第7話
その後、執務室で入団の手続きを終えた私は、今度は調合室に向かうべく、フェノンと共に廊下を歩いていた。
またウサギに案内を…と思ったのだが、抱きかかえられていたウサギはいつの間にかスヤスヤと眠ってしまっていた為、フェノンが案内役を買って出てくれたのだ。
「……そういえば、今って何時ぐらいです?」
色々な人とすれ違いながら歩いている途中で、ふと気になってフェノンに尋ねた。
私がミーダ城を訪れたのはだいたい夕方頃、そこから気を失って……一体どれぐらい眠っていたのだろうか。
どこかで外の様子を確認できればよかったのだが、今まで訪れた部屋や廊下はどこもカーテンがしっかりと閉じられていた為、空の色を確認するタイミングがなかったのだ。
まぁ、カーテンが閉じられて照明が灯っているところを見ると、少なくとも日は沈みきっているのだろう。
「ん、今は夜の八時ちょっと前だね。……あ、もしかしてお腹すいた?」
そう尋ねてくるフェノンに、首を横に振って答える。
正直、ご飯を出されれば完食できるが、別にお腹ペコペコで餓死寸前…という程ではない。
旅をしていれば、好きなタイミングで食事を摂れないなんて良くある事だし、あと一時間ぐらいなら我慢できる……それぐらいの腹具合だ。
「なら大丈夫だね。……ん、ここだよ」
そうしてフェノンに案内されたのは、先程私がベッドに寝かされていた部屋の、ひとつ隣。調合室と書かれたドアプレートが掲げられた部屋だった。
ノックもそこそこに、フェノンがドアノブを捻る。僅かに空いた扉の隙間からほんのりと漂ってきたのは、いくつもの薬草が交ざり合ったような嗅ぎ馴れた香り。
「……おや」
中にいた人物が、こちらへ視線を投げる。
青年だった。
静かで落ち着いた雰囲気を纏った、黒髪の青年。
彼が、先程執務室でマオが言っていた『ギルド内で唯一薬草調合の知識を持っている人』だろう。
「………………」
………第一印象は、良くも悪くも、人形のようだ、と思った。
ブラッドの『上に立つ者としての品と圧』やシンの『引き締まった知的さ』等、一目で惹かれるような分かりやすい華は無いが、その顔立ち自体は普通に整っている部類だろう。
だが、そのキレイな顔は表情の変化に乏しく、何を考えているのかいまいち掴みにくい……そんな印象を受けた。
「ねえさん、お疲れ様です」
「ん、お疲れ、ノワ。例の新人ちゃん連れてきたよ」
「あぁ、噂の」
空色の瞳が、私を映す。こちらをじっと見つめるガラス玉のような目は透明すぎて、何を考えているのか読み取れない。
「ここでのこと、色々と教えてあげて。それじゃ、私は戻るから」
言うべき事だけを簡潔に告げ、フェノンは手を振って去っていってしまった。その様子を見て、黒髪の青年が肩をすくめる。
「相変わらずですね、ねえさんは」
やれやれと息を漏らす彼に、私は「あはは……」と曖昧な相槌を打つことしかできない。
フェノンの事をねえさんと呼んでいるという事は、彼女の弟なのだろうか? にしては随分と似ていないように思う。
黒髪に青系の瞳という配色はフェノンの父であるマオと同じだが、垂れた目元にやや癖のある髪質のような、父娘に共通して見られる特徴は彼には見られなかった。
「……っと、自己紹介がまだでしたね」
私の視線に気付いた青年は、改めてこちらに向き直るとスッと右手を差し出した。
口元には穏やかな微笑が浮かんでいる。……表情の変化が控えめなのは最初の印象通りだが、別に感情が皆無という訳ではないらしい。
