のじゃロリと炎を纏いし男
「水樹ちゃんっ!」
「水樹様っ!!」
灼堂大牙の攻撃が始まると、由花が僕の援護に回ろうとした。しかし、敵がそれを見過ごすはずもない。
駆け付けようとした由花の眼前で、地面が爆ぜる。またしても、莉愛という女の不可視の一撃が発動したのだ。
「お前たちは私と遊ぶの。殺しちゃってもいいって、先生が」
「んなっ……」
莉愛が手をかざすと、次々に地面が粉砕していく。辛うじて直撃を避けているものの、徐々に足場は奪われていく。
頼みの綱は雪さんだが、彼女は今、隆盛を守ることで手一杯だ。こうなるなら、隆盛だけでも学校に残してくるべきだったか。
「余所見とは随分と余裕があるんだなぁ、御狐様とやらよぉっ!」
……かと言って、僕が援護に回る余裕もない。あれだけの火力の炎を腕に纏っているのだ。それを素手で受け止めるわけにもいかず、回避を余儀なくされていたが、そのせいで上手く反撃に出ることが出来ない。
「ちっ……お主、腕がいいな。なぜあの男の下についておる?」
嵐のように繰り出される拳を避けながら、そう問いかける。
「あん? 何だ、世間話で時間でも稼ごうってか」
「いや、なに。漆原骸久は復讐が目的じゃろうが……お主は、復讐なぞに心を支配されるような人間には見えんでのぅ」
僕がそう答えると、奴は目を見開いて笑い、動きを止めた。
その隙に距離を取り、体勢を整える。今までのように、無策で戦える相手ではない。
「はっ……そう見えたんなら悪いが、俺の目的も復讐だ。狙いは骸久の野郎とは違うがな」
「なに? お主の狙いは三枝家ではないのか?」
「違うね。ま、連中のことも嫌いだがよ」
てっきり、三枝家に復讐したい人間ばかりを集めているものと思っていたが……だとすると、もしや、三枝家を狙っているのは漆原骸久だけだということか?
ますます、連中、特に一ノ瀬光之助の狙いが分からない。奴はこれだけの実力者を集めて、一体何をするつもりだ?
「そうか……それで? あの男なら、その復讐を手伝ってやれると?」
「そういうこった。光之助の目的は知らんが、利害が一致してるなら組まない手はないだろ?」
「……奴の目的を知らん、じゃと?」
奴の言葉に、思わず耳を疑った。奴に付き従う連中でさえ、一ノ瀬の目的を知らない。ただ利害が一致しているから協力しているだけだと言う。
(奴め……一体何を考えてる? 御狐様の力を手に入れて何をするつもりだ……?)
ちらりと、一ノ瀬の方へと視線をやると、偶然か否か、ばっちりと目が合ってしまった。
奴の瞳はどこまでも黒く、どんな光でさえも吸い込んでしまいそうな闇を連想させた。何の感情も見えない、『無』だけが広がっているようにも思えた。
「おいおい……俺には興味無しってかぁ!?」
灼堂大牙の一撃で、意識が奴に引き戻される。確かに、集中しなければ勝てる相手にも勝てないだろう。
「どうしたぁ、黒霧をボコったっつう話は嘘だったのかぁっ!?」
「うぅむ……できれば、力は温存しておきたかったが……」
黒霧風雅はともかく、一ノ瀬光之助の力が不明だ。奴と戦うまで力は温存しておきたかったが、この男は、力を温存して戦えるような相手ではない。むしろ、力を使って短期決戦に臨んだ方が、消耗は避けられるだろう。
そうと決まれば、奴の一撃をダメージ覚悟でいなし、奴の姿勢を崩す。次の攻撃が来るよりも前に距離を取って、意識を集中させた。
「おっと……こっからが本気ってわけか」
「うむ。お主の望み通り、全力で戦ってやろう」
警戒して防御の姿勢を取るか、それとも本気を出す前に詰めてくるか。灼堂大牙の行動は前者であった。
「——纏衣解放」
お尻と頭頂部がざわつくような感覚と、新たに生えてきた部位が空気に触れる感覚。だが、その感覚が、いつもとは少し異なっていた。
「……む?」
耳は、いつも通り。なのに、尻尾がおかしい。何がおかしいかと言われれば、明確におかしな点が一つある。
尻尾が、二本生えている。
「…………む?」
予想外の事態に、上手く状況を飲み込むことが出来ない。いつも、纏衣状態で生えていた尻尾は一本だけ。今は、横に並んだような状態で、根本から二又に分かれている。
……いや、いい。どうせ考えても分からないのだし、今は放っておこう。事態の収拾が付いてからゆっくりと考えればいいのだ。
「うむ……まあ、よしとしよう! 『狐火』っ!」
仙力を指に纏い、炎を生成すると、それを灼堂に向けて放つ。奴もまた、炎の仙力の使い手だ。効果があるかは微妙なところだが……やってみなければ分からない。
奴は自らに迫り来る小さな火種を、避けなかった。真っ向から受け止め、火種は奴の胸元に命中する。
——途端に、火種は大きな火炎となり、爆炎となり、そして炎の渦となった。黒霧風雅を飲み込んだものと同等程度の炎の渦が、灼堂の体をすっぽりと包み込む。
効いているのか、いないのか。炎に包まれる灼堂はその場に立ち尽くしたまま動かない。
「……なんだぁ、こんなもんか。もうちっと熱いもんを期待してたんだけどよ……」
炎が轟々と燃え盛る中、奴の呟いた言葉を、確かにこの狐耳が捉えた。そして、そこに続く言葉も。
「纏衣、解放」
確かに、そう聞こえた。
次の瞬間、奴を包んでいた炎が、少しだけ小さくなった。
気のせいだろうか。いや、そうではない。徐々に徐々に、炎がその規模を縮小させている。
「まあ、俺以外なら今ので倒せたんだろうけどなぁ……生憎、相性って奴が悪いんだ」
炎が小さくなったことで、奴の姿が露わになっていく。
まず一目で分かったのは、体が一回り大きくなった。上半身の服は纏衣解放の過程で弾け飛んだのか、獣のような体毛が生えた肉体が覗き見える。
頭には猫のような耳。先端に炎を携えた細い尻尾に……ご自慢の赤い髪は、まるで揺らめく炎のようだった。
何となく、想像が出来た。奴がどんな仙人の魂を内包しているのか。
「……ふむ。さしずめ、炎を纏った獅子といったところか」
炎が小さくなった原因も分かった。奴の肉体が、炎を吸収しているのだ。エネルギー源とするためだろうか。つまるところ……奴に、炎は効かない。
まあ、自身が腕に纏った炎で傷を負っていないことから、薄々予想はしていたが……まさか、狐火で火傷を負わせることも出来ないとは。
「どうじゃ、わしの炎は美味かったか?」
「ああ、まあ、そこそこだな」
舌舐めずりをして、両手で髪をかき上げる灼堂。炎のように揺らめく髪……というよりは、髪自体が炎に代わっているようだ。
「そんじゃ、まあ……やり合おうぜ、チビ狐」
そう言った灼堂は……躊躇うこともなく、距離を詰めてきた。まるで、狩りをする獅子のように、威風堂々と。




