第19話
悲鳴のような声を聞いて走り出した私達は、校門と校舎の間にある庭園のような広場に出た。
その片隅に、数人の生徒がいるのが見える。
随分と目立つ場所ではあるが、生徒や教師は既に校舎内に入ってしまっているらしく、この騒ぎには気付いていないようだ。
生徒は皆女子だけで、人数は五人。一人が地面に座り込み、他の生徒がそれを見下ろしてる。
察するに、地面に崩折れている生徒が他四人から呼び出され、複数人で詰め寄られた挙げ句突き飛ばされた何かされたのだろう。
……というか、あれって。
「マルグリット様……!?」
複数人に囲まれている女子生徒の顔を確認して、思わず声が漏れる。
艷やかな黒髪に夕焼け色の瞳は、間違いなく私達の依頼主であるマルグリット様だ。
何故、第二王子の婚約者である彼女が。悪い噂とやらの影響はそこまで強いのか。いや、考えるのは後だ、まずはあの状況を何とかしなくては。
よく目を凝らすと、マルグリット様を見下ろす四人の内一人の手元に、水の塊が浮かんでいる。
水魔法だ。マルグリット様に水を被せようとしているのだと、馬鹿でもわかる。
走る足に力を込める。私達と生徒達の距離はまだ離れている。このままでは間に合わない。リゼが足に風を集めているが、おそらく数瞬ほど足りない。女子生徒が手を振り下ろす方が早いだろう。
なら
(っ、間に合え……!)
手を前に突き出し、魔法を紡ぐ。昨日、“影”の人達を捕らえた時と同じようにドーム状のシャボン玉を展開、マルグリット様を包み込んだ。
結果、振り下ろされた水の塊はシャボン玉の表面に反射して跳ね返り、逆にマルグリット様を取り囲んでいた四人へと降りかかる。
「きゃっ………!?」
「何よ、これ……!」
状況が理解できず混乱する女子生徒達。その直後、風魔法によって移動したリゼが、マルグリット様を守るように彼女達の前に立った。
「あら、ファルベ国は穏やかな国風と聞いていたけれど……。どこの国でも、こういう事は起こるものなのですね」
校門の時と同じく、帝国の皇女を演じて言葉を紡ぐリゼ。その声に、まだ魔力は乗っていない。そのまま魔声を使えば、マルグリット様も巻き込んでしまうからだろう。
自分に水がかかると思い目を瞑っていたマルグリット様は、おそるおそる瞼を上げて状況を確認し、驚きに目を見開いた。
「リ、リゼ様……?」
「ごきげんよう、メグ様。お怪我は無いかしら」
皇女の演技を続けたまま、リゼは安心させるようにマルグリット様へ微笑みかける。ちなみにメグというのは、マルグリットやマーガレットといった名前によく使われる愛称のひとつだ。
遅れて、私が到着する。シャボン玉を解除してマルグリット様へ声を掛ける私に、リゼはチラリと視線を投げた。
その意味を理解した私は「マルグリット様、失礼します」と再度魔法を発動、彼女の両耳に、音を遮断する膜を展開する。
これで、彼女がセイレーンの声で精神を蝕まれる事はない。
私が頷くとリゼはお礼を言うように微笑んで、生徒達へと向き直る。
びしょ濡れになった彼女達は一体何が起きたか理解できていない様子だったが、目前に立つリゼに気付くと、困惑と敵意の混ざった視線を向けて来た。
もしかして、自分達が水を被ったのはリゼが何かしたからだと思っているのかもしれない。
「あ、貴女一体何なんですの!?」
「あら、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私はシュヴァルツ帝国の第三皇女、リーゼリットと申します」
優雅に微笑みながら、魔力を載せた声で偽りの自己紹介をするリゼ。校門の時と比べると、声に込められた魔力がやや少ない。
この程度では、思考を溶かすほどの威力はない。せいぜい判断力を鈍らせ、リゼの言葉を鵜呑みにしてしまう程度だろう。
「え……皇、女…………?」
だが、その程度で問題はない。
セイレーンの声によって思考を鈍らされ、リゼを本物の皇女殿下と認識した女子生徒達は、驚きに目を見開いた。
彼女達からしたら、マルグリット様と帝国の第三皇女が「リゼ様」「メグ様」と愛称で呼び合う程に仲が良いと判明したのだ。
