#4 瓦解する何か
グロ注意です。相変わらず話が唐突過ぎ。
# # #
「はぁ…」
呆れた。自分でも頭がおかしいんじゃないかと思ってしまうぐらいに。
俺は、既に件の殺人事件の現場となった公園の近くまで来ていた。
思ったより、自分には野次馬根性がたっぷりあったらしい。学校が目の前に見えているくせに、公園へと続く道に迷わず歩き出すのだから、本能はやはり好奇心旺盛なのだろうか。
心に何かもやもやしたものを抱えたまま、結局心中知らずの体は律儀に今後の予定にそぐわない行動を取ってくれた。自身の思考と行動がこれほどにまで噛み合わないのは、これが生まれて初めてだった。
足は、変わらず日常の象徴から遠のき続ける。後ろ手に校舎が遠く小さくなるのを感じ、皮膚を刺すように照り付ける日差しは、俺の判断を咎めるように一層強くなった気がした。
俺は、一種の気分転換だと思っていた。
無意識に体がそう望んでいるのだ、と信じて疑わなかった。
その何気なしの判断が何を変えるのか、今の俺には知る由も無かった。
先ほどから、体が自分のものでなくなったような、体の一部を支配されてしまったかのような気分が脳で立ち往生している。家を出た辺りからだろうか、胸から何かが溢れ出てしまいそうな錯覚が絶えず続いていた。まるで心臓が限界まで膨張してしまったかのように、どくん、どくんと脈打つ。苦しくは無いが、痺れた体を無理やり動かしているようで気味が悪い。
暑さでやられたかもしれない。兎にも角にも、今日の俺はとても正常な体ではなかった。今までに味わったことの無い、体の隅々を制圧されたかのような感覚。言葉に出来ない奇妙なこの居心地は、敢えて言葉にするならば、自分の意思で歩いていることに変わりは無いが、まるで指導者に了承を得なければ自ら行動できない奴隷のようだった。
誰かの合意の下、こうして歩いているような錯覚。何かに縛られた上で、『自分の意思で行動しているつもり』の俺。
…馬鹿馬鹿しい。
そもそもこれは錯覚なのだから、この体を支配しているのは自分だけしかいないじゃないか。
他に誰がいるというんだ。
俺は頭の中の泥のような妄執を振るい落とすように、頭をぶんぶんと振った。
少しだけ、眩暈のような立ちくらみを覚えた。
町外れの公園へと続く道は事件の影響もあってか、人気はあまり無かった。
そこを通る人間は恐らく、やむを得ず通っているか事件を知らないかのどちらかだろう。
好き好んで人間の死んだ場所に立ち入る奴は、俺くらいのものだ。
用も無いのに墓場に赴くことはないように。
気味の悪い殺人にかかわりたくないように。
…自分の日常でないものは、夢のようなものだ。
だれも悪夢を進んで見ようとはしない。
例えば、今までの日々の生活は実は嘘でした、と誰かに言われたとする。
例えば、君は本当は人工知能を持った擬似生命体で、君の送っていた生活は、只のテストを兼ねた仮想空間でのシミュレートに過ぎない、と突然現れた科学者に告げられたとする。
それは間違いなく、今まで見たことの無い現実であり、俺はその現実を信じることが出来なかったとする。
唐突に現れた自分の知らない自分は、夢のように覚めたりしなかったとする。
多分、俺は俺を否定し続ける。
否定したことが、日常に摩り替わるまで、俺は夢の中を彷徨う。
Ifの話は好きじゃない。
自分が自分であることに自信がなくなるから。
公園は、周りを建物で囲まれた、それは寂れた孤独な空間だった。無人で、そこだけ都会の喧騒から切り取られたかのように静かで、おおよそ遊び場という役目を果たしているのか疑わしいものだった。空き地と読んだほうが相応しいかもしれない。
『関係者以外立ち入り禁止』と書かれたビニールテープが、すぐそばのゴミ箱に丸めて捨ててあった。公共の場、そして人が集まりやすい場所ということもあってか、現場検証は既に終わった後らしい。
夏の強い日差しが、遊具らしい遊具の無い其処を隅々まで晒していた。
俺は、ぶらぶらとあたりを散歩するように巡ってゆく。多分、通りすがりの人が見たら、俺の姿はきっと心此処にあらず、といった風に目に映るだろう。何かに操られたかのような足取りで、しかし自分の意思で足を動かす。
体は驚くように軽く、まるで自分の物ではないかのように『歩け』という命令に従う。重さという感覚が存在しないような気分だった。
右手に見える銀杏の樹木の下に、ドラマなどでよく見かけるチョークで人型に縁取られた跡があった。白いチョークの粉に混じって、コールタールが染みこんだような跡が目立つ。少しだけ、あの赤い液体特有のさびた鉄のような匂いが鼻を突いた。
きっと、此処で被害者は骸に成った。何を思って息絶えたのだろう。死にたくない、だろうか。或いは今まで手に掛けてきた人たちへの懺悔を呟いただろうか。知りたくも無かったし、知る術も無かった。
その人型の傍にしゃがみ込み、そっと赤黒い染みを撫でた。一瞬、殺人鬼の狂気じみたものが心に入り込んでくるような気がした。
