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のじゃロリ、意図せず盗み聞き

 雪さんが振る舞ってくれた手料理を食べ終え、時刻は午後七時頃。空き部屋は複数あっても浴室は一つしかないため、事前に決めた順番で風呂に入ることになった。


 順番は気にしないと言った僕と、二人の判断に任せると言った雪さん。そして、女性陣の指示を仰ぐと言う隆盛。

 つまるところ、順番を決めるだけでも難航したのだが……結局、一番風呂は雪さん、二番手に隆盛で最後が僕だという順番に落ち着いた。


 軽くシャワーを浴び、ほんの少し湯船で体を温めただけなのか、雪さんの入浴時間は僕たちの中で最も短かった。洗面所から出てきた彼女は、非常時にも動きやすいよう、飾り気のない黒いジャージに身を包んでいた。

 宵山の屋敷にいる間は忍者のような格好かスーツ姿しかお目にかかれないため、ジャージ姿の雪さんは珍しい。少なくとも、僕は初めて目にした。


 黒のジャージを選んだのは、物陰に隠れ易いからだろうか。本来は入っているはずのメーカーの模様なども無く、無地で真っ黒なジャージだった。



 三人の中で言えば、入浴時間が最も長いのは隆盛だろう。奴はあの性格で、意外と風呂好きだ。一日の疲れを取るため、じっくりと湯船に浸かるタイプの人間である。

 奴の寝巻き姿も、もう見慣れた。いつの間にかこの家に鎮座していた寝巻きである。シンプルな青い寝巻きで、いざという時はそのまま逃げられそうなくらいには動き易そうな服だ。



 そして、最後は僕だった。鏡から若干視線を逸らしながら洗い場に立ち、シャワーを捻る。


 いまだに……この姿での入浴や排泄には慣れない。やはり性別そのものが変わっていることもあってか、『見てはいけないもの』を見てしまっているような、禁忌に触れている(・・・・・・・・)ような感覚に陥ってしまうのだ。

 何せ、見た目だけでいえば小学生だといっても通じるほど幼い姿をしているのだ。駄目だろう、倫理観的に。



「まあ、かと言って風呂に入らぬわけにもいかんしのぅ……」



 ぼそりと呟いた独り言が、浴室の中で反響した。


 人間は排泄行為無くして生きてはいけないし、日本人は風呂無くして生きてはいけない。恥ずかしいからと避けて通れる道ではないのだ。


 頭を洗い、躊躇いながらも身体を洗い、泡を全てシャワーで落としてから、ふと、鏡の中の自分と目が合った。




……やはり、瞳が赤い。




 黒霧家に勝利したあとの祝宴で隆盛に言われた通り、僕の瞳は、黒霧家との戦以降赤く染まったままで、元の黒に戻ることはなかった。今のところ、何か悪影響があるというわけでもないが、何だか少し不気味に感じてしまう。



「ふむ……気にしてもどうにもならんか」



 例の夢の件もある。力を使い、あの夢の主が何者かを知るまでは、どうすることも出来ないだろう。


 瞳の件は思考の外へ追いやり、シャワーを止めて湯船に浸かった。良い湯加減だ。今日はのんびりと浸かっていよう。





 いつもより長くゆったりとした入浴を終え、リビングへ向かおうとすると、何やら『ああだこうだ』と話し合う声が聞こえた。声の主は隆盛と雪さんだろうが、会話の内容は上手く聞き取れない。

 どうやら、ヒートアップして盛り上がっているようだ。リビングの扉に、耳が触れるくらいに頭を近付けると、二人の話がよく聞こえた。



「……お願いします、雪さん」



 まず初めに聞こえてきたのは、隆盛が何かを頼み込むような言葉だった。丁寧な言葉遣いをしているところから、ふざけた内容の話ではないことが分かる。


 盗み聞きのような形にはなってしまうが……出ていくタイミングを逃してしまった。きっと、真面目な話をするつもりなのだろう。その空気感を壊してしまうのが躊躇われた。


 そして、少し遅れて雪さんの返答が聞こえる。



「柳田様……私は以前にもお断りしたはずです。あなたに訓練を付けるつもりはないと」


(……!?)



 驚きのあまり物音を立ててしまいそうになったのを、気合と根性で乗り越えた。どうやら、気付かれてはいないようだ。



(隆盛が……訓練だって?)



 意外というよりも、やはり驚きの方が強かった。隆盛が雪さんの訓練を受けようとしていることにも驚きだが、何より、『以前にも断った』という言葉の示すとおり、頼み込んだのはこれが初めてのことではないということに驚いた。


 いつの間に、とは思う。僕と一緒にいる時はそんな素振りを見せず、僕と雪さんとの訓練を見学しにくることはあっても、あくまで離れたところで眺めて差し入れをするだけだった。訓練に参加したいだなんて言葉は、聞いたことがない。


 そも……雪さんがどれだけ手加減をしたところで、彼女の訓練に隆盛が付いていけるかが心配である。運動神経が良いとは言え、それはあくまで『一般的な男子高校生』の枠組み内での話であって、雪さんのような化け物じみた身体能力を有した人とは比べられない。


