第3話
ミーダ城、裏門。
突如として目の前に現れた魔物の群れに、私の頭は完全にフリーズしていた。
(な、何で魔物が……!?)
私は兵士でも冒険者でもない、ただの旅の商人だ。
不意に魔物と鉢合わせた時の心構えなどあるはずもなく、真っ白になった頭でただただ立ち竦むことしかできない。
「……ン?」
そんな案山子のように突っ立っている私を、見逃してくれるはずもなく。
門扉が開く微かな音に気付いたらしい。人狼が耳をピクリと動かして、ゆっくりとこちらを振り向く。
猛獣特有の、ギラギラとした金色の瞳と、目が合った。
「何ダ、オ前ハ」
しわがれた声が、こちらへ投げ掛けられる。
人間とはつくりの違う声帯から発せられる声は、それこそ威嚇する獣の唸り声のよう。
「ドウシタ?」
「人間ダ」
「何故ココニ」
一人が口に出せば、他の魔物も次々に私の存在に気付いていく。
眼前にまで近付かれ、穴が開くほどにジロジロと見られてもなお、私の体は恐怖に縛られたままでいた。
「協力者ノ人間ガ、人払イヲシタノデハ?」
「確カ“ウサギ”トイウ使イノ者ガ、結界ヲ張ッタト」
「……待テ。コノ人間、ウサギノ被リ物ヲシテイルゾ」
「モシヤ……コノ者ガ“ウサギ”デハナイノカ?」
………ん?
何か、流れ変わったな。
「成程、確カニ」
「自身デ張ッタ結界ナラ、スリ抜ケラレルノモ道理」
「人間ヨ、オ前ハ協力者ノ使イデアル“ウサギ”ナノカ?」
……うん、よく分からないが、どうやら魔物達は私を誰かと勘違いしているらしい。
勿論、私は彼らの言うウサギとやらではないのだが、ここで否定すると魔物に襲われてしまうかもしれない。
かと言って、積極的に嘘を吐くのも申し訳ないので、曖昧な笑みを浮かべていると「ヤハリカ!」と魔物達は色めき立った。
私の笑みを肯定と捉えたらしい。……彼らが早とちりしただけなので、私は悪くない……と思いたい。
「“ウサギ”ヨ、オ前ノ主ハ今、謁見ノ間ニイル」
「我ラノ新タナ王モ、向カッテイルダロウ」
「王ノ妃ヲ、クレグレモ頼ム」
「我ラハ続イテ城ヲ包囲シ、人間ガ逃ゲ出サナイヨウ見張ッテイヨウ」
「え?あ、っと、はい……お疲れ様、です……?」
何が何だか分からないまま魔物に頭を下げられた私は完全に混乱しており、しどろもどろな返答しかできなかった。
正直、すぐにでも回れ右して逃げ出したかったのだが、この状態で背中を見せるのは流石に不自然すぎる。
結界、私は話の流れに逆らう事ができず、彼らのいう“ウサギ”のふりをして城の中へ入る事しかできなかった。
「デハ、頼ンダゾ」と手まで振ってくる魔物達に軽く会釈して、扉を閉める。
扉を隔てただけとはいえ、視界から脅威となる存在が消えて緊張の糸が切れたらしい。やっと自由を取り戻した私の体は、へなへなとその場に崩れ落ちた。
「な、に……今の………」
いつの間にか早鐘を打っていた心臓を押さえ、落ち着かせるように深呼吸する。
死んでいた。言動や行動の選択肢を少しで誤っていたら、私は間違いなく魔物達に殺されていただろう。
それにしても、何故魔物達がミーダ城にいるのだろう。一体、この城で何が起こっているのだろうか。
(………そういえばさっき、新たな王が云々って言ってたっけ)
現状把握の為に、魔物達の発言を思い出しながら、得た情報を頭の中で箇条書きにしてみる。
魔物には協力者がいる。
その協力者にはウサギという使いがいる。
ウサギが城に人払いの結界を張った。
ウサギの主(協力者)は今、謁見の間にいる。
魔物達の新たな王も謁見の間へ向かっている。
王の妃と呼ばれる者がいる。
……今わかっているのは、こんな所だろうか、
(……やっぱり、魔物達が城に乗り込んで来たのは、魔王の仇討ち……?)
