶花が施された、()()特別な品だ。


「その着物……無理矢理着せられたのですか。呪文でも掛けられましたか」

「……あ」


 落ち着いた物言いだが、アマリの全身をびりびり、と痺れさせる程の圧があった。


「そんなおぞましい代物、さっさと脱いでおしまいなさい。下に襦袢(じゅばん)か何か着ているのでしょう?」

「……‼」


 全身から血の気がざあっ、と一気に引き、言葉の衝撃で思考が凍りつく。命じられた内容が、すぐには理解出来なかった。何度か反芻(はんすう)するが、ますます母の意図が解らず、ふらつきまでを覚える。

 一方、『大衆の前で肌着姿になれ』という、辱めにも等しい彼女の()()の言動に、人族の一部の者は同調しつつも慄き、荊祟始め厄界の者達は唖然とした。可能なら、直ぐにでも飛んで来て、自ら娘の着物を剥ぎ取らんとしそうな切迫感がある。ぎりっ、と荊祟は密かに奥歯を噛んだ。


 一方のアマリの身体は震えが止まらないままだ。が、なんとか母に(わか)ってもらいたく、唇を開いた。特に両親や一族の目には、忌まわしい物に映っても仕方ない。せめて、『そんな恐ろしいものでは無い』と説明しなければ。


「か……あ、さま。これは、そんな物では……」

「さあ、早く‼」


 能面の顔が、いつぶりかに目にする般若(はんにゃ)の表情に変わった。忘れる事の無かった母の恐ろしい形相に、アマリの心臓は更に縮こまり、凝固する。


「実の親より、厄病神を擁護するのですか。随分と愚かしい娘になったものですね。恩知らずな」

「……‼」


 強烈な眩暈がアマリを再び襲った。内にいる二人の自分が、相反する感情で脳内を揺さぶる。がちがちに固まった身体は、発するはずの言葉を沈め……


「貴女は昔からそういう子でした。情が弱く、詰めが甘く流され、騙される。尊巫女のくせに…… だから、手を煩わせ、私達が指南してきたのです」

「……か、さま。……申し……訳、ご……」


 ぐっ、と喉が詰まり、軽い吐き気が襲う。それ以上は言葉に出来ず、アマリは口元を手で抑え、俯いてしまった。


「……アマリ様」


 心配したカグヤが、抱えるように支える。無意識に自身の過去を思い出していた。農家に嫁ぎ、家業を支えていた母は気丈にしていたが、優しかった。娘が心配して憤る位に……

 彼女が知る『母親』と、目に映る女性の像は全く異なり、困惑する。


 一連のやり取りを静観していた荊祟は、苦々しい擬似感(デジャヴ)を覚えていた。成人する前に家臣から聞いた、父と母の様子――巧みな支配の有り様だ。当人に自覚があろうとなかろうと、少しずつ精神を蝕む。

 彼女を苦しめていた世界(もの)を目の当たりにし、沸々と込み上げる怒りを鎮めるのに必死だ。アマリの父に向かい直し、努め抑えながら口火を切った。


「少々、お尋ねしても宜しいか」

「……何だ」

「人族が翻弄された挙句に起こった、貴女の娘を始めとする尊巫女の犠牲……悲劇は、災厄では無い、とでも?」


 アマリと出逢ってから問いたかった、荊祟の心からの疑問だった。


「それが、神々と携わる者の宿命、責務なのだ。我々には我々の世界の規則、成り方がある。第一、貴様も関わる事であろう」

「元来、界の治安と利益の為に、貴方方が勝手に始め、起こした事だろうに。都合の良い話だな。相も変わらぬ事だが」


 苦虫を噛み潰したように、アマリの父は忌々しげに厄神を睨んだ。


「……‼ 我々だけの一存ではない。上……都からの要請でもあったのだ。神界との契約は絶対。稀な能をどうせ手放すなら、より有意義になるよう案じたまで」

「……その為には、実の娘ですら手段、道具でしかないとでも仰るか」


 呆れを含ませた、哀しげな眼差しを向けた。かつての()()にも……


「――端から、当人の為に世話した訳では無い」

「……‼」


 荊祟の眼孔が最大に開き、琥珀の瞬きが黄金(こがね)のそれに変わった、――瞬間。


「――これは興味深い。尊巫女とはいえ……人族の女に本気で惚れられましたか。妖厄神殿」

「暫し間、静観していたが、随分と興味深い事になっておられるな」


 二種の重低音が、天から雷鳴の如く、響いた。

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