第22話
学園から出た私達の次なる目的地は、トゥアキス侯爵家の屋敷だ。
リゼのカラスが集めてきた情報によると、トゥアキス侯爵夫人とロートティフ伯爵夫人が今日、二人だけのお茶会を予定しているらしい。
攻略対象の母親である彼女らは今現在、最もイレギュラーな行動を取っている転生者候補である。気を引き締めて調査に向かわねば。
……そう、思っていたのだが
「…………っ、っ!!」
「ティア、しっかり掴まって。落ちちゃうよ」
顔面に襲い来る風圧の強さに、思わず声を押し殺した。
私は今、風を足に集め全速力で疾走するリゼに抱えられている。
しかも横抱き、いわゆるお姫様抱っこの状態。おまけに、現在彼女が走っているのは地上ではなく、立ち並ぶ建物の屋根の上ときた。
まるで石から石へ飛んで川を渡るように、ひょいひょいと屋根を飛び移っていくリゼ。明らかに手慣れている様子だが、
如何せん私からすれば屋根から屋根に飛び移るのも、この高さをこの速さで移動するのも初体験。
落下の危険性という、生物が当たり前に感じる根本的な恐怖を前に、私は先程から脳内で悲鳴を上げっぱなしだ。
何故こんな危険を侵して移動しているのか、普通に歩くか辻馬車を使えばいいのではないかと思うが、私達が今着ている服装からそれは難しかった。
学園の制服を着ているリゼと、彼女に仕える侍女に扮した私。この状態の私達がこんな時間に町中を歩いて移動すれば、間違いなく目立ってしまうだろう。
一度宿に帰って着替える事も考えたが、それではお茶会が終わってロートティフ伯爵夫人が帰ってしまうかもしれない。
どうしようか、と頭をひねっていると、リゼが「飛んでいけばいいんじゃないかな」と言い出し、今に繋がる。
「ごめんね、あと少しだけ我慢して」
「………!!」
リゼの言葉に、こくこくと頷いて応える。声を出そうと思ったのだが、舌を噛みそうだった為に止めておいた。
「うーん……次がないな、仕方ないっ」
「え? わ…………っ!?」
一際大きな跳躍。屋根を強く蹴ったリゼの行動に、私は思わずギョッとした。
空に踊る体。ない。次に着地すべき屋根が、何処にも見当たらない。
落ちる、と警鐘を鳴らす本能。
だが、次の瞬間。私の体が感じたのは落下ではなく、飛翔と、さらに強く風を切る感覚だった。
バサァ、と。リゼの背中が弾けるように、黒い翼が現れた。舞い散るのは、彼女が使い魔を作る際に使用していた羽根。
一見真っ黒に見えるが、日の下でよく見るとただ黒いだけでなく、紺や緑が混ざっているのがわかる。
まるで、夜の海を閉じ込めたような、神秘的な色彩。海に住む半人半鳥の魔族、セイレーンの翼だろう。
……あぁ、何て言うか。もう隠す気ないんですね────!