皇女の友人を突き飛ばした挙げ句、水をかけようとした自分達は、皇女殿下を敵に回してしまったに等しい。
それがどんな失態か、子供でも分かる。真っ青な顔でカタカタと震える彼女達に、リゼは皇女スマイルを浮かべたまま容赦なく反撃する。
「えぇ。実は私、来月からこの学園に留学する事になりまして。友人であるメグ様と同じ学園に通う事をとても楽しみにしていましたの」
でも、とリゼの声が低くなる。表情は微笑のまま、声や目線を冷たくする貴族の怒り方だ。
「まさか、第二王子殿下の婚約者であるメグ様が、こんな目に合っているなんて思いもしませんでしたわ。ねぇ?」
語尾を強めると同時に、声に込めた魔力を増やす。
四人の女子生徒達はビクリと体を跳ねさせた。セイレーンの魔声によって脳が蕩けたらしい。校門の門番と同じように瞳は虚ろになり、半開きの口から涎を垂らしている者までいる。
「貴女たちからは後で詳しくお話を聞かせてもらうわ。そうね、あちらの四阿で待ってて下さるかしら?」
リゼがそう言うと、女子生徒達は言われるがまま四阿へ歩いていく。生気のないまま動くその様子は、死霊魔術士が操るゾンビのようだ。
もう大丈夫だろう。私は指を鳴らし、マルグリット様の耳を塞いでいた膜を解除する。
急に聴覚が戻り、目を白黒させるマルグリット様に、皇女の仮面を外し“赤のギルド”の顔になったリゼが頭を下げた。
「ご無事ですか、マルグリット様。助けが遅くなってしまい、申し訳ありません」
「い、いえ……やはりリゼ様なのですね。では、こちらの侍女はティア様でしょうか。助けていただいてありがとうございます」
私の手を借りて立ち上がったマルグリット様は、ゆっくりと頭を下げる。
「マルグリット様、よろしければ教室までお送りしましょう。また先程のような輩が絡んで来ないとも限りません」
「いえ、大丈夫です。これからすぐに授業が始まります、流石に授業中にまで嫌がらせをしてくる人はいませんから」
「……わかりました。では、せめてこちらを」
リゼは苦々しく頷くと、ポケットに忍ばせていた己の羽根を一枚取り出し、マルグリット様へ手渡した。
「これは……?」
「お守り、のような物です。どうか、肌見離さず持ち歩いて頂ければ」
「ありがとうございます、リゼ様」
にこりと微笑んで、マルグリット様はリゼの黒羽根を胸ポケットに仕舞う。
不意に、校舎内に鐘の音が響き渡る。予鈴か何かだったのだろう、マルグリット様は私達に頭を下げると、小走りで教室へ向かって行った。
「……今の羽根って、使い魔?」
「うん、羽根のまま使い魔化させたの。有事の際には鳥化して、マルグリット様を守ってくれるはず」
まぁ、他にも色々機能は込めたけど。そう呟きながら、リゼは「さて」と四阿の方を見やる。
そこにはまだ、リゼの魔声によって脳を蕩けさせられた四人の女子生徒が突っ立っていた。
「とりあえず、あの四人から話を聞いてみよっか」
そう言って、リゼが四阿に向かおうと一歩踏み出して
「───待って」
私は思わず、リゼの手を握って引き止めていた。
「……ティア? どうかしたの?」
「あそこ……誰か、いる」
私の呟きに、リゼは即座に警戒態勢を取る。風魔法と錬成魔法を組み合わせて薄緑色の剣を精製すると、四阿をゆっくりと見据えた。
一見、そこには四人の女子生徒がゾンビのように突っ立ってるだけで、他には誰もいない。けれど、何かいる。いるのが分かる。
何だろう……例えるなら、月の満ち欠けに似た空白。ほら、月は満月になったり三日月になったりするけれど、実際に月の面積が増減してる訳じゃない。ただ角度によって見えなくなるだけ。
そんな、月の欠けた部分のような空白がそこにあって、その向こう側から誰かがこちらを覗き見てる…そんな感覚。
私達が警戒しているのを察したのか、それとも中々近付いて来ない事に業を煮やしたのか。そこにいた何者かは、観念したように姿を現した。
「ふぅん、僕に気付いたんだ。興味深い」
くつくつと笑いながら、空間をめくるようにして現れたのは、黄緑色の瞳をした男子生徒だった。
……知ってる。彼の姿を。直接見たのは今回が初めてだけど、その顔は予言書の挿絵で見た事がある。
