第21話
ブルーノから一通り話を聞き終えた私達は、彼と別れ、学園内を見回りがてら調査を行った。
校門の時と同じ、リゼの魔声を使って私達を「隣国の皇女とその侍女」に思い込ませ、教師や生徒、事務員や警備兵に聞き込みを行う。
これと言った真新しい情報はなかったが、今まで私達が得た情報を裏付けする事ができた。
テオバルド殿下とヴィオレッタの浮気は、生徒の間ではほぼ公認となっているらしい。マルグリット様よりも、公爵令嬢であり聖属性を持つヴィオレッタの方が皇太子妃に相応しい、なんて言う人も多くいた。
唯一、手元の情報と違ったのは、噂の詳細だろうか。
マルグリット様は自分の悪い噂について『浮気についてヴィオレッタに注意したら、それが捻れて伝わり、浮気相手を虐める悪女として伝わってしまった』と語っていたが、
大半の生徒は『最初にマルグリット様がヴィオレッタをいじめており、それを見たテオバルド殿下がヴィオレッタを庇い続け、自然と距離が近づいてそういう関係になった』という認識だった。
順番が逆なのだ。当事者であるマルグリット様が噂の内容を完全に把握できないのは仕方ない。仕方ない、が………
「……このウワサ、ちょっと変じゃない?」
「あ、ティアもそう思った?」
リゼの言葉に、私は素直に頷く。
私達は今、中庭のベンチに腰を下ろし、得た情報を整理していた。
学園で流れているウワサは何と言うか、あまりにも、テオバルド殿下とヴィオレッタに都合が良すぎる。
……いや、あまりにもマルグリット様に都合が悪すぎる、だろうか。
だって、そうでしょ?“影”も「問題ない」と判断している通り、マルグリット様は特に何もしていない。ただ、自分の婚約者に近づくヴィオレッタを諌めただけ。
公爵家の養女であるヴィオレッタに侯爵令嬢のマルグリット様が注意するのは、まぁ序列的には問題があるかもしれない。だがそもそも、人の婚約者に粉かけたのはヴィオレッタだ。いくら上の序列とはいえ、苦言を呈されても文句は言えないだろう。
いや、というよりも。そもそも侯爵令嬢であるマルグリット様が、公爵家のヴィオレッタをいじめた、なんて噂が立つ時点でおかしいのだ。
これが逆……公爵令嬢が侯爵令嬢をいじめた、ならまだ理解できる。公爵は貴族階級の中で一番格が高い。侯爵も全体的に見れば高位ではあるが、それでも公爵家よりは下に位置する立場だ。
上の者が下をいじめるなら分かるが、果たして、下の者が上をいじめるだろうか……?
「………」
そしてやはり、真実と噂の順序が逆なのも疑問を覚える。
本来なら、浮気が先。殿下とヴィオレッタの関係が先で、マルグリット様がそれを諌めた。四阿でブルーノと交わした会話からも、この順番は正しいと裏付けが取れている。
マルグリット様がヴィオレッタに注意した場面を「いじめた」と捻じ曲げて解釈されたとかなら、まだ理解できる。けれど、時系列が前後するのはどうも解せない。
まるで、マルグリット様が最初にヴィオレッタをいじめたから浮気が発生したと、あたかもマルグリット様が全て悪くて、殿下の浮気は致し方ない事であったかのような噂が流れ、実際に大半の生徒はそう認識していた。
では、その間違った噂の出所はどこか。学園内に広がる噂を遡るように調べていくと、その発端はテオバルド殿下の側近であるダニエルとオスカーからだと判明した。
殿下の近くにいる二人が言う事だから、特に疑問に思わず信じ込んでしまった、と。
「ダニエルとオスカー、ね………」
そういえば。ヒロインが公爵家の養女になったのも彼等の母親……ロートティフ伯爵夫人とトゥアキス侯爵夫人がドゥンケル公爵家に働きかけたから、だったか。
そして、エマさんとキリカさんにマルグリット様の弱みを握るよう密偵を命じたのも、その二人。
「やっぱ、この二家を細かく調べる必要がある、か」
「そう、だね。丁度使い魔達も帰って来たし、学園での調査が終わったらそっちに言ってみよっか」
