のじゃロリ、状況の把握(仮)
川に到着した僕たちは各々が持参したシートを広げ、昼食を摂ることにした。マスクを取ろうとしない天音は、腹の虫を鳴かせながら『大丈夫だ』と言って少し離れた場所で瞑想していた。
昼食の最中、案の定、隆盛や椿さんからの質問攻めにあう。あの女は一体誰なのかとか、何故もふもふ成分が消えたのかとか。
答えられる範囲では答えたものの、僕自身も分からないことが多すぎて、結果的には深まった謎を整理するだけとなった。
そして、昼食を終えた僕は、その謎を問いただすべく、天音の名を呼んだ。
「天音」
「ん……終わったか?」
「うむ」
頷くと、彼女はこんなことを言い出した。
「そうか……なら、部外者は席を外してくれるか?」
「なにっ……?」
隆盛が、眉間に皺を寄せながら聞き直した。
僕と天音が再び二人きりになることを防ぎたかったのだろう。ただでさえ素性がよく分かっていない相手だ。そんな相手が、『二人きりでないと話をしない』と言っているのだから、怪しむのも無理はない。
「一族の掟でな。力を持たないお前たちに、私の口から何かを話すことは出来ない」
「私の口から、ということは、あとでわしから話す分には構わんのじゃな?」
「……好きに捉えろ。そこは私の管理の範疇ではない」
詳しくは分からないが、仙力や纏衣といったものはあまり口外していいものでもないらしい。
それもそうか。もし一般人にも知れ渡るように彼女らが話しているのなら、既に僕らが知っていてもおかしくはないのだから。
僕らのような一般人がその存在を知らないということは、どこかで情報がせき止められているということ。恐らく、力を持つ一族が、情報の流出を防いでいるのだ。
ならば、ここは彼女の言葉を優先するとしよう。彼女にも彼女なりの事情というものがある。
「隆盛、椿殿、席を外してくれるかの。話が終われば声をかける」
そう言うと、初めこそ抵抗しようとした隆盛だったが、すぐに言葉を飲み込み、渋々といった様子でその要求を受け入れた。
「……分かった。俺たちはその間に、村の人たちに祠のことを聞いておくよ」
「任せて、樹ちゃん」
そうして、二人は村の方角へと去っていった。感覚を研ぎ澄ませば、どこかに隠れて盗み聞きしようというつもりもないらしい。
二人が去るのを見送ると、天音の方へと振り返る。
「さて……では、どこから話そうか」
問うと、彼女は淡々とした口調で答える。
「まずはお前の名前だ。樹と呼ばれていたが」
「これは失敬。わしは佐藤樹。こう見えても中身は男じゃ」
「そうか。お前の戯言は聞き流すとして、まずは私たちやお前のような存在が何者なのか話さなくてはな」
「嘘はついておらぬが……まあよい」
どうせ、男だという話は信じてもらえないだろうとは思っていた。そこを話せばまた話が長くなる。今はどうだっていい話題だ。
「私やお前のような存在は、『仙継士』と呼ばれている。こういう字を書く」
「ほう……仙継士とな……」
川原には石ばかりで文字を書ける環境ではないため、天音はわざわざスマートフォンを取り出してどんな字を書くのか打ってみせた。
「仙継士というのは、かつて存在した『仙人たち』の魂を継ぐ者のことだ。一般的には、その存在は秘匿とされている」
「仙人たちの魂……? そんなものが実在するのか?」
仙人、という言葉自体は勿論知っているが、そんなものが実在したのかという事実と、その魂が現代の人間に受け継がれているという事実には驚きを隠せなかった。
だが……。
「実在しなければ、私たちの力の説明も付かないだろう?」
「……ふむ、それもそうか」
実際に、実在している例がここにあるのだから、その事実を否定することが出来ない。
『目の前に実例があるだろう?』というその言葉ほど、信頼性のあるものも他にないだろう。
こちらが納得した様子を見せたからか、天音は途切れていた言葉を続けた。
「そして、私たちを仙継士足らしめるものが、仙人たちが有していたという『仙力』だ」
そう言って、彼女は右手をゆっくりと僕の目の前まで持っていく。
「仙力は仙人たちの力の総称。それぞれ出来ることは違うが、『人ならざる力』と思えばいい」
