のじゃロリとその目的
世界が、段々と元の速度に戻っていく。『まるで赤子のようだ』などと大見栄を切ったものの、今の挟撃にはひやりとさせられた。
もし、雪さんとのこれまでの鍛練がなければ……恐らく、今の一撃で伸びていただろう。風を捌けても短刀を受け、短刀を躱しても風を受けている。
あるいは、天音の助言がなく、不意打ちの可能性を考慮していなければ、もう少し反応が遅れていたかもしれない。
とにもかくにも、これで四人いる仙継士のうち、二人が倒れた。初めに倒した男は、今頃宵山家の人間が身動きが取れないように縛り付けているはずだ。間違いなく、再起不能なはずである。
そして、残るは二人。黒霧風雅と、黒霧家の現当主——黒霧雲源だけだ。
ただ、これだけの惨状が起こっていながらも、黒霧雲源はいまだ姿を見せない。聖石の防衛にあたっているのか、もしくは。
「さて……貴様を守る仙継士は倒れた。もう一人……当主はどうした?」
そう問いかけながら一歩足を踏み出すと、黒霧風雅は焦ったように腰を抜かし、その場に尻餅をついてしまった。
何ともまあ、無様な姿だ。あの日、僕たちの前に現れ、過剰なまでの自信を見せつけていた男と同じ人物だとは思えない。
それに、纏衣を解放してからの奴は、口調も荒々しいものに変化していた。好戦的な性格に変貌しているのだろう。その欠片も見えないが。
奴のそんな姿を見て、僕と天音は目を見合わせた。当主が現れない理由、その可能性として考えられるものは二つ。
一つ、大聖石の防衛にあたっているためこの場にはいない。
そして、二つ……。
「……さては、見捨てられたか?」
「ち、違うッ……父上、父上ッ!?」
まるで親鳥を求めて鳴き散らかす雛鳥のように、黒霧風雅は四つん這いになりながら叫んだ。
だが、息子の悲痛な叫びを聞いても尚、黒霧雲源は現れない。通信機で応援を要請しないところを見るに、先ほどまでここに当主がいたことは確実だ。
ならば、やはり……見捨てられたか。黒霧家内部の事情は分からないし、知ったところでどうするつもりもない。当主が現れないのなら、このまま事を進めるだけだ。
『ちらり』と隣に立つ天音に目をやると、その視線に気付いた彼女は、困ったように笑ってみせた。
「当主については私が警戒しておく。お前は……お前のやりたいようにやれ」
「感謝する」
彼女の言葉に笑顔を返し、こちらに尻を向けて逃走しようとする黒霧風雅との距離を詰めた。
奴はすぐさまそれを察知すると、再び尻餅をつき、情けない格好で後退りし始めた。
「のぅ、黒霧風雅よ」
「く、来るなッ、僕に近寄るなッッ!」
あの無数の風を撃ち出す仙力が奴の『とっておき』だったのか、それを簡単に無力化された奴は完全に戦意を喪失していた。
後退りながら、奴はあの一撃には遠く及ばない乱雑な仙力で、何度も風を撃ち出してくる。少し力を込めて叩けば、簡単に消え去るようなものばかりだ。
想定していたより……もっとずっと早く、奴の心が折れた。僕の助力が、果たして本当に必要だったのかと思うほどだ。これが全て僕たちを油断させる罠だと言われた方が、まだ説得力がある。
「わしの目的はこの戦に勝つことではない。いや、勿論、戦に勝つことは大前提ではあるが……」
勝利は大前提。その上で、僕には違う目的があった。
開戦が通達されてから、何度も天音と話し合ってきたこと。転移する直前にも、言い聞かせるように話し合った。
『……やるべきことは、ただ一つだ』
『うむ。わしの友を傷付けたあの男を、この手で叩き潰す』
——僕の目的は、あの日、隆盛を傷付けられた日から何一つ変わってはいない。黒霧風雅、この男を、完膚なきまでに叩きのめす。そのために、この戦場に立っている。
「貴様を、わしの手で叩き潰す。よもや、逃げられるなどとは思っておらんな?」
そう告げた途端、奴の顔が分かりやすく青ざめた。逃げることが出来ないという現実が、無慈悲にも突き刺さってきたからだろう。
指の関節を分かりやすく鳴らし、じりじりと距離を詰めていく。奴は顔を青くしたまま、取り乱してしまっているようだ。
「くそッ、来るなと言っているだろうがッッ!!」
「往生際が悪い」
勿体ぶるように攻めるのも性に合わない。奴の攻撃を弾いたのち、即座に残りの距離を縮めると、その顔面に回し蹴りを決める。
