のじゃロリと操りし者
「その女が未切芽亜……天音ちゃんたちを操っている女よ」
茜音さんの一撃で姿を現したのは、肩から鮮血を散らす白装束の人間。僕たちに捕捉されると、奴は再び虚空に姿を消した。
「ぬっ……なるほど、この気配か」
だが、一度仙力の気配を覚えてしまえば、発見することは容易い。漆原のように別の空間を作っているのではなく、単に透明になっているだけのようだ。
奴が次に姿を潜めたのは、僕たちのすぐ背後であった。その場で転回し、気配がした辺りにいた『何か』を鷲掴みにして、そのまま地面に叩きつけた。
「か、はっ……!」
……手応えがある。僕が掴んだのは、どうやら奴の首根っこだったようだ。
殺さない程度に力を緩め、災ガ悉地で奴の肉体を拘束して、奴の顔を覆う装束を剥がした。
まだ若い女だ。若いといっても、三〇は超えていそうだが。未切芽亜は怒りに支配されたように息を荒くしながら、茜音さんに牙を剥いている。
「な、なんで……なんで効いてないのよ、あんたっ……!?」
「あら、知らなかったの? 脳に作用するような仙力は、同じように脳に作用する仙力を使う術士には効き辛いのよ。たまに、単に効き辛いだけの人もいるけれど。そんなことも知らないなんて……未切家って遅れてるのね」
扇子で口元を隠し、嘲笑うかのように目を細める茜音さん。流石、天音が実被害を受けているというだけあって、口も性格も悪い。
だが、茜音さんだけが未切の洗脳を回避していた理由が分かった。彼女の使う対象を強制的に眠らせる仙力も、対象の脳に作用する仙力なのだろう。どういう理屈で効き辛いのかは分からないが、仙人の特徴として脳の構造が違うだとか、そんなところだろう。
そう言われてみると、天音は『幻覚』を見せる仙力を扱っていたはずだが……あれはまた能力の構造自体が違うのかもしれない。
「だとしてもっ、篠宮水樹、なんでお前はっ……!!」
火は、僕にも飛んできた。茜音さんは同系統の仙力を使うから洗脳されなかった。
なら僕は? 今この瞬間にも、奴は僕たちを洗脳するべく力を使っているだろう。だというのに、僕は変わらず未切芽亜を敵として認識できている。
……まあ、確かに、ほんの少しだが頭に違和感がある。微弱な電流を流されているような感覚だ。
「さあ……先ほどから頭の中がぴりぴりして不快じゃが、その程度じゃな」
「……がっつり効いてるじゃない。なんで無事なの、あなた」
「わしにも分からん」
呆れたようにため息混じりに言う茜音さん。なるほど、これが洗脳の前兆なのか。その割には効いてくる様子がない。
ともかく、効かないなら効かないで好都合。予定とは違って、それほど血を流さずに未切を捕らえられたのは幸運なことだ。これで、天音たちを元に戻すことができる。
「……さて。お主、そこで眠る二人を洗脳しておるな?」
未切の目の前で胡座をかいて座り、そう問い掛けるものの、彼女は一切口を開こうとしない。
「ふむ、答えんか……」
とはいえ、先ほどの茜音さんへの発言で、この女が元凶であることに間違いはないだろう。となれば、真に確認するべきは、もう一つ。
「一ノ瀬、少し来てくれるか」
少し離れたところで様子を確認していた一ノ瀬が、早足でやってくる。地下牢制圧が順調に進んだのか、怪我の一つとしていない一ノ瀬は、感心したように呟いた。
「……もう捕えたのか、流石だね」
「茜音殿のおかげでな。それで、お主に一つ、聞きたいことがあるのじゃが」
僕がそう言うのと同時に、一ノ瀬は残念がりながら、首を横に振った。質問の意図を、質問をする前に察したのだろう。
「……違うね、こいつじゃない。僕の家族を殺したのは、もっと、背が高い奴だった」
「……そうか。それは残念じゃな」
残念、という言葉には、二つの意味が込められている。
一つは、復讐が先延ばしになった一ノ瀬の感情。そしてもう一つは、『洗脳能力を持った仙継士が複数人いる可能性』を、補強する結果となってしまったこと。
「となると、やはり二人以上いるということになるか。いや、この一〇年で代替わりしているということもあり得るか?」
後者の可能性も、ゼロではない。一〇年あれば、能力の引き継ぎが行われていたとしても不思議ではないのだ。
「のう、茜音殿。お主、なにか未切家のことを知らんか?」
「残念ながら。けど、現在の当主は長身の男らしいわよ。黒霧との戦の待ち時間に、ちらりと耳に挟んでね」
一ノ瀬と、ぱちりと目が合う。当主であれば、仙継士である可能性は高い。そして、長身ともなれば……一ノ瀬の仇は、未切家の現当主なのか?
