第8話
「んんー…………」
顔にかかる柔らかな光と、耳をくすぐる鳥の鳴き声。
爽やかな朝の気配に促され、私はゆっくりと目を開いた。
「ここは………」
どこだっけ、と口にしかけて、昨日の出来事を思い出す。
……そっか。私、“赤のギルド”に入団したんだっけ。
あの後四人で歓迎会をして、お開きになって。リゼが「ここがティアの部屋だよ」と案内してくれたんだ。
一日で色々な事がありすぎた疲労、歓迎してくれた嬉しさ、お腹一杯になった満足感。それらを噛みしめながら、ベッドに横になったまでは覚えている。
それからすぐに眠ってしまったんだろう。十分な睡眠を取れたからか、頭はスッキリして体も軽い。
ぐーっと伸びをしてベッドから降り、リゼが貸してくれた服に着替えながら室内を見回してみた。
ベッド、机、椅子、クロゼット……。飾りは少ないが、造りの良い家具。窓辺に引かれているカーテンは、私の瞳と同じ水色の生地に、白い糸でシンプルながら細やかな刺繍が施されている。
正直、調度品や家具の装飾を増やせば、このまま貴族向けの宿として使えるのでは……と思う程だ。
リゼは「ティアの部屋だよ」と言っていたが、本当に自室として使っていいのだろうか………と思いながら、とりあえず朝だしカーテンを開けることにする。
シャッ、という小気味良い音。カーテンによって軽減されてた眩しさが目に飛び込んで来て、反射的に瞼を閉じた。
光に慣らすように数回まばたきをして、ゆっくりと目を開く。
窓から見えたのは、建物を囲む木々と雲ひとつない空。ギルドハウスの別棟と……あそこに見える畑のような場所は、中庭だろうか?
そう考えながら、換気の為に窓を開ける。朝特有の涼しい風と空気を味わってると、背後でノック音が聞こえた。
誰だろう、と思いながら出てみると
「おはようございます、ティアさん」
「ノワ先輩、おはようございます」
そこにいたのはノワール先輩だった。
……“先輩”という敬称を使うのは、私が実家の商会で働いていた時に叩き込まれた癖みたいなものだ。『先達への敬いを忘れるな』と。
彼は私よりひとつ年上だし、“赤のギルド”での薬剤師の先達でもあるのだから、先輩呼びしても間違ってはいないと思う。
勿論、昨夜の歓迎会の時に、本人からそう呼ぶ許可は取ってある。学生時代を思い出しますね、と笑って許してくれた。
「食堂の位置を教えてなかった事を思いまして。よければ、朝食がてら案内しますよ」
「いいんですか? ありがとうございます」
頭を下げる私にノワール先輩は、お気になさらず、と微笑んだ。
手を伸ばして扉近くの壁に掛けていた上着を手に取り、部屋の外に出る。
上着に袖を通し、うさぎのフードをいつも通り被ろうとして
「…顔、隠してしまうんですか?」
不意に、先輩がそんな事を口にした。
「あー……、他の人に顔覚えてもらう為に素顔の方がいいですかね?」
「まぁ、それもありますけど」
「…けど、何です?」
「いえ、可愛らしいのに勿体無いなぁ、と」
「……………み゜?」
ノワール先輩の言葉、その意味を理解した瞬間、口から変な声が出た。
完全な不意打ちだった。ただでさえ火傷で右半分が赤黒い顔に熱が集まって、更に赤くなるのが分かる。
対して、先輩はいつも通りの真顔のままだ。相変わらず意図の読めない空色の瞳が、私をじっと見つめてくる。
数拍の沈黙。それを破るように、彼の口から笑みが溢れた。
「ふふ、すみません。少しからかってみただけです」
「ちょっ………先輩!?」
……正直、私はあまり男性に耐性が無いので、そういう事をされるのは何というか………すごく、困る。
別に、異性が苦手とか怖いという訳では無い。学校に通っていた頃は、それこそ仲の良い男友達もいた。
ただ、私はどっちかっていうと男女隔てなく接する性格で、おまけにこの火傷を負った顔。そんな私を恋愛対象の範囲に入れるのは、思春期男子達には難しかったのだろう。
故に、私は恋愛経験が皆無でそっち方面には疎くて………うん、そういう冗談は凄く困る!
