のじゃロリ、ボコられる
——その日の午後。丁度、授業が終わった頃合いだろうか。
訓練中、邪魔だからと隆盛に預けていたスマートフォンに、歓迎会を企画していた三島さんからメッセージが届いた。
それを一つの区切りとして、雪さんとの訓練を一時中断する。すかさず、そばで見学をしていた隆盛が、二人分の水を持って駆け寄ってきた。
「二人とも、お疲れさん」
「ありがとうございます、柳田様」
余裕のある表情で水を受け取る雪さんと、その場にうつ伏せに倒れ、手を伸ばす元気さえない僕。
ペッドボトルにストローを挿してもらい、倒れながらも何とか水分を補給すると、渇き切った肉体に活力が溢れていくような感覚を覚えた。
「どうだ、良い感じか?」
「この汗の量を見て、良い感じに見えるかっ……!?」
「いや、全く」
滝のように流れ出た汗は、鍛錬場の畳に大きな染みを作り出している。
雪さんの戦闘訓練は、初日とは思えないほど『ぶっ飛んだもの』だった。体の動かし方から武器の扱い方、人体の弱点や壊し方。数時間でどれだけ詰め込むのかと思うほどの密度と情報量だ。
おかげさまで、指一本動かない。首をほんの少し回転させる程度が限界だ。
「きつい……とにかくきついっ……いざ戦うとなると、以前と現在の肉体の誤差が掴めぬっっ……!!」
「ああ、手足も短くなってるもんな」
何より厳しかったのは、肉体の誤差だ。
以前の肉体、つまり『佐藤樹としての肉体』と『篠宮水樹としての肉体』には、身長から体格、手足の長さに至るまで、全ての点においてかなりの誤差がある。
日常生活を送る上で、これらに不便さを感じない程度には、慣れが生じてきた。しかし、『戦闘』という特殊な技術を要される場合は話が別だ。
認識の乖離、とでも言えばよいのだろうか。当たると思った攻撃が当たらない。避けたと思った攻撃を避けきれない。そんなことが度々起こってしまった。
「悪くはない動きです」
そんな僕をフォローするかのように、雪さんが手を差し伸べてくる。
今、手を差し伸べられたところで、僕には立ち上がる体力が残されていない。だが、この手を取らないというわけにもいかない。
何とか残った体力を絞り出すようにして、彼女の手を取り、隆盛の腕を杖のようにして立ち上がる。生まれたての子鹿のように、足はぷるぷると震えていた。
「篠宮様の内にある仙人は、戦闘にも長けたお方だったのでしょう。これだけ詰め込んで指導しているのにも関わらず付いて来られる者は、他にはおりませんでした」
「……詰め込んでいる自覚はあったのかっ……!?」
僕の内に眠る仙人の力云々ではなく、『詰め込み指導』だったと雪さんが認めたことが驚きだった。てっきり、宵山家ではこれが一般的な訓練だとばかり思っていたから。
「当然です。本来は数年かけて指導する内容ですから」
「雪さん、怖ぇ……」
さも当然かのように、そう言い放つ雪さん。つまり、他の家臣に対しては数年かけて教えるような情報量を、この数時間で叩き込まれたということだ。
無論、何より恐ろしいのは、そんな指導をしておいて、汗一つかいていない雪さんの能力の高さだ。天音と正式な手合わせをしたことはないが、雪さんの方が強いのではないかと思うほどでもある。
しかも、これで仙継士ではないと言うのだから驚きだ。気配を消し、姿までも眩まし、死角から防御不能の一撃を放ってくるその戦闘能力は、とても生身の人間だとは思えない。
それから、ここまでの訓練の総評を受け、話題を切り替えるかのように、彼女は小さな咳払いをした、
「では、一五分の休憩とします。それが終われば、最後にもう一度だけ実戦形式で手合わせをして、今日は終わりにしましょう」
それだけ言い残し、彼女はどこかへと消えてしまった。風のように、跡すら残さず、気付けば姿が見えなくなっていた。
「わし……死ぬかもしれん」
一五分でこの疲労が取れるとは思えない。次の手合わせが終われば、僕は暫く動けなくなるだろう。明日の登校に影響が出なければいいが……何だか、嫌な予感はしていた。
「応援してるよ」
「応援するくらいなら代わってくれ……ところで、三島殿からの連絡とやらはなんだったのじゃ?」
他人事のように言う隆盛の足を軽く小突いて聞くと、思い出したように、スマートフォンを差し出してきた。
「ああ……昨日の今日で休んでるから、昨日の歓迎会が迷惑だったのかも、ってな」
「なんじゃ、そんなことか。全くそんなことはないのじゃがな」
画面に映されていたのは、謝罪の文言。転入してきた翌日に学校を休んだことで、歓迎会で何か嫌な思いをしたのではないかと勘違いしたのだろう。
勿論、全くもってそのような事実はないが、この誤解は早々に解いておかなければ、後々大きな問題にもなるだろう。
うつ伏せのままスマートフォンを受け取り、そのメッセージに返信する形で、事情を誤魔化しつつ綴っていく。天音の話では、僕は体調不良、隆盛は事故による怪我で欠席している扱いになっているらしい。
三島さんを不快にさせず、誤解が解けるようにメッセージを送ると、そのままスマートフォンを隆盛に返した。
「ほれ、あとはそれっぽく会話を繋いでくれ。わしはこの一五分で、出来得る限り体力を回復させねばならんのでな」
「んな人任せな……どんな会話になっても文句言うなよ」
「妙なことを口走らなければなんでもよい」
今は何より、この短い休憩時間でいかに体力を回復させるかを考えるべきだ。と言っても、休む他に方法はない。極力、余計なことに頭を使いたくはないのだ。
——それから、一五分後。再び実戦形式で行われた手合わせにて、雪さんに完膚なきまでに叩きのめされた僕は、そのまま眠るようにして気を失った。
次に目が覚めると、既に時刻は午後の八時を回っている。天音の好意で、今日はここに泊まることにした。
幸い、学校帰りの歓迎会直後に襲われたこともあって、制服や鞄など、登校に必要なものは全て揃っている。明日はこのまま、宵山家から学校へと向かうことになりそうだ。
 