しかし、待ち時間にちらりと耳にした、というのも信用ならない言葉だが……そこを、突っ込むと、どうせこっぴどく叱られるのだろう。この際、そこはどうだっていい。
「ね、ねえ、あんたたち……本気で三枝家に楯突こうなんて思ってるんじゃないでしょうね? それがどんなに危険なことなのか分かってるの……!?」
……と、突然、これまで黙り込んでいた未切芽亜が口を開いた。僕たちの会話の内容から、本気で反乱を画策しているのだと察したのかもしれない。
「分かっておるとも。こんな非道な真似をする連中をのさばらせておくのが、どれほど危険なことかというのはな」
「い……今なら、私を助ければ三枝家に口利きしてあげる。どう? 今までの非礼を詫びるなら、当主様もきっと許してくださるはずよ」
「ふむ……」
分かりやすい三下ムーブだ。ここで見逃せば、また敵として立ちはだかることだろう。
正直、情報だけ引き出して、殺してしまうのが最も手堅い案だろう。だが、僕はまだ……人を殺したことがない。元々人の生き死にとは無関係な世界で生きてきたんだ。いきなりやれと言われても、上手く殺せる自信がない。
けど、こいつらは僕と手を取り合おうとしていた漆原骸久を殺して、天音たちを洗脳し、僕らを殺そうとした。僕からすれば、『死んでも構わない命』だ。
……ただ、まあ、それは僕が決めることではないだろう。もっと、未切家に特別強い思い入れがある人間が、判断を下すべきだ。
「……一ノ瀬。どうするかは、お主が決めよ。これは、お主の戦いじゃ」
そう言って僕は未切芽亜から距離を取る。仙力で拘束されたままの彼女に一ノ瀬はゆっくり歩み寄ると、露出していた右の手のひらを思い切り踏み付けた。
「……僕は、人を殺すことに、それほど抵抗がない」
「ひっ……!?」
痛みからか、それとも、悪魔のような形相をした一ノ瀬に対する恐怖か——未切芽亜は、拘束から抜け出そうと、必死にもがき始めた。
もっとも、無駄な抵抗だが。黒霧雲源の攻撃を防いだ時よりも強力なものにしてある。そう簡単には壊せない。
「僕の家族を殺したのは君じゃない。だけど、骸久が死んだのは……君たちのせいだ。このまま生きて帰すわけにはいかない」
「や、やめてっ……お願い、殺さないでっ……!」
一ノ瀬が、指輪型の仙具を起動しようとした。それを——茜音さんが、制止する。
「待ちなさい、一ノ瀬光之助」
「止める気かい? 残念だが、僕は……」
茜音さんは首を横に振ると、にたりと、悪趣味な笑みを浮かべた。
「いえ? でも、そのまま殺すより、少しでも有効に活用したほうがいいんじゃないかしら?」
「……?」
頭に疑問符を浮かべる一ノ瀬に、彼女は耳打ちをした。纏衣状態の脅威的な聴力で盗み聞きすると、確かに、そのまま殺してしまうよりも有効に活用できる案だった。上手くいけば、の話だが。
 




