のじゃロリ、勉強に苦しむ
「きりーつ」
「れーい」
『さよーならー』
やる気のない号令に、元気に満ち溢れた挨拶。現代を生きる高校生たちにとっては、授業が終わったこの時間からが一日の始まりと言っても過言ではない。
しかし、残念ながら……そう呑気なことを言っていられる状況ではないのだ。特に、この少年——いや、幼女、『篠宮水樹』にとっては。
「りゅうせぇぇぇぇ〜!!!」
「おいこら何だ、くっつくな。変な目で見られるだろうが」
放課後になるとすぐに、隆盛の足にしがみつく。奴はそれをうざったそうに、足をばたつかせて振り解こうとするが、離れてはやらない。
これは何も、隆盛に嫌がらせをしているわけではない。この小さな頭でさえ上がらないほど切実な『頼み』があるのだ。奴に。
それは……。
「頼むぅぅぅっ! 勉強を教えてほしいのじゃぁぁぁっっ!!」
「だぁぁあっ! うるっせぇっ!!」
……そう。今は一一月下旬。もうすぐ、『期末テスト』が始まるのだ。
「そもそも……二年になってからは勉強なんて教えてないだろ。お前、地頭はいいんだから」
「むう……いや、わしも努力はしておるのじゃが……」
放課後、そのままの足で我が家へと集合すると、僕たちは机の上に教材とお菓子とを広げ始めた。
今日は金曜日。つまり、放課後の貴重な時間を勉強に費やしても明日と明後日は休み。勉強会をするにはもってこいの日だということだ。
隆盛はノートを開くよりも先にお菓子に手を付け、グラスにジュースを注ぎ始めた。
「……まあ、何となく想像は付くけどな。先月は忙しくて、まともに勉強する余裕もなかったんだろ?」
「うむぅ……言い訳をするなら、そういうことなのじゃ……」
隆盛はこちらのグラスにもジュースを注ぐと、自身のグラスの中身を一気に飲み干した。
そう……僕が仙継士になってから、もう一ヶ月以上が経過した。いや、『まだ一ヶ月』しか経っていないと言うべきか。あまりにも濃密な時間で、これまで過ごしてきたどの時間よりも長く感じられたことは確かだ。
問題は、この一ヶ月強の期間……仙継士に関する様々な出来事が起こり過ぎて、真面目に勉強をしている余裕が確保出来なかったことにある。
こう言えば天音や雪さん、宵山家の人間が悪く聞こえるかもしれないが、決してそうではない。要因は僕の要領の悪さにあるのだが、どうにも、勉強に気力や体力を割いている余裕がなかったのだ。
その最たる原因は、黒霧家との戦だ。あの時受けていた訓練は思い出したくもないほど激しく、学校にいる時間を睡眠か休息に充てることが増えてしまっていた。そのために、授業に遅れが生じてしまったのだ。
結果……その遅れを取り返せず、ずるずると引きずったまま、期末テストを一週間後に控える今日を迎えてしまった。
普段ならいつも行っている勉強のルーティーンで赤点を取ることもないが、今はそうもいかない。授業は難しくなる一方で、勉強に割ける時間が少なくなってしまったのだから、必然的にテストの点数も下がってしまう。
そこで登場するのが、隆盛というわけだ。奴は努力型の秀才で、人に教える能力にも長けている。高校一年生の頃は助けられてばかりだった。その能力を、今ここで、発揮させるべきなのだ。何としてでも。
「ったく……篠宮家当主様がそんなんでどうすんだよ」
「そ、そう言うお主は篠宮家の『当主補佐役』ではないかっ! こういう時こそ、当主を助けるべきではないのかっっ!?」
「都合の良い時だけ当主ヅラするなって言ってんだ、馬鹿たれっ!」
「あいだぁっっ!?」
隆盛の拳骨が頭頂部にクリーンヒットする。仙継士は確かに一般人より高い身体能力や耐久性を有してはいるが、纏衣を解放していない通常時では、精々一般人に毛が生えた程度なのである。それは奴も分かっているはずなのに、こうして何度も拳骨を落としてくる。
ところで……そう。黒霧家との戦で、僕……というよりは、『篠宮水樹』として手に入れたものがいくつかある。
一つは、領地。黒霧家が有していた領地のいくつかを宵山が奪った、正確に言えば『奪い返した』こともあって、協力した僕にも領地が分け与えられた。
と言っても、黒霧家から奪い返した領地を、そのまま頂戴したわけではない。その領地の所有権を放棄する代わりに、現在の居住地であるこの一帯の領地所有権を得たのだ。
天音曰く、『正式な家門として認められているのに、領地の一つも持っていないのは都合が悪い』とのことだ。故に、元々宵山家が所有していた一部の領地を分割し、頂くこととなった。
そして、それに伴い、『柳田隆盛』は正式に篠宮家の家臣となった。
本来、隆盛は黒霧風雅との一件に巻き込まれなければ仙継士の事情を知ることはなかった。黒霧風雅が引き起こしたこととはいえ、仙継士としてその責任は取らなければならない。
その一環として、隆盛を『いずれかの家門の監視下に置かなければならない』状況となった。理由は、概ね僕の時と同じだ。
所属する家門は、宵山家か篠宮家。隆盛の希望で、今は篠宮家の当主補佐役となったわけだ。
ひりひりと痛む頭頂部を摩りながら口を尖らせ、『ぶーぶー』と文句を垂れる。隆盛は再び拳を作り、もう一度振り下ろそうとしたが……諦めが付いたのか、その拳をゆっくりと下ろす。
「はぁ……やっぱ、宵山さんとこで世話になるべきだったかねぇ……」
深いため息をこぼし、呆れたように言う隆盛。本気で言っているようには聞こえない。どちらかと言えば、自虐的な言葉に思えた。
「そう寂しいことを言うな。お主がいなければ、わしはひとりぼっちになってしまうのじゃ」
「家門としてどうなんだよ、それ」
「家門と言っても、名前だけのものじゃし」
「せめて誇りくらいは持ってくれよ……」
『そんなものはない』と言い返す代わりに、数学の教科書を叩き付ける。内容は、雪さんとの訓練が始まった時に習った辺り……つまり、一ヶ月以上前の内容だ。
「ところで、ここから先が全くもって理解出来んのじゃが」
「最初っからじゃねぇか……まあいい。当主様に赤点取られちゃ、家臣としても複雑な気分だしな……」
「さすが、補佐役殿は頼りになるのぅ。そうこなくては」
それから、日が変わる直前まで勉強会は続き……隆盛はそのまま、この家に泊まることになった。奴の寝巻きも、いつの間にやらこの家に常備されるようになった。そればかりか、段々と私物が増えていく始末。
……まあ、不満も文句も、何もないから問題はないのだが。
 