「さぁ、食堂へ行きましょうか。こちらですよ」
そんな人の気を知ってか知らずか、ノワール先輩は微笑を浮かべ、ステステと歩いていく。
私は頬を膨らませ、その背中を追いかける事しか出来なかった。
案内された食堂は、すごく広いという点だけを除けば、町にあるお店とほぼ同じような造りだった。
朝という事もあってか、チラホラと席が埋まっている。ランチタイムという程ではないが、中々の賑わいだ。
「ここが食堂です、席に座れば注文を取りに来てくれますよ」
そう言って、先輩がテーブル席に腰を下ろす。私も促されるように向かいに座った。
暫くすると………何だろう、アレ。なんか、茶色くて、奇妙な何かが、こちらに歩いてきている。
なんて表現すればいいんだろう……円柱の頭部を丸く削ったというか、ソーセージを横半分に切って断面を下にして立たせたような、そんなカタチをした胴体から、手と思わしきものが伸びている。
手、といっても指もなにもない、のっぺりとした丸い手だ。茶色い何かはその手に水差しとグラスを乗せたお盆を持ち、溢さないようにゆっくりとこちらへ向かってきていた。
顔と思わしき部分には丸い穴がみっつ空いている。多分、目と口を模しているんだろう。
「はに!はにはに?」
ソレは私達の元へ到着すると、手に持っていたお盆を机の上に置き「ご注文は?」と尋ねるように首を傾げた。
……どうやら、この茶色い何かは食堂の給仕係のような存在らしい。
「朝食セットをふたつ……あぁ、俺の分はヒノモト風でお願いします」
どうすればいいか戸惑っていると、先輩が慣れたように注文を口にする。私の分も頼んでくれたようで、茶色い給仕は「はにはに」と頷くと、ぽてぽて歩いて行った。
「あの、今のって………あ、ありがとうございます」
先程の茶色い給仕についてノワール先輩に尋ねようとすると、水が入ったグラスを差し出された。
どうやら私の分の水も注いでくれたらしい。お礼を言って受け取り、口を付ける。
「先程のは埴輪ですね。カズヒコさんの使い魔で、土から作るゴーレムみたいな存在らしいです。
食堂の給仕以外にも、掃除や洗濯……ギルドハウス内の色々な所で働いていますよ。数だけなら団員よりも多いんじゃないですかね」
カズヒコ、という名前は聞いた事がある。確か、私やサーリャと同じウサギが見える人……“赤のギルド”でいう保護対象に該当する人だったはず。
………というか、それだけの数の使い魔をひとりで使役していると考えると…かなり凄い存在なのではないだろうか。
サーリャも片手で聖剣をかき消していたし、何というか……保護対象ってやっぱり規格外な人ばかりなのかもしれない。
まぁ私もその一人でもある、らしいけど……正直、自分がそんな人達と同じという自覚は皆無だ。
私は片手で聖なる剣を消すことも、沢山の使い魔を同時に操作する事もできない。ただ特異属性を持ってるだけの存在だ。
その特異属性も、物質をシャボン玉のような膜で包むだけ。………まぁ、特定の条件下では、本当に強力になるんだけど。
そんな事を考えていると、埴輪が注文した料理を運んできた。焼かれたパンの良い香りが、鼻をくすぐる。
私の目の前に並べられたのはパンにスープ、それにオムレツと定番だからこそ食欲をそそるメニューだ。
対して、先輩の前に並べられたのは、炊いた米に茶色いスープ、魚の切り身を焼いたものに、一口大に切られたキュウリや根野菜……私にはあまり馴染みのない料理だった。
それを、訝しげ半分興味半分といった目で見ていると、私の視線に気付いたノワール先輩が「あぁ」と声を漏らした。
「これはヒノモト風の朝食ですよ。ギルドには色々な国から人が集まってるので、食堂メニューもそれに合わせて多国的なんです」
成る程。そういえばさっき先輩が、自分のはヒノモト風で、とか言っていたっけ。
納得した私は、先輩と共に「いただきます」と手を合わせた。
まずはパンを一口。焼かれた表面はカリッとして、でも中はふわふわと柔らかい。胡桃を練り込んでいるらしく、時折カリコリとした食感と香ばしい風味を感じた。
野菜を中心にしたシンプルなスープは程好い塩味で、起きたばかりの体に染み渡る。
オムレツは具のないプレーンなものだったが、むしろ変に具が入っていないからこそ、ふわふわとした食感を存分に味わえた。
