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雪の苦難・前編

「にゃぁん」



 小さな黒猫が、小さな彼女の細い腕の中で丸まっていた。警戒もせずに毛繕いをしながら、黒猫は寛いでいるようだった。


 ここは宵山家本邸の、水樹様がいつも使っている客室だ。水樹様は砕けた笑顔で黒猫をあやしており、その光景は非常に『絵』になっていた。


……いや、そうではない。




「水樹様……その子は?」


「む、(せつ)殿か……天音から何も聞いておらんか?」


「何も聞いていませんが……」



 恐る恐る疑問を口にすると、彼女は『はて』と首を傾げ、黒猫の頭を撫でながら答えた。



「わしの友人が里親を探しておってな。天音に聞けば、屋敷で飼うと言ってくれたのじゃ」


「天音様、また勝手にそんなことを……!?」



 次期当主の補佐役である私も、そのような話は少しも聞かされていなかった。しかもどうやら、里親になることは決定事項のようだ。


 黒猫がぴょんと水樹様の腕の中から飛び出し、『とてとて』と小さな足音を立てながら私の足もとへとやってくる。

 随分と人懐っこい子だ。そんな風に思いながら屈み、触れようと手を伸ばす。



……と。



「シャッッー!!!」


「何故……?」



 途端に黒猫は牙を剥き、鋭い眼光でこちらを睨みつけてきた。尻尾はピンと伸びた針金のように立ち上がっており、猫特有の威嚇ポーズが私に向けられていた。


 何故なのか。水樹様にはあれほど懐いて、寛いでいたのに、何故私が触れようとすると威嚇するのか。



 そんな時だった。執務を終えたのであろう天音様が、客室にやって来られたのは。



「楽しそうにしているな」


「む、もう仕事はいいのか、天音」


「ああ。急ぎの仕事は終わらせてきたからな。新しい家族に会いにきたんだ」



 天音様はそう言って黒猫に近寄ると、ゆっくりと手を差し出した。


 途端に、私を威嚇していた黒猫は嘘のように警戒を解き、その手に頭を擦り付け始めた。ごろごろと喉を鳴らし、まるで昔から飼われていたかのように目を細めた。



「よーしよしよしよし……良い子だ……」


「何故……?」



 『訳が分からない』


 こんな感情を抱いたのは久方振りだろう。理由も、原因も、何も分からない。ただ、私は何故かこの黒猫に毛嫌いされている。その事実だけが、針のように胸に突き刺さった。



「で、名前はあるのか?」



 黒猫の頭を撫でながら、天音様がそう問いかけるそれに対して、水樹様は首を横に振った。



「いや、里親の方で決めてほしいと言っておった。お主らで決めるとよいのじゃ」


「そうか……」



 そして、撫で続けながらも黒猫を眺め、暫く考え込んだ天音様が真剣な面持ちで呟いた。




「『ゴンザレス西野』とかどうだ?」




 その言葉に、客室が『しん』と静まり返った。水樹様も何を言い返せばいいのか分からず、目をパチクリと動かしたまま立ち尽くしていたのだ。


 対する天音様は、『どうだ、どうだ』と言わんばかりに、こちらの反応を窺っていた。



……そうだ。そういえば、そうだった。天音様には……『ネーミングセンス』というものが欠如していたのだ。



 飼い猫にどのような名前を与えるか。それはあくまでも飼い主の自由だ。天音様の考えた名前が、何か人道的に問題となるわけでもない。二度目にはなるが、名付けなどというものはあくまでも『人間のエゴ』でしかない。



 だが……宵山家に仕える者として、このような愛らしい黒猫に『ゴンザレス西野』などという名を付けられることだけは避けたい。それだけは、許してはいけない。



「その子猫、雌なのじゃが……」


「可愛いだろう、ゴンザレス西野」


「どこが……?」



 水樹様も精一杯のフォローをする。が、力及ばず、天音様の圧に押し負けてしまった。

 そんな水樹様が、ちらちらとこちらの様子を窺ってくる。『どうするのじゃこれは』とでも言いたげな困り果てた表情で。



 丁度、そんな時だった。水樹様の持つスマートフォンが、着信を知らせる。

 電話の相手は、恐らく柳田様だろう。少しの間電話越しに会話をすると、水樹様は突然立ち上がった。



「すまぬが、わしはもう行く。このあと少し用があってな。よろしく頼むぞ、天音」


「ああ。不自由ない生活を送らせてやる」



 自信満々に答える天音様。申し訳なさそうにこちらに頭を下げながら退室する水樹様を見送り、客室には私たちだけが取り残された。



「……可愛いよな?」



……そして、天音様の圧が、私へと向けられる。


 何と答えるべきなのか、分からない。まさか自らの主人に直接的な意見を言えるはずがなく、かと言って同意してしまえば猫の名が決定してしまう。


 冷や汗が一筋、頬をたらりと流れ落ちた。黒霧家との戦で、六人の兵を相手に戦った時も、これほどの緊張感はなかった。



「……天音様。恐れながら、あまり長い名前では他の者どもが親しみづらいかと」


「そうか? まあ、確かに一理あるな」



 顎に手をやり、考え込むような仕草をとる天音様。そして、名案でも思い付いたかのように声をあげた。



「なら……お前が名付け親になれ、雪」


「私がですか?」


「ああ」



 そんな突然の無茶振りに、けれども最悪の結末を回避出来たことに対する安堵を感じた。


 黒猫の名。何か、この子を連想させるような名を付けてあげたい。





「……『ヨル』」




 そして、ふと、思い付いた名を呟いていた。

 夜の闇のように深い黒。我ながら安直な名だとは思うが、天音様の言う『ゴンザレス西野』より幾分かはマシな名だろう。




「ヨル、か……確かに、それも可愛いな」



 そう言いながら天音様は黒猫の頭を撫で、言い聞かせるように呟いた。



「じゃあ、お前は今からヨルだ」


「にゃぉぉん」



 黒猫改め、ヨルは嬉しそうに頭を擦り付けると、ごろごろと喉を鳴らして腹を見せた。

 暫くそのままヨルと戯れていた天音様は、やがて立ち上がると大きく伸びをした。



「さて……私は今から、ヨルのために執務室の大改造を行う。雪、ヨルの面倒を見ていてくれるか?」


「わ、私が……ですか?」



 思わず、声が震えてしまった。ヨルの面倒を見ること自体に抵抗はないが……何故か、彼女は私には懐いてくれない。



「忙しいか?」


「いえ……ただ、どうにも私は好かれていないようで……」


「一緒にいなければ前進しないだろう? 大丈夫、人懐っこい子だ」



 それだけ言って、天音様は『任せたぞ』と部屋を後にした。

 取り残された私は、ひとまず、ヨルの頭を撫でようと姿勢を低くし、手を近付ける。




「シャッーーー!!」


「何故……」



 目にも留まらぬ速さで起き上がり、威嚇の姿勢を取ったヨルは、一目で分かるほど私を毛嫌いしているようだった。


 何故だろう。水樹様や天音様は、纏衣を解放すれば動物の特徴が顕現するため、同族のような匂いを感じ取っているのだろうか。




 天音様……何故、里親になる前に報告の一つもされなかったのですか……。

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