のじゃロリ、最初の失敗
——よし、まずは落ち着こう。状況の理解はしたけれど、納得はしていない。今はまさに、理解と納得の境界線上にいるようなものだ。
一つずつ、可能性を潰していくのだ。最も可能性が高く、現実的なものと言えば。
恐る恐る頬に指を添え、人差し指と親指で摘む。そして、力の限り引っ張った。
「いだだだだだっっ!?」
これが夢であるという可能性。僕はまだ目覚めてはいなくて、奇妙な夢を見ているだけだという可能性だ。
正直、夢であってほしかった。それならば、目覚めるだけで全てが元通りになっていた。最も単純で、解決が簡単な可能性だった。
だが……どうやら、これは夢ではないみたいだ。この痛みが証拠。
いや……これが夢でないとするならば、何だと言うのだ。正直言って、夢ではないと確定してしまった時点で、他の選択肢など予想も付かない。
「し、しかも……どういうことなのじゃ、これは……」
(し、しかも……どういうことなんだ、これは……)
強く摘みすぎたのか、いまだにひりひりと痛む頬を優しく摩りながら、言葉を放つ。しかしながら、今、『僕の口から出た言葉』と、『僕が言おうとした言葉』は別物だ。
内容や意味自体は同じだが、語尾や口調が、何故だか思う通りに発音出来ない。放った言葉が、一度、翻訳機を通ってから発されているような……そんな、奇妙な感覚だった。
「な、何がどうなっておる……わしは一体、どうなってしまったと言うのじゃ……?」
(な、何がどうなってる……僕は一体、どうなってしまったって言うんだ……?)
訳が分からない。朝起きたら姿が変わってしまっていた、というだけでも変な薬を使ってしまったかどうか疑われるレベルだというのに、口調まで変わってしまうとは。とても、現実的だとは思えない。
現実的だとは……いや、現実的……?
「……まさか」
ふと冷静になり、ある可能性に辿り着く。
この状況は、まさしく現実的ではない。普通の男子高校生が、朝目覚めたら小さな女の子の姿になっていて、放つ言葉も自動的に口調が変わってしまう。現代の科学力では、どんな技術を持ってしても不可能だろう。
だが、一つだけ……同じく、現実的ではなかった現象があった。
「あの祠……まさか、あれに何か秘密が……?」
確信はない。だが、非現実的な事象を引き起こす可能性があるものは、同じく、非現実的なものだけだろう。だとするならば、あの祠以外にあるはずもない。
(タイミング的に考えてもあり得る話だ……いや、そもそもタイミングって何なんだという話から始まるけど……)
あの祠に、何か秘密があるに違いない。でなければ、これは神様が僕に課した試練か何かだ。狐耳を生やした少女になる試練だなんて訳が分からないが。
……よし、冷静になろう。『朝目覚めたら小さな女の子になっていた』という現実を、一先ず『事実』として受け入れるのだ。
今重要なのは、その事実ではない。これから先、どうしていくか、だ。
「もう一度、あの祠に行ってみるしかない、が……いやしかし、この見た目は目立つしのぉ……」
頭頂部からぴょこんと生えた二つの狐耳に、抱きかかえて眠ると安眠出来そうなもふもふの尻尾。もしかすると、コスプレイヤーだという誤魔化しが通用するかもしれないが、それはそれとして、一見すると小学生くらいの女の子が一人で遠出するのはよろしくない。警察に補導される未来が鮮明に想像出来る。
いや、そもそも。祠に行く云々の話以前に……。
「というかわし、学校はどうするのじゃぁっ!?!?」
そうだ。今日と明日は休みだが、月曜日からまた学校が始まる。一体、この状況を何と説明すればよいのか。朝目が覚めたらこうなっていた、では流石に通用しないだろう。下手をすれば、研究所か何かに連行されてしまうかもしれない。
