第26話
「…………ん」
気配を遮断するシャボン玉に包まれながら、夜会の様子を観察している途中。
ぽう、と。
右足の付け根……ちょうど右ポケットがある辺りから、不意に温もりを感じた。
ポケットに手を入れ、取り出して確認する。そこには、ほのかに黄緑色の光を帯びた魔石があった。
これはブルーノからの合図だ。この魔石には彼の魔力が込められており、テオバルド殿下がマルグリット様へ近付いて来たりした際は、この魔石を光らせて伝達する手筈になっている。
左ポケット……リゼからの連絡はまだ無いが、仕方無い。
私が能力を解除するのと、
「マルグリット・ファーブロス!」
テオバルド殿下の声がホールに響き渡るのは、ほぼ同時だった。
私はすぐさま、マルグリット様の元へ移動する。
会場にいきなり現れた見知らぬフードの女に何も知らない者達はどよめくが、それよりも殿下の発言が生み出すざわめきの方が強いらしい。私の周囲の声は、波に攫われるよう掻き消されていく。
事前に話を聞き私達のことを知っていた一部の参加者達は、こちらに視線だけで軽く会釈して道を開けてくれた。
その殆どが、公爵をはじめとした高位貴族だ。国王陛下が信頼できると判断した者に根回しをしたのだから、有力家に集中したのは必然だろう。
自分より位が上の者達が私に道を譲るのを見て、人々は状況が理解できないままそれに倣うしかない。
「お前が学園にて、ヴィオレッタを虐めている事は知ってる! 何の罪もない令嬢を虐めるなど、未来の国母に相応しくない!!」
肌を刺すような敵意に満ちた殿下の声は、でもどこか高揚感を孕んでいる。
まるで自分の計画が上手くいく事を盲信しているような、鬼の首というか魔王の首を取ったような、どこか熱に浮かれた声。
「よって、第二王子テオバルドの名において宣言する!
マルグリット・ファーブロスの婚約を破棄し、ヴィオレッタを新たな婚約者とする事を!!」
テオバルド殿下は、隣に立つヴィオレッタの腰を抱き寄せた。射殺さんばかりにマルグリット様を睨みつけている。
後ろの方からは、人々のざわめきに紛れて転生者の黄色い声が聞こえて来た。
リゼからの合図はまだ無い。私は軽く息を吐いて覚悟を決めると、横槍を入れるように声を発する。
「おや、そこまで言い切るという事は、決定的な証拠がおありなのですね? テオバルド殿下」
婚約破棄という正義を存分に味わっていた殿下と側近の二人は、そこでようやく私の存在に気付いたらしい。
「な、何だお前は。何故得体の知れない者がここにいる! 騎士よ、こいつをつまみ出せ!!」
テオバルド殿下がそう叫ぶが、会場の護衛を担当する騎士達が動く気配は無い。
当然だ。彼らには既に陛下から話が通っているし、何なら先程パーティー会場で最後の打ち合わせをした際、直に顔を合わせて「今日はお願いします」と挨拶させてもらった。
何というか、やっぱり根回しって大事だ。
「お初にお目にかかります。私は異世界探偵事務所、通称“赤のギルド”に所属するティアと申します」
ゆるやかに頭を下げる。片手でローブの裾を摘み、もう片方の手を胸元に置く、魔道士としての礼だ。
テオバルド殿下とその傍に立つダニエルとオスカーは、顔を歪ませ私の方を見た。
彼らからしたら、悪女であるマルグリット様を断罪しようとしたら、急に現れた得体の知れない女に出鼻を挫かれた気持ちなのだろう。
おまけに、捕縛を命令した騎士達が動く気配はない。
抑えきれない苛々をぶち撒けるように、テオバルド殿下が叫んだ。
「何をしている! 早くこの者をつまみ出せ!!」
「どうか落ち着いて下さい、殿下。私は正式な許可を得て、この場に参加しております。正当な参加者をつまみ出せ、など命令されては、騎士の皆様が困ってしまいます」
「許可、だと? そのような世迷い言を……」
「この場には複数の騎士の皆様をはじめ、騎士団長であるロートティフ伯爵もいらっしゃいます。
規律に厳しい伯爵が私を追い出そうとしないのが、何よりの証拠では?」
淡々とそう告げると、テオバルド殿下は小さく唸り声を上げた。理解はしたけど納得できない、といった様子だ。
「“赤のギルド”のティア、と言いましたね。平民でありながら殿下に許可なく話しかける無礼、その意味を理解しておられますか?」
眼鏡を押し上げながら、オスカーが私に鋭い眼差しを向けてくる。整った顔に睨まれるのはどこか圧を感じるが、私は平然とそれを受け流した。
商売の交渉もそうだが、こういうのは焦りを見せてはいけない。余裕たっぷりに対応し、相手に「自分達が優位である」と思わせないようにしなければ。