新たな王、というのは、文字通り新たに即位した魔王のことだろう。
ミーダ国の皇太子達によって討たれた先代魔王の復讐を果たす為、新たな魔王が魔物を引き連れて来た……と考えるのが、一番自然な気がする。
協力者、というのはおそらく、魔物に協力している人間の事と思われる。自ら進んで協力してるのか、脅迫されて無理矢理従ってるかは不明。
王の妃、というのはよく分からないが、ニュアンスからして魔王の寵愛を受けている者がいるのだろう。協力者と呼ばれている人物と同一存在なのか、はたまた別人なのかは定かではないが。
(……って、そんなこと考えるより安全確保が先……!)
ぺちぺちと頬を叩いて立ち上がる。とりあえず、城の中を探索してどこか安全な所に隠れよう。
この部屋にいる事も考えたが、扉一枚を隔てたすぐそこに魔物がいるのは精神衛生上よろしくないし、今後何か状況が変わって魔物が城内に雪崩れ込んできたらすぐにバレてしまう為、止めた。
幸い、魔物達は城内にはいないようで、廊下は耳が痛い程の沈黙に包まれている。
……とりあえず、どこかの部屋に入ってやり過ごしてしまおう。こういうお城には大抵、普段はあまり使われないような小さい部屋が幾つかあるはずだ。
そう思い、足音を殺しながら城の廊下を歩いていると
「……ん?」
なんか、いた。
ふわふわ毛玉のような何かが、廊下の上に落ちていた。
その毛玉は白くて、ピンと立った長い耳が生えていて、まぁるい体に小さなしっぽがちょこんと付いている。
どう見ても、もちもちでふわふわのまるころウサギが、そこにいた。
「…………えーっと」
『うさ?』
喋った。いや鳴いた。いやちょっと待て、そもそもウサギの鳴き声ってそんなだっけ。
えっ、というかもしかして魔物が言ってたウサギってこれ?
てっきり何かこう、密偵部隊のコードネーム的なものだと思ってたんだけど。
私、このウサギと勘違いされたって事なの? えぇー…………
『うさ、うしゃうしゃ?』
ウサギがつぶらな瞳で私を見上げ、何か尋ねるように鳴いた。
まるで「自分が見えてるの?」と言われたようで
「う…うん、そりゃ見えてる、けど………」
躊躇いながらも頷くと、ウサギはぱあっと顔を輝かせた。
そのままぴょんこぴょんこと私の近くまで来ると、服の裾を咥え、このまるころボディのどこからそんなパワーが出るのか、と思う程の力で、服を引っ張り始めた。
くいくい、と。まるで、こっちに来てと言わんばかりに。
「え、ちょっ、何……!?」
『うしゃ!うさうさうさ!!』
服を咥えながら鳴いている為、何と言っているのかは分からない。……いや、そもそもウサギ語なんて元から分からないんだけど。
ただ、鳴き声のトーンとニュアンスから、喜びと歓迎の感情を孕んでいる気がした。
「こっちに来い、って?」
『うしゃ!!』
私の言葉にウサギは頷くと、再び私の服をぐいぐいと強く引っ張る。
気を付けないと転んでしまいそうな程の力に抗えず、私はウサギの道案内に従うしかなかった。
階段を上がり、二階へ。ウサギに導かれたのは、吹き抜けになっているホールの二階部分、バルコニーのようになっている所だった。
「ここは……?」
『うしゃ!!』
ウサギが、まんまるの手で下を指す。一階を見ろ、と言っているようだ。
何が何だか分からない私は言われるがまま、身を隠すようにしゃがむと、柵のようになっている手すりの隙間から覗くように下を見た。
一階には、沢山の人の群れ。それはふたつに別れ、対立するように向かい合っていた。
片方はおそらく、この国の要人とその護衛。壁のように並ぶ衛兵達の向こうには、この国の皇太子と思われる青年と、それに寄り添う法衣を纏った少女がいた。
おそらく、町の人々が口にしていた、魔王討伐の勇者であるアランドルフ皇太子殿下と聖女テレサだろう。
彼らを守るように立つ兵の数はざっと数十人。対するもう片方は、たった三人だけだった。
冒険者風の装いをした銀髪と水色髪の女性二人と、その二人を率いるように中央に立つ黒いローブマントの人物。
フードをすっぽり被って顔を隠しており、手には禍々しい大剣が握られている。……もしかして宿屋の女将さんが言ってた“魔剣士様”だろうか。
「……魔剣士殿。死したと思っていた戦友との再開、とても嬉しく思う」
