のじゃロリと歩み合う心
「これはちと、予想しとらんかったな……」
漆原骸久の予想外の強さに、思わず本音がこぼれてしまった。思えば、あの夜の彼は、これっぽっちも全力を出していなかったのだろう。一ノ瀬光之助が信頼してそばに置く人間が、弱いはずもない。言われてみれば、そうだ。
禍ツ水で受けた鎧の凹みを即座に修復してしまった彼は、けれど、その場で足を止めた。顔も影に覆われて見えないが、どうやら、じっとこちらを見つめているようだった。
「……君は、強いんだね。色んな人と戦ったけど……ここまで足掻いた人は初めてだ」
「そうか。ならば、その強さに免じて、退いてくれると助かるのじゃが……」
ふるふると、首を横に振る漆原。そして、今度は首を傾げた。
「どうして君は……そんなに強いのに、そちら側にいるの?」
「……なに? そちら側?」
彼の言葉の意図が理解できず、今度は僕が、首を傾げた。
漆原は今、警戒を解いている。どういうわけか、一ノ瀬の命令を無視して、僕と対話しようとしている。
倒すなら、今が好機だ。彼は何故だか、油断している。だけど……対話を望んでいる相手を、殴ることはできない。
「僕たちは、三枝に罰を与えるために戦ってる。君だって、もう知ってるんでしょ?」
「それは……漆原家が三枝家に滅ぼされたことと、関係しておるのか?」
今度は、首を縦に振る。
「三枝家には闇がある。彼らは報いを受けるべき存在だ。だから僕も、主人も、君のその力を求めてる」
「お主らの言う、三枝の闇とはなんなのじゃ。お主ら、一体、なにを知っておる?」
由花曰く、漆原家が滅んだのは、三枝家の闇を探ったことで怒りを買ったためだ。裏を返せば、三枝家に闇があることは確定した事実だということ。
結局、その闇というのが何なのかは分からなかった。由花も三枝に関わる人間ではあるが、下っ端も下っ端。そこまで込み入った話は調べられない。
漆原は途端に黙り込んで、振り返る。一ノ瀬に判断を仰いでいるのだろう。そこで、ここまで手出しをしてこなかった一ノ瀬が、困ったような表情をしながら、漆原に並ぶ。
「——人工仙継士計画。それが奴らの闇の一つで、漆原が滅んだ原因」
一ノ瀬が口にしたのは、聞き慣れない言葉だった。何となく、言葉から意味を察することはできる。
人工……つまるところ、僕や天音たちの中に眠るような仙人の魂に頼らず、人為的に仙継士を作り出そうという計画だろう。
「人工仙継士……じゃと?」
「ああ。仙人の魂に適応できず、仙継士になれない人間に仙具を埋め込み、人工的に……というより、擬似的に仙継士を作る計画さ」
「擬似的に……じゃが」
「何が問題だ、と言いたいんだろう? 確かに、仙継士の一族からすれば、素質が無くとも力になる人間が必要だからね。メリットしかない」
僕が言おうとしていた言葉に、先回りして同意する一ノ瀬。
僕は仙継士になって、まだ一ヶ月と少しの新参者だけど……その人工仙継士とやらの有用性は理解できる。一見すると、何の不都合もない、益のある計画だと思う。
だが——僕の考えは甘かった。次に一ノ瀬が発した言葉に、僕は驚愕した。
「だけど、そのために三枝家が、素質の無い者を集めて人体実験を繰り返していたとしても、同じ言葉を吐けるかい?」
「なにっ……!?」
人体実験。そういうことか。一見不都合がないように思える計画が、三枝家の闇だというのは。
「三枝は他の家門から、仙継士になれなかった者や力を望む者を集め、甘い言葉で誑かし、人体実験を繰り返していた。そして……結果的に、人工仙継士計画は頓挫した」
「そ、それはつまり……」
「そう。成功しなかったんだ。一例たりとも。実験の被害者全てを犠牲にして、何も成果が得られなかった」
一ノ瀬は直接口にはしなかったものの、口ぶりから察するに、被害者は皆、命を落としたのだろう。
確かに、それが事実なら、三枝家は僕の予想よりも遥かに『真っ黒』だ。仙継士の一族を取りまとめる家門でありながら、弱者を騙し、人体実験を繰り返していた。
