第2話
関所の検問から、暫くして。
私達を乗せた馬車は、ようやくミーダ国の城下街へと到着した。
魔王討伐を祝う祭りが行われていると聞いていた通り、街の至る所に花が飾られ、人々の賑わう声が耳をくすぐる。
「じゃあまた、夕方頃にお城の裏門でね」
「はい!」
ミーダ国のお客様第一号……侍女の少女と別れ、大きなカバンをよいしょ、と背負う。
馬車内では邪魔にならないよう足元に置いていたこれは、薬草や調合器具など大事な商売道具が詰め込まれている。
「さて、まずは宿だな………あの、すみません」
宿屋の場所を尋ねる為、現地人らしき人……幼い女の子を連れたおばあさんに声を掛ける。
どうやら祭りに合わせて花を売ってるらしい、二人の手には色とりどりの花が沢山詰まったバスケットが握られていた。
「この辺りに手頃な宿屋って、ありますか?」
「そうだねぇ……この近くだとキツツキ亭があるねぇ。そこの角を左に曲がって、まっすぐ行くとフクロウの看板があるから、分かりやすいと思うよぉ」
「ありがとうございます」
店名はキツツキなのに看板はフクロウなんかい。と心の中でツッコみながらおばあさんに礼を言い、女の子が持つ籠から花を一本購入する。
私の瞳と同じ、淡い水色をした小さな花だ。見た目が可愛らしいというのもあるが、見慣れない品種だから気になった、という調合師故の理由でもある。
「……あ、そうだ、よかったら……」
勿論、こちらの商品の売り込みも忘れはならない。おばあさんは時折腰をさすっているのを見て、左耳の袋から貼付薬を数枚取り出した。
「私、旅の薬売りでして。これは私が調合した腰痛に効く貼付薬です。よければどうぞ」
私のような旅の商人は一ヶ所にずっと留まる訳ではない為、試供品をばらまくぐらい派手に宣伝するのが丁度いい。
行商の基本は『知ってもらうこと』。どんなにいい薬があっても、薬売りが来ている事を人々がまず知らなければ、誰も買いに来てくれないのだから。
「まぁまぁ、どうもありがとねぇ」
「道を教えてくれたお礼です。私、暫くこの町にいるので、よかったら見に来てみてください。では」
「うさぎのおねーちゃん、ばいばい」
手を振ってくれた女の子にこちらからも振り返し、教えてもらった通りに角を左へ曲がる。
そのまま直進。…どこの町でも祭りは賑やかなものだが、ここも例に漏れず活気に満ちている。
勇者ごっこをしてはしゃぐ子供達。露店を巡る家族。飾られた花を愛でる老夫婦。……あ、向こうでは男の人が女の人に告白してる。
「……っと、ここか」
目的の宿屋を見つけ、足を止める。フクロウを模した看板に大きく書かれてるのは『キツツキ亭』の文字。
おばあさんの覚え違いか何かと思っていたのだが、本当だった。フクロウだった。キツツキ亭なのに。何故だ………。
疑問を浮かべながら、宿屋の扉を潜る。来客に気付いた女将さんが「いらっしゃい!」と元気な声を上げた。
「あの、一週間ほど宿泊したいのですが……」
「はいよ!ウチは前払い制だけど構わないかい?」
「はい」
よかった。祝祭の日だから部屋が空いてないかもしれないと思っていたが、杞憂だったようだ。
一週間分の宿代を懐から取り出し、カウンターの上に置く。その様子を見て、女将さんは驚いたように微かに目を見開いた。
「あんた……もしかして“魔剣士様”かい?皇太子と一緒に魔王を倒した」
「え?」
話についていけず、間抜けな声を出してしまう。
そんな私の様子を見て人違いと悟ったらしい、女将さんは「あぁ、ごめんよ」と謝罪した。
「魔王討伐に向かったパーティーの中にね、あんたみたいに右手を包帯を巻いて顔を隠してる人がいたのさ。なんでも魔剣の呪いに蝕まれているとか何とかで」
成る程。先程女将さんが驚いていたのは、私がお金を出す時に包帯が巻かれた右手が見えたからか。
「……あれ、でも今日の祭りは魔王討伐を祝うものですよね?魔王討伐に参加した剣士なら、今頃お城で歓迎されてるんじゃ」
「いやそれがねぇ、魔王討伐に向かった皇太子様や聖女様は帰ってきたんだけどね。魔剣士様だけ帰ってこれなかったのさ」
女将さん曰く、魔王討伐にはこの国の皇太子であるアランドルフ殿下を中心に、ミーダ国騎士団団長、国内随一の魔術師、大教会の筆頭聖女、そして魔剣士の五人で向かったという。
