冤罪を掛けられ、婚約破棄されました。これから毒杯を賜ります。
「毒杯だ。有難く頂戴せよ」
豪奢な貴族牢に座り込んでいる私に、牢番が金属製のゴブレットを持って参りました。
私は、並々と毒が注がれたゴブレットをありがたく押し戴きます。
笑顔で受け取る私を、牢番は気味悪そうに見つめておりますが、私は気になど致しません。最後に貴方のお姿を拝見できれば最高でしたが、そこまで望んでも仕方がありませんものね。
あぁ、本当に貴方を愛していました。たとえ毒杯を賜る今この瞬間であっても。
貴方一人だけを常に想っておりました。
勿論私のような、愛だけしか貴方にお渡しできないような女では飽きられてしまうのは当然かもしれません。
所詮持っていたのは地位だけで、美しさも賢さもございませんでした。そんな女が貴方の隣に立ち、王子妃となるのは烏滸がましいことだったのでございましょう。
それでも、貴方と貴方が愛した方に危害を加えようとしたことなど、王族を弑しようとしたことなど、一度もございませんでした。
黒髪の麗しの貴公子と呼ばれた貴方が、妖精姫の再来と呼ばれる彼の方と仲睦まじくされていらっしゃるのは、それは私にとって辛いことではございましたが、同時に何と絵になる風景だろうと羨ましく思っていたりもしましたもの。
そんな美しい光景を、私が壊そうとするなどございません。壊せるような伝手もございませんし。
でも、事実などどうでもいいのでしょうね。
貴方は私に冤罪を被せることによって、自らの行為の正当性を際立たせ、彼の方を新たな婚約者に挿げることに成功いたしました。
それによって私がどのような目に遭うかなど、気にもしていらっしゃらないということが残念です。貴方にとって私は、貴方の地位を盤石にするために与えられた駒でしかなかった。ご自分の地位が盤石になられた今、気に入らない私を殺してしまうことに、何の躊躇いも持たないほど疎んじられていたと分かったのに、それでもまだ貴方を愛している自分を恨めしく思います。
この冤罪に対して多数の証人がいたこと、父が一切公爵家から反論をしなかったことを考えるに、貴方と父との間で密約が結ばれていたことでしょう。
出来損ないの私では、たとえ王子妃になったとしてもその寵は見込めない。そのような娘など不要ということでしょう。それならば、たとえここで多少公爵家が泥をかぶったとしても、別な利を取ったということなのでしょうね。
ただ、父が考える別な利というのが、貴方の方を向いているとは限りませんよ。
私が父にとって使えぬ駒であったのは確かですが。早いうちから、父から私の存在は不要と思われておりましたので、いずれ切られるのは分かっておりましたから。
『魔法も使えぬ見苦しい女め』
これは、私の罪を勝手に並べ立て婚約破棄を伝えた貴方が、私に下さった最後の侮蔑の言葉でした。魔法も使えぬ者は、家畜以下の扱いを受ける。これはこの世界の真理です。そのため、私はどれほど周りの人たちに蔑まれてきたことでしょう。
けれど、“魔法も使えぬ”、これは貴方が昔言われていた言葉だということを、貴方は覚えていらっしゃらないのでしょうか?
私たちの婚約は、年端もいかぬ頃。あれは、まだお互い5歳になる前であったはず。そもそもは、貴方が黒髪で生まれてしまったことが、すべての始まりでしたね。
本来黒髪は、魔素を溜める器官に問題がある者の色合いで、あってはならぬことでした。人として生まれた限りは、空気中に存在する数多の魔素のうち自分の体に応じた魔素を体に取り込み、取り込んだ魔素の色がそのまま髪色となるため、後天的に騎士が死ぬほどの大怪我を負い、魔素を溜める器官に傷を受けた場合などにその髪色を黒に変えることがあっても、生まれた時から黒髪というのは今まで存在しないものでした。
そして、騎士がその身を懸けて我々を守って下さった場合は、英雄として称されるので、黒髪となっても謗られることはございません。けれど、最初から魔素を溜め込むことができないとは。
生まれてすぐ全身を調べられ、魔素を溜める器官が存在していないことを告げられた王妃は、絶句され、そのまま只管に落涙するばかりだったと王宮では噂になっておりました。
貴方は、出来損ないの闇王子と陰で馬鹿にされていたそうですね。
英雄のように過去に偉業を成したわけでもなく、ただ魔素を持てない、即ち何の魔法も使えないなど、そんな人間は家畜以下として扱われますもの。
魔素を元に魔法を使い、その魔素に応じて人は自らを美しく見せたり、その頭脳の回転力を上げたり、体力を強化したり、と自分を高めるために用います。なので、魔法が使えないということは、底上げできない素のままで勝負しなくてはいけないという、なんとも不利な人生を送らなくてはなりません。
そして、魔法なしで世の中勝てるほど甘い訳がないのです。
それでも、王と王妃は貴方に情があった。どうにか幸せに生きてほしかった。
だからこそ、第二王子として生まれた貴方が将来困らないようにと、公爵家である私との婚姻を結ぼうとしたのです。私と縁を繋ぐことにより貴方が侮られずに済むよう、公爵家からの後ろ盾を期待したのでしょう。