そして……それだけでなく、その闇を暴こうとした漆原家をも滅ぼした。
「……僕の両親は、その真相を確かめるために三枝家を探っていた。けど、それが奴らに知られて、口封じのために追い詰められた」
一ノ瀬に代わってからは一言も発さなかった漆原が、口を開く。一ノ瀬は何も言わず、彼に言葉を続けさせた。
「……君は、想像したことがあるか? 父が、狂いながら娘を刺し殺す光景を」
「叔父が、母を突き落とす光景を」
「家臣が家臣を、食い殺す光景を」
漆原が一言発するたびに、その光景を思い浮かべる。いや、思い浮かべようとしたが——僕には無理だった。今までずっと、平和な世界で暮らしてきた僕には、そんな光景を想像することすらできなかった。
言葉を重ねるごとに、彼の言葉が震えていく。思い出したくない過去を、懸命に掘り起こしている。そんな様子だった。
「僕はこの一〇年……三枝家に復讐するためだけに生きてきた。できれば、君にも、この感情を理解してほしい」
「漆原骸久……」
終いには纏衣すら解除してしまった漆原。彼は今にも泣き出しそうな目で、こちらに手を差し出している。
敵意はない。僕に対する悪意もない。ただその目に宿るのは、三枝家への強い復讐心だけだった。
「わしには、分からぬ……正しいのは……お主らなのか……?」
今の話が、真実なのか、嘘なのか。僕を味方に引き入れようとするための嘘、という可能性もある。
だが、しかし……漆原骸久の目は、決して嘘を吐いている人間の目には見えない。
だとすれば、本当の悪者は誰なのか。元凶である三枝家なのか、それとも、復讐とはいえ多くの人間を傷つけた漆原たちなのか。
分からない。考えれば考えるほど、思考がぐちゃぐちゃと絡まっていく。
しかし、ある意味、それが正解だったのかもしれない。手を取らないまま葛藤する僕を見た漆原は、ふと、優しく、微笑んだ。
「……そんな目で話を聞いてくれるのは、君が初めてだ」
彼はそう言って、今度は隣に立つ一ノ瀬を見つめた。
「……我が主人。いえ、光之助様。彼女と……分かり合えないでしょうか?」
その言葉を聞いて、思考を放棄して我に帰る。一ノ瀬は自身を見つめる漆原を見つめ返し、そして、そっと、肩に手を添えた。
一ノ瀬が一歩前に出て、手を差し出す。漆原と同じで、まるで、敵意を感じなかった。
「篠宮水樹。非礼を詫びよう。そして、戦いを仕掛けた僕がこんなことを言うのも何だが……もう少しだけ君と、話をさせてくれないだろうか」
それは、僕が当初思い描いていた、争わずに済む『対話』という解決方法。僕からすれば、願ってもないことだった。
「うむ……わしも、真実を知りたい」
そうして、一ノ瀬の手を取ろうとした。
——その時だった。
突如、上空に強力な仙力が現れる。点のように浮かぶその何かから、今度は、仙力の塊のようなものが、高速で、こちらに向かって放たれたのだ。
「に……逃げろっ!」
「っ、主人っ!!」
咄嗟に叫び、回避行動をとる。しかし、一ノ瀬は、回避が遅れ、飛来する仙力の塊……いや、巨大な矢が、彼を直撃した。
直後、凄まじい土煙が舞う。口を押さえ、土煙を払いながら一ノ瀬のもとへ向かうと……そこには、胸に大きな風穴を開けた漆原骸久が倒れていた。
直撃の瞬間、回避が遅れることを知っていた漆原は、一ノ瀬の体を押し、逃がして、そして……自らの身に矢を受けたのだ。
矢を射たのは、上空に浮かぶ、鳥の翼が生えた人間だった。白い装束に身を包み、顔は布で隠されて、性別さえも分からない。
そして、その隣にもう一人。同じく白装束に身を包んだ、小柄な人影。
敵は二人。正体は分からない。だが……僕の本能が告げている。奴らは。
「さ……三枝ァッ……!!」
漆原の亡骸を抱えた一ノ瀬が、これまで見たこともないような悪魔の形相で、牙を剥く。突如現れた、三枝家の使いに。
 




