第53話
早めに夕食を終えた私達は、迎賓館の厨房を借りて明日の準備を整えていた。
ノワール先輩は潜入した際の記憶を頼りに教会の間取り図を紙に書き出し、どう動けばスムーズに教会を制圧して地下の人々を救助できるか、思案を続けている。
私はその隣で、明日必要になるだろうポーションを大量生産していた。大きなお鍋に特定の薬草を複数種入れて、くつくつと煮出していく。
このポーションは体力や魔力の回復も見込めるが、どちらかと言えば栄養失調をカバーする為の栄養剤としての側面が強い物だ。
誘拐被害者の中では、比較的最近に攫われたはずのポールさんでさえ、あれほどまでに衰弱してたのだ。もっと長く囚われた人々は、下手したら固形物を口に出来ないほど弱っている可能性もある。
このポーションはその為だ。最初はギルドに備蓄してある似たような薬効の物を持ってこようと思ったのだが、先輩から
『“赤のギルド”に備蓄してあるポーションは、ギルド内の薬草畑で育った薬草が使われてます』『薬効が強くなるように交配されたものですので、ギルド団員が服用する分には問題ありませんが……長時間地下に囚われていた人達には強すぎるかもしれません』とアドバイスを貰った為、女王陛下に頼んで城に蓄えていた薬草を使わせてもらう事にした。
一回分ずつ瓶に小分けし、粗熱が取れたら蓋をする。少し量が多いかもしれないが、足りないよりは良いだろう。余ったら高齢や病気等で満足に食事が取れない人に回してもらおう。
そんな事を考えながら最後の瓶の蓋を閉めた、その時
不意に、異変は訪れた。
「 ーーー! ーーーーッ!!」
轟音が耳をつんざく。
カンカンと繰り返し打ち鳴らされる警鐘。己の喉が枯れる事も省みない程に、張り上げられた兵士の声。
あまりの大声だった為、詳しくは聞き取れなかったけれど。『敵襲』だか『危急』だか、そんなニュアンスの言葉だ。
突然の大きな音に、手に持っていた瓶を落としそうになる。それを慌ててキャッチして机に置いたのと、エルフリーデ女王陛下が飛び込んで来たのはほぼ同時だった。
「何事ですか?」
即座に立ち上がったノワール先輩が、椅子に掛けていた外套を羽織りながら女王陛下に尋ねた。
私もウサ耳が付いた白ローブに袖を通しながら、そちらへ耳を傾ける。
「……魔の森を進軍していたアン達から、緊急信号が届きました」
女王陛下の話を要約するとこうだ。
一日三回行われる定時報告の時間を待たず、進軍部隊から非常事態を示す赤い光が届いたとの事だ。
普段の定時報告なら、魔術士団が用いる杖に埋め込まれている魔石に呼応した色──緑の光が使われる。
勿論、定時報告は毎回同じ人物が担当する訳ではない。個々人の魔力の質によっては、濃淡が違ったり、ほんの少し青や黄色が混ざったりする為、全く同色の光という訳ではないが……それでも、おおよそ緑色と呼ばれる色合いの魔力光が届くはずだ。
そんな光が、赤く染まる条件は、たったひとつだけ。
進軍部隊の野営地を防衛する壁型のゴーレムが、魔物の手で破壊された時のみ。その条件を満たした時にだけ、赤い魔力光が城に届く仕組みだ。
これが示す事は、つまり。進軍部隊が全滅、もしくは壊滅的な被害を受けた可能性がある、という事。
そして、その破壊を巻き起こした強力な魔物が、王都の近くにまで──少なくとも瘴気の湧出口である旧監獄塔よりもこっち側に来ている可能性が高い、という事だ。
何十年も魔物大量発生に対処して来たヴィゴーレ国には、進軍部隊が壊滅した時の対処法も確立している。
先程の警鐘と兵士の叫びは、それを知らせる合図だ。『一般市民は最寄りの避難施設に駆け込み、地下壕へ退避せよ』『騎士団、魔術士団の者達は魔物の襲来に備えよ』と。
「だ、団長達は……」
団長達は無事なんでしょうか。そう言おうとした私の声を遮るように、ジジッ……とノイズ音が耳に届く。
その音は、二箇所から聞こえて来た。ひとつは先輩の外套の下から。もうひとつは、私が被るフードに付いているウサ耳型の袋からだ。
内部を確認してみると、音源はすぐに判明した。小さく折り畳まれた紙。ヴィゴーレ国に来てすぐ、サーリャさんから貰った獣避けの御神璽だった。
