のじゃロリ、転入の挨拶
——宵山家への訪問の日から、二日が経過した。それはつまり、今日が『篠宮水樹』としての初の登校日だということになる。
慣れ親しんだ教室前の廊下で待機をしていると、中からは担任である福地先生がホームルームを行っている声がする。