「はじめまして、僕はブルーノ。魔道士団長の息子さ」
道化じみた仕草で腕を大きく動かし、私達へ一礼する彼の名はブルーノ・ゲルプグリュン。
魔道士団長の息子であり、平民でありながら魔力の腕を見込まれこの学園に通う特待生であり……攻略対象である男子生徒の一人だ。
「ブルーノ様、ですか。私達に何か御用でしょうか」
密かに息を吐いて心を落ち着かせ、私は言葉を投げる。
警戒して剣を抜いたリゼよりも、何も持たない私が話した方が相手を無駄に刺激しないだろう。
「うん、ちょっとね。……あぁ、セイレーンの魔声は僕には効かないよ。対策してるから」
こちらの問いかけに笑顔で答えながら、ブルーノは己の首に下げたペンダントを指で弄るように示し、こちらへ見せてくる。
指輪にチェーンを通して首に下げれるようにしたそれは、彼の祖母が残した形見だ。魔女と呼ばれた彼の祖母が手ずから作った物であり、精神に作用する魔法をある程度弾く事ができると、予言書に書かれていた。
「それで、ご用件は?」
「いやさ、学園内にセイレーンの魔声と不思議な魔力を感じてね。ちょっと様子を見に来たのさ」
私とリゼを見ながら、不敵に笑うブルーノ。値踏みするような彼の視線は、警戒の色を孕んでいる。
セイレーンの魔声とは、言うまでもなくリゼの声。不思議な魔力というのは、おそらく私の特異属性魔法の事だろう。
さて、どうしようか。本来であればブルーノは攻略対象……ヒロインの味方になる存在だ。
だが、マルグリット様から聞いた話によると、眼の前にいる彼はヴィオレッタとあまり親しくないという。
上手くいけば、協力者としてこちらに引き込む事ができるかもしれない。
チラリとリゼに視線を送ると、リゼは熟考するように数瞬だけ目を伏せ、その後かすかに頷いた。
リゼのこういう所、本当にありがたい。私は頷き返すと、一歩前へ踏み出し、ゆっくりとブルーノを見据える。
「様子を見に来た、と仰いましたね。それは一魔道士としての好奇心からの行動でしょうか。それとも……王家の“影”としての責務で、でしょうか」
私の問いに、ブルーノの眉がピクリと動く。
予言書にて得た情報の内、今私が口にした事は彼にとっての最重要機密だろう。
彼の生家であるゲルプグリュン家は、代々“影”の長を務める家だ。この事実を知るのは歴代の国王と王妃のみ。
同じ学園に通い、クラスメイトとして接している第二王子のテオバルド殿下も『ゲルプグリュン家については知らず、ブルーノの事は父が騎士爵を賜っただけの平民として認識している』と予言書に書かれていた。
そんな家で生まれ育ったブルーノもまた、“影”として王家に仕える存在だ。予言書によると数年前にはもう“影”として任務に出ており、本来なら学園に通う必要は無い。
そんな彼がなぜ、今学園に通っているのか。理由は『ヒロインが希少な聖属性を持っているから』との事だ。
聖属性。それは私の特異属性と同じぐらい希少で、特異属性以上に人々から熱望される属性だ。
ただ光を操る光属性とは違い、魔族に特攻を持つ聖なる力。極めれば一人で国を覆う大結界を張り、魔族から国土を完全に守りきる事もできる聖女の素質。
予言書の表紙に書かれていた『色彩国の聖女』という題名の通り、ヒロインであるヴィオラは聖属性を持ち、それ故に第二王子を始めとする攻略対象達と関わる事になって……というのが予言の流れだ。
ブルーノは、表向きは聖魔法に興味を持つ魔道士として、裏では聖女の素質を持つ者の監視と護衛を目的としてヴィオラと接する事になる。
この情報はヴィオラがブルーノを選ばなければ……予言書での表現を借りるなら、ブルーノとのルートに入らなければ明かされる事はない。
そんな、己にとっての重要な秘密。最も秘匿すべき情報を暴露され、ブルーノは目を細めて私を見やる。
「へぇ、そんな事も知ってるんだ。いいね、ますます興味深い」
くくっ、と喉を鳴らすような笑みを溢し、彼は四阿に備え付けられていた椅子に座ると、私達を誘うように手招きする。
「おいで。少し、お喋りしよう。お互い、聞きたい事もあるだろうし、ね?」