衛兵の壁の先頭、一際高位な装飾を纏った騎士が、黒ローブの人物へと声をかける。やはり、魔剣士で正解だったらしい。
「だが、突如として城の周囲に現れた魔物は、如何なる理由によるものか。衛兵達の報告によれば、貴殿の影から魔物が出現した、と聞いているが」
騎士からの問いに、魔剣士は答えない。
代わりに、隣に控えていた銀髪の女性が口を開くいた。
「恐れながら。魔物が現れた理由については、皇太子殿下と聖女様に心当たりがあるかと」
「……貴女は」
「お初にお目にかかります。私は異世界探偵事務所、通称“赤のギルド”に所属するサーリャと申します。こちらは、私と同じく“赤のギルド”の団員であるフェノン」
サーリャと名乗った銀髪の女性が一歩前に出て、ゆっくりと頭を下げる。…冒険者の格好をしているが、もしや高貴な家の出自なのではと思う程に完璧な礼だった。
水色髪の女性……フェノンも、仲間の言葉に合わせて頭を下げる。
「貴方は…魔王討伐パーティの一人であるミーダ国騎士団団長ルイス様とお見受け致しますが」
「あぁ、相違ない。……魔剣士殿から聞いたのか」
「えぇ。我々は彼女から依頼を受けた際、貴方がたの情報を一通り聞かせて頂きました。依頼遂行に必要でしたので」
……どうしよう。彼らの事情を知らないからなんとも言えないが、どう考えても、私みたいな一介の旅商人が聞いていいような会話ではない気がする。
幸い、私がいるのは二階で、彼らは私の存在に気付いてない様子だ。今のうちにこっそりここを離れようとするが
『うさ!!!』
怒られた。ウサギに。
どこいくの!と言わんばかりに鳴くウサギの口を慌てて塞ぐ。
「わ、わかったから…!大きな声出さないで………!」
『うさうさ』
こくこく、と頷くウサギ。一階を見下ろして様子を窺うも、彼らが先程のウサギの声に反応した様子はない。私がここにいる事は気付かれていないようで、ホッと息を吐いた。
どうやら、このウサギは私にここにいて欲しいらしい。先程の強引な道案内から薄々と察していたが、その意図は読めない。
じーっと観察するようにウサギを見つめても、ウサギは『うさ?』と可愛らしく小首を傾げるだけ。
読めないものは仕方ない。私は再び、一階の様子を窺うことにした。
「依頼……?」
「はい、我々は彼女から『ミーダ国へ復讐したい』との依頼を受け、遂行の為に登城させていただきました。城を囲む魔物達は、我々の協力者です。任務遂行の為とはいえ、騒がしてしまった事はお詫び致します」
サーリャが“復讐”という単語を口にした瞬間、皇太子と聖女の肩がビクリと大げさな程に震える。
だが、彼らを背に庇う衛兵や正面で侵入者と対峙する騎士ルイスはそれに気付けない。サーリャの言葉に怪訝な表情を浮かべ、言葉を投げた。
「……すまないが、貴女が何を言っているのか見当がつかない。魔剣士殿がミーダ国に対して復讐を望んでいる、と?」
「えぇ。我々は彼女から、そう依頼を受けました」
「何故だ、魔剣士殿。ミーダ国は素性の分からぬ貴殿を客人として迎え入れた。恩こそあれ、復讐を望む筋合いは無いではないか。
……もしや、魔王討伐の際に貴殿を魔王城に置き去りにした事を言っているのか? 確かにそれは悪い事をしたとは思う。だが、だからと言って魔物を引き連れて城に乗り込んで来る必要は無いではないか」
いかにも生真面目なルイスの言葉は、確かに筋は通っているだろう。
だが、彼の後ろで青い顔をしている皇太子と聖女の存在が、その言葉の印象を歪ませていた。
どこか見当違いに響くルイスの言葉を、サーリャは鼻を鳴らすようにふふ、と笑って受け止める。
「お言葉ですがルイス様、我が依頼主様がおっしゃる復讐は、そのような些末事ではありません」
サーリャの言葉に、魔剣士は頷いた。
魔剣士の動きはゆっくりとして、どこか重々しい。まるで、大理石で作られた石像が動いているような、そんな印象を受ける。
そんなゆったりとした動きのまま、魔剣士は自分の体を覆うローブマントを掴むと、それを一気に取り払う。
宙を翻り、床に落ちる黒いローブ。その下から表れた顔を見て、ルイスは驚愕の声を上げた。
「パトリツィア、嬢………!?」
掠れた声で、名前を呟く。
そこにいたのは、アランドルフ皇太子の元婚約者。魔物によって殺されたはずの、公爵令嬢だった。