何故か自身に湧き上がる、『憎い』という感情。それは彼を殺した人間に対してか、それとももっと人を殺したかったという未練か。
憎い、全てが憎い。俺を取り巻く世界、嘲る様な視線で俺を嘗め回す奴ら、獲物の悲鳴、俺を拒絶し逃げ回るエモノ、ナイフを持つ腕に纏わり付く感触、滴り落ちる血、事切れた死体、何も言わない屍、何も写さない濁った瞳、憎い、憎い、憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎いニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイ―――
ニク イ
ニ ク イ
ニ ク
イ
気がつくと、体は地べたに四つん這いになり、全身からは汗が噴き出していた。
体中の汗腺を一斉に開放したかのようなとめどない汗。針が全身を突き刺すような鋭い痛み。蛇口を緩めたかのように滴り落ちた滴は、地面に赤黒い染みとはまた違った色合いの斑点を描く。
おぞましさが止まらない。足はがくがく震えだし、制御が利かない。泥沼に嵌り込んで抜け出せないように、気持ち悪さが俺の体に纏わり付く。いや、果たしてこの空気は、気持ち悪い程度で収まる代物なのか。
夏の日差しの真っ只中だっていうのに、辺りが暗く感じられた。周辺が雲に覆われたわけでもなく、それが直ぐに自分の眼が機能しなくなっているからなのだと実感する。何せこちとら、視力不調は今朝に経験済みだ。あの感覚は今日明日単位で忘れられるわけが無い。目の前に広がる虚無の闇に、自分自身の荒い息の音が絶えず響いた。
―――視界は急に開けた。
唐突に周りが明るくなり、瞳は痛みを訴えながらも光を取り込もうとする。
時間にしてわずか10秒、いや、もっと早いかもしれない。予想外の回復に一瞬ひるみつつも、辺りを見回す。
そこは、先ほどまで俺が居た寂れた公園などではなかった。真っ白な空間、遠くを見れば地平線など存在しないかのように、完璧に真っ白な空間だった。
…いや、語弊が在った。
真っ白な、地面と空間の境も分からないくらい純白の世界に、ひとつだけ|狂うように赤い華が一輪。《・・・・・・・・・・・・》
それは、ピンクだか白だか分からない色の茎を持ち、黒い艶のある葉を周囲にふわりと広げ、真っ赤な花弁はそれらよりも大きく地にぶちまげられ、ミミズのような太いぐちゃぐちゃした根を辺りに巡らせ、肌色のおしべとめしべは、力無くぐったりと下に投げ出されていた。
彼女は人間はこのような形だったのか、それさえも曖昧にさせる程の容姿で、其処に咲き果てていた。
近寄る。
近寄る。
近寄って、彼女の四肢を見つめる。
ひざから崩れ落ち、傍らで彼女をじっと視つめる。
ベしゃり、と血液が服にへばりつく。それさえも厭わない。そんなことはどうだっていい。
その少女は、完膚なきまでに殺しつくされていた。
華奢だったろう腹を割かれ、折れた肋骨を上に突き出し、五臓六腑をためらう事無く吐き出している。
腕や足は切り取られ、辺りに引きずり出された内臓の代わりに、オブジェのように腹に突き立てられていた。
その無造作に突き出された手には、彼女自身の首があった。
黒髪をその指に絡ませ、ちょうど腕からぶら下がる様にして、彼女は佇んでいる。
淀んだ瞳と目が合った。正確に言えば、動くことの無い視線の先に自分がいる。
血に塗れた顔。その瞳から、涙のような赤い液体が滴り落ちる。
彼女は、何故か笑っていた。
自分がどうでもよくなってしまったかのように。
ゆっくりと解体され、尋常ではない痛覚の訴えに思考がパンクし、叫びに叫んだ挙句誰も助けに来なかった事を恨み、それでも体を切り開かれてゆく痛みは脳の回路を焼き切り、気が触れ、仕舞いには笑いが止まらなくなり、自分が死の淵にいることも忘れ、事切れるその瞬間まで狂ったようにワライ続けた結末。
そんな表情を浮かべていた。
彼女の頬に触れた。
冷え切った滑らかな肌は、もはや人間のそれではなかった。
その肌は、解体され羽を毟られた鶏肉の皮膚に近い。
真っ白な表面を、静かに赤すぎる血が流れ落ちた。
彼女は既に、人間を真似た肉の塊としか思えない。
しかしそれにしては出来すぎた頭が、こちらを向いて笑っている。
―――あたまが、ぼんやりする。
ぐるぐる回って、平衡感覚を失ってしまったかのような気分。
何かの衝動に駆られて、体が動き出す。
ゆっくりと、その場に倒れこむように。
夢だ。
これは夢だ。俺がこんな惨殺死体を見る機会なんてあるわけが無い。
まず、少女のなにもかもぐちゃぐちゃな骸を見て、普通は気が触れないわけが無いだろう?
現実で無いんだから、当たり前だ。これは夢であり、別に不思議なことではない。
―――なら、今の俺が、現実の俺でない考えを持っていてもおかしくない筈だよな?
何故なら、俺はあまつさえ、
そのあかいはなの
はなびらを
なめたい、なんておもってしまっているのだから。