のじゃロリと宿敵
天音と合流したのち、警戒しながら黒霧の陣営を進んでいたものの……不気味なほどに、何も起こらなかった。
もう一人いるはずの仙継士も姿を見せず、黒霧家の二人とも遭遇していない。それどころか、六人いるはずの非仙継士の姿も見えなかった。
進行速度はそれほど速くない。一つ目の聖石をああも容易く破壊することが出来たのは、あれが不意打ちに近い状況だったからだ。次からも同じように上手くいくとは限らない。
「のぅ、天音よ」
「何だ?」
疑問に思っていたことを聞くために名を呼ぶと、隣を歩く彼女はこちらに視線を向けることもなく返事をした。どうやら、最大限の警戒を前方に向けているようだ。
「黒霧の連中……思っていたより、大人しいようじゃが」
「さあ……どうだろうな。こうしている間にも、不意を突く瞬間を狙っているのかもしれん」
「わしの探知網を掻い潜ってか?」
纏衣状態であれば、仙力や敵意を察知する能力だけでなく、通常時よりも優れた五感で隠れた敵も見つけ出せるという自信がある。
現状、その探知網に敵がいるのであれば、僕の能力以上に隠密に特化した者であるか、探知網の外で監視している者。
あるいは……仙力を使わず、僕たちに対して一切の敵意を向けていない者。これに関しては、この場では消してもいい可能性だろう。
僕の問いに、天音は渋い顔を作りながら答えた。
「私と同じように隠密行動を得意とする敵なら可能性はある。残念ながら、当代の黒霧の家臣については情報がなくてな」
「だとしたら、お主より格上の相手じゃの。お主は一瞬で見つかっておったし」
「あ……あれは油断していただけだっ!」
初めて出会った時、天音はその強烈な殺気のせいで居場所を知られている。が、彼女曰く、あれは油断していただけらしい。
顔を赤く染めながら必死に取り繕う天音。それが真実がどうかはさておいて……こうやって足を進めているうちに、目的地が見えてきた。
「む、あれは……」
二つ目の小聖石。当然ながら既に占有されており、通常状態では無色透明の光を放つそれは、今は一つ目と同じく、黒霧陣営のものであることを示す青白い光を放っている。
しかし……周囲には誰もいない。建物群の中にぽつりと浮かんだ人間大の石は、ただ静かに光り続けているだけだった。
「……罠か?」
天音が呟いた。
確かに、この状況は誰が見ても罠だと確信するだろう。『奪ってください』と言わんばかりの占有済みの聖石は、明らかに不自然であった。
ある意味、正しいと言える。
ある意味と言ったのは、奴の思惑が『罠』とすることだったかどうかが定かではないからだ。
進むか留まるかを決めかねている天音を置き、一人で先へ進む。天音は驚いて僕の手を取ろうとしたものの……その手は虚しく空を切った。
「……それで隠れておるつもりか?」
聖石を取り囲む建物のうちの一つに向け、そう声をかける。
隠れているつもりだろうが……やはり、奴は殺気を隠そうとはしないのだ。
声をかけた建物から、笑い声が聞こえる壁の裏から聞こえていたそれは、段々と移動しながら近付いてきて、やがてその正体を表す。
「こうして話すのは久し振りだね、篠宮水樹」
——黒霧風雅。奴は開戦直前にも見たあの気持ちの悪い笑みを浮かべていた。
少し下がった位置にいた天音が、戦闘態勢に移行する。僕はそのまま脱力した状態で、奴に軽蔑の眼差しを送っていた。
「そう敵意を剥き出しにしないでくれ……僕は君と話がしたいんだ」
「ならばその喧しい口を閉じろ、糸目男」
「糸っ……」
僕の発言に衝撃を受けたのか、奴の姿勢が少しだけ崩れた。まさか反論されるとは思っていなかったのだろう。
「そもそも、貴様と話すことなどない。よいか、貴様じゃ。わしがこう呼ぶのは、今のところ貴様くらいじゃよ、黒霧風雅」
「それはつまり……この前の提案は、受け入れてもらえないということかな」
笑いを……いや、余裕を崩したくないのだろう。笑みは作ったまま、頬をひくつかせながら奴は言った。
