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プロローグ 2/3

赤のギルド。


そう名乗る者とアーティハルトが接触したのは、一年半ほど前だった。


当時、エデュアルトが婚約者であるネフォス嬢を邪険に扱っているという話を聞いたアーティハルトは、ネフォス・ニュアージュ伯爵令嬢を守る為に情報を集めていた。


エデュアルトには以前から複数の令嬢との関係を噂する声が絶えなかった。もしそれが真実であるなら、弟の不貞を暴く事でネフォスとの婚約を破棄できるのではないか、と。


結論、エデュアルトの噂は真実だった。……いや、噂よりも酷いものだった。


片手では足りない数の令嬢との不貞だけではなく、本来は婚約者の贈り物等に使われるべき国の金を横領し、賭け事や娼館に通っていた事まで発覚した時には、弟のあまりの愚かさに頭を抱えた程に。


それらの証拠を、父である国王陛下に報告する為にまとめている時、アーティハルトはひとつの問題に直面した。


「自分が何も考えずに弟を告発していいのかどうか」と。


……この悩みは、アーティハルトの産まれに関係している。


イクリム王国は男系男子継承制。母が正妃か側妃かの区別をつけず、年長の男子から順に継承順をつける制度だ。


現イクリム国王には五人の御子がいるが、その中で王位継承に関わる事になる男子は三人。


第一王子であり王太子であるレオンガルド、第二王子アーティハルト、第三王子エデュアルト。


この三人の内、アーティハルトのみが側妃から産まれた存在だった。


……補足だが、正妃と側妃の仲は別段悪くない。アーティハルト自身も後継者争いに興味は無いし、兄であるレオンガルドが王位を継ぐのに異論を挟むつもりはない。


だが、貴族社会は派閥争いが日常茶飯事。本人達にその気は無くても、必然的に側妃派の人間はアーティハルトの周囲に寄って来るし、逆に正妃派閥の人間からはどうしても警戒されてしまう。


そんな、良くも悪くも注目されてしまう自分が、何も考えずに正妃から産まれた第三王子の不貞を暴いて糾弾したら。


正妃派・側妃派問わず「アーティハルト第二王子は王位を狙っているのでは」と思われてしまう可能性が出てくる。


現在、正妃派と側妃派は表立って対立はしていない。だが、水面下では小競り合いがいくつも起きていると聞く。


そんな現状で、自分がエデュアルトの罪を暴き立てれば。それは権力争いの開戦を告げてしまう事になり得る。


実際にアーティハルト自身がどう考えているかどうかは関係ない。自分からしたらただ「初恋の人を守りたい」という想いでも、周囲がそう受け取ってしまったら、「よかれと思って」暴走する者や「そっちがその気なら」と過激な手段に走る者だって出てくるだろう。


そうなれば、事はネフォスを守るだけでは済まない。……いや、エデュアルトの婚約者という肩書きから彼女に被害が出る可能性もある。


いっそ王族である事を捨ててしまえば、とも考えたが、そうすれば過激な正妃派が良からぬ事をしでかすかもしれない。もしそうなった場合、一番被害を被るのは側妃から産まれた妹達だ。