 きっぱりと断られた。だがしかし、隆盛は引き下がらなかった。



「分かってます。俺は戦闘経験もないただの一般人だし、訓練したところで強くなれる保証はない。それに、前に言ってたじゃないですか。俺は巻き込まれただけの一般人だから、深入りしない方がいいって」


「申し上げました」



 驚きは増すばかりだ。二人はそれほど親しいわけでもなく、雪さんはあくまで『篠宮水樹の友人である柳田隆盛』として奴に接していた。

 恐らく、雪さんが隆盛のことを『柳田様』と呼ぶのは、一線を引くためでもあったのだろう。彼女の言う通り、隆盛は黒霧の一件で仙継士たちに関わってしまったものの、巻き込まれた(・・・・・・)人間だ。だからこそ、一般人として相手していたのかもしれない。


 しかし……少しばかり、事情が変わってしまった。




「……今の俺は、篠宮家の家臣で、水樹の補佐役です。あなたみたいに、戦う術を持っていなければ困るんです」




 そうだ。隆盛は今や『篠宮家の家臣』かつ『当主の補佐役』でもある。力を持たない人間であることに変わりはないが、少なくとも、『無関係』ではなくなってしまった。


 それは彼女も理解しているはずだ。それでも尚躊躇っているのは、隆盛が何の訓練も受けたことがない元一般人だから。



「水樹様は……特別です。本来、あれほどの戦闘能力を身に付けるためには、数年……才無きものなら、数十年は厳しい訓練を続けなくてはなりません」


「それでも」



 隆盛は、彼女の言葉に食らいついた。




「せめて、自分の身は自分で守れるくらいには強くなりたいんです。確かに、ここにいるきっかけは巻き込まれたことですけど……」



 奴はそう言って、少し口を噤む。





「……あいつ、今困ってるんですよ。突然こんなことになって、姿も変わっちまって」




 次に話し始めたのは、自分のことではない。他でもない、僕についてだった。



「人間関係も全部リセットして、他の奴なら耐えられないくらいなんですよ。あいつは能天気で楽観的な奴なんで、あまり表には出さないですけど。雪さんなら考えられますか、そんな状況」



 雪さんは隆盛の言葉に耳を傾けてはいるのだろうが、何も答えない。部屋はしんと静まり返っていた。




 


「俺……助けたいんです。巻き込まれたことであいつの事情に関われたんだから、支えたいんですよ、あいつを」


「柳田様……」


「でも、今の俺じゃ助けるどころか、あいつの弱点になっちまってる。強くならないと、あいつに助けられちまう(・・・・・・・)んです。それじゃ本末転倒だ」



 そんな言葉が聞こえたすぐ後に、激しく布の擦れるような音がする。

 姿は見えないが、感じることは出来る。隆盛は今、頭を下げている(・・・・・・・)。強くなり、僕を支えたいというその願いから。


 胸の奥が、『じん』と熱くなった気がした。隆盛はどこか真面目で、どこかおちゃらけていて。困った時には助けてくれる大切な親友だ。

 だが、まさかここまで……ここまで、僕のことを考えてくれているとは思わなかった。



「お願いします、雪さん。高望みはしません。せめて……俺があいつの、足手まといにならない程度でいいんです。俺を鍛えてくれませんか」



 隆盛の懇願。暫しの空白の後に、雪さんは答えを出した。




「……良き友人関係ですね。水樹様が羨ましいほどです」


「……当主と家臣の関係以前に、親友ですから」



 彼女の言葉に、隆盛は軽く笑ってみせた。奴の柔らかい微笑みが、脳裏に浮かぶようだ。


 どうやら、答えは出たようだ。




「私に時間的な余裕がある時であれば、訓練を付けてさしあげます。その代わり、知っておられるとは思いますが……私の訓練は、超、厳しいです」


「はい、水樹がいつも死にかけてるんで」



 『ははは』『ふふふ』と笑い合い、軽い冗談を飛ばしあう二人。否、少なくとも雪さんの言葉は冗談ではなく紛れもない事実だが。



「では……これからよろしくお願い致します、隆盛様(・・・)


「はいっ。よろしくお願いします、雪さん!」



 話にひと段落が付いたようで、ようやく、出ていくタイミングが見つかった。この機会を逃すまいと、数秒の間を置いてから、リビングの扉を開く。



「ふぅ、良い湯じゃった……」



 頭にタオルを巻き、あたかもたった今風呂から上がったかのような風体で、それとなく演技をする。



「お、あがったか。今日は長風呂だったな」


「うむ、疲れが溜まっておってな……雪殿となにか話しておったのか?」


「まあ、世間話をな」



 隆盛は演技に気付いていない様子だ。奴のことだ、あの会話を聞かれていたと知れば、恥ずかしさのあまりこの場から逃げ出してしまうかもしれない。


 そして、ふと、雪さんと目が合う。彼女はにこりと優しく微笑むと、隆盛の背後で、口元に指を当てた。



……この仕草、もしや、僕が盗み聞きしていることに初めから気付いていたのだろうか。



 真偽の程は分からない。だが、今はそんなことはどうだってよかった。襲撃の心配さえなければ、良い気分で眠れそうだ。

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