『ザ──ザザッ…………ワー………………ア…………ノワール!ティア!聞こえる!?』
やがてノイズの波を切り裂くように、凛とした声が聞こえて来る。間違いない、サーリャさんの声だ。
「あ……は、はい!聞こえてます! 」
驚きながらも返答すると、サーリャさんが僅かに安堵の息を漏らした。
『よかった。分霊を使った通信は初めてだったけど、一発で繋がってくれたみたいね』
成る程。通信系の魔術や魔道具が使えない魔の森内部から、どうやって通信を……?と脳内に浮かんでいた疑問が、その言葉で腑に落ちる。
魔力を用いる通信は、濃い瘴気にジャミングされてしまう。けれど、これは神力を使った通信方法。神力は瘴気を浄化する力があるのだから、瘴気ジャミングなんて意味を成さないだろう。
「そちらの状況は? 一体何があったんです?」
先輩も自分の懐から取り出した御神璽を通し、サーリャさんに質問を投げかける。あたふたしてしまった私と違い、いつも通りの落ち着いた声。
“赤のギルド”として、非常事態に慣れている……そんな印象だ。
『どうやら、大量発生した魔物達が集団暴走したみたいね。要はスタンピードの二重発生よ』
「被害は?」
『平気よ。ブラッドが先頭の魔物を何体かぶっ飛ばしてくれたお陰で、結界を張るのが間に合ったわ。
軽い怪我をした人はいるかもしれないけど、魔物に轢かれた人はゼロだから安心して』
その言葉に、ホッと胸を撫で下ろす。警鐘が鳴り響いた時はどうなるかと思ったが、少なくとも大惨事にはなってないようだ。
「集団暴走を起こした原因は分かりますか?」
『……ここからずっと南。魔の森の入り口近く。ケノラナ辺りから、私以外の強大な神力を感じたの。
この距離で、私に影響が出る程の神力よ。魔物達が興奮して暴走するのも無理無いわね』
「神力…………」
森の入り口近く。ケノラナ。強大な神力。
その単語を繋げて脳内に思い浮かぶのは、ただひとつだけ。勇者派の教会にあった、女神ベローナの聖剣。その剣を持った者が森に入って来たのだと考えるのが、一番自然だろう。
だが何故、このタイミングで。先輩が地下で聞いた話だと、彼らは三日後にケノラナを立つのではなかったか。
「俺達が撤収した後に、何らかの理由で予定を早めたのかもしれませんね」
『……そっちもそっちで問題だけど、目下の厄介事はこっちね。
集団暴走した魔物の中には、二角獣や首無し馬みたいな足が速い奴もいたわ。
あのスピードを加味すると……多分、あと三十分もすれば王都に到着するでしょうね』
サーリャさんが挙げたのは、どちらも足が速い馬型の魔物だ。普通の駿馬よりも速く、持久力に優れ、そして何より凶暴。
そんな魔物の波が押し寄せて来たら……王都はたちまち蹂躙され、瓦礫の山と化してしまうだろう。
「三十分……ですか」
苦々しげに女王陛下が呟いた。
素人の私でも分かる。この王都に住む人々の避難を終わらせるには、三十分という時間は少し短すぎる。
「あの、光の扉を使って街の人達を一時的にギルドハウスへ避難させるのはどうですか?」
『……難しいわね。ギルドハウスとヴィゴーレ国の距離からして、まず扉を繋げるのに時間がかかるわ』
仮に繋げられたとしても、避難を完了させるには更に時間を要するだろう。
「そう、ですか……」
暗に望み薄だと言われ、思わず肩を落とす。
そんな私に、サーリャさんは
『そこで、よ。ティア、あんたの結果魔術で、王都を守りなさい』
「…………え?」
ぽーん、と。まるでキャッチボールのような気軽さで、物凄い提案を投げかけて来た。
その意味をすぐには理解できず、言葉にもならない変な声が口から漏れてしまう。
結界。私の特異属性魔法はヒノモトの結界魔術に近い、と言われた事を思い出す。
加えて、今は黄昏時。太陽が沈んだ直後でまだ空がうっすら明るいとはいえ、もう月が浮かんでいる頃合いだ。
つまりは、夜。私の魔法が、最も強力になるタイミング。
『一瞬でいいわ。魔物の群れが王都を通過する間だけ、結界で王都を包むの。できる?』
……出来る、と返答するのは正直難しかった。
いくら夜とはいえ、これだけ大きな都市を包み込むほどの結界を展開できるのか。できた所で維持する事ができるのか。