私の言葉に頷いて、リゼが上を指差す。導かれるように空を仰ぐと、上空で黒い鳥がクルクルと輪を描くように飛んでいた。
リゼのカラスだ。前述した通り、この学園は結界で覆われている為、門以外から内部へ入る事はできない。その為、カラスはリゼの元へ戻れずに混乱して、クルクル飛んでるのだろう。
あの二羽はたしか、ロートティフ邸とトゥアキス邸を調べていた鳥達だ。さて、何か有益な情報を持ってきてくれるといいのだが。
「まぁ、その前に第二王子殿下とヴィオレッタ様子を確認しないとね」
リゼはそう言うと静かに立ち上がり、音を集めるように耳に手を当てると、スッと目を閉じた。魔法でかき集めた音を優れた聴力で聞き分け、学園内の様子を探っているのだろう。
数秒間の沈黙。やがて、目当ての音が聞こえたのか、リゼは瞼をゆっくりと持ち上げ「見つけた」と言葉を漏らした。
「食器の音色、咀嚼音と嚥下音、人々の喧騒。その中で「殿下」「ヴィオラ」って呼び合う会話が聞こえる……こっちだよ」
リゼの聞いた音を頼りに私達が足を運んだのは、学校の食堂だ。まるでサロンのような開放的な作りで、ガラス張りの窓からは美しく手入れされた庭園を一望できる。
今がちょうどお昼時という事もあり、多くの生徒で賑わっている。その中、一際目立つ窓辺の席に、彼等はいた。
ピンクブロンドの髪と薄紫色の瞳をしたご令嬢に、長く伸ばした銀髪を紫のリボンでひとつに纏めた美しい青年。
ヴィオレッタとテオバルド殿下。予言書の挿絵と雰囲気等は異なるが、顔立ちそのものは同じだ。
私達は近くの席に座り、彼等の様子を伺う。私の魔法で、席ごと私達を膜で覆い気配や姿を消している為、不躾にジーッと見つめても視線に気付かれる心配は無いだろう。
ヒロインと殿下は二人きりではなく、他にも二人の男子生徒が席を共にしていた。いかにも体育会系な赤髪の男子生徒と、ターコイズブルーの瞳をした眼鏡の男子生徒。この二人も予言書で見た覚えがある。ダニエルとオスカーだ。
ヒロインと、三人の攻略対象。彼等四人は和気藹々とした雰囲気で、食後のお茶を楽しんでいた。
多くの生徒がいる食堂の中、しかも一際目を引くような席で、女一人男複数で席を囲んでいる。しかも、ヴィオレッタはテオバルド殿下の手を握ったり頬に触れたりと、明らかに距離が近い。
マルグリット様という正式な婚約者がいるはずのテオバルド殿下も、それを拒否する様子はない。むしろヴィオレッタの髪を一房掬って口付けたり、彼女の額に唇で触れたりしている。もう完全に浮気行為だ。
その様子を見ているダニエルとオスカーも、その行動を諌める事なく、むしろ二人がそうする事が当たり前であるかのように……まるでテオバルド殿下とヴィオレッタ婚約者同士であるかのような目で、二人を見守っている。
「……………」
流石に、異常だ。商豪である養父から教わったが、力ある家同士の婚約というのは、ある種の契約に等しい。土地、富、権力、技術や人脈……そういったモノを正当に取引する為の手段だ、と。
……実は、だいぶ昔の話ではあるが。私にも『婚約者』という存在がいた事がある。資金繰りに苦しんでいた下位貴族が、商豪との繋がりを求めて「是非うちの息子と婚約を」何て言ってきた事があったらしい。
まぁ、私の火傷を理由に断られたが。向こうの息子が「こんなお嫁さんほしくない」と言ったとか何とか。火傷の酷さを考えると順当ではあるが、流石に少し凹む。
そんな訳で。私は貴族ではないが、婚約というモノの重さは、市民の中ではそれなりに理解しているつもりだ。
故に、それを軽んじるテオバルド殿下の行動には、正直言って軽蔑せざるを得ない。
見ると、リゼもまた、眉間にシワを寄せてヒロイン達を見上げていた。
「……凄いね、あの二人」
ポツリとリゼが呟く。不意の発言と、主語の無い言葉の不透明さに、思わず「え?」と間抜けな声を溢してしまった。
「ダニエルとオスカー。あの二人もヴィオレッタと関係を持ってるのに、ヴィオレッタと殿下のイチャイチャを平然と見てられるの凄いなって」
