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諸行無常

 やがて、(とばり)が落ちると共に、束の間の逢引は(つい)を告げた。夕餉の膳を手にしたカグヤ、そして、同じ仕様の膳を抱えた護衛隊長が、アマリ達がいる奥座敷の(ふすま)に声を掛ける。


「長様。お取り込みの時分、恐れ入ります」


 部屋に入り、二人は恭しい素振りで荊祟の前に(かしず)く。


「改めまして、今宵から宜しくお願い申し上げます」


 隊長は以前と同じく単調に、だが、どこか神妙な声色で挨拶をした。彼もカグヤの意に添い、併せて待機していたのだ。

 そんな部下達への感謝の念を込め、荊祟は「いや。宜しく頼む」と無表情に返し、すっ、と立ち上がる。一瞬、アマリに目をやり、普段の表情に戻った顔をじっ、と見たが、何事もなかったかのように隊長と部屋を出て行った。

 既に、それまでの穏やかで甘い雰囲気は、カグヤ達の気配を察した瞬間に消えていた。少し寂しくなっていたアマリだったが、懸命に自制する。

 出て行く直前、自分を見た琥珀の眼差しが、哀しくも温かい色をしていたからだ。


 ――そういえば、荊祟様とお食事を共にした事がなかったわ……


 約束した思い出作りに出掛ける時は、一緒に昼餉や甘味を食べたいと、奮い立つ思いで決めた。




 隣の畳部屋。夕餉と寝支度を終えたアマリとカグヤは就寝に入っていた。が、カグヤは隣で壁にもたれながら座り込み、布団に包まった状態だ。せっかくなので並んで眠りたかったアマリだったが、「何があるかわかりませんから」と頑なに断られた。

 こんなふうに誰かと並んで床に就いたのは、いつぶりだったか記憶に無い。隔離される前、年の離れた姉と並んで寝たかもしれないが、覚えていなかった。だが、哀しくもどこか懐かしい感覚が、アマリの奥底から甦る。


「……カグヤさん。先程は、ありがとうございました」


 布団越しに、丁寧に礼を告げる。束の間とはいえ、荊祟と二人きりにしてくれたのだと察していた。


「私の事まで信じて下さって……嬉しかったです」

「……アマリ様は柔和なお人柄の割に、勘がよろしいですね。忍にも向いておられるのでは」


 出会った頃から変わらず、義理堅く率直なアマリに苦笑し、照れ隠し混じりに冗談を返す。


「貴女様はそういう方で、ままならない胸中もお察ししております。……御立派です」

「カグヤさん」


 やはり、彼女には見抜かれていたのだとわかり、少しきまり悪くもなる。アマリという人族の、荊祟という厄神への想いは、本来は誰にも赦されない。


「ずっと……お慕いして良いのか……わからずにいました。ですが、あの方と過ごす時間は幸せで……密かに想うだけなら良いのではとも考えました…… が、本来の私は人族で、彼は同胞が忌む(かたき)なんですよね。……忘れかけていました」


 どんなに足掻(あが)いても逃れられない、生まれた瞬間から定められた、宿命という名の相反した分かれ道。ならば、そんな自分達が出会った事に、何の意味があるのだろう。 


「アマリ様。一つお話を……宜しいでしょうか」

「……はい」


 改まった口調で、前を見たままカグヤは伺いを立てる。気が緩んでいたアマリは、涙混じりに了承した。


「これは、あくまで私個人の見解で、どんな異能にも、少なからずあり得る危惧ではございますが…… 一見、アマリ様の本来の力は、害の無い展望的なものですが、使い方次第では界一つの衰退、破滅が可能ではないかと」

「……⁉」


 とんでもない恐ろしい仮説を語るカグヤを、アマリは横になったまま凝視した。


「例えば、ある特定の植物の萌芽ばかりを促進し続けたら……どうなるでしょう?」


 問うくノ一の眼は、真摯でありながらも哀しげな陰を落としていた。貧しい農家の生まれで、不作に苦しむ両親を見てきたという彼女の生い立ち、過去を思い出す。


「生態系が崩れ、その植物と関連する生物のみが繁栄し、他の植物……農作物の生育を阻めます。やがて、収穫率は落ち、糧を失った界が行き着く先は混乱、そして……貧困です」


 実家を襲った災難。それらがもたらした、数々の不幸と悲劇。この界の土壌の質と天候が影響していたのだろうと、カグヤは幼いながらに感じていた。が、ただの一市民の自分にはどうにも出来なかった。

 己の宿命と同じ位、天なる自然を前にしてなら、非力なのは人族も神界の者も同じだ。だからこそ、支配者は思い通りに富を利用しようと画策し、文明で対抗する……


「荊祟様は我らの界の主で、忌まわれている妖厄神でもあります。ですが、()()を人族の界に行う事を、貴女様に強要しません。歴代の長様のお考えがどうだったかは存じませんが…… あの方は、そういう方です」