「………はぁ」


上手い解決案が見つからず、アーティハルトはため息を吐いた。


自分が平民やただの貴族であったなら、何も考えず好きな人を守る事が出来るのに。


自分も正妃の子であったなら、権力争いもそこまで激しくなる事なく、彼女の手を取れるのに。


そんな「もしも」が頭の中にいくつも浮かんでは消えていく。


「……せめて、事が公になってくれたら」


ポソリ、とそう呟いた。


不貞か横領か、どちらかでも表沙汰になってくれたなら。娘を溺愛しているニュアージュ伯爵の事だ、すぐにでもネフォスの為にエデュアルトとの婚約を断るだろう。


勿論、それでも正妃派と側妃派の諍いは起こるだろうが、アーティハルトが手ずから表沙汰になってない事を暴き立てるよりかはずっと小規模で済む。


「………嘆いていても仕方ない、か」


もう一度、ため息を吐く。


いくら憂いていても問題は解決しないし、目の前の仕事がなくなってくれる訳でもないのだ。


気持ちを切り替えよう、と机の上に山になっている書類へと手を伸ばす、と


────ことん


書類の間から、一封の封筒がすべり落ちた。


「おっと」


いけない、大事な書類を落としてしまったか。


そう思い、絨毯に落ちた封筒を拾おうとして、


「………ん?」


ふと、その違和感に気付いた。


床に落ちたのは、一見何の変哲もない封筒。だが、よくよく見ると、幾つかおかしな点がある。


まず音。便箋しか入ってないのなら、先程のような音が出るのは違和感を覚える。よく見ると棒のような物が同封されているらしく、封筒の一部がこんもりと盛り上がっていた。


次に差出人。本来なら宛先や差出人が書かれて然るべきだが、この封筒には何も書かれていない。


そして。何より気になったのは、手紙を閉じる封蝋だ。


貴族や王族の者が手紙を出す際、封蝋には家紋を刻印するのが常だが、この封蝋に刻まれた紋章にアーティハルトは全く見覚えが無かった。


交差した二本の剣に、獅子と稲妻の意匠。このような紋章は、少なくともアーティハルトの記憶の中には見当たらない。


側近のハインとガレスを呼んで聞いてみるが、二人もこの模様には心当たりが無いようだ。


一応、国内や周辺諸国で使われている紋章……貴族の家紋だけでなく騎士団や各ギルドを示す紋章等も調べてみたが、この封蝋の刻印と一致するものは無かった。


つまり、この国で使われていない紋章が描かれた手紙が、第二王子(アーティハルト)の机の上に置かれていたという事になる。


そして宛先が書かれていないという事は、この手紙は郵送によって届いたものでは無い。送り主本人、もしくはそれと通ずる誰かが、この部屋に直接訪れ封筒を置いたのだろう。


……また、過激な正妃派が何か企んでいるのだろうか?


三人が警戒する中、ハインがペーパーナイフで封を開け、中身をあらためる。


封筒の中から出てきたのは、綺麗に折り畳まれた便箋と封蝋印……封蝋する際に使うハンコのような道具だった。


その印面には、手紙を閉じていた封蝋の紋章と同じ模様が刻まれている。


「この印……どうやら魔術的な仕掛けがあるようですね」


「仕掛け?」


「はい。随分と複雑な術式で、どのような効力を持つかは分かりませんが……。解析魔法の結果からするに、こちらを害するような魔術ではないようです」


そう言って一通り封蝋印を確認したハインは、次に便箋を手に取った。同じように解析魔法で魔術・呪術的な何かが掛かって無いかどうかを調べる。


数秒の沈黙、その後ハインは畳まれていた紙を広げてアーティハルトへ差し出した。解析の結果、安全と判断したのだろう。


受け取ったアーティハルトは、ゆっくりと視線を便箋へ落とす。そこにはやや角張った男らしい綺麗な字が綴られていた。


『突然の手紙を差し上げる失礼をお許し下さい。

 我々は異世界探偵事務所、通称“赤のギルド”と申します。

 この度は、アーティハルト殿下が抱えるお悩みについて、解決のお力添えをしたく手紙を送らせて頂きました。

 詳細をお伝えする事はできませんが、アーティハルト殿下の頭を悩ませているエデュアルト殿下の件にて、我々が解決策を提示できる可能性がございます。


 もし我々への依頼をご希望でしたら、お手数おかけしますが、依頼の内容を書いた手紙をご送付下さい。

 同封した封蝋印は一種の魔道具であり、これを使用して封をした手紙は、自動的に我々の元へ送られるようになっております。


 ニュアージュ伯爵令嬢を救う為、どうかご一考賜れば幸いです。

 赤のギルドより』


手紙を読み終えたアーティハルトの感想は、バカバカしいという侮りと、僅かな疑問。


下らない。こんなものは誰かのイタズラだ。もしくは側妃派の勢いを削ぐ為に、アーティハルトの弱みを握りたい正妃派が仕掛けてきた揺さぶりだろう……そんな冷静な思考が脳内の殆どをしめているのに、本当に微かな、シミのような違和感が拭えない。


……頭の片隅で、これは本物では、と叫ぶ自分もいる。


ただのイタズラなら、この国で使われていない紋章の封蝋印をわざわざ用意する必要はない。正妃派の策略にしても、架空の紋章を使うより、実在する家紋を使った方がアーティハルトを騙しやすいだろう。