なんというか……総じて、レベルが高い。“赤のギルド”団員ならいくら食べても無料らしいが、むしろお金を払わなくていいの?本当に?と何か変な不安を感じてしまう。
そんな事を考えながらチラリと、対面に座るノワール先輩を見る。ヒノモトの料理だからか、彼はフォークやスプーンではなく、真っ直ぐな二本の棒のような物を使っていた。
「ん……よかったら少し食べますか?」
私の視線に気付いたノワール先輩が、そんな事を口にした。
私が見ていた理由を、ヒノモト料理が気になっていると思ったらしい。茶色いスープが入った器を、こちらへ差し出して来る。
見慣れた平たいスープ皿ではなく、片手で持てるような深めの器だ。その中に注がれているのは、見たことないような濁りのある茶色いスープ。
「えと、じゃあ少しだけ……」
折角だから、と茶色いそれをスプーンで掬って一口。塩分と共に、独特の風味が鼻に抜けた。
「……美味しい」
何だろう、中に入っている野菜は私のスープとほぼ同じなのに、まったく違った味わいがする。
なんか……コクがあるって言うんだろうか、独特の風味と塩味がクセになるような、どこか懐かしいような……そんな味だ。
「ふふ、お口に合ったようで何よりです」
「すごい……なんというか、今まで味わったことない味ですね」
「普通に過ごしていたら、他国の料理を食べる機会はそうありませんからね。かくいう俺も、サーリャさんが美味しそうに食べてるのを見て、ヒノモトの料理にチャレンジしたクチです」
「あー、人が食べてるモノって、何故か三割増しで美味しそうに見えますよね」
そんな他愛ない事を話ながら、朝食を食べ進める。
騒がしく喋り続けている訳ではないが、気まずい沈黙が流れる訳でもない。心地よいテンポの会話と美味しい料理に食が進み、気が付いたらペロリと朝食を平らげていた。
「ご馳走さまでした」と先輩と手を合わせ、席を立つ。食べ終わった食器は埴輪に声を掛けて片付けてもらうか、決まった場所に持っていくルールらしい。
朝から美味しいご飯を食べられた満足感を噛みしめながら、扉をくぐる。食堂から出たタイミングで、先輩が「そうだ」と言葉を溢した。
「折角ですから、調合室に行くついでに建物内を案内したいのですけど、いいですか?」
彼の言葉に私は「お願いします」と頷いた。昨日も色々な部屋に行きはしたが、流石にあの時は混乱していた為、部屋の位置を覚えるまでの余裕はなかった。
「では、案内しますね。………あぁそうだ、ティアさん」
「何です?」
「右か、左か。どっちから案内しましょうか」
「うーん……じゃあ左からで」
彼の何気ない一言に、特に何も考えず答える。
左を選んだのも、特に意味は無い。ただ、ノワール先輩が私の左側に立っていたから、何となくそっちを選んだだけだ。
なのに、一瞬。
『みぎか、ひだりか。もどるか、すすむか』
ぢりっ、と。覚えていないはずの過去が、疼いた気がした。
「……ティアさん? どうかしましたか?」
私を呼ぶ声に、ハッと意識が浮上する。見ると、ノワール先輩が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「い、いや……何でもない、です」
「そう、ですか? 体調が優れないなら、お部屋まで案内しますけど……」
ノワール先輩の言葉に「大丈夫です」と首を横に振る。実際、体に異常は無い。ただ───
『みぎか、ひだりか。もどるか、すすむか。
どっちでかえろうか』
───なにか、大切なことが、頭を掠めたような気がしただけで。
「……分かりました。ただ、もし具合が悪くなったら教えて下さいね?」
「はい」
私が頷いたのを見て、ノワール先輩は左手に向けて一歩踏み出した。先程よりもゆっくり歩いてくれているのは、私を気遣ってくれているのだろう。
それに感謝しながら、私もその後に続く。
(………それにしても)
足を動かしながら、ふと考える。
右か左か。そう問い掛ける記憶に。
それは、誰に対する問いなのだろうか。
私か、それとも別の誰かに向けたものなのか。
そして、何より
それを問われた人は一体、どっちを選んだんだろうか────