心の中でそう叫びながら、私はギュッと目をつむる。
黒翼が風を切る音を聞きながら、私はただ振り落とされないよう、リゼに抱きつく力を強める事しかできなかった。
無事にトゥアキス邸へと到着した私達は、そのまま屋敷の屋根へと降り立った。
リゼ曰く、上というのは意外と死角で、己の影が地面に映らないよう気を付ければ、 何気にバレる事は少ないんだとか。
周囲を見回すと、中庭の方で人が慌ただしく動いているのが見えた。使用人達がテーブルをセットし、その上に色とりどりなお菓子を並べている。
どう見ても、お茶会の準備だ。本日は快晴で気温も過ごしやすい為、 外で草木を愛でながらお茶しよう、となったのだろう。
私とリゼは誰かに見つからないよう、慎重に屋根を伝って移動し、セットされたテーブルを一番見やすい位置へと移動する。
学園の食堂でやったのと同じように、自分達を膜で覆い気配を隠す。暫くすると、館から二人のご夫人が現れた。
宰相と騎士団長の妻であり、攻略対象の母達。トゥアキス侯爵夫人と、ロートティフ伯爵夫人だ。
彼女達は淑女として当たり障りない挨拶を交わし合うと、椅子に腰を下ろし、使用人達に席を外すように命じる。
「かしこまりました」と頭を下げ、去っていく使用人達。
人払いを済ませ、ふたりきりになった夫人達は、
「っ、はぁ〜〜〜。本当に面倒だよねぇ、貴族って」
「ねー。いちいち堅苦しくて遠回りな言い方とか、してらんなくない? 京都かよって」
………ものすごくダラけた口調で、そんな会話をし始めた。
「あぁ、この前の夜会とか大変だったねぇ。お疲れ」
「ほんとに。まぁでも、次の夜会は待ちに待った断罪イベントじゃん?」
「それな!王子ルートの山場を生で見れるとか、最高か?」
「ね〜。この為に十年前から準備してきた甲斐があったわぁ」
そう言いながら、お菓子を口に運ぶ二人。
幼い頃から貴族として育った夫人達の仕草は、確かに品があるが………どこか粗雑だと思った。
「色々したよね〜。テオバルド殿下にマルグリットの悪行を伝えたり、息子達にヴィオラちゃんを守るように言ったり」
「ヴィオラちゃんにもマルグリットの事を伝えたり、公爵家の養子になってもらったりとかね。
でも、マルグリットの噂を流したのは失敗だったかなぁ。誰も信じてくれなかったし」
「まぁ、まだ子供だったからねぇ。でも無事にこの時を迎えられてよかったじゃん!」
きゃはは、と笑う声。
「でもさぁ、公爵家に頼んで養子にしてもらった意味は無かったかもね。だって、結局マルグリットはヴィオラちゃんをイジメてるらしいし」
「マ? それってどこ情報?」
「息子から聞いたよ。マルグリットがヴィオラちゃんをイジメてるって」
「へ〜、修正力ってやつ? ゲームだと男爵令嬢が云々、身分がどうこう言ってたクセに、自分も身分階級に従わないんかい!」
「まぁ、しょうがなくない? ゲーム時点でマルグリットって性格悪かったし」
…………うーん、これは考える必要もないな?
そう思いながらリゼに視線を送ると、微かな溜息と首肯が返ってきた。
「これは……決まりかな?」
「……だね。あの二人が転生者で、ヒロインを守る為に行動した結果が現在、と」
彼女達はおそらく、予言でマルグリット様にいじめられるヴィオラを救おうと思ったのだろう。
テオバルド殿下に予言でのマルグリット様の悪行を伝え、息子達に「マルグリットはヴィオラを虐げる者だ」「マルグリットからヴィオラを守りなさい」と言い聞かせた。
純粋な子供達は、その言葉を信じてしまったのだろう。
マルグリット様を絶対的な悪と決めつけ、ヴィオレッタを保護すべき存在と認知した。
最初は懐疑的だったかもしれない。けれど、ヴィオレッタがマルグリット様を過度に怖がった事で、それは盲信的に加速した。
何故、ヴィオレッタがマルグリットを怖がるのかは……「マルグリットはヴィオラをイジメる」という夫人達の言葉を信じてるのか、もしくは、そうすれば第二王子を始めとした男達がちやほやしてくれるから、のどちらかだろう。
「………………」
後は、坂を転がっていく石のように。
盲信の末路。自分達が正しいと思い込んだ熱狂が、“絶対的な悪”を得たらどうなるか、なんて、人類の歴史が示している。
徹底的な排他。淘汰。除却。排斥。
どんなに恩恵を受けている存在でも、一度それを『悪』と思ってしまえば、徹底的に忌み嫌い排除しようとする。
その後で、何が起こるのか。自分達にどんな悪影響があるのかなど知りはしないで。
それが、人間という存在だ。
「………っ!」
ぢりっ、と。頭の中で何かが、疼いた気がして。
不意の痛みに、思わずこめかみを押さえる。
それに気付いたリゼが、心配そうにこちらの顔を覗き込んだ。
「……ティア? 大丈夫?」
「う、ん……平気」
実質、頭痛は軽くほんの一瞬だった為、今はもう何ともない。
けれど、なにか。とても大事な記憶が、脳を掠めたような気がして。
ケラケラと笑う転生者達を見下ろしながら、私はゆっくりと目を閉じ、呼吸を整えるのだった。