その右手が、一瞬、陽炎のようにぶれて見えた。
しかし、次の瞬間には元通りになっている。腕自体が特殊な形となったわけではない。
「今、手がぶれて見えたのじゃが……?」
「それも仙力の一種だ。幻覚を生み出す類のものだな」
つまり、今彼女の手がぶれて見えたのは、幻覚を生み出す仙力によってそう見せたから、ということか。
手っ取り早い話が……『魔法』のような力だということ。現代の科学では説明も再現も出来ない、仙継士にのみ許された超常の力。それが『仙力』だということだろう。
「そして、仙継士となった者が修練を積み、内にある仙力を自在にコントロール出来るようになって初めて展開出来るのが、『纏衣』だ」
纏衣。それは、狐の特徴が発現していた際の僕や、猫の特徴を発現させた際の天音のあの姿のこと。
「纏衣状態になると仙人たちの姿の一部を借り受け、絶大な力を発揮することが出来る。その代わり、性格や口調が変化することもある」
「ああ、道理で……」
僕は何故だか纏衣を解除してもそのままだが、彼女は纏衣を解放した途端、口調が変化していた。
要するに、仙人の魂の影響を受ける、ということか。言わば、引き出す力の強さによって、僕たち自身が受ける影響も強くなるということだろう。
ここで、天音は『そして……』と何か含みのある言い方をした。
「この纏衣状態を維持するには、莫大な量の仙力が必要となる。私であれば、一日に合計二時間ほどが限界だ」
仙力を魔法や魔力のようなものだとするならば、纏衣状態はその魔力を常に消費し続けている状態。莫大な量の仙力が必要となるのも頷ける。
しかし、天音のその言葉に、どこか引っ掛かりを覚えた。そうなってくると、奇妙な現象が起きてくるのだ。
「その意味が、分かるな?」
「……わし、二四時間以上維持しておったようじゃが?」
そう。僕のあの姿が纏衣状態であるならば、僕はその状態を昨日の朝からつい先ほどまで、二四時間以上維持していたということになる。
本職の仙継士が一日に合計二時間が限界だという纏衣を、元々一般人であった僕が二四時間以上維持し続ける。これが、異常事態だと言わずに何と言う。
当たり前のように言い放った僕に、彼女は大きなため息をこぼしていた。
「だから異常だと言っている……非戦闘状態とはいえ、それだけ長い時間纏衣を維持した者など聞いたことがない……」
頭を抱え、再びため息をこぼす。やはり、彼女から見ても異常な事態だったようだ。
「……因みに、その状態で体調不良を感じたことはないか? 重度の風邪に似た症状だ」
頭を抱えたまま、彼女がそう聞いてきた。
体調不良ならば、現在進行形で感じている。重度の風邪に似た症状という言葉通りに。
「ある。今日の朝目が覚めてからずっと、体調は悪いのじゃ」
「それは仙力が枯渇してきた合図だ。私に出会っていなかったら、仙力の過度な消耗で倒れていただろうな」
「なるほどのぅ。お主が現れたおかげということか」
聞けば、仙力が少なくなってくると、このような症状が現れるらしい。その状態で更に使い続け、仙力が完全に枯渇してしまうと、丸一日気を失ってしまうほどだそうだ。
故に、ここで天音に出会ったことは幸運だったと言える。あのまま何も知らずに纏衣状態を維持し続けていれば、間違いなく仙力は枯渇していただろう。時の運に恵まれたようだ。
……それからもいくつか必要な話を聞き出し、知りたかった情報が大方全て手に入った頃。
「これで、お前が気にしていた話は全てだと思うが……どうだ?」
仙継士や仙力のこと。今のこの状況。全てを理解し、受け入れることが出来たわけではないが、何も知らなかった昨日よりかは、幾分かまともな考えを張り巡らせることが可能となった。
ただ、これら全ての話を聞いた上でも、まだ疑問に思うことがあった。
「一つ、質問がある」
「何だ?」
「その仙継士というのは……誰でもなれるものなのか?」
彼女が言った『一族』という言葉。それ即ち、仙継士には仙継士の家系があるのだと推測出来る。
だが、僕が知る限り、両親は特別な家の出身ではない。僕自身は彼女の言うところの『一般人』だ。
彼女はそんな僕の言葉を聞き、困ったように笑ってみせた。