幼かった私は、昏い眼をしてじっと私を睨んでいた貴方を覚えております。
おそらく、メイドたちからも軽んじられていらっしゃった貴方は、現れる人すべてを敵と認識していたのでしょう。恐怖に怯えながらも、それでも私を睨みつけるその様子に、私は何故か心奪われてしまいました。
どうしても貴方を守りたくて仕方が無かったのです。貴方のためなら何でもしましょう、そう思ってしまった私でした。
そして、その気持ちのまま、婚約式であなたに告げました。
『私の力すべてを、あなたに捧げましょう』
そうして、貴方の指先にそっとキスをした私。年齢の割にませていた私は、姉が持っていた小説から、騎士がお姫様へと忠誠を誓い契約を結ぶお話に憧れていました。魔素を込め指先に陣を描き、契約内容を伝えるという魔術契約を行うお話。
そして、陣を描くという言葉から魔術師を目指していた兄の私室に入り込み、陣の書き方をしっかりと学んでしまっていた私。
私の髪色は白銀。これはかなり高度な頭脳の魔素を現します。これにより、私は年の割にかなり賢い子供として育っていたのです。
幼かったからこそ、できたのでしょう。この契約は、心に少しでも迷いがあればできないものでしたから。けれど、私は何の迷いもなく、昏い眼をしていた貴方を救いたかった。貴方のために自分の持てるものを全て差し出しても構わないと思ってしまったから。
以後、私は一切魔法を使うことはできなくなりました。今まで読んでいた本ですら、理解できないことが増えました。それどころか、“私の力”というのは魔素だけでなく、気力、体力、そして生命力まで含んでいたのでしょう。私の体はどんどん弱り、また非常に鈍臭くなりました。
使えない娘。父から早くに見限られてたことはひしひしと感じておりました。私が貴方相手に契約を結んでしまったことに、父はすぐ気付いたのでしょう。公爵家の利にならぬことをする娘など、父にとっては不要な娘。いずれ切られることは分かっておりましたが、それでも私の力が貴方のためになるならば、それは喜びであったのです。
最初は魔素の使い方がわからなかったらしいあなたは、それでも徐々に魔素を使いこなせるようになってきました。出来損ないの闇王子、という蔑称はだんだん聞かれなくなって参りました。年配の方々はまだ貴方に懐疑的な目を向ける方もいらっしゃいますが、若い方たちは過去あなたがそう呼ばれていたことすらも知らないのではないでしょうか。
そして、貴方自身もそう呼ばれた過去を消したかったのでしょうね。あるいは賢くなる以前のことは、本当に忘れてしまっているのでしょうか。貴方が他者に語っていた貴方の幼少期は、何の問題もない、常に明るいものであるように私には聞こえていましたわ。
今の貴方は、私の力をすべて上手に使いこなし、麗しい見目と、賢い頭脳を持っていらっしゃいます。本来白銀の私の魔素では頭脳だけしか底上げできなかったはずですが、私のその他の力も得てしまったからでしょうか、貴方は知力も、体力も、そして美しさも兼ね備えておりました。勿論貴方自身の努力もそこには入っているでしょうが、魔力が支えている分はかなり大きいかと思います。今では黒髪の麗しの貴公子、などと呼ばれていらっしゃいますものね。
黒でも魔素を溜めることができると、新しい発見かのように話している魔導士の卵たちを見ましたわ。魔導士を目指すものが、そんなことで大丈夫かと心配になるほどに。
皆様、10数年も経つと、本当に忘れてしまわれるのですね。
貴方が生まれた時、魔素を取り込む器官はないと王宮医師が診断したということを。
貴方自身も忘れたい過去にしてしまっているのでしょうけれど、どうして魔法が使えるのかを、最早疑問に思わなくなってしまったのでしょうね。
ですが、私がこの毒杯を飲み干したら、もう貴方へ魔素の供給はできません。貴方はもう一度魔法が使えぬ身へと逆戻りするのです。
家畜以下の立場に戻った貴方に、周りの方々はどうするでしょう。きっとあまりに呆気なく手の平を返すことでしょうね。そうすれば、私の冤罪もきっと直ぐに証明されるでしょう。おそらく父もここぞとばかりに王家を叩くでしょうね。使えずに切り捨てた私を、さも愛しい娘だったかのように嘆き、王家からどれだけのものをむしり取ろうとするのやら。
けれど、そうなった時、貴方は私と同様、きっと毒杯を賜る身となるのです。
ああ、その時には貴方は気付いて下さるわよね。私が、貴方のために自分の力を与えていたということを。私の愛がどれほど深かったかということを。
だから、私恐れていませんのよ。今この毒を仰ぐことを。
そう遅くないうちに、貴方は私の元へと来ることになるでしょう。私の愛を知って。
きっと次お会いする時には、貴方も私の愛の深さに感謝して、私を想って下さっているはず。
だから、お待ちしておりますわ。
それでは、今しばらくごきげんよう、貴方。
誤字報告いただきました。ありがとうございます。修正いたしました。