のじゃロリ、苦労が水の泡になる
「んぐっ……ここは……」
——酷い頭痛がして目が覚めた。頭がぼんやりとしているからか、重い瞼を開くと、見知らぬ天井が見えた。
ここは、どこだっただろうか。
昨日、眠りにつく前の記憶が思い出せない。少しずつ記憶の欠片が繋がってはいくものの、完全な復旧には時間を要した。
「そうじゃ、ここは……宵山の……」
思い出した。
黒霧という男に遭遇したこと、天音に助けられたこと、安心して気を失いそのまま眠りに落ちてしまったこと。
となると、ここは宵山の屋敷だろう。天音の執務室ではない。畳の上に敷かれた高級そうな布団に、旅館に置いてありそうな木の机。客室か何かだろう。
いや、そんなことよりも……何か、大事なことをまだ思い出せていない気が……。
「……隆盛っっ!」
そうだ。あの後すぐに眠ってしまったせいで、隆盛の安否が分からないまま朝を迎えてしまった。
『隆盛を助けてほしい』と天音に頼んだことは覚えている。だが、あの段階で既に危険な状態だった。
間に合っていてほしい。そんな願いを胸に秘めながら立ち上がる。どこへ行けばいいのかは分からないが、走り回っていれば宵山家の誰かには会えるだろう。
扉に手をかけ、開け放とうとしたその時だ。まるでどこかで機を伺っていたかのように、何者かが言葉を発した。
「……お待ちください、篠宮様」
「っ!?」
声のした方へ振り返ると、そこには雪さんがいた。
……あり得ない。そう思った。
目が覚めてから立ち上がるまで、確かにこの部屋には誰もいなかった。間違えようがない。
一体どこから現れたのか。不気味なまでに気配を隠した雪さんに色々と疑問は生じるが、状況としては悪くない。彼女もまた宵山の人間だ。
「雪殿……聞きたいことがある。隆盛……わしと共にいた者はどうなった?」
僕がそう聞くと、雪さんは目を閉じ、少し頭を下げながら、答えてくれた。
「……それは、ご自身で確認された方がよろしいかと」
「……まさかっ」
その不穏な言い回しに、『最悪の場合』を想定してしまった。そんなことがあるはずがないと、信じたくとも信じ切れない自分が生まれてしまった。
「ご案内します」
急ぎ駆け付けたい気持ちを抑え、雪さんの案内に従って屋敷を進む。
最終的に案内されたのは、元いた部屋と同じような造りの扉だった。
雪さんは扉の前で控え、僕が中に入るのを待っている。ごくりと唾を飲み、恐る恐る、扉に手をかけた。
大丈夫、きっと大丈夫。そう自分に言い聞かせながら、ゆっくりと、扉を開くと——、
——そこには、切り分けられた林檎を頬張りながら、天音と仲睦まじく話す隆盛の姿があった。
目を見開き、そして、崩れる。そこでようやく、隆盛はこちらに気が付いたようだ。
「おお、無事だったか、水樹」
「それはわしの台詞じゃ……心配させおって……」
まるで何事もなかったかのように、呑気に話す隆盛。心配と不安で心臓が破裂しそうになっていたここまでの時間を、返してほしいとも思う。
「起きたか、水樹」
「うむ、おかげさまでな」
隆盛に近寄ると、談笑していた天音が、林檎を齧りながら声をかけてきた。
その隣に椅子を置き、座る。隆盛は既に上半身を起こしていて、服の隙間から包帯らしきものが見えるが、一見すると怪我人とは思えないほど活力に満ちている。
「具合はどうじゃ、隆盛。まだ痛むか?」
「いや、宵山さんのおかげですっかり良くなった。全治二ヶ月らしいけどな」
「笑い事ではない気がするが……」
呑気に笑いながら言ってはいるが、全治二ヶ月ということは、やはりどこか骨が折れていたのだろう。
だというのにここまで元気だということは、無理に明るく振る舞っているか、それとも宵山家の治療技術が優れていたか。
どちらにせよ……生きていて良かったと思う。
「お前こそ怪我はないのか? 仙力とかいうやつで何かされてないか?」
「うむ。わしは肉体的な損傷は受けとらん」
聞かれたから、答えた。ただそれだけの話だが、どうにも、違和感があった。
「……いや待て。お主、仙力のことをどこで知った?」
それは、そう。仙力のことだ。隆盛には仙力や仙継士のことを話してはいないし、奴の口から『仙力』という言葉が出てくること、それ自体がおかしい。
「私が話した」
隆盛にそう問いかけるも、答えたのは別の人物だ。隣にいた天音が、苦い顔をしながらそう言ったのだ。
「……よいのか? 一般人には秘匿とされるべき情報なのじゃろう?」
「ああ。主犯は黒霧だが、一般人を巻き込んでしまった以上、何も伝えずに野に放つより、全てを話して味方に引き入れる方が安全だと判断した。私たちには、記憶を消す能力もないからな」
まるで、他の仙継士には記憶を消す能力を持った者がいるかのような口ぶりだが……つまるところ、仙力を目撃されてしまった以上、味方として取り込む他選択肢がなかったということだ。
確かに、その方が確実で安全だ。僕の友人という『確定された身分』。そのまま解放して情報漏洩の危機を抱くよりかは、情報を与え、味方にした方が都合が良い。
「ま、そういうことだ。図らずも、お前の事情を知ることになったってわけだな」
「わしの苦労は一体……」
簡単に言う隆盛と、今までの苦労を思い出してため息をこぼす僕。
この数日、何も話せない罪悪感に苛まれていたというのに。その苦労から解放されたことは好ましいことだが、こんな形で解放されるとは思わなかった。
それに、天音は天音で、違う形で怒りを覚えているようだった。
「全く……奴め、一般人の前で仙力を使うなど、何を考えている……!」
「でもお主、人のこと言えんじゃろ」
「うぐっっ……!」
指摘すると、天音はびくりと肩を震わせ、俯いたきり動かなくなってしまった。
『風鳴村』で僕たちと出会った天音は、僕が隆盛たちを避難させていたとはいえ、その場で纏衣を解放していた。声を大にして黒霧のことを非難出来ないのである。
「……まあ、私はちゃんと、お前が一人になったのを確認してから力を使ったからな。セーフだ」
「黒寄りの灰じゃろ」
セーフかアウトかの二択ならば、限りなくアウトに近かった、ような気はする。
だが、彼女の言う通り、あの時は問題なく事が進んだのだ。僕自身も、天音に遭遇していなければ纏衣を解放したまま町に戻り、いずれは宵山と敵対していただろう。これ以上、何か文句を言う筋合いはない。
話すべきことは、他にある。これまでの天音の口ぶりからして……彼女があの黒霧という男と面識があることはほぼ確実。今後のためにも、まずはその対策について話し合わなければならない。
「……まあよい。ところで話は変わるが……天音、お主はあの男が誰か知っておるのじゃな?」
「ああ、知っている。残念ながらな」
「あの男、誰なんだ? 仙継士なんだろ?」
僕たちがそう問い詰めると、天音は疲れたようにため息をこぼしながら、答えた。
「……奴は黒霧風雅。大山県北部にある和道市を中心とした地域を領地にしている、黒霧家の次期当主だ」