だが。凱旋の際、魔剣士の姿はどこにもなかった。他の四人は無事帰って来れたのに、彼の姿だけが見当たらなかったらしい。
皇太子曰く『魔剣士は魔王と交戦した際に命を落とした。最後まで立派に戦った』とのことだが……。
「包帯巻かれたあんたの手を見て『もしかして、死んだと思った魔剣士様が実は生きてて、ひょっこり帰って来たのかな?』なーんて思っちまったのさ、悪かったね!」
そう言って女将さんは、部屋の鍵をひとつ渡してくる。私は軽く会釈をして、鍵に書かれた部屋へと向かった。
二階の一番右端の部屋だ。ベッドに机に椅子と最低限の備えしかないが、前の町で止まった宿屋に比べたら大分マシだった。
部屋に入って扉を閉め、鍵を掛ける。肩が凝りそうな大きなリュックを下ろし、フードも外してようやく一息。
「とりあえず今日渡す香油に、あとは……」
鞄を開け、器具をあれこれと机に並べながら、頭の中で作るべき物をリストアップしていく。
とりあえずは納品期限が夕方までの香油、次いで汎用性のある回復用ポーション、あとは…不眠に悩む人用の睡眠導入薬辺りか
「っと、その前にこのお花をどうにかしないと」
先程花売りの女の子から買った水色の花を手に取る。まだ萎れたりはしてないが、やはり買った直後に比べると、少し元気がないように見えた。
パチンと指を鳴らし、魔法を発動する。
途端、シャボン玉のような膜が現れ、水色の花を飲み込んだ。
花を内包した気泡はふわふわと自由に浮いているが、決して私から勝手に離れたりはしない。
これが、私の魔法。関所で兵士に答えた通り、私は特異属性を持って生まれた存在だ。
人はこの世界に生まれる際、必ずひとつの属性を持って生まれてくる。メジャーな所で言えば火や水、少し珍しい属性なら光や闇、夢や音なんて属性もある。
属性は一人につきひとつだけ。ふたつの属性を持つ者は存在しないが、だからと言って別に自分が持つ属性以外の魔法が使えない訳ではない。
火の属性を持つ人が氷魔法を使う、なんて良くある話。ただ『その本人に一番適性がある魔法の属性』を最初に持って生まれてくるだけなのだ。
そして特異属性とは、本来の属性どれにも当てはまらない特別なものを示す。…これだけ聞けばとても希少に思えるが、実はそうでもなく、だいたい百人に一人か二人ぐらいの確率で生まれてくる存在だ。
感覚的には双子のようなものに近い。確率的にはちょっと珍しいが、身近にいても別に異質ではない存在、といった感じか。
そして、他人からは「羨ましい」だの「神秘的」だの何だの言われるが、当の本人からしたら特に何も良くない点もまた、双子に近いものがある。
特異属性はある一点に特化しすぎているものが多く、汎用性に乏しいのだ。私からしたら、風や水のような一般的な属性の方が便利に見える。
「物質をシャボン玉のような膜で包むだけの魔法、か……」
私の特異属性魔法は、言葉にしてしまえばそれだけのものだ。
勿論、精密に言えば様々な効果があるにはある。包んだ物の劣化を防いだり、音や光を遮ったり。
他にもまぁ……特定の条件下においては強力なチカラを発揮したりもする。けれどこれは魔法全般に言える事柄なので、私の魔法が特別という訳ではない、と思う。
魔法というのは、案外その環境に左右される事が多い。例えば同じ術者が同じ水魔法を使うにしても、湖の畔と砂漠の真ん中で使うのでは、前者の方がより強力になるのだ。
前述した通り、特異属性はある一点に特化しているものが多いが、私の属性は『とある環境下において使用すること』に絞り込まれているらしい。
「ま、この魔法も便利だからいいけど」
嘘ではない。包んだ物の劣化を防ぐことができるのは、旅をするにおいてかなり有用だ。光や音を遮るのも、隠密魔法の真似事ができると考えれば悪くはない。
うん、と自分に言い聞かせるように小さく頷いて、調合を開始することにした。
鞄の中から薬草を取り出す。それらは全てシャボン玉に包まれており、摘み取ったばかりなのではと思うほどに瑞々しい。
フワフワ浮かぶ幾つものシャボン玉。その中に納められた草花から必要な物を選び、適切な手順で薬を作りあげていく。