「あー………」
確かに。いや、浮気する人の気持ちなんて理解できないし、したくもないけれど。
でも、正式や婚約者ではないにしろ、第二王子殿下から寵愛を受けているヴィオレッタと関係を持つのって、何というか、かなり度胸があるなと思う。
本命にするにはリスクが高すぎるし、一晩だけの後腐れない火遊びだとしても、大した問題にならない下位貴族の令嬢やそういうお店に行くかするだろう。
本命としても一晩の相手としても、あまり望ましく無い相手なのだ。ヴィオレッタという令嬢は。
なのに何故、ダニエルとオスカーはヴィオレッタと関係を持ったのか。
……まぁ、ただ単にヴィオレッタが魅力的だから食指が動いたのかもしれないけど。
そう言うと、リゼはこてんと首を傾げた。
「……そういうもの?」
「そういうものなの。男でも女でも、魅力的な人を見るとお手付きしたくなる人種は一定数いるんだよ。
リゼだって、カッコいい人を見てお近付きになりたい!って思った事ない?」
「うーん、シン以外とそういう事したいって考えた事ないからなぁ……」
むむ、と可愛らしい唸り声を上げて頭をひねるリゼ。あぁうん、何と言うか、ごちそうさまです。
“赤のギルド”に入ってから約一ヶ月。リゼとシンが同僚以上の関係である事は薄々察してはいたけど、こうもドストレートに言われると何か、胸元から甘い物が込み上げてくる感覚がする。
まぁ、リゼもシンも真面目というか、それこそ目の前の殿下とヒロインみたいに人目をはばからずイチャつくようなバカップルではないので、何の問題もないのだが。
「………ん?」
不意に、食堂内の空気が変わった。先程までの賑わいは一転、水を打ったように静まり、ヒソヒソといった声だけが聞こえてくる。
何だろう、と思って室内を見渡すと、とある生徒が食堂に入って来たところだった。
マルグリット様だ。現在の時間は昼時、この学園の生徒である彼女が食事を摂る為にここへ来るのは、何もおかしな事ではない。
けれど、周囲の声はくすくす、ヒソヒソと。まるでマルグリット様を咎めるような嘲笑が、澱のように空間に満ちていく。
そんな笑い声を掻き消すように、ガタン、という音が響いた。
音のした方を向くと、ヴィオレッタが大げさに肩を震わせ、自分の体を抱きしめるように腕を交差させている。
(……確か、噂ではマルグリット様がヴィオレッタをいじめている事になってるんだっけ)
何も知らない人がヴィオレッタのこの反応を見れば、噂を信じてしまうのも無理はないかもしれない。それぐらい、彼女の怯え顔は真に迫っている。
愛しの令嬢が震えているのを見たテオバルド殿下は、その原因を見付けると、端正な顔を怒りに歪ませた。
わざと音を立てて椅子から立ち上がり、マルグリット様の方へズカズカ歩いていく。ダニエルとオスカーも、それに続いた。
「マルグリット・ファーブロス」
テオバルド殿下の口から紡がれた言葉は、とても鋭く冷たい。戦場で敵兵に投げ掛ける声の方が、まだ柔らかいのではないだろうかと思うくらいだ。
敵意を隠しもしない声に、マルグリット様はビクリと肩を震わせた。テオバルド殿下の射殺さんばかりの視線に、ただ身を縮こまらせるしかできない。
助けなければ。私達は同時に席を立とうとして、
「待って、ティア」
リゼが即座に制止の声を上げた。
「私達の目的は、テオバルド殿下が日頃からマルグリット様を冷遇してると確認する事だよ。気持ちは分かるけど、今は、こらえて」
「………っ」
その言葉は、正しい。私達がここに潜入してるのは、情報と証拠を集める為だ。
一時の正義感でマルグリット様を助けて、依頼遂行に必要な情報を逃してしまえば元も子もない。
「そうそう、彼女の言う通りだよ。
言っただろう? 殿下が普段どういう対応をしているか、実際に見てみるといいってさ」
不意に、背後から声が聞こえた。それに反応するよりも早く、私の両肩に何かが置かれたかと思うと、グイッと下方向に押さえ付けられる。