「断ると言ったはずじゃ。貴様との間に生まれた子を、愛せる自信がないのでな」
突き放すようにそう言った。そこでようやく、奴の笑みが崩れる。
額に青筋を浮かべ、特徴的な糸目が、見る影もなくぱっちりと見開かれる。
どれだけ頭の悪い人間でも、奴が今どんな感情を抱いているのかは分かるだろう。きっと。
そう……怒りだ。
「……こっちが下手に出ているからって調子に乗るなよ、弱小家門が」
黒霧風雅は吐き捨てるように言うと、その内に抱く強大な仙力を解放した。
仙力が、もしくは殺気が、オーラのように揺らいでいる。肉眼でそれを捉えられるほど、強力なものだった。
天音のいるところまで退がり、戦闘態勢を取る。奴は間違いなく、本気を出してくる。
そして、いつもよりも数段低い声で、呪詛を吐くように言葉を放つ。
「纏衣……解放」
途端に、奴を中心として風が吹き荒れる。周囲の瓦礫が巻き上がり、まるで台風に巻き込まれたような感覚だ。
その中心には、黒霧風雅がいる。
短かった髪は腰の辺りまで伸び、更には白く染まっている。
一方、瞳は血に染めたような赤色で、眼光だけで人を殺せそうなほど負の感情で満ちていた。
「纏衣というのは、皆が皆動物の姿になるわけではないのか……」
「当然だろ! というか、そんな呑気なことを言ってる場合かっ! 纏衣解放っっ!!」
正確なツッコミを入れつつ、自分自身も纏衣を解放する天音。にょきりと、猫の耳と尻尾が生えてくる。
てっきり、纏衣解放をすれば僕や彼女のように動物のような特徴が現れるものだと思っていた。よくよく考えれば、『仙人の特徴の一部』が表に出てくるだけで、必ずしも動物の特徴が現れるわけではない。
血に飢えた獣のように、浅く速い呼吸を繰り返す黒霧風雅。纏衣を解放してはいるものの、吹き荒れる風の影響で、天音はその場で踏み留まるのが精一杯なようだ。
元々、彼女は『速度』に重きを置いた戦闘スタイルであり、体重も軽い。この風の中ではまともに身動きも取れまい。
「お前らみたいな奴は……大人しく、僕に従っておけばいいんだッ!」
「っっ!」
奴が、吹き荒れる風を拳に纏う。風が止んだと安堵したのも束の間、奴がその拳を振るうと、先ほどまで吹き荒れていた風が圧縮され、僕らへと弾き出される。
風は巨大な大砲の弾のように迫ってくると、すぐにばらけて、無数の小さな風の弾丸に姿を変えた。
触れずとも分かる。この弾丸一つ一つが圧縮された風であり、そしてその風は仙力によるもの。常人ならば、この弾丸一つで体に風穴が開くだろう。
風の向こうで、奴がにやりと気味の悪い笑みを浮かべている。これで終わりだとでも言いたげな表情だ。
だが、吹き荒れていた風は消えた。こちらも身動きは取れるようになったのだ。ならば、これを全て打ち落として……。
「纏衣解放」
——直後、背後で声が聞こえた。それは聞き覚えのない声で、確かに、『纏衣解放』と口にした。
背後から、黒霧風雅には劣るものの、強大な仙力を感じる。予想はしていたが……まさか本当に、不意を突く瞬間を狙って隠れていたのか。
鳥の羽毛のようなものが生えた黒霧家の仙継士は、短刀を片手に、上空から僕目掛けて迫っている。前方からは風の弾丸、後方からは短刀の一撃。どちらかを捌けば、どちらかを受ける。
この一瞬の挟撃のために、この女はずっと身を潜めていたのだ。僕の探知網に引っかからないように。
天音では、風の弾丸を全て捌き切ることは出来ない。しかし、この短刀は僕を狙っているもので、反応がワンテンポ遅れた天音は、これの処理に回ることが出来ない。
そうして、理解した。黒霧風雅のあの笑みは……この挟撃で僕を仕留めることが出来ると歓喜してのものだったと。僕さえ仕留めれば、後はどうとでもなるんだと。
死ぬ間際に世界が遅く見えるという表現は使い古されてきたものだが、まさか、それが事実だとは思わなかった。思考だけが加速して、時が止まったように錯覚してしまう。
——そして。