イタズラにせよ企みにせよ、どちらの目的にしてもイクリム王国に関わりのない紋章を使う理由が無いのだ。


どう思う、とアーティハルトは二人の側近に訪ねる。


ガレスははっきりと「危険」と答えた。怪しげな文に加え、害が無いとはいえ不可解な魔道具を送り付けて来ている為、護衛騎士として警戒せざるおえない、と。


ハインは「胡散臭くはあるが興味深い」と答えた。この内容が本物であるなら、ネフォスを救う事ができるかもしれない、と。


「……それに、恐らくこの手紙は正妃派の者が出したとは考えにくいと思います。イタズラか、本当に“赤のギルド”なる存在が送ってきた可能性が高いかと」


「根拠は?」


「手紙を見る限り、差出人はエデュアルト殿下の行いを知っているのでしょう。正妃からお生まれになったエデュアルト殿下の愚行は、正妃派からしても秘匿したい恥部のはず。

 なのにこの手紙は、その事実……正妃派の弱点とも言える情報を、側妃派の象徴ともいえるアルト様に密告している。これは大きな矛盾です。」


「……成る程」


その後、数日ほど議論を重ねたアーティハルト達は「依頼するかどうかはともかく、一度会って詳しく話を聞こう」という結論に至った。


そのような旨を便箋に書き連ね、指定された封蝋印を使用して封筒を閉じる。


赤い蝋に刻まれた獅子と雷。その紋章がボンヤリと淡い光を帯びた、瞬間、


パッ、と


まるで最初から何もなかったかのように、音もなく封筒が消えた。


「転移魔法……!?」


それを見て、ハインが驚愕の声を上げる。


ここまでの転移魔法……しかも空間転移となると、これと同じ事ができる魔術師はイクリム王国にも一人いるかどうかの次元だ。


そんな高位魔法を、ただ手紙のやり取りをする為に使用している。“赤のギルド”と名乗る者達のレベルが自分の予想よりも遥かに高い事を悟り、アーティハルトは思わず息を呑む。


返信は数時間後、音もなく現れた。


中には、話し合いを承知した事、明日の夜にアーティハルトの部屋へ伺う為、人払いを済ませて欲しい旨が書かれていた。




そうしてアーティハルト達の前に現れたのが、このサーリャという女性だった。


彼女と実際に会話を重ね、信頼するに足ると判断したアーティハルトは「エデュアルトの愚行を公にする為に協力して欲しい」と正式に依頼し、今に至る。


そして、それは見事に達成された。サーリャは己を『“雷華”の巫女』と騙ってエデュアルトに近付き、エデュアルトはあっさりと彼女の色仕掛けに嵌まった。


……勿論、巫女を偽るという事は簡単では無い。エデュアルトだけでなく、神殿や他の貴族も欺かなければならない。上手く騙せたとしても、本物の巫女が名乗り上げてくる可能性だってあった。


そして、巫女を偽る事はこの国では重罪だ。よくて終身刑、最悪死刑もあり得る。だが、サーリャはそれを難なくこなして見せた。


封蝋印の転移魔法から何となく察してはいたが、“赤のギルド”に所属している者達は世界でも指折りの猛者なのだろう。彼女は雷魔法に優れ、強大な魔力を有していた。


サーリャの魔法を見た神官は「これ程の雷魔法が使えるのだから、“雷華”の巫女に違いない」「いや、歴代の中でも上位に入る実力だ」と次々に称え、彼女こそが“雷華”の巫女であると信じて疑わなかった。


また、本来の『“雷華”の巫女』についても問題はなかった。本物の巫女である少女は、ガレスの妹ルーネだったからだ。


ルーネは友人の姉がエデュアルトの“遊び相手”の一人であり、第三王子の不貞の噂が真実である事を知っていた。その不貞を白日の下に曝す為だと言えば、喜んで首を縦に振ってくれた。