「俺はノワール、“赤のギルド”で薬や毒の調合を担当しています」
「ティア・スキューマです。えっと……よろしくお願いします」
差し出された手に右手を重ね、握手を交わす。
……私の右手という事は、火傷が刻まれている手という事だ。普段は包帯で隠しているのだが、寝てる間に服を着替えさせてくれたタイミングで包帯も解かれたらしい。
晒されたままの火傷。けれどノワールはそれを嫌がる事なく、温もりを確かめるように、微かに手に力を込めた。
数秒間、温もりが交差し、その後ゆるやかに手が放される。
「……さて、本来なら色々と説明するところですが、もう夜遅いですからね。詳しい話は明日にしましょう」
ノワールの言葉に、私は頷く。
先程フェノンから聞いた時刻が正しければ、現在時刻は夜の八時頃。この時間から部屋の全てを説明するのは、喋る方も聞く方も疲れるだろう。
そう考えながら、ぐるりと部屋の中を見渡す。
机の上には薬研や乳鉢などの調剤道具、壁には様々な薬草が吊るされている。……ごくごく普通の調合室、といった様子だ。
あ、でも……
「……錬金釜は、置いてないんですね?」
「はい、俺は錬金術師ではありませんので。……もしかして、ティアさんは薬を調合する時に錬金釜を使いますか?」
使うなら他部署から借りて来ますけど、と言うノワールに、首を横に振って答える。私も錬金術師ではなく薬剤師である為、それは必要ない。
錬金術師と薬剤師。どちらもポーションなど薬を作製する職である為、一般的には混合されがちだが、このふたつは完全に別のものだ。
そもそも錬金術とは『様々な物質をより完全な存在に錬成する』事を目的とした魔術体系だ。
例えば、錬金術の代名詞と言えるホムンクルスは人の精液を原材料にして作られるし、錬金術の究極である賢者の石は鉛を金に変えたり、人を不老不死にできるという。
受精できなかった精子を人の形にする、価値が低いモノを希少なモノに変える、定命の者に永遠の命を与える、等々……そこにある何かをワンランク上に押し上げるのが錬金術という魔術だ。
錬金術師達は賢者の石を作る為に様々な研究を行い、その過程で、本来なら何の効能もない草に薬効を付与する方法を発見し、錬金術で薬品を精製するようになった。
対して、私のような薬剤師は元から薬草として使われている草花をブレンドして薬を作る。魔力も何も使わない、ただの技術によるものだ。
過程は違うが、結果として作られる物は同じ。
強いて言うなら、錬金術師からすれば薬やポーションの作成はあくまで数ある錬金術の中のひとつだが、薬剤師はそれらを作る事が主軸だ。
使用者一人一人の症状や体質に合わせて微調整できる事を考えると、薬剤師が作る物の方が品質としては上だろう。
だが、大量生産という点では錬金術の方に分がある。少量ずつ手作りしなければならない薬剤師と違って、錬金術なら釜で一度に多くの量を作れるのだ。
故に、多くの冒険者ギルドや騎士団ではお抱えの錬金術師がポーションを大量生産し、それでも対処できない場合のみ外部の薬剤師や医者を頼る、といった場合が多い。
“赤のギルド”も同じだと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。
では、どうやって団員分の薬を確保しているんだろう。……まさか、ひとつひとつ手作り? もしかしてここ、とんでもないブラック職場だった?