 彼女が何を言いたいのか、少しずつ解ってきた。詰まる胸元を抑える。


「神界の土壌の仕組みは、人族の界とほぼ同じです。あらゆる生物が均等に生き、界が豊かになるか否かは、長の裁量次第です」

「カグヤさん……」


 ずっと引っ掛かっていた事が(ほぐ)され、微かに涙が滲む。理由のわからない喜びが湧き上がった。自分が目にしてきて信じた()の姿は、間違っていなかったのだと。


「ですが…… もし、母や実家を襲った病や災難が、人族の界との共鳴ではなく荊祟様のせいだったとしたら、私とてどうしていたかわかりません。貴女様が悩まれるのは当然だと存じます」


 カグヤの思いやりある配慮が、アマリを救う。彼女は出会った時からそうだった。任務故にしろ、個人的な思い故にしても……


「ありがとうございます…… 私、貴女に出会えた事にも、本当に感謝しています」

「よして下さい。今生の別れの様ではありませんか」


 友人でも家族でも無い関係。だが、この界で得た貴重な縁を改めて感じ、尊さを噛み締めながら微睡(まどろ)む。彼女の微笑に安堵したアマリは、長かった夜に幕を下ろし、眠りについた。




 それから数日。荊祟と会う事はなかった。隣の部屋に寝泊まりしているのに、顔すら見る事なくすれ違う日々が続いている。

 会わせてもらえない状況なのだとは解っていた。黎玄づてにカグヤに届く(しら)せの文だけが、今の唯一の繋がりだ。どうやら、稲荷の界との交渉は順調で、春までには行き先が決まりそうだという。

 大方の覚悟はしていたが、アマリはやはり気落ちしていた。憂鬱な気分で部屋の障子窓を開ける。厄界に初めて来た時よりも陽の光が強まり、日だまりの匂いがほのかに感じられる気がした。

 もうじき、春が来る。アマリが最も好きな季節だが、今はどうか来ないでほしいという無茶な願いまで抱いてしまっている。


 ――この界の春の景色は、どんなかしら……


 実家の庭園から見える風景だけが、アマリの唯一の外の世界でもあり、心を動かしてくれたものだった。幻想的な空模様、瑞々しい草木の成長、美しく健気な花々の生き様。生命力。彼らを見ているうちに、幼いアマリは自然に彼らと対話を始めた。

 感じた事、思った事……全てを語り、彼らも応え、一時(いっとき)だけでも一人の人間に戻してくれた。春、夏、秋、冬……廻り回って、再び春を迎える。毎年変わらず、そんな季節の移ろい、時の流れを知らせてくれる自然界の(ことわり)は、アマリに安心感と愛着を与えてくれた。

 だが、人間らしい考えや個の気持ちなど、誰かに話して応えてもらった事はあっただろうか。うんと幼い頃。年の離れた姉の日向(ヒナタ)と、物心つく頃に亡くなった祖父との記憶の中には、僅かだがあった気がする。

 希少で大切な思い出のはずなのに、今まで思い出す事の無かった過去。荊祟と過ごした時間が、アマリの奥底に眠る煌めきを呼び起こす。


 ……離れに連れてゆかれる直前。父、母、輿入れが決まりかけていた姉、歳近い弟、乳呑み子の妹、祖父。他界したばかりの祖母以外の家族全員と、挨拶を交わす時間を与えられた。

 両親には『お務めを必ず果たすよう』など言われた気がしたが、あまり覚えていない。だが、利発だがあまり笑わなかった姉が、初めてアマリの手をとり、微かに微笑んでくれた事。無口だった祖父が眉尻を下げ、アマリの額をぎごちなく撫でながら『しっかりやれ』とだけ、掠れ声で告げた事……


 ……――今日は、やたら昔の記憶が甦り、いつも以上に胸がざわつく。感傷的になっているのかもしれないが……嫌な予感がした。


「アマリ様‼」


 カグヤの叫ぶような呼び声で、はっ、と我に返る。気づかないうちに黎玄が文を運んで来ていたようだ。彼女らしかぬ真っ青な表情で、手にした半紙を微かに震わせている。


「人族の界から八百万(やおよろず)の河を経て、文が届いた模様です。『我らが差し出した尊巫女について、妖厄神との直談判を願い申す』という内容だそうです」


 アマリの意識も遠退き、カグヤ同様血の気が引いた。丁重に読み上げる彼女の声には、押し殺したような憤りが滲んでいる。


「『おそらく生きているのであろう、我らの尊巫女を差し戻すよう』との事です。厄払いの神と同行してゆく故、覚悟せよ……と。宣戦布告じゃないですか……‼」


 文の続きには、自分が家臣等部下と対面するから、アマリはカグヤと共に屋敷に残れとあった。彼らの剣幕から見て、実の娘とて危険な目に遭わせるかもしれないと踏んだのだろう。だが……


「――行かなければ」


 他人事のように傍観している訳にはいかない。原因は、自分だ。


「なりません‼ 長様は対抗出来るだけのお力があります。ですが、アマリ様には……」

「……だからこそ、です。あの方達の目的は私ですが、荊祟様の弱体化もあります。神に戦いを挑むなんて、畏れ多い事なのはご承知のはず」


 出来るなら、再び顔を合わせたくない。思い出すだけで目眩を感じ、意識が遠退く存在だが、慕う者が危険に曝されるのなら別だ。

 彼ら、そして己と向き合い闘う事で、()()()大切に想う人を助けられるのなら、それは犠牲では無い……自身が望む事なのだと、アマリは決意した。

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