こうしてサーリャの思惑通り、エデュアルトはパーティという場でネフォスに婚約破棄を告げ、愚かにも偽巫女の手を取った。


後は打ち合わせ通り、アーティハルトが「サーリャが偽巫女である」と告げるだけ。


ネフォスは婚約破棄によってエデュアルトから解放され、エデュアルトはハニートラップに引っ掛かり本物の巫女を蔑ろにした愚かな第三王子として醜態を曝した。


これでエデュアルトの身辺調査が入れば、他令嬢との不貞や横領の証拠も見つかるだろう。


「アーティハルト殿下からのご依頼は完了致しました。これにて我々との取引は終了となりますが、何か質問はございますか?」


「あぁ。ひとつ、聞きたい事がある。懸念事項、とでも言うのかな」


「何でしょうか」


「……この国において巫女を偽るのは重罪だ。パーティという公の場で君が偽巫女だと断じた以上、君が刑を受けるのは免れないだろう。だが……」


そう。自らを巫女と騙る事は、イクリム王国において最大の禁忌とされる。


いくら第二王子のアーティハルトとはいえ、あそこまで大々的に告発した偽巫女の減刑を申し出ては、市民に示しがつかない。


協力してくれた彼女を罰するような事はしたくない。だが、このままではサーリャは刑を受ける事になってしまう。


アーティハルトが顔を歪ませるのを見て、彼が言わんとしている事が分かったのだろう。サーリャは安心させるように微笑を浮かべた。


「ご安心を、殿下。その点については対策を講じております」


サーリャは右手を伸ばし、自分の髪……側頭部を掴むと、そのままズルリと動かした。


どうやらカツラを被っていたらしい。偽の髪の下から表れたのは、カツラと同じ白銀。


冬空に浮かぶ月のような銀髪は、作り物にはない滑らかさと艶があった。長さは肩に掛かる程度で、彼女が動く度にさらりと流れる。


イクリム王国の女性は、貴族も平民もみな髪を伸ばすのが主流だ。髪が短い女性は、騎士や傭兵や冒険者などの職に就いている者か、罪を犯した者しかいない。


それについては特に驚きは無い。最初に会った時、彼女本来の髪型については確認している。巫女に扮してターゲットに近付くという作戦上、この国の感性に合わせてカツラを被っていたのだろう。


「私の代わりに、“これ”を置いておきます。込めた魔力量からして、半年は持つかと」


カツラの中……頭に被る為にドーム状になっている部分から、サーリャは何かを取り出した。


本当に小さな、プレートのような物だった。小指の爪程の大きさの、粘土を薄く伸ばし焼いたような板。


それを、宙へ放る。ぽふん、と可愛らしい音がして、プレートが弾けた。


「……!これは……」


ハインが声を漏らす。


煙が晴れた時、そこにはもう一人、サーリャが立っていた。


銀の髪も、血のように赤い瞳も、全てが同一。双子の姉妹が表れたのではと思う程に、まったくもって同じ。


唯一違うのは、髪の長さ。本来のサーリャはカツラを被って髪を長く見せていたが、今現れた彼女の髪は元から胸辺りまで伸びている。


「これは、私の仲間が粘土をこねて作った使い魔です。この国でいうと、ゴーレムに近いでしょうか。

 内部に血糊を仕込んでおります。損傷すれば人間と同じく血が出ますので、死刑執行の時も疑問は持たれないでしょう」


自分を模した土人形の後ろから、ひょこりとサーリャが顔を出す。


……煙が立ち込めた僅かな間に着替えたのだろうか。彼女はパーティで着ていたドレスを脱ぎ、アーティハルト達が最初に会った時のような冒険者の装いをしていた。


彼女の銀髪と赤瞳を引き立てる、黒を基準とした服。動きやすさを重視しているのか、鎧は白銀(ミスリル)の胸当てのみ。


腰には、反り返った妙な形の剣がぶら下がっている。……確か、極東のヒノモトという島国のカタナという剣だったか。


「他に質問はございますか?無ければ今後の流れをご説明申し上げます」


穏やかな笑みを浮かべたサーリャに「どうぞ」と手で促され、アーティハルトは部屋に備え付けてあったソファへ腰を下ろす。ハインは主の隣へ座り、ガレスは二人の後ろに控えるように立った。


