のじゃロリと密告
「それで……逃げた先で漆原骸久と出会ったのか?」
「ああ、そうだね。奴らから逃げるつもりで闇雲に走り回っていたら、漆原家の滅門に出くわしたんだ。そこで骸久と出会い、色々と教えてもらって、あの白装束が三枝家の人間だと知った」
漆原骸久は当時九歳。僕の予想では、彼は一ノ瀬によって助けられたものだと思っていたが……実際には、お互い、助け合って生きていたんだろう。今の漆原骸久が影の仙力を有しているということは、滅門した段階では既に力の継承を終えていたということになる。三枝から追われる一ノ瀬にとって、影の空間はこれ以上ない潜伏場所だ。
しかし、そうなると気になるのは催眠能力持ちの人数だ。仮に、一ノ瀬と漆原の両家が同時に未切の攻撃を受けていたのなら、最低でも催眠能力を持った仙継士は『二人』いたということになる。
ただ、奴らの能力の詳細は分からない。その場にいなくても発動する——たとえば、遠隔系や時間経過での発動なら、一ノ瀬を追いかけながらでも漆原を攻撃できる。
(まあ、最悪の想定はしておいた方がいいか……)
未切家の催眠能力持ちの仙継士は、最低でも二人以上。そう仮定しながら動く方が、危険は少ないだろう。
ここまで話して、一区切りついたのか、一ノ瀬が姿勢を崩す。
「……どうだろう。ここから先の話は長くなりすぎるし、僕は僕自身のことを正直に話したつもりだ」
「うむ。辛い過去を思い出させてすまぬ」
「いや、構わない。それより、これからどうするかを考えた方が良さそうだね」
これからどうするか。真剣な面持ちで告げる一ノ瀬の言葉に、僕は頭を抱えた。
「敵は三枝……しかし、あまりにも強大すぎる。とても、わしら二人では抗えん」
こちらの戦力は二人。しかも、一人は仙継士ではない一般人だ。
対する敵は、仙継士のまとめ役とも呼ばれる三枝家だ。正直、どれほどの戦力を抱えているのか、想像もできない。何故なら……天音たちが言っていた、毎年送られてくるという戦力の分布図に、三枝家の情報だけは記されていなかったからだ。
反乱を防ぐためか、あるいは何か他の目的があるのか。少なすぎるこちらの戦力に対して、相手方の戦力の底が見えない。
——はっきり言って、勝てる戦いではない。御狐様の力は並の仙継士とは比べ物にならないらしいが、それでも限度がある。
せめて、天音たちを解放できれば。そのために必要な未切家の討伐も、未切家の戦力が分からないために、可能かどうかが分からない。
打つ手がない。頭を抱えるしかない僕に、一ノ瀬は言った。
「……提案がある。黒霧風雅を除いた三人を助けて、協力してもらうんだ」
黒霧風雅を除いた……つまり、灼堂と燕士、それから玲香と呼ばれていた仙継士たちだろう。だが、助け出したところで、未切の能力で操られていれば同じことではないのだろうか。
「なぜじゃ? 黒霧風雅を除くことには同意するが……」
「さっきも言ったように、未切の催眠能力は完全じゃない。そして僕は、この一〇年間、そんな未切の能力が効かず、強い復讐心を持った仙継士を集めてきたんだ」
——話が読めた。あの三人は、未切の催眠能力に抗える仙継士。要は、助け出した時点で安全性が確保される、今求められる要素を全て満たした者たちだということか。
「……なるほど、それがあの者らというわけか」
「本当は他にもいたんだが……色々とあって、人数が減ってしまってね。だが、あの三人となら利害関係が一致している。助け出せば味方になってくれるはずだ」
「そうじゃな。仙継士の数は多ければ多いほどいい。あとは、天音たちを助けることができればな……」
彼ら三人を含めれば、こちらの戦力は倍増する。しかし……今朝の戦闘。恐らく、一ノ瀬の陣営は全滅だ。相性の問題があるにしても、これで未切家を倒すことができるだろうか。
どうにも、決め手に欠けるような気がしてならない。彼ら三人の居場所さえ分からない状況で、勝負に出てもよいのだろうか?
