のじゃロリと開戦の狼煙
宙に浮かぶ、四人の男女。漆原骸久の姿は見当たらず、黒霧風雅以外の面々には見覚えがない。だが、こちらに対して敵意を抱いていることだけは痛いくらいによく分かる。
どちらにせよ、先ほど放たれた仙力のせいで騒ぎが起き、人が集まり始めている。このまま学校内で戦うことは出来ない。
「由花、雪殿……場所を変えるぞ」
小声でそう呟くと、二人は頷いた。隆盛は、雪さんに抱き上げられたまま硬直している。
奴らの狙いは僕だ。或いは、三枝家への交渉のカードとして由花も狙いに含まれているかもしれない。
ならば、僕らが移動すれば奴らも追いかけてくるはず。黒霧風雅以外の三人の仙力は不明だが、恐らくあの若い女は物体に衝撃を与えるような仙力使いなのだろう。
学校の人間を人質に取られれば弱点となるが……そこは、天に頼るしかない。
「お主らの狙いはわしじゃろ! ほれ、付いてこいっ!」
一足先に地面を蹴り、跳び上がる。校舎の壁を蹴り、奴らの頭上を飛び越えて後方のアパートの屋上に着地する。
「やれやれ……お転婆なお姫様だ」
先頭にいた長身の男がそうぼやくと、振り返り、宙に浮いたままこちらへ移動してくる。まるで、空を飛んでいるかのように、直立したまま並行移動してくる様は、どこか異様な光景に思えた。
だが、四人全員を引きつけることが出来た。これで学校側に危害が及ぶことはない。最も避けたかった事態だけは回避することが出来たというわけだ。
奴らの横をすり抜けるように、由花と雪さんが合流する。隆盛はいまだ抱き抱えられたままで、ここに置いていくことも考えたが……奴の目を見て、すぐに考えを改める。強い意思の宿る瞳だった。きっと、覚悟は出来ているはずだ。
「水樹様、この先、宵山家の領地内に巨大な廃倉庫があります。どうか私に案内を」
「うむ、任せた」
この状況、贅沢に場所を選んでいる余裕はない。とにかく、それなりの広さがあって人がいない場所ならどこでもいいのだ。
先導して駆け出す雪さんの後を追う。彼女自身は一般人で、尚且つ男一人を抱えているというのに、相変わらず人間離れした速度で走っている。
由花も由花で、その高い身体能力で雪さんの速度に食らい付いていた。彼女が一般人か仙継士なのかは不明だが……影人と戦っていた時の強さを考えると、一般人であっても雪さんに少し劣る程度の身体能力は有している。
(……奴ら、えらくのんびりとしているな)
あの四人は、それほど必死にこちらを追いかけている様子ではなかった。だが、撒けない程度の速度で追いかけ続けてくる。
当然、撒くつもりなどないから、見失われても困るのだが……どうにも、敵意以外の悪意を感じられない。そのせいか、かえって気味が悪かった。
いや、一人だけいる。圧倒的なまでの殺意を抱いている者が。
(黒霧風雅……落ちるところまで落ちたか)
例の一件のことは、狐火で燃やしたことで手打ちにしてやろうと考えていたのに……まさか、また敵対してくるとは。奴を監禁していた黒霧雲源の判断は正しかったということだろう。
「水樹様、あの倉庫です」
そんなこんなと考えながら超速で駆け回ったところで、目的の廃倉庫を視界に捉えた。その辺りにある大きなスーパーと同じような規模の、寂れた倉庫だ。
まず雪さんが着地し、その後に由花が続く。最後に僕が着地すると、奴ら四人はその後を追うように空中で静止した。
「なんじゃ。降りてこんのか、臆病者め」
宙に浮かぶ長髪の男に向け、挑発するような言葉を投げた。その言葉に反応したのは男ではなく、隣に立っていた若い女だった。
「お前っ……先生に向かってなんてことをっ……!」
直後、奴がこちらに手をかざすと同時に、学校で感じたのと似たような力の波動を感じ取った。すぐさま後退して回避すると、つい先ほどまで僕が立っていた地面が、不可視の何かによって粉砕される。
「むっ……やはり、あの攻撃はお主かっ……」
「先生を侮辱する奴は許さない。本当なら殺してやりたいところだけど……」