それに……うん、こう言っては失礼だけど。圧のあるイケメンなら、うちのブラッド団長の方がよっぽど強い。
あの獅子の如き圧に比べれば、オスカーのはヤマネコみたいなものだ。
「えぇ。無礼と知ってなお、見逃せぬ事がありましたので、こうして口を挟ませて頂きました」
ニコリ、と笑顔を浮かべる。いつも通り私はフードを被っている為、彼らからすれば三日月のように弧を描く口元しか見えないだろうが。
その様子が不気味だったのか、それとも真正面から言い返されると思っていなかったのか。オスカーが微かに怯んだ。
隙を与えてはいけない。私はここで、さらに言葉を畳み掛ける。
「だって、そうでしょう? 己の不貞を誤魔化す為に婚約者に冤罪を被せる、なんて人道に悖る行為、普通なら見逃せはしませんから」
私のその発言に、テオバルド殿下達三人がピクリと反応した。
眦を釣り上げ、三者三様の怒りや敵意を滲ませてこちらを睨んでくる。
……うん、人数が増えた分さっきより圧が増えたけど、それでもまだ団長の方が強いな、うん。
「何だと!? 俺達が間違ってるとでも言いてぇのか!」
真っ先に食いついて来たのは、ダニエルだった。
儀礼用の騎士服を着たダニエルの腰にはサーベルが下げられており、今にも抜剣せんと柄に手を掛けている。
夜会の場である事を考えると、あれは刃の付いてない儀礼用の剣だろう。殺傷能力は低いが、全力で振るわれたら骨が折れる覚悟ぐらいはすべきかもしれない。
「止しなさい、ダニエル!!」
剣を抜こうとしたダニエルを、オスカーが声を上げて制する。
流石、宰相の息子。こういう話し合いでは熱くなった方が負けだと、それなりに理解しているようだ。
「ティア、貴女は何か勘違いしているようですね。決して冤罪ではありません。間違いなく、マルグリットはヴィオラをいじめた加害者です。
故に、我々はこうして彼女を追求しているのです。そのような者を、王太子の婚約者にしておく訳には行かないでしょう?」
オスカーが、いかにも自分は冷静です、と言いたげな顔でこちらを見やる。
……王太子、ね。先程も未来の国母に云々と言っていたが、テオバルド殿下はあくまで第二王子。まだ立太子をした訳ではない。
まぁ、ジョシュア殿下が毒の影響でほぼ寝込んでいたのは事実だし、その毒が無害化された事を彼らはまだ知らない為、そう勘違いしても無理はないか。
「おや、マルグリット様は加害者なのですか? 私にはブラオ伯爵令嬢やツィノーバァロート辺境伯令嬢にいじめられている被害者のように見えましたが」
「お前……俺達だけじゃ無く婚約者まで侮辱するか!!」
私の言葉に、ダニエルが再び声を荒げた。再び腰元へ手を伸ばし、模造剣を鞘から抜こうとしている。
……以前、ブラオ伯爵令嬢とツィノーバァロート辺境伯令嬢は予言の中で、ヒロインがどの未来に進んだかの示す目安のような存在、と話した。
現在は予言から大きく外れてしまっているが、それでも一応は第二王子ルートが土台になっているらしく、
ダニエルはツィノーバァロート辺境伯令嬢と、オスカーはブラオ伯爵令嬢とそれぞれ婚約を結んでいる、とブルーノから聞いた。
ただ、婚約のタイミングが予言とは異なるらしい。
本来はヒロイン達が学園に入学し、進む未来が確定してからの婚約だが、ブルーノ曰く彼らが幼い頃にはすでに婚約関係だったという。
これはきっと、転生者である夫人達が手を回したのだろう。ヒロインが確実にテオバルド殿下と結ばれる為に。
……もしかして。ブラオ伯爵令嬢達がマルグリット様をいじめるようになったのも、夫人達が原因かもしれない。
「侮辱ではなく、純粋な疑問です。先日学園にて、マルグリット様に水魔法で攻撃する彼女達を見かけましたので」
そう言いながら、ホール内を見回す。彼女達の姿は、すぐに見つかった。
話の矛先が向けられ、彼女達はビクリと肩を震わせる。
ブルーノが目配せすると、参加者に紛れてた“影”の所為だろうか……後ろから背を押されたらしく、小さな悲鳴を上げながら私達の前へ進み出た。
周囲の視線が、二人に集まる。令嬢達は青白い顔を震わせながら、叫ぶように声を発した。
「じ、事実無根です!神に誓って、私達はそのような事はしておりません!!」
「そうですわ!何を根拠にそのような……!」
「根拠はあります。私が実際に、この目で見たからです」
冷静に言葉を返しながら私は手を上へ掲げて魔法を発動、ドーム状の膜を展開する。
参加者全員を内部に閉じ込めるように、大きく展開されたシャボン玉。それを見てツィノーバァロート辺境伯令嬢は「あ……」と声を漏らした。
