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宿命


 身体のどこに溜まっていたのか、幾年分の涙を流し続け、ひとしきり泣いた暫し後――アマリは宙を飛んでいた。粉雪に変わった真夜中の宵空を、ゆらり……ふわり……と、瑞風――もしくは鳥の背に乗ったように。


「……(おさ)様、あ、の」

「喋るな。舌噛むぞ」


 心身共にがちがちに固まっているアマリは、すぐ傍……眼前の荊祟(ケイスイ)の顔を見やる。冷え切った身体は彼が着ていた漆黒の羽織に包まれ、そのまま抱き抱えられた状態で、アマリは狼狽(うろた)えながら身を預けていた。

 そんな彼女の心境を他所に、荊祟は真っ直ぐ前を見据え、木々の枝や岩を足場にしながら、我が物顔で空中を俊敏に駆けて行く。


「歩け、ますから……降ろして、下さいませ」

「力尽きて、へたり込んだ奴が何を言う。この方が早い」


 凍てついた深夜の外に薄着で飛び出し、まだ回復して間もない身体で花能(はなぢから)を使ったアマリは、泣き切った後、脱力して動けなくなってしまったのだ。


「で、すが……重い、でしょう?」

黎玄(れいげん)とさして変わらん。軽すぎる位だ。もっと食え」


 『そんな(はず)ないでしょう』と言おうとしたが、速度を更に上げた彼に、口すら開けなかった。

 贄として一族に喰わせるかもしれなかった相手に、『もっと食べろ』と言う。冷えた身体を自分の羽織で温めようとする。額に感じる首筋の微かな温もりは、人族のものと変わらない。

 家族にすらまともに抱かれた記憶の無い彼女にとって、他者で異種族……増して若い男に身を委ねているという、この状況は大事件だった。どうして良いのか判らず錯乱する中、その温もりと肩に感じる大きな手の感触が、どうにか意識を保たせている。

 この飛ぶような感覚にも覚えがあった。厄界の入り口付近で気絶した後、冥土に向かっているのだと思った時に似ている……


 ――あの時も、こうして運んで下さったのね……


 もしかして……と、薄々感づいていたが、その後の荊祟の振る舞いと一致せず、ずっと曖昧(あいまい)にしてきた。だが、今は確信出来る。『生かされた』証だったのだと。


 ――この方は、どうして『妖厄神』なんだろう……


 同時にそんな切ない疑問がわき上がり、アマリの心を占めた。



 あっという間に屋敷の瓦屋根に降り立った荊祟は、そのまま屋根づたいに駆け、離れの入り口に着地した。扉の前には、カグヤが立っていた。荊祟に命じられ、ずっと待機していたのだ。

 長に抱えられたアマリを見るなり、彼女は張り詰めた表情を緩ませ、ほっ、とした素振りを見せる。


「お帰りなさいませ。アマリ様」

「カグヤさん……」


 荊祟の腕から離れ、支えられるように着地したアマリは、いつもと変わらず迎えてくれたカグヤに罪悪感を覚えた。


「申し訳ありません……私……」


 彼女を(あざむ)いて脱走した事に胸がひどく痛む。深く頭を下げ、震える声で詫びた。


「いいえ。ご無事で何よりでございます」


 淡々と、だが穏やかな調子で返すカグヤに、荊祟は口角を僅かに上げ、からかうように(うなが)した。


「先程、俺に申した事を言わなくていいのか」

「長様⁉ あれほど内密にと……‼」

「先、程……?」


 頬を薄紅に染め、珍しく慌てた様子を(あらわ)にする彼女に驚き、アマリは問いかける。


「……また後程、お話します。今はお身体を休めて下さい。また悪化致しますよ」


 決まり悪そうに、そんな優しい言葉をかけてくれるくノ一を、再び涙がにじみ出た眼で見つめる。『生きていて良かったのだ』と、改めて切に感じた。



 案の定、その日の早朝に発熱してしまったアマリは体調を崩し、再び床につき休養する事になった。が、前回とは色々な事が変わった。

 対面の度に警戒し、互いに探り合っていた荊祟は、時間が出来ると離れにやって来て、様子を見に来るようになった。起きている時は、直接会って体の具合を尋ね、他愛ない事を少しだけ話して本堂に戻る。眠っている時は、カグヤにアマリの状態だけを聞いて去って行くのだという。

 多くて一日に一、二回。丸一日来ない日もあったが、頻度は増えた。カグヤいわく、一つの界で長である彼は、やはり多忙らしい。

 そんな中でも、わざわざ来てくれるようになった事が(いま)だ不思議だったが、ほのかな嬉しさも感じていた。眠っている時の来訪で顔を合わせられなかった日は、若干残念に思う位に……