「一般人が仙継士になった実例は、あるにはある。極めて稀なことだがな」
「ふむ……」
「しかしだな……お前が言うように、突然性別まで変わってしまった、だなんて話は、私の知る限りでは聞いたことがない」
天音曰く、仙継士の『姿』が変わるのは、纏衣を解放したその状態でのみ。仙継士になることで性別が変わるなどという実例は、彼女の知る限りでは存在しない。
そう言って、首を横に振った後、彼女は言葉を続けた。
「ただ、まあ、一つ言えるのは……」
「一つ言えるのは?」
勿体ぶるように言葉を途切れさせた天音。その瞳が、じっと、僕を見据えていた。
「……仙力はなるべく隠せ。他の仙継士に目を付けられたくないのならな」
今までよりも少し柔らかい声で、僕を心配するように、そう言葉をかけた。
「なぜじゃ、仙継士同士で争う利点でもあるのか?」
「仙継士の一族にはそれぞれ領地……縄張りがある。その中で他所者が纏衣を解放するなんてことは、日本の警察がアメリカで拳銃を抜くようなものだ」
聞けば、仙継士の一族は各地に点在しており、それぞれが一定の領地を有している。
その中で、その一族の者でない仙継士が纏衣の解放でも行えば、それ自体が『宣戦布告』となる可能性があるらしい。
……問題は、その領地とやらを、僕が把握出来ていない点にある。
元々仙継士一族に生まれた天音は、どの地域がどの一族の領地なのかを把握している。故に、どこで力を使えば危険なのか、どこならば安全なのかという危機管理が可能だ。
しかし、一般人である僕にはそれが難しい。事実上、仙力を使うことそのものを禁じられているようなものだ。
ただ、そうなると新たな疑問も浮上する。天音はこの場所で纏衣を解放した。つまりここは、彼女の……宵山一族の領地だということになる。
「ならば、ここは宵山一族の領地だということか?」
「いや、私はたまたま通りがかっただけで、ここは宵山とは関係のない地域だ。この辺りには……仙継士の一族は存在しないはずだ」
「そうか……」
もし、天音がこの辺りの歴史に詳しいのであれば、 『御狐様』の件で話を聞こうと思っていたのだが、それは難しいようだ。
「質問はそれで終わりか?」
考え込んでいると、天音がそう問うてきた。
聞きたいことは、聞けた。最低限、これからどんな生活を送ればいいのか、その判断もついた。
「……うむ、そうじゃの。ひとまず、わしの体がどうなってしまったのかは理解した」
「なら、私は行く。あまり道草を食ってしまっては、家の者が心配するのでな」
そう言って天音は立ち上がると、何やらスマートフォンの画面を見せつけてくる。
「私の携帯の番号だ。ここで会ったのも何かの縁、困ったことがあれば連絡しろ。可能な限り助けてやる」
「よいのか?」
「ああ。そもそも、私はお前との戦いに負けた。敗者が勝者に従うのは当然のことだ」
「そうか……助かるのじゃよ、にゃんこ娘」
「誰がにゃんこ娘かっ!」
その言葉に甘えて、番号は登録させてもらうことにした。何かあった時に、その道の専門家に話が聞けるというのはありがたいことだ。特に、今の僕にとっては。
「全く……ただのか弱い小娘なら捻り潰してやるというのに……」
「やってみるかの?」
やれやれといった様子で、項垂れる天音。
そんな彼女に悪戯な笑みを浮かべながら問うと、小さな舌打ちの音が聞こえた。
「いや、遠慮しておく。悔しいが、今の私ではお前には敵わん」
天音はスーツに付着した汚れや埃を叩き落とすと、再度忠告するように、こちらを指差した。
「もう一度言うが、くれぐれも、仙力の扱いには気を付けろ。皆が皆、私のように話の通じる相手ではないからな」
「心得た。達者でな、にゃんこ娘」
「くそっ……次会った時は覚えていろよっ……!」
小物のような台詞を吐きながら、天音は跳躍し、どこかへと消えてしまった。これも仙力の一種なのだろう。この辺りはどの一族の領地でもないから、問題なく仙力を使用出来るのだ。
「さて……では、隆盛たちのもとへ向かうかの……」
話は終わった。随分と長話になってしまったが、隆盛たちはどうしているだろうか。
連絡先一覧から隆盛の名前を探し出し、電話をかけながら、僕は川原を後にした。