そんな私の考えが読めたのか、ノワールはふふと笑みを漏らした。
「安心して下さい、うちはブラックではありませんから」
「なら安心ですけど………もしかして、顔に出てました?」
「はい、とても分かりやすく」
むぐ……まさか即答されるとは思いもしなかった。
これでも商人の端くれとして、ポーカーフェイスには自信があったんだけど。
「……それはただ単に、フードを目深に被っていた所為で相手から表情が見えなかっただけでは?」
「……ハッ!?」
今明かされる衝撃の事実。私が自信を持っていたポーカーフェイスは、うさぎフードのお陰だった。
私がショックを受けている隣で、ノワールが更に笑みを深める。私は慌てて話題を変える事にした。
「そ、そういえば! さっきフェノンさんのこと、“ねえさん”って呼んでましたけど、姉弟なんです?」
「まぁ、そんな感じです。俺は…幼い頃に実親と生き別れてしまいまして、それ以降はマオさんが父親代わりになってくれていました。なので、フェノンさんは姉のようなものですね」
成る程、あの“ねえさん”は義姉さんという意味だったのか。
……そういえば、さっき廊下ですれ違った双子の人達はリゼに似てたな。もしかして、兄弟や親子でこのギルドに入ってる人は以外と多いのかもしれない。
その事をノワールに訪ねてみると、彼は「そうですね」と首肯した。
「親子で入団しているのはウチぐらいですが、兄弟で入っている人は多いですね。他にもご夫婦で入団してる人達もいますよ」
「へぇ…」
まぁ、入団する理由や経緯は人それぞれだろうし、親戚で入ってる人達がいても別段驚かな───
─────ぐううぅぅうぅ……
「っ」
不意に。そんな音が、聞こえてきた。
元々私達の話し声だけが響く静かな室内だったけど、その音が聞こえた瞬間、耳がいたい程の沈黙に包まれた。
何の音か? なんて考えるまでもない。私の、お腹の、虫の音、だ。
なんで、なんでこのタイミングで鳴ったの。あと一時間は我慢できるんじゃなかったの、どうして。
……というか、聞かれた? 今の音、聞かれてた?
どうか聞かれてませんように、と祈りながら、おそるおそるノワールの顔を見ると…
「……………、ふ…」
……聞かれてた。お腹の音。確実に。
口元に手を当てて顔を反らしているが、体がプルプルしており、笑うのを我慢してるのが分かる。
恥ずかしい。顔から火が出そう。穴があったら入りたい……いやもうむしろ全力で埋めて欲しい。
「………っ、まぁ…夕食も食べずにずっと眠ってたんですから、お腹が鳴るのも無理はない、です、よ」
……うん。紳士的な返答、ありがとうございます。でも、笑いを堪えながら言われても、いたたまれなさが増すだけだからいっそもう爆笑してくれた方がありがたいんですけど………!
「では、おしゃべりはこれぐらいにして。ご飯を食べに行きましょう」
丁度準備も出来たようですし、と呟くノワールに首を傾げながら「わかりました」と答える。
案内されたのは、調合室のふたつ隣。一番奥の角部屋だった。
……てっきり、食堂のような所に行くと思ったのだけど……?
疑問に思いながら、ノワールを見る。彼は穏やかに微笑むと、扉を開けるように促してくる。
誘われるままドアノブを捻り、扉を開ける、と
「いらっしゃい、待ってたよ」
目覚めた時に会ったリボンの少女……リゼが、私を出迎えた。
いや、リゼだけじゃない。部屋の中には医者の青年……シンも居て、「あぁ、来たか」とこちらに視線を投げてくる。
そして、何よりも目についたのは、部屋の中央。
テーブルの上に置かれた料理。流石にお城で出てくるような……とまではいかないが、そこらの貴族のお屋敷で出てくる食事といい勝負ができそうなご馳走が並べられていた。
「これって……」
「歓迎会だよ。本当は食堂で、皆にティアを紹介しながら、って思ったんだけど……」
「流石にこの時間では、大半が夕食を食べ終わっていてな」
だから今回は、医療部署だけで、ね? と、リゼが笑う。
「…………っ」
じわり、と。胸の奥が温かくなった。
なんだろう、言葉には言い表せないけれど……幼い頃に、養父がサプライズで誕生日を祝ってくれた時に感じた……嬉しいような、くすぐったいような。
そんな感覚で胸が一杯になって、思わず口元に手を当てた。表情が崩れないように堪えるのが精一杯だ。
そんな様子を見たノワールは微かに目を細めると、私へ向き直って穏やかに微笑んだ。
「あらためまして……ティアさん。ようこそ、“赤のギルド”へ」
俺は、俺達は、貴女を歓迎します───




