のじゃロリ、同類との邂逅
——ぢりりり、ぢりりり……
けたたましい音が鳴り響き、ぼやけていた思考が徐々にクリアになっていく。この音は、そう、目覚まし時計の音だ。
「……んっ……んっ……!」
どこに置いていたか。枕元を漁り、体の周りを漁り。
何度も何度もけたたましい音が鳴り響き、脳がようやく起床状態になった時……硬い何かが手に当たり、それが目覚まし時計であることを悟った。
音を止め、目を擦る。まだ眠気が抜け切っていない。
「……んんっ……ふぁぁ……」
体を起こそうとすると、下半身に妙な圧迫感を覚えた。
見れば、椿さんが尻尾を抱き枕のように抱えて眠っている。道理で、尻尾に関連した奇妙な夢を見るわけだ。
回復してきた思考回路で、昨日のことを思い出す。祠に関する情報を集めるために村までやってきて、書庫で借りてきた本を読みながら……気付けば寝落ちしていたようだ。
「……頭が痛い」
何だか体調が優れない。眩暈や頭痛、体の気だるさといった、風邪に似た症状を感じる。
慣れない体で遠出をしたことで、予想以上に疲れが溜まっていたのかもしれない。今日の祠探索も、何度か休憩を挟まなければ難しいかもしれない。
「というか……いつまでしがみついておる! 起きんかっ!」
「むぎゅっ」
尻尾を抱きかかえていた椿さんを引き剥がし、無理やり起き上がる。
大きなあくびをして、体内の眠気を外へと吐き出した。
さて……まずは、昨日得た情報の整理からだ。
「つまり……かつてこの辺りでは『御狐様』と呼ばれる存在が祀られていて、それが何か関係しているのかもしれない、と」
「うむ、そういうことになるの」
三人で色々な書物を読み漁った結果、出した結論はこんなものだった。
大昔、この『風鳴村』周辺の村々を災害が襲った。災害の内容は書物によって異なり、大地震とも大津波とも、または大火災とも記されていた。
災害で滅びを待つだけの村々。しかし、そこにとある『狐』が現れた。
狐は不思議な力でこの災害を鎮め、更には災害によって荒れ果てた土地を蘇らせ、村々を救った。
だが、その代償として狐は力を使い果たし、長い長い眠りにつくこととなる。
人々は、村を救ってくれたその狐を『御狐様』と呼び、讃え、祀るようになった。
その際、御狐様を祀るための祠も用意されたそうだ。
「わしが見た祠……それに、この姿……偶然という言葉で片付けるのは阿呆のすることじゃ」
「そうだね。偶然にしては出来すぎてる」
椿さんも、僕の言葉に同意したようだった。
村に伝わる『御狐様』と呼ばれる存在と、それを祀るための祠。
狐のような姿になってしまった僕と、修学旅行中に見つけた謎の祠。
これを偶然だと呼ぶのは難しい。十中八九、何か関係があるはずだ。
問題があるとすれば、その先。これらの関係性とこの姿の秘密をどう解明するかだ。
「だが……『御狐様』の情報はこれだけだ。眠りについた後どうなったのか……それに」
「うむ。この手記によれば、祠は既に失われている」
例の、文字だけがびっしりと敷き詰められた手作りの冊子。その中身は、何十年か前の学者の手記だった。
どうしてそんなものがこの宿にあるのかはさておき……手記はこの村の調査をしながら学者が綴ったもので、主に『御狐様』や『過去に起きた災害』のことが記されていた。
概ね、他の歴史の本と照らし合わせても矛盾はない。しかしながら、この手記にのみ記されていた内容もあった。
『村にあった御狐様を祀る祠は、長い年月を経て人々の記憶から薄れ、三年前の大雨によって発生した土砂崩れで失われてしまった』
この『三年前の大雨』というのがいつの時代を指し示すのかは分からないが、少なくともこの手記が綴られた段階では既に祠は失われていたということになる。
……では、僕が見たあの祠は何だったのか。『御狐様を祀る祠』とはまた別の物だったのか?