香油はシンプル、植物油に香りの元である精油を混ぜるだけ。ポーションも簡単で、特定の薬草をブレンドして煮出せば完成。
睡眠導入薬はちょっと複雑で、満月の夜にしか咲かない月雫花の種を粉状にすり潰したものに、月雫花と逆夢草の花粉を混ぜる必要がある。
これが中々に難しい。常に一定の分量を混ぜればいいという話ではなく、気温や湿度によって微妙に調整を施さなければならないからだ。
慎重に量を見極めて調合し、完成した粉薬を一回分ずつ薬包紙に包んでいく。
どうやら、随分と熱中していたらしい。全てを包み終えてふと窓を見ると、日が傾き始めていた。
「………やばっ!」
侍女の少女との約束の時間を思い出し、勢いよく椅子から立ち上がった。
夕方、というにはまだ早い時間だが、今日来たばかりの街で迷う事を考えたら、早めに向かうに越した事はないだろう。
売り歩き用の鞄にアレコレと物を詰め込み、部屋を出てキチンと施錠。女将さんに夕食ついでに街を散策してくると声を掛け、街へと繰り出した。
祝祭はまだ続いている。街の賑わいは衰える様子も無く、人々の笑い声が町中に響いていた。
「お城は……向こうか」
立派にそびえ立つミーダ城は、飾り付けられた街の中にいても目立つほど高くて分かりやすい。
お陰で迷うことなく、城前の広場に到達する事ができた。
時刻を確認がてら空を見上げる。薄い青が広がっているが、西の方はうっすら橙が混ざり始めていた。ちょうど夕方、約束の時間だ。
約束していたのは城の正門ではなく裏口だ。城壁にぐるりと沿って歩き、裏門へ回り込む。
そして
「………あれ?」
裏門に辿り着いた私は、その様子に思わず首を傾げた。
人が、いない。
ここは城の裏門だ。確かに正門に比べれば人通りは少ないだろうが、それでも都の中心である城の周囲で通行人がいないのは少しおかしい。
それに、いないのは道行く人々だけではない。
約束していた侍女の少女も、その他の使用人も……本来なら必ずいなければならない門兵すら。誰も、いなかった。
侍女の少女がいないのは、仕事が忙しくてまだ来れないのかもしれない。
道行く人々がいないのもまぁ、祭りの日で皆露店や大道芸の方に行ってると思えば筋は通る。
だが、門を見張る兵までいないのは、流石におかしい。
ただでさえ今日は祝祭の日で、国境の関所には厳重な警備体制が敷かれていたというのに。王族が住む城の兵が手薄なのは、違和感を覚える。
門扉は閉まっているようだが、手練れの賊や刺客からすれば意味を成さないだろう。
「うーん、どうしよ………」
門に近付いて、すみませーん、と中に呼び掛けてみようか?
そう思いながら、鉄格子のような門扉にそっと触れてみる。
と
「…………え?」
とぷん、と
何かをすり抜けたような感覚が、した。
その“何か”が一体何なのか、よく解らない。例えるなら……そう、水面によく似ていた。
水に潜ったりお風呂に入る時に感じる、水面を通り抜けるような感触に近い。
まるで、そこにシャボン玉の膜のような薄い水面の壁があって、私がそれに気付かなかくてすり抜けてしまったような……
………うん、頑張って説明するなら、そんな感じ。
一体何だったんだろう。振り返ってみても不審なものは特に見当たらず、ただ首を傾げた、その時。
「ん……………?」
きぃ、と軽い音がして、門扉に添えていた右手が前にズレた。
どうやら、門には鍵も閂も掛けておらず、ただ扉を閉じていただけだったらしい。不意に手が動いた事に驚き、反射的に門の方へ顔を向けて
「────え」
眼前に広がる光景に、思わず言葉を失った。
赤だ。地面に広がる、一面の鮮血。その赤い水溜まりに、何人もの兵士が沈んでいる。
侍女や庭師のような使用人達は血こそ流してないが、気を失っているらしく、人形のように地面に転がっていた。
そして、何より
倒れ伏せている人々を見下ろすように立つ、異形の影。
人の骨格をした獣やトカゲ。九つの首を持った大蛇。ネズミを捕らえるように人を拐えそうな大きさの怪鳥。朽ち果てたはずなのに未だに動く骸………
ここにいるはずのない、いてはいけないはずの魔物の群れが、血溜まりの中に佇んでいた。