 カグヤと摂る食事の時間も、今までより和やかな空気に変化した。粥や膳の品々は、実家と同じく屋敷に仕えている女中が作っている物だと知ったが、食べる時はいつも独りだった。

 今は、務めとはいえ傍にいてくれて、心から自分を案じてくれる者と一緒だ。それだけで心が和らぎ、口にする味がより美味しく感じる。

 食事を用意してくれる者への感謝の念さえ覚え出す。彼女と共に『いただきます』と手を合わせ、箸をとる瞬間が、アマリには(とうと)かった。

 そんな様々な変化に戸惑いつつも、この界での新たな暮らしが、ぎこちなくも始まった。



 熱がようやくひいた頃、アマリは自分が脱走した夜に荊祟に申した内容を、カグヤに遠慮がちに尋ねた。


「……『貴女様をお助け下さい』、そして『死なせてはいけない方だ』と申しました」


 少し気恥ずかしそうに口ごもりながら、話し始めた彼女は、驚くアマリに自身の過去を語り始めた。


「アマリ様は、私の母に似ておられるのです」


 元々、カグヤはこの界の農家の生まれだった。生活は貧しく、家族全員が朝から晩まで働いても、兄含め四人食べていくので精一杯だったという。


「貴女様と同じく、自分より私達兄妹や父の事ばかり考え、気遣う優しい人でした」


 だが、やはり無理を重ねていたのか、カグヤが物心ついた頃に体を壊してしまい、医師にかかる事も薬を買う事も出来ず、数年後に亡くなった。

 幼かった自分は『何故もっと自分の事も大切にしなかったのか』と、母の事が理解出来なかった事を、切なげに語る。


「今はわかります。私達兄妹を生かす為に、必死だったのでしょうね」


 その後、ますます生活は困窮し、追い詰められた父に、この界の遊郭(ゆうかく)に泣く泣く売られたのだという。

 幼いながら、持ち前の美貌と才気を見込まれたのか、位の高い(くるわ)に買われた彼女は、楼主(ろうしゅ)に気に入られ、引っ込み新造として売れっ()の女郎に付き、芸事の修行をしていた。しかし数年後、その姉女郎が重い病に倒れ、見捨てられかけた。


「面倒見の良い(ねえ)さんでした。母の最期と重なり、思わず楼主に訴えましたが聞き入れてもらえず……刃物を手にして歯向かったのです。大変な騒ぎになりました」

「……⁉」


 苦笑しながら、そんな事を淡々と語るカグヤに、アマリは驚愕した。今の彼女からは想像できない姿だ。


「同じ頃、ちょうど成人されたばかりの荊祟様が、家臣の方とお忍びでいらしていたのです。仕置き部屋に入れられかけていた私を目にされ、身請(みう)けという形で廓から出して頂きました」


 成人し、家督(かとく)を継いだにも(かかわ)らず、女性に興味を持たない彼を案じた家臣達に、半ば強引に連れて来られたのだという。

 その時は、まさかこの界の長になる者とは知らず、名家の主の(めかけ)にされるのだろうと思っていた。だが、荊祟直々に、この屋敷の警護などを担う仕事を勧められ、鍛練を始めたのだという。女の警護人が少なかったので、適性ある者を探していたらしい。


『その気性、あれだけの度胸があるのだから向いている。命を無駄に使うな』


 何故自分を買ったのかと、不可解さを(あらわ)にしたカグヤに、荊祟はそう(さと)した。

 彼が廓に行った過去に対し、何故か(もや)がかかった複雑な思いを(いだ)きながら、『無駄死にするな』と自分に激した姿を、アマリは思い出す。


「『カグヤ』は、姐さんが付けてくれた廓での源氏名です。元の名を名乗る事も考えましたが、もう昔の自分には戻れない。なら、新しい名で生きようと決めたのです」


 彼女の生きざまと覚悟に圧倒され続けていたアマリは、ずっと言葉を失っていたが、ようやく口を開く。余計な世話だとわかっていたが、問わずにはいられなかった。


「……戦う事、は……怖くないのですか」

「基本的にはこちらの護衛、又は潜入調査ですので、戦にでもならない限り命懸けにはなりません。怖くないと言えば、嘘になりますが……こちらの方が性に合っています。いずれにしろ、あのまま廓に居ても、どうなっていたか分かりませんから」


 毅然とした面持ちで、文字通り異世界の話のような事を語るカグヤに、アマリは茫然としつつ、どこか共感と憧れを覚えた。自分も不可抗力で命懸けの所業をしたが、彼女は自分の意思で動いた経緯もある。


 対称的な人生を歩んできた異種の女性。この出会いは偶然か、必然か。幾つもの出来事、選択が重なり、運命は大きく変わる。

 自分が今、この界でこうしているのも、数奇な巡り合わせの果てなのかもしれない……と、何とも言えない思いに包まれた。

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