のじゃロリ、逃走の報を知る
「なに……? 天音よ、今なんと言った?」
日曜日の朝。隆盛も起床し、雪さんが朝食を用意してくれているのを待っている最中、宵山家本邸で警戒態勢をとっている天音から電話がかかってきた。
第一声は、簡単な挨拶から。襲撃はなかったか、だの、三人とも無事か、だの、そんな話だ。
だがしかし、こちらとあちらの全員が無事であることを確認するや否や、 天音は何やら奇妙なことを口にしたのだ。
『……先程、黒霧家の当主から連絡があってな。監禁中の黒霧風雅が、忽然と姿を消したそうだ』
「なにっ……奴がか?」
『ああ』
黒霧風雅は例の一件以降、黒霧邸で監禁状態にあると聞かされていた。奴が心を入れ替えるまで外に出すつもりはない、と、それからも何度か連絡は受けていたものの、結局今の今まで解放されることはなかった。
そんな黒霧風雅が、失踪したという。二四時間見張りを付け、監視していたのにも関わらず、だ。
それも……このタイミング。漆原骸久の仙力であれば、影を伝って忍び込むことも容易だろう。とても、無関係だとは思えない。
『黒霧の当主も、奴が私たちを恨んでいることは知っているからな。念の為、こちらに一報を寄越してきた。失踪に気付いたのは早朝のことだそうだ』
詳しい状況の報告を終えると、彼女は言った。黒霧風雅の目的は分からないが……奴が、宵山家や篠宮の人間を恨んでいることは確かだ。
「……わかった。二人にも伝えておこう。また昼頃にそちらにゆくが、よいな?」
『ああ。くれぐれも気を付けてな』
そう言って、天音との電話を終える。
椅子に背を預け、脱力して天井を眺めていると、向かいにいた隆盛が訝しむような表情で質問を投げかけてきた。
「……物騒な雰囲気だけど、何かあったのか?」
「奴が……黒霧風雅が、姿を消したそうじゃ」
そう告げると、隆盛は驚きで目を見開いた。
キッチンから聞こえてくる、規則的なフライパンの音が途絶えることはない。恐らく、会話の内容は雪さんの耳にも届いているだろうが、動揺する素振りは見せなかった。
「姿を消した? どういうことだ?」
「奴は黒霧雲源の意向で、暫くの間監禁されていたはずなのじゃが……今朝、交代した見張り番が、色々と異常に気付いたそうでの」
その見張り曰く、交代のために黒霧風雅のいた部屋を訪れると見張りがおらず、不審に思って中を覗き込むと、既に黒霧風雅の姿は無かったのだとか。
状況を素直に受け止めれば、当時担当していたはずの見張りが黒霧風雅を逃したのだと考えられるが……どうにも、それだけだとは思えない。
というのも、当時の見張りのタイムシフトに異常があったためだ。異常に気が付いた見張りと、彼と交代するはずだった『失踪』した見張り……そのうち、後者の見張りは存在するはずのない者だったのだ。
仮に、失踪した見張りの『前の時間』を担当していた見張りをAとして、失踪した見張りをB、異常に気が付いた見張りをCとしよう。
本来、このAは『Cと』見張りの番を交代するはずであった。深夜から夜が明けるまで、見張りの交代の予定はなかったはずだった。
だがそこに、『当主から指示を受けた』というBが現れた。Aはそれを不審に思いつつも、時間も遅かったために、当主へ再度の確認をせずそのまま就寝してしまった。
そして……Bが見張りを担当しているときに、黒霧風雅は消えた。
「それ、どう考えても……奴らの仕業じゃないのか?」
隆盛の意見は、概ね僕と同じものであった。僕らを襲撃した漆原骸久と、同時期に姿を消した黒霧風雅。恐らく、因果関係の証明はそう難しいことでもない。
「うむ、わしもそう思う。証拠はないが、時期的に考えてもほぼ間違いないじゃろう」
「となると、目的は……」
奴らが、わざわざ黒霧風雅を逃した理由。色々と考えられる目的はあったが、可能性として高いのは——、
「戦力の増強。天音様や水樹様に最初から敵意を持つ者を迎え入れているのでしょう」
料理を終えたのか、両手に皿を持った雪さんが、そう言いながらやってきた。
『ことん』と皿をテーブルに置くと、彼女は踵を返し、また別の皿を持ってやってくる。
「注目すべきは、連れ去られたのが『黒霧風雅』だという事実です。単に戦闘能力だけを見るならば、彼よりも当主である黒霧雲源の方が優れていますから」
「うむ。それも、これだけ数多くの仙継士がいる中で、敢えて奴を選んだのじゃ。わしらに憎悪の念を抱いてある者を集めていると考えた方がよいかもしれん」
そう。戦力の増強だけが目的であるならば、敢えて黒霧風雅を選ぶメリットは少ない。確かに奴は優秀な仙継士ではあるが、仙継士全体として見れば精々中の下から中の上といったところだ。
奴らが欲しかったのは、戦力……というよりは、自由に動かせる『駒』だろう。そこに黒霧風雅を選んだということは、奴自身に選ばれる理由があったということ。
それ即ち、僕や天音に対する憎悪。御しやすく、故に駒としての利用価値が高い。
「となると……やはり、狙いはわしか」
「はい、恐らくは」
漆原骸久はあの時僕たちを襲ってきた。そして、駒として選ばれたのは黒霧風雅だった。
そこから導き出される結論は一つ。奴らの上に立つ何者かの狙いは、僕だ。
いいや……僕の中に眠る、『御狐様』だ。
「おいおい……えらく物騒な流れになってきたな……奴ら、御狐様の力を奪い取るつもりか?」
「知らん。じゃが、他に理由もないじゃろ。わし自身には襲う価値なぞありもせんからのぅ」
ため息が出る。
ため息しか出ない。この姿になってから、こうも立て続けに面倒ごとが起こると。
雪さんは落ち着いた様子で配膳をしていたが、隆盛はおおよそ僕と同じような反応をしていた。大きなため息をこぼし、首を振り、またため息をこぼす。黒霧との戦では重傷を負い、今回は人質になるまいと常に気を張っていなければならない。ある意味、奴は一番の被害者とも言える。
「まぁ……なるようになるじゃろう。対策の練りようもないしの」
「楽観的だな。お前の言う通りかもしれんが……」
こちらは向こうの戦力も潜伏先も知らないのだ。こちらから手を出そうにも、手段がない。であれば、今はただ流れに身を任せるしかない。
フォークとナイフを手に取り、小洒落たカフェのメニューに並んでいそうなふわふわのフレンチトーストに刃を通す。くどすぎず、朝の怠けた脳を叩き起こすには丁度良い甘さ。雪さんは天音の補佐役を務めているからか、料理の腕もかなりのものだ。
彼女もまた、配膳を終えて席に着くと、目の前にあるフレンチトーストを切り分けて口に運び、感情を露わにせず言った。
「直に三枝家も動くでしょう。案外、簡単にかたがつくかもしれませんよ」
「だといいのじゃがなぁ」
三枝家が動いてくれる、というのは希望的な観測だ。三島さんも『直に動く』といった旨の話をしていたが、ああいった連中は大抵、全てが片付いてから顔を出してくる。彼女がどう働きかけてくれるかにもよるが……正直、あまり期待しない方がいいかもしれない。
何にせよ……『御狐様』が狙いだとするのなら、警戒は怠れない。昼頃に宵山家へ向かい、今回の情報も踏まえて新たな対応を考えるとしよう。