確かに最近は、ギルドハウスでフェノンさんに魔法の鍛錬をして貰ってはいるけれど。それでも街ひとつ包む程の、となると不安が募る。
けれど、じゃあもし。出来ない、と言ったらどうなるのか。
私が拒否したからと言って、この街に住む人々が皆死ぬ、という訳ではないだろう。
王都に建てられた貴族の館は個々に地下壕を備えているし、一般市民でも運良く近くにいて避難所に駆け込めた人達も少なくはないと思う。
けれど、逆に言えば。運悪く死んでしまう人も必ず出てくる、という事だ。
タイミング悪く避難所から離れた場所にいた、怪我や病気などで素早く動く事ができなかった。そんな、個人単位ではどうしようもない理由で。
「………………」
どうしようもない理由で、わけも分からず魔物集団暴走の津波に飲み込まれる。そんな彼等の心境は如何なるものか。
……それはきっと、とても寂しい。いきなり地獄の只中に放り込まれ、取り残される苦しみ、絶望。
何でこうなったのか。それも教えて貰えないまま、ただただ命を奪われる。
そして、例え生き残ったとしても、地獄の中に居る事は変わらない。
自分以外に生存者はいるのか、生き残ったのは自分だけじゃないか、何故自分だけ生き残ってしまったのか。
この世界の全てから見放されたような孤独感、心細さ。自分一人だけ生き残ってしまった罪悪感と、それでもなお私は生き延びたという安堵。
色々な感情がぐちゃぐちゃに入り乱れて、だんだんと心が透明になっていくのだろう。
だって、私もそうだった。
今から十数年前、この私が覚えている、最初の記憶。
あの燃え盛る木々の中で、空虚になっていく自分を、私はずっと見つめていた。
森林火災と魔物集団暴走。多少の違いはあるだろうが、それでも、あの地獄を味わう人が一人でも少なくなるのなら
「…………やって、みます」
女王陛下に案内して貰ったのは、ヴィゴーレ城で一番高い場所。王都を一望できる城の屋上だった。
でこぼこした鋸壁には、光を集める巨大なレンズのような魔道具が設置されている。魔の森に入った進軍部隊と、魔力光でやりとりする為のものだろう。
街では、人々が慌ただしく動いていた。避難する人々と、彼らを誘導する憲兵達。その様子を、煌々と輝く月が空から眺めている。
「…………」
大きく深呼吸した私は、街並みから目を逸らして反対側へ向き直る。
魔の森。ケノラナから森へ入った時は、生い茂りすぎた木々によって上空が全て覆われていると思ったが、こうして上から見ると所々に隙間があるのが分かる。
梢の隙間から覗く光は、進軍部隊が目印として設置したらしい外灯型の魔道具だ。一面の闇にぽつぽつと明かりが浮かぶ様子は、雲が多い日の夜空を思わせる。
耳に届くのは、城内の人々の慌ただしい足音。市民を誘導する憲兵達の声。ゆるやかな風が木々を撫でる音。そして──それらに紛れて分かりにくいけれど、残響のような地鳴りと魔物の息遣いが、確かに聞こえる。
木々の隙間を縫うように、時に邪魔な大木を圧し折りながらこちらへ疾駆する、凄まじい質量の群れ。集団暴走した魔物達。
「ティアさん、大丈夫ですか?」
隣に立つノワール先輩が、心配そうにこちらを見つめる。
エルフリーデ女王陛下は城内の騎士達に指示を出す必要があるという事で、今この場にいるのは私と先輩の二人だけだった。
彼の言葉に、大丈夫だとちゃんと返答できたら良かったんだけど
「大丈夫……じゃないかもなので、その、少しお願いしてもいいですか?」
「俺にできる事なら」
「王都を包むレベルの結界となると、全力で魔力を練る必要があると思うんです。だからそれだけに集中したいと言うか、結界を張るタイミングにまで気を使えないから教えて欲しいというか…………。
えっと、あの辺りまで魔物が迫って来たら、教えて欲しいんです」
そう言って適当な場所に置かれた外灯型魔道具を指差すと、先輩は「分かりました」と頷いてくれた。
「あと、もうひとつお願いなんですけど……手、繋いでもらっていいですか」
恥ずかしさから尻すぼみ気味に小さくなっていく私の言葉に、ノワール先輩はパチクリと目を瞬かせる。