かと言って、無断で学校を休み続けることも出来ない。初めの数日は体調不良で通るかもしれないが、いつ元の体に戻れるのかも分からないのだ。
直視してしまった逃れようのない現実に、あっちへ行ったりこっちへ来たり。側から見れば非常に愛らしい光景ではあろうが、当人からすれば頭を抱えてしまうほどの難題だ。
——と、そんな時だった。
……ぴーん、ぽーん。
インターホンの音が鳴り響く。宅配便を頼んだ覚えはないし、誰かと約束をしていたわけでもない。来客の予定はなかったはずだ。あったとしても、こんな姿で対応出来るわけがない。
恐る恐る、背伸びをしながらモニター越しにカメラを覗く。ぎりぎり背は届かなかったが、何とか覗き込んだモニターには、見覚えのある顔が映し出されていた。
「……げっ、隆盛っ……!?」
学校で一番の親友でもある、柳田隆盛。奴が今、玄関の前にいる。
……大変なことになった。
一体何の用事で来たのかは分からないが、大方、体調を心配して来てくれただとか、そんなところだろう。ありがたいことにはありがたいのだが、今はあまりにもタイミングが悪すぎる。
親友が体調を崩していたから心配になって来てみれば、何故だか親友は幼女になっていた、か。そんな突飛な話、創作物でも中々お目にかかれない。
「と、とにかく、追い払わねば……こんな状況を見られるわけにはいかぬっ……!!」
まずは何をするべきだ。インターホン越しに追い返す……いや、声も口調も変質してしまったのだから、向こうも余計に困惑するだけだ。ならば、このまま居留守を決め込むか? 隆盛には悪いが、それが一番確実で、手っ取り早い方法だ……!
「……あっ」
そこまで思い至ってから、ふと、思い返す。
「わし……さては鍵閉めとらん……?」
昨日は疲れ切っていた上に大荷物だったから、家に入ってすぐにリビングに向かい、ソファで寝落ちしてしまった。玄関の鍵を閉めた覚えは……ない。
「まずいっ……!」
常識人の隆盛に限って、勝手に家に入るなんてことはないと思うが、不審がってドアノブに手をかける可能性はゼロではない。そうなった時、居留守を決め込んでいるのに鍵が空いていれば、何かあったと想像して家の中に入ってくる可能性も、ゼロではない。
すぐそこにいるのだから、今更鍵を閉めては余計に怪しまれる。せめてドアノブを……ドアノブを、動かないようにこちら側から押さえ込まねばならない。
急げ。今はまだ、この姿を見られるわけにはいかない。何としてでも隆盛の進入を阻止しなくては。
——ツルンッ
「あっ」
玄関までの道を急いだのはいいものの、今の体は、元の体とは重心のバランスや体格まで、何もかもが大きく異なる。まだこの体に慣れきっていない状態で、突然走り出せば……足をもつれさせて転ぶのも、ある意味必然と言えるだろう。
体勢を崩した僕は、そのまま大きく前のめりに転び、顔面から廊下に着地する。
それも、タチの悪いことに……ある程度玄関に近い場所で。盛大に頭を打った音は、当然、扉の向こう側にいる隆盛の耳にも届いただろう。
『がちゃり』と、ドアノブが半回転する。予想通り、鍵は開いていた。
「おい、今とんでもない音がしたけど大丈夫……」
今この家に住んでいるのが僕だけだという事実を知る隆盛は、当然の如く、僕に話しかけるように言葉を投げかけながら扉を開いた。
しかしながら、目の前に転がっていたのが予想していた人物ではなく、耳と尻尾を生やした奇妙な幼女であったから、言葉の途中で時間が止まったかのように硬直してしまった。
「……どちら様?」
「ぬぐぅっ……おでこも視線も痛いのじゃっ……!」
今まで見たことがないほど困惑した表情を見せる隆盛。そんな彼の、珍獣でも見つけたかのような視線が、僕の心にある『羞恥心』というものに突き刺さり、抉るように痛め付けた。