そこまで言って、女はチラリと男の方への視線を向けた。まるで、奴の様子を窺っているかのように。
「うん。今度はきちんと言い付けを守れて偉いね、莉愛。彼女は大切なお姫様だから、殺しちゃダメだよ」
「勿論です、先生。ちゃんと、当たらない程度に加減しました!」
まるで恋人に甘えるかのように、猫撫で声で媚びる莉愛という女。その態度から察するに、あの男がリーダー格なのだろう。
ということは、つまり。
「そうか……漆原骸久の言っていたあのお方というのは、お主のことか」
「察しがいいね、篠宮水樹」
奴は心底感心したような声でそう言って、わざとらしく拍手をしてみせた。飄々としたその態度に調子が狂う。
「名乗れ。お主……何者じゃ」
微弱な殺気を言葉に乗せ、そう問いかける。黒霧風雅以外の者は怯むこともなく、そして、男は答えた。
「……僕は一ノ瀬光之助。何者かという質問は難しいが……強いて言うなら」
男は、上空から僕のことを指差して。
「君を迎えにきた男だ、玉御月命」
僕を迎えにきた。それは理解出来た。しかし……後半。その後の言葉が、上手く聞き取れなかった。
「玉……なんじゃと?」
「玉御月命、さ。それほどの強さなら、とうに自我まで覚醒しているかと思っていたが……まさか、まだ休眠中かな?」
何から何まで訳が分からない。だがしかし、僕自身のことを言っているのは間違いない。
いや、もしや僕のことではなく……。
「……まさか、『御狐様』のことを言っておるのか?」
玉御月命。それが何なのかは不明だが、奴の口ぶりから察するに、御狐様のことではないのだろうか。
奴は顎に手をやり、何か考える風な様子を見せた後、何を納得したのか、一人で頷いていた。
「御狐様……ああ、そう。そう呼ばれているんだったね。親しみやすくて良い名前だ」
奴が、にこりと笑う。
……玉御月命。それが、御狐様の本当の名前。今までどれだけ調べても分からなかった御狐様の情報が、ここにきてようやく手に入った。敵の手によって。
何故、奴がそんなことを知っているのか。御狐様のことを知っているだけならば、風鳴村出身の人間だとすれば説明が付く。だが、本当の名前まで知っていることが不可解だ。
「お主、一体なにを知っておる……玉御月命とはなんなのじゃっ!?」
僕をこの姿にした張本人。その疑惑がかかっている者。僕らには何の手がかりもないというのに、奴は何かを知っている。御狐様の何かを。
奴が宙に浮かんでいなければ、即座に殴りかかっていたかもしれない。それくらい、僕の心の中は荒れていた。
問いただすと、奴はまたも何か考え込むような仕草を取った。そして少しした後に出した結論は、こんなものであった。
「まあ……別に、君がそれを知る必要はない。僕は君が欲しいわけじゃないからね」
「なにっ……?」
そんな奴の言葉と共に、浮かんでいた四人のうちの一人がゆっくりと降下する。赤髪の男だ。
奴は降下するなり準備運動のように右肩を回し……不敵な笑みを浮かべると、突然、拳を振り抜いた。
奴との間にはまだ距離がある。当然、拳が届くほどの距離ではない。だというのに、咄嗟に、回避行動を取ってしまった。
横に転がって拳の射線上から逃れる。すると……轟音をあげながら、奴の拳から一筋の光が放たれた。
光。いや、炎だ。まるでレーザー光線のような炎の柱が、僕たちの背後にあった倉庫の壁を突き破っていた。
ぷすぷすと煙がのぼり、金属の焦げた匂いがする。壁には、拳大ほどの大きさの穴が開いていた。威力も火力も、かなりのものだ。
「はん。器はいらねえってこった。そうだろう、光之助」
「うん、その通り」
一ノ瀬が満足げに答えると、赤髪の男は準備は出来たと言わんばかりに歩いて距離を詰めてくる。
「よう、俺は灼堂大牙。今からお前を半殺しにする男の名前だ、よぉく覚えとけ」
名乗りをあげると、奴——灼堂大牙は拳に炎を纏って襲い掛かってきた。