結果、中途半端に立ち上がっていた私の体は、強制的に椅子へ座るように戻された。
「ぶ、ブルーノ様………!?」
顔だけ動かし、今なお私を押さえ付ける犯人の顔を確認する。
イタズラっぽく笑う黄緑の瞳が、ぱちんとウインクした。
何故、ブルーノがここに。私の魔法で姿を隠していたはず、と思いかけて、先程彼に自分の魔力を渡した事を思い出した。
私の魔力を解析し、シャボン膜による気配遮断をすり抜けたのだろう。
「君達との約束通りマルグリット嬢の護衛をしようと思ったんだけど、君達が様子を伺ってるのに気付いてね。証拠集めに必要と思ってあえて止めなかったけど、問題ないよね?」
ブルーノの言葉に、リゼは数拍置いて「……えぇ」と頷いた。放たれた声はあくまで冷静だが、テーブルの上に置かれた手は固く握られ、微かに震えている。
リゼにとっても、苦渋の決断なのだろう。
私は大きく息を吐いて気持ちを整えると、再びマルグリット様の方へと意識を向ける。
テオバルド殿下と、その両隣に立つダニエルとオスカー。三人の男子生徒に詰め寄られるマルグリット様は、必死に恐怖を押し殺しながら挨拶の言葉を口にする。
テオバルド殿下はそれに応じる事なく、ただ冷たく自分達の言いたい事を言い捨てた。
「何故、ここにいる。ヴィオラの前に姿を表すなと、何度も忠告したはずだが?」
「も、申し訳ございません……。ですが、私はただ昼食を摂りに訪れただけで、決してドゥンケル公爵令嬢にお会いするつもりは……」
「ハッ、そう言って五日前もヴィオラを怖がらせていたな。そうやって俺の気を引いているつもりか?
か弱き者を虐げるなど、未来の国母に相応しいとは思えんな」
「殿下の婚約者という立場から横暴に振る舞っておられますが、そのような悪行は長くは続きませんよ。
ヴィオラをいじめ、怖がらせた報いは必ず受けていただきますので」
「言っても無駄だろ、オスカー。こんだけ悪い噂が流れてるのに全く反省するねぇんだもんよ。
まぁ、そんな頭があれば、端からヴィオラをいじめたりしねぇだろうけど」
マルグリット様がひとつ意見を口にすると、三人がかりで返答する。その内容は、もはや暴言や言いがかりに近い。
冷遇されてる、というレベルではない。むしろ殿下達が率先して、マルグリット様をいじめているレベルではないだろうか。
いくら殿下が、マルグリット様がヴィオレッタをいじめたと思い込んでいるとはいえ、ここまでは流石に異常だ。
そして、何よりも。本来異常であるこの光景を、平然と受け入れている周囲の生徒達が。この食堂の空気そのものが、何よりも異質だった。
マルグリット様なら、どんな事を言われても仕方ないといった雰囲気。彼女なら槍玉に上げてもいいという空気そのもの。
……あぁ、これと似たようなものを、知ってる。火事に遭った後、周りの人からあることないこと言われた、あの時と同じだ。
でも、あの時は私に対する同情とか、優しさもあったのに。今、目の前に広がるこれは、悪意や敵意ばかり満ちている。
マルグリット様は、ただ耐え続けていた。三人からの言葉、食堂の雰囲気、そういったもの全てに。
「………ブルーノ様」
長い、沈黙。実際には五分も経ったかどうかぐらいの、けれども精神的には永遠のように感じた沈黙。それを破るように、私はブルーノの名前を呼んだ。
「もう、十分です。お願いできますか」
「わかったよ」
私の言葉にブルーノは頷くと、私達を覆う気配遮断の膜をするりと抜けて、マルグリット様達の方へと歩いていく。
相変わらずの食えない様子で殿下達とマルグリット様の間に入り、言葉巧みに執り成しているのを見て、私はそっと安堵の息を吐いた。
「ティア。ここはブルーノ様に任せて、私達はそろそろ行こう」
「……うん、そうだね」
リゼの言葉に頷き、椅子から立ち上がる。
絶対に、殿下のいう“断罪”から、マルグリット様を守る。静かにそう決意を固め、私はリゼと共に食堂を後にした。