そうして、答えを出すに出せない状況が続く最中——突如、窓が揺れた。小さな物音と共に。
——とんっ
『っ!?』
二人で一斉にその場に伏せ、物音の正体を探る。大きな音ではなかった。まるで、壁に小石をなげられたかのような、軽い音だ。
纏衣状態ではないから長距離察知の能力は使えないが、周囲に奇妙な仙力の気配はない。少なくとも、付近に纏衣状態の仙継士はいない。
「……襲撃か?」
「いや、仙力は感じぬ……が、今の音はなんじゃ……?」
だとしたら、今の音はなんだ。小鳥が家にぶつかったのだろうか? いや、油断せずに確認しておくべきだ。特に、この状況では。
伏せたまま音がした方へ這い寄り、外から視認できないよう、壁伝いに体を起こして様子を窺う。何かがいるわけでも、見える景色に違いはない。
そして、ふと、視線をずらすと……窓の下辺り、家の壁に何かが刺さっているのが見えた。
「これは……矢?」
矢だ。弓矢の、矢。音の軽さからして、先ほどの音はこの矢が突き刺さった音と見て間違いない。
襲撃か。山奥にある廃屋に、何の前触れもなく矢が飛来するはずがない。
「……篠宮水樹。その矢、何か括り付けられてる」
「なに?」
反対側からこっそりと窓の外を覗き見た一ノ瀬が言った。確認すべく少しだけ体を乗り出すと、確かに、矢の中心辺りに白い紙が括り付けられている。
外の景色に、変わった様子はない。仙力の気配もなく、どこかで人工的な光が発せられているわけでもない。矢も、この一本だけだ。
ほんの少しだけ窓を開き、手を伸ばして矢を掴むと、すぐさま引っこ抜いて窓を閉める。やはり、追撃はなかった。
「念の為……素手では掴まない方がいい。毒が塗られているかもしれない」
「言うのが遅いわ。もう掴んでしまったではないか」
古びた布団を手袋代わりにして、矢から白い紙を取り外す。丁寧に折りたたまれていたそれを開くと……手紙のように、文章が綴られていた。
「これは……矢文か? 誰じゃ、こんな古典的なものを寄越したのは……」
「いや、それより、これは……」
ずいっと顔を突っ込んで、手紙を覗き見る一ノ瀬。深刻な表情をする彼に倣い、僕もその内容に目を通す。
『囚われし者、黒き装束を纏いし者たちと共にあり。操りし者、また共にあり』
「ふむ……なるほどな」
これは密告書だ。しかも、今まさに僕たちが求めていた情報だ。
囚われし者。これは恐らく灼堂たちのことだろう。そして操りし者……これは未切か、あるいは三枝のことだろうが、『操りし』だなんて言葉を使っているくらいだから、前者である可能性が高い。
そして、この両者は『黒き装束を纏いし者』と共にいるらしい。
「この、黒き装束を纏いし者というのは?」
「恐らく、わしの友……宵山の屋敷のことを指しておる」
宵山の戦闘服は黒い装束だ。これを指しているのだと思われる。つまり、あの三人……いや、黒霧風雅も含めれば四人だが、彼らは宵山家に囚われているようだ。それも、未切たちも共に。
「……怪しいな。罠かもしれない」
「うむ、わしもそう思う。が……」
怪訝そうに口元に手を添える一ノ瀬。彼の言う通り、罠である可能性は高いだろう。だが、罠だとすれば不可解な点もある。
そもそもの大前提として、彼我の戦力差は凄まじいものである。僕らはこの状態で攻め込まれれば終わりなのだ。
そして、この矢文を届けた主は、僕たちがここにいることを知っている。ならば……罠などにかけず、そのまま攻め込んでくればいい。それで、僕たちは終わりだ。
(あの三枝がそんな回りくどいことをするか……? いや、考えづらい)
僕ごと一ノ瀬たちを葬り去ろうとしていた三枝が、そんなことをするだろうか。あの時放っていた高威力の矢をここに撃ち込めば、それで終わりなのに。
「君の考えは分かる。罠だとしても不自然だ」
「お主もそう思うか?」
「ああ。だが、仮に罠でなかったとしても危険だ。未切が共に行動しているということは、君の友人たちも、まだ洗脳状態にあるわけだからね」
この手紙に敵の人数までは記されていないが、最低でも宵山家のメイン戦力が三人と未切家が一人。最悪を考えれば、黒霧雲源ともう一人の未切も加わって、計六名。それだけの人数になれば、隠れて灼堂たちを救助することは困難を極める。
しかし、裏を返せば……僕たちの目的を、一度に達成できるチャンスでもある。
「じゃが、それは灼堂たちを救助した上で、未切をも倒すことができる最大の好機でもある」
囚われた三人を助け出し、協力して未切家を打ち倒せば、天音たちは解放される。何も、宵山家の面々と戦う必要はない。彼女たちに必要なのは、足止めだ。
罠であれば、死ににいくようなもの。
罠でなくとも、危険であることに変わりはない。だが……何となく、この密告書は偽物ではない気がする。僕の直感が、そう告げている。
「……僕は、君の判断に任せよう。恐らく、未切たちの足止めは君に頼むことになるだろうから」
一ノ瀬が、じっとこちらを見つめている。僕は——。
「……向かうぞ。宵山家に」
元より、逃げ出すことはできない戦いなのだ。ここで無為に時間を浪費していても、いずれは奴らに捕捉されるだろう。ならば……この密告書を信じて、奴らの不意をつくしかない。