「ごはッ……!?」
一人目の仙継士と同じように、大きく吹き飛んで廃屋の壁に衝突した黒霧風雅は、あの時の男とは違ってまだ意識を保っていた。
しかし、まだ許すつもりはない。あの時、隆盛が受けたのはたった一撃ではあったが、一般人である隆盛にはそれさえも致命傷だった。天音たちの到着が遅れていれば、そのまま亡き者になっていたかもしれない。
つまり……終わらせてやるにはまだ早い、ということだ。
衝撃で起き上がれない黒霧風雅の髪を掴んで持ち上げる。体格差はあったが、纏衣を解放している間はそれすらも気にならない。
「ひ、ひぃッッ……!?」
「誓え。金輪際、わしらには関わらんとな」
怯える黒霧風雅に向け、そんな言葉を投げかける。事実上の降伏勧告だ。
奴はすぐに、首を縦に振った。一寸の迷いも見せずに。
「ち、誓う、誓いますッッ! だから、もうッ……」
「……そうか」
その言葉を聞き、僕は奴を解放した。踵を返し、背を向けて、天音のもとへと帰ろうとする。
刹那、背後から一陣の風が吹き抜けた。
「死ねッ……死ねェェッッ!!」
鬼気迫る表情でこちらに手を向け、再び例の仙力を発動する黒霧風雅。不意を突けば仕留められるとでも思ったのか、それとも、学習能力に欠けているのか。
どちらでもいい。どちらにせよ、期待していた通り馬鹿な真似をしてくれて助かった。
背後からの奇襲に備えずとも良い現状で、再びこれを弾けない道理はない。威力も低下し、数も少なくなった風の弾丸を叩き落とすことは、とても容易なことだった。
そして、奴の仙力を処理してすぐに、人差し指に仙力を集中させた。思い描くのは、火。罪人の身を焦がす灼熱。
「仙力——『狐火』」
指の先に出来た小さな火種を、無防備になった奴へ向けて放つ。指の第一関節ほどの大きさしかない火種は、奴の風の弾丸よりは遅く、けれども、ここまでのダメージで咄嗟の回避行動が取れない奴に到達するには十分であった。
火種が、奴に触れる。次の瞬間、空まで貫くほど巨大な火柱が上がり、奴の身体を包み込んだ。
耳を塞ぎたくなるような断末魔の叫び。奴は纏衣を解放している上、手加減をしているから死ぬことはないだろうが……あの火柱に包まれている間は、地獄のような苦しみを味わい続けるだろう。
「愚かな男じゃの……わしに残っておった少しばかりの罪悪感を、自らの手で取り払ってくれるとは」
人を殴るのに、罪悪感を覚えない人間などいない。どんな悪人であろうと、その内側の奥底には、小さな罪悪感の芽があるものだ。
この男は、僕に残っていたそんな小さな芽を、その手で摘み取ってくれた。お陰様で、僕は自分を正当化することが出来る。
そうして暫く火柱を眺めていたものの、それ以上は奴の命を奪ってしまうと考え、仙力を途絶えさせる。
白目を剥き、気を失った状態でその場に倒れ込む黒霧風雅。だが、纏衣状態の防御力故だろうか。所々は焼け焦げていたものの、致命傷には至っていなかった。
しかし、これは……。
「む、しまった……これを写真に収めるのはちと酷じゃのぅ……それだけは勘弁してやろう」
隆盛との約束では、奴の泣きっ面を写真に収めてくると言ったものの……事前の予定よりも衝撃の大きい姿になってしまった。この姿を隆盛に見せるのは、流石に躊躇ってしまうというものだ。
だが、ひとまずこれで……僕の目的は、達せられたと言っていいだろう。
黒霧風雅への復讐。僕個人としての目的が終わった以上、今度は『宵山陣営』としての目的を達せねばならない。
……と、その時だった。
『ぴくん』と、耳がひとりでに動く。何かの気配を察知した時に起こる生理現象のようなものだ。
気配は廃屋の陰から放たれているようで、僕は少し距離を取った。何かを嗅ぎ付けたのか、天音もこちらへとやってくる。
そして……陰から姿を現したのは、大柄な男だった。転移する前、先頭に立っていたあの男だ。
「……黒霧、雲源……!」
天音が、震えた声でそうつぶやく。
黒霧家現当主、黒霧雲源。彼は足元で痙攣する息子を一瞥すると、呆れ果てたようなため息をこぼした。
「……安心しろ。争う意思はない」
そう言って両手を小さく挙げると、彼はその場で立ち止まった。
思わず天音と目を見合わせ……困惑したまま、続く彼の言葉に耳を傾けた。