あの時、マルグリット様に撃ち出した水魔法を跳ね返したモノだと、気付いたのだろう。
「また、その様子はここにいるブルーノ様も目撃されています。ですよね?」
「うん。ブラオ伯爵令嬢とツィノーバァロート辺境伯令嬢が取り巻きの令嬢と一緒に、マルグリット嬢を突き倒して水を掛けようとしたのを、ね」
私の言葉に、ブルーノは笑顔で頷く。それを見て、二人の令嬢は目線を反らした。
そんな婚約者達の様子に、ダニエルは私の言葉がデマカセではないと察したらしい。気まずそうに歯噛みしながら、剣の柄から手を離した。
ざわつく会場に響き渡るように、私は声を張り上げる。
マルグリット様の無実を、宣言するように。
「お聞きした通り、マルグリット様は被害者ではなく加害者です。
マルグリット様のノートが他生徒の手によって破られているところを殿下も目撃した、とお聞きしましたが」
まっすぐにテオバルド殿下を見て、尋ねる。
「確かに、その場面は見たことがあるが……それが何か問題があるのか?」
その問いかけに、殿下は心底分からない、というように眉根を寄せて、そう答えた。
「マルグリットがいじめを受けていたにせよ、ヴィオラをいじめていない事への証明にはならない。
ヴィオラに対して、マルグリットは完全に加害者だ。彼女らの行動はいじめではない、ただ加害者の糾弾……正義感が故の行動だろう」
そんな殿下の発言に、思わず言葉が詰まる。
会場にいる人々も、その発言に思う所があったらしい。ざわざわとした人々の声が、先程とは違う色に変わっていく。
「………前々からおかしいとは思ってたけど、ここまでとはね」
「………っ」
かろうじて苦笑を浮かべながら、ブルーノが呟いた。マルグリット様からも、息を呑む音が聞こえる。
だが、テオバルド殿下とダニエル、オスカーの三人は、そんな会場の様子に気付いていないようだった。
……彼は今、自分が口にした言葉の意味を、理解しているのだろうか。
マルグリット様がいじめを受けていたとしても、ヴィオラをいじめていない証拠にはならない。
ここまではいい。確かに、被害者と加害者は両立しうるものだ。
問題は、後半。未だ具体的な証拠がないままマルグリット様を加害者と決めつけ、挙げ句ブラオ伯爵令嬢達のいじめを『正義の行い』と言ったこと。
私刑の容認と、法治国家を否定するような発言。
今回が国内の学園だから良かったものの、もし同様の事を国交の場で言ったのなら、国際問題待ったなしだろう。
先日、リゼが国王陛下に『自分が正義と思い込んだ人間ほど恐ろしいものは無い』と言っていたが、成る程これが……と内心呟いた。
「……先程から、どうしてもマルグリット様を加害者としたいようですが。そこまで言うには証拠がおありなのですか?」
私の質問に、テオバルド殿下が「勿論だ!」と叫んだ。
「マルグリットは学園内でヴィオラをいじめている! その為、ヴィオラはマルグリットを見るだけで可哀想な程に怯えてしまうのだぞ。これを証拠と言わずして何とする!」
「殿下、それでは充分な証拠とは言えません。物的証拠か、実際にいじめの現場を見たという証人がいなければ。
……まさか、それだけでマルグリット様がいじめの加害者だと決めつけたのですか?」
くす、と笑みを浮かべる。勿論ワザとだ。
……なんか、何処かで『笑顔の起源は威嚇だ』と聞いた事があるが、間違ってないのかもしれない。
そんな私の笑顔に怯みながらも、オスカーが反論する。
「っ、ですが、では何故ヴィオラはマルグリット様を恐れるのですか。何もされてないなら、怯える必要はないでしょう」
「そこは本人に尋ねてみなければ何とも。……というより、今までドゥンケル公爵令嬢に一度も理由を尋ねてなかったのですか?」
「ぐ………」
私の指摘に、オスカーは小さく唸って視線を反らした。
その反応を見るに、どうやら本当に確認してなかったんだろう。
「では、丁度いい機会です。ここで質問してみましょうか……ドゥンケル公爵令嬢」
私がヴィオレッタへ向き直ると、彼女はびくりと肩を震わせた。
その様子は如何にも小動物といった様子で、異性はもちろん同性でも庇護欲がそそられる程に可愛らしい。
「ドゥンケル公爵令嬢、お答え下さい。貴女は何故、マルグリット様の姿を見る度に怯えていたのですか?」
私の問いかけに、ヴィオレッタはおずおずと
「だって、皆そう言うから」
そう、答えた。
「テオも、ダニエルも、オスカーも。ダニエルとオスカーのお母様方も。みんなみんな、マルグリット様が悪だっていうから。
だから、怯えてたの。まだ何もされていなかったけど、いつかいじめられるんじゃないかって」