一瞬の沈黙。でもそれは本当に一瞬で、先輩は柔らかく微笑むと私の右手を優しく包み込んでくれた。
……ああ、ケノラナで魔の森に入った時と同じだ。
不安でざわついていた心が、その温もりに解されてゆっくりと解けていく。
その感覚に促されるように、私はゆっくりと瞼を下ろした。
「…………」
大きく息を吸って、吐く。そのまま全神経を集中させ、体内で魔力を練り上げていく。
私の特異属性魔法は、夜になると最も強力な効果を発揮する。その為か、昼より沢山の魔力を練り上げやすい。
普段よりも多くの魔力を蓄えた為か、身体の内側にじんわりと熱を帯びるのを感じた。
でも、これだけでは足りない。高い所から街全体を見下ろせたお陰で、展開するべき結界の大きさは把握した。やはり、普段の何十倍もの魔力量が必要になる。
「───っ」
ズキン、とこめかみに軽く痛みがはしった。許容量を越える魔力を溜めた事によるオーバーヒートだろう。
それでも、私は魔力を練り上げるのを止めない。痛みを抱えたまま、集中を高めていく。
段々と鋭さを増していく頭痛。あまりの痛みに脳味噌がイカれたのか、脳裏にノイズが走ったような気がした。
まるで、水溜りに石を投げたみたいだ。投げ込まれた痛みが水面を乱し、奥底に沈殿していた記憶が一瞬だけ浮かび上がる。
森の中
はじめまして
男の子
黒い髪
空色の瞳
跳ねるウサギ達
夕焼け
もうかえらなきゃ
溢れる涙
かえりたくない
ここにいたい
だって かえっても もう──
じゃあ こうしよう
つらくならない おまじない
みぎか ひだりか
もどるか すすむか
どっちでかえろうか
「─────っ」
途切れそうになっていた意識を、何とか引き戻す。
その所為か、先程まで脳内を塗り潰していた光景が忘却の彼方へ消えて行ってしまったが、今はそんなことどうでもいい。
「……っ」
瞑目した暗闇の中、地鳴りの音と振動が段々と近付いてくるのが分かる。
どうしよう。もう結界を発動した方が良いんじゃないか。いやでも、中途半端な魔力では魔物の波を抑えきれない。もう少し魔力を練り上げた方が。だがしかし、もうすぐそこまで魔物が迫っているなら────
そんな胸中に渦巻く不安を、右手の温もりを感じて振り払う。
そうだ、先輩を信じろ。タイミングは先輩が教えてくれる。そう自分に言い聞かせ、ただひたすら魔力を練り上げ続ける。
あまりに大量の魔力を溜め込んだからか、体が火照っているのを感じる。このまま発火してしまうんじゃないか、体内の水分が全て沸騰してしまうんじゃないかってぐらい、全身が熱くて熱くて仕方が無い。
「ティアさん、もうすぐです。三、二、一────今っ」
「───月よ」
ノワール先輩の言葉を合図に、閉じていた目をカッと見開いた。詠唱を紡ぎ、溜めに溜めた魔力を全力で吐き出す。
結界が、形作られる。
王都をすっぽりと包み込んだのは、月の光を反射して、虹のように輝く半球体のシャボン玉。
魔物を遮断し、跳ね返す。魔物の世界である瘴気を拒絶し、内部に人の世界を作り出す結界だ。
突然、眼前に出現した光の壁に、魔物達は血走っていた瞳を更にギラつかせた。
そのが反応が未知の物に対する恐れからなのか、むしろ彼らの興奮を余計に煽ったからなのかは分からない。
どちらにせよ、猛スピードでこちらに迫る魔物達の速度からして、それを咄嗟に避ける事は不可能だった。
集団暴走する魔物達。その先陣が結界に触れた、瞬間、
「 !?!?」
バヂィ!!とネズミ捕りを何十倍も大きくしたような音と共に、突っ込んで来た推進力そのままに後方へ跳ね飛ばされた。
その先には、まだ前方へ向けて爆走している別の魔物がいて──物凄い勢いで衝突した魔物達はぐちゃぐちゃに折り重なるようにして地に転がる。
ひしゃげて、千切れて、動かなくなる。辛うじて生きていたかもしれないが、後ろから迫る魔物に踏み潰されて、結末は同じだった。
それでも、魔物達の爆走は止まらない。止まれない。シャボン玉に触れ、弾かれ、後方の魔物に激突して動かなくなる。その繰り返し。
やがて、前方で玉突き事故が起きてる事に気付いた賢い魔物が進路を逸らすまで。私は呼吸する事も忘れて、結界を維持し続けていた。