「……あとは、現地に行ってみなければ分からんのぉ」
書物から汲み取れる情報はこれまでだ。後は実際に祠を見つけたあの場所へ行き、確かめるしかない。
隆盛と椿さんは僕の言葉に頷き、そして……ここで僕たちは、ようやく着替えを始めたのだ。
——それから二時間後。宿を出た僕たちは、僕の記憶を頼りにあの祠への階段を探していた。
あの時は、隆盛や颯太ら班員と共に川へ向かう途中だった。まだほんの二日前のことだから、記憶も鮮明に残っている。
他よりも開けた場所に車を停め、歩いて例の場所へと向かう。帽子とボストンバッグを使った変装術は長時間の行動には向いていないが、この村にはお年寄りしかいないため、田畑から変装を見抜くほどの視力はないだろう。
雲一つない青空と、鼻を抜ける草や土の香り。少し、頭痛が和らぐようだった。
そして、車を降りてから一五分ほど歩いて、目的地に到着した。祠へ向かう階段を見つけたあの場所だ。
「樹ちゃん、ここ?」
「うむ、ここじゃ」
「ああ、ここだな。そこの陰で樹を休ませてたんだ。よく覚えてる」
間違いない。見える風景が似通っているとは言え、微妙な差異はある。ここが目的地だ。
だが、そこには……。
「じゃあ……樹ちゃんの言う階段って、どこ?」
そこには、やはり、祠へと通じる階段などなかった。木々の間を縫って、獣しか通れぬような小さな獣道が奥へと続いているだけだ。
「やはり、ないか……目覚めた時に見当たらなかったから、まさかとは思っていたが」
「本当にここなのか? 階段があった場所と倒れていた場所は同じだったのか?」
「間違いない。ここに階段があったはずなのじゃよ」
山を登る長い長い階段が、ここにはあったはずなのだ。だが……どれだけ探しても、階段はおろか、登山道の一つも見つからない。
記憶違い……いや、そんな簡単な話ではないような気がする。これはもっと、複雑な……何か、僕たちの知らない不思議な力がそうさせているような。そんな気がした。
——その時だ。
……ぴくんっ
「……む?」
ひとりでに耳が反応した。何か、奇妙な気配を察知したのだろう。
すぐさま気を張り巡らせ、その気配の出どころを探す。集中すれば、周囲の音や匂いが普段よりも鋭く感じ取れるようだった。
「……そこじゃっ!」
そして、一際『異物』の臭いがした場所に、手頃な大きさの石を投げつける。石は真っ直ぐにその場所へ飛び、着弾する直前……何か大きな影が飛び出した。
影はそのまま空中で一回転すると、忍者のように着地する。間違いなく、それは『人』だった。
ラバースーツのような光沢のある黒いスーツに、戦闘用の装甲が縫い付けられた奇妙な衣装。口元は黒く無機質なマスクで隠され、表情さえも分からない。
だが……胸元の控えめな膨らみから、女性であることは理解出来た。
「……よく分かったな。隠れるのには自信があったのに」
「お主らは退がっておれ。あやつ……危険な香りがするのじゃ」
隆盛は反対しようとするものの、強く睨み付けると、椿さんを連れて引き下がった。本能的に、この女性が危険であることを察したのだろう。
「お主……何者じゃ」
「お前こそ何者だ。そんなに仙力をダダ漏れにさせて……戦でも始めるつもりか?」
「なぬ、仙力……? なんの話じゃ?」
聞き覚えのない単語に、思わず聞き返してしまう。
「とぼけるな。纏衣まで解放しておいて、知らぬ存ぜぬでは通さんぞ」
「ま、待てっ、お主がなにを言っているのか、わしには全くっ……」
纏衣だとか、仙力だとか。聞き覚えも、身に覚えもない単語ばかりが出てきて、頭の中が混乱し始めた。
一体この人は何を言っているのか。そして、もしかすると、この体について何か知っているのか。
話を聞きたいのは山々だが……どうにも、向こうにはその気はないらしい。
彼女は両腕を前に出し、交差させて構えた。直後、その体から肌を刺すほど鋭い『力』のようなものが放たれたのを感じる。
「問答無用っ……『纏衣解放』っっ!!」
そう叫んだ彼女の頭から……何故だか、黒い猫の耳のようなものが生えた。同じように、細い尻尾のようなものまで生えてくる。
交差させた両手の指の爪は鋭く尖ったものになり、唯一表情を知るための部位である瞳は、まるで猫のそれのように長細いものとなった。
……僕と、同じだ。僕は狐だが、彼女は猫。この人は一体、何なんだ?
完全な変化が終わると、彼女は目にも留まらぬ速度で迫ってきた。その鋭い爪で僕の小さな肉体を貫こうと。
「は……」
そんな彼女に対して、僕は大きく拳を振りかぶり。
「話を聞けぇっっ!!」
その拳を、姿勢を低くして迫り来る彼女の後頭部に思い切り叩き付けた。
何かが爆発したような音。それと同時に、半人半猫のような姿をした彼女は、地面にめり込んだ。