サーリャもまた、彼らの向かいに座った。どこからか書類を取り出してテーブルの上に置き、すいっ、とアーティハルト達の方へ滑らせる。


「まず始めに、こちらが今回の依頼に対する請求書となります。正式に依頼を承った際にも見積りを申し上げましたが、再度ご確認下さい」


差し出された書類を受け取り、アーティハルトとハインが内容を確認する。


調査費や人件費、様々な項目に目を通し、それが妥当であるかどうか確かめていく。一見ものすごく高額に見えるが、一年に渡る潜入任務と考えれば妥当な金額だろう。


「また、こちらも事前に申し上げた通り、お支払いは貨幣ではなく現物でお願い致します。よろしいでしょうか?」


「あぁ、問題はないよ」


サーリャの言葉に頷くアーティハルト。


この辺りは、以前に説明を受けている。


報酬の支払いはイクリム王国で流通している貨幣ではなく、食糧か宝石類の内どちらかひとつを選び、請求書に書かれた額と同じ分を払って欲しい、と。


何故、貨幣では駄目なのか、とガレスが尋ねると、サーリャは「それでは価値がないから」と答えた。


彼女曰く、“赤のギルド”は世界の様々な場所で活動している。そんな組織にとって、数ヶ国でしか使えない貨幣では、あまり意味がない。どの国でもある程度の額に換金できる宝石や、実用性のある食糧の方が有益らしい。


話を聞いたアーティハルトは、確かに、と納得した。


イクリム王国で流通している貨幣は、周辺諸国や山の向こうの大きな帝国でも使われている。だが、極東のヒノモトやその近くにある大国ヂョンファでも使えるか、と言えば首を横に振るしかない。


普通の冒険者や旅人なら、移動する間に近くの国々でその土地の貨幣に両替すればいい。だが、転移魔法が使える彼女ら“赤のギルド”からしたら、それはまどろっこしくて仕方ないのだろう。


それなら、目的地ですぐに纏まったカネに換金できる宝石や、空腹になったらすぐ調理して食べる事ができる食糧の方がありがたいはずだ。


「では、食糧と宝石、どちらでお支払いされますか?」


「宝石で払おう。……この宝石、というのは、アクセサリーに加工した物でも構わないかな?」


「はい。宝石そのままでも、アクセサリーに加工したものでも、何なら原石でも構いません。

 お支払い方法ですが、宝石を領収書と共にこちらの箱へ入れて下さい。中に入れた物は、自動的に我々の元へ転移されるようになっております」


そう言って、サーリャはどこからともなく取り出したジュエリーボックスを机の上に置いた。


一見、オルゴールか何かに見える木製の箱だ。蓋には、あの封蝋に刻まれていたものと同じ、獅子と雷の紋章が彫られている。おそらく、これが“赤のギルド”のシンボルマークなのだろう。


「お支払いの期限は、明日から5年間。毎日少しずつお支払い頂いても、一度に全額お支払い頂いても、どちらでも構いません。全額お支払いが終わった際には、支払いの完了を手紙にてお知らせ致します。

 また、止むを得ない理由がある場合に限り、この期間を伸ばす事が可能です」


「止むを得ない理由、とは?」


「天災による飢饉や疫病、魔物の出没や他国の戦争など、ですね。外的要因による国の緊急事態時、とでも申しましょうか。

 その際は、我々の紋章が彫られた封蝋印を使用し、手紙にてお知らせ下さい。我々がイクリム王国の状況を確かめ、その条件を満たすと判断した場合、支払い期間の延長を認めます。


 また、魔物の出没や他国との戦争の場合、我々“赤のギルド”に依頼して頂ければ、傭兵としてお力添えする事も可能です。勿論、その場合は追加で報酬を頂くことになりますが」


サーリャの説明にアーティハルトはふむ、と声を漏らし、請求書へと視線を下げた。


記された金額は確かに高額だ。だが、イクリム王国は四方を山で囲まれているという土地柄、宝石が採取できる鉱脈を幾つも保有している。


毎月少しずつ、一定金額を支払っていけば、五年と言わず三年と少しで返済は出来るだろう。


「ここまでで、何か質問はございますか?」


「いや、大丈夫だ」


「畏まりました。では次に、もし返済期限までに全額お支払い頂けなかった場合について、ご説明致します」


サーリャの声が、微かに低くなる。


顔は微笑を浮かべたままだが、どこか念を押すような圧を感じた。


「まず、期限終了日までにお支払いが終わっていなかった場合、翌日に督促状をお送り致します。督促状は期限終了日当日、その一ヶ月後、さらにその一ヶ月後の計三回お送り致します。

 最後の督促状をお送りしてから一週間経っても支払いが終了せず、アーティハルト殿下から何の連絡も無かった場合、我々は殿下個人とイクリム王国に対して“強制執行”を行わせて頂きます」


「取り立て、と言うことだね。具体的には何を?」


「支払われなかった分の金額と、利子分を強制的に回収させて頂きます。……ただ、この回収の方法はその時担当する団員に一任しておりますので、気の荒い団員が強制執行の担当になった場合、もしかしたら手荒な事をしてしまうかもしれません」


ふふ、と笑みを溢すサーリャに、アーティハルトは背筋が凍るような感覚を覚えた。


彼女の顔は変わらず微笑を浮かべたままだし、先程の笑みも、彼女からしたら相槌の代わりに溢したものだろう。


だが、アーティハルトはそれを“暴力的”だと思った。


……かつて、国王陛下である父に聞いた事がある。真の暴力というものは見せるだけなのだ、と。


ならず者が何も考えず短絡的に振るうものでは無い。敵対すれば無傷では済まない、と相手に思わせる抑止力こそが、真の力の使い方なのだ、と。


彼女の微笑に抱いた印象は、きっとソレに近い。


「……ひとつ、質問していいかい?」


「はい、何でしょうか」


「もし、返済途中で私が死んだ場合は、どうなるのかな」


「依頼者が亡くなった場合は、普通の債務と同様に、依頼者の配偶者や子供、両親等に返済義務を負ってもらう事になります。

 アーティハルト殿下の場合は、ハイン様とガレス様が連帯保証人となっておりますので、お二人に払って頂くことになります。その際は、手紙にて債務者の変更をお伝え下さい」


「では、イクリム王国で地震等の災害が起きたりして私もガレスもハインも死んだ場合は?

 君達の存在は我々三人しか知らず、我々が死んでしまって連絡する事ができない。この場合は、期限が来てしまえば強制執行がされてしまうのかい?」


「いいえ。…先程は説明を省きましたが、“強制執行”を行う前には必ず我々が国内を調査し、殿下が『意図的に返済を怠った』と判断した場合のみ実行されます。

 返済途中に殿下が薨去され、ハイン様とガレス様も亡くなられた…もしくは怪我や病で伏せっており連絡ができず、そのまま強制執行の期限を迎えた場合は、お三方の遺品や私物の一部を差し押さえ、返済残高の埋め合わせとさせて頂きます」


「よかった。私の身に何かあっても、民に影響が及ぶ訳じゃないんだね」


「……はい。国民に被害が及ぶのは、あくまで殿下が意図的に返済を怠った場合にのみです」


もっとも、アーティハルト殿下ならその心配も不要のようですけれど。


そう言ったサーリャの顔に浮かぶ微笑は、先程の暴力的なソレとは違う、優しさと信頼に満ちたものだった。


生徒を見守る教師のような、人々の営みを眺める神のような。そんな微笑を浮かべたサーリャは「さて」と声を漏らした。


「他に質問はございますか?……無いようでしたら、私はそろそろ失礼させて頂きます。また疑問等がありましたら、手紙にて質問して下さいませ」


そう言ってサーリャはソファから立ち上がり、ゆっくりと左手を真横に掲げた。


床と平行になるよう伸ばされた腕。その袖から、彼女の手首を飾る腕輪が覗く。


無駄な装飾が少ない銀のバングルだった。殆どが彫り細工によって模様がつけられ、大粒のルビーがひとつだけ嵌め込まれている。


彼女の瞳と同じ、血のような真紅。その宝石が、強く閃いた。


輝きは一瞬。光は粒となって集い、人が一人通れる程の扉を形作る。


「それでは、これにて失礼します。この度は、我々“赤のギルド”にご依頼賜り、誠にありがとうございました」


最後の挨拶にと、サーリャが頭を下げる。


アーティハルト達が入室した時に見せた令嬢としての礼ではない、騎士としての礼だった。


「こちらこそ礼を言うよ。ありがとう、サーリャ嬢」


アーティハルトもまた、頭を下げる。


……一国の王子とあろう者は、そう気安く頭を下げてはいけない。公式の場では特にそうだ、下手したら王族や自国を軽んじて見られかねないからだ。


だが、彼女ら“赤のギルド”は公的な存在ではない。ならイクリム王国の第二王子としてではなく、一個人として感謝を述べたいと、アーティハルトは頭を下げた。


それを見たサーリャは微かに目を細め、扉の向こうへと消えていく。


ばたん、と戸が閉まる音。


サーリャを飲み込んだ光の扉が役目を終えて空気に溶けるように消えるまで、アーティハルトはただ頭を下げ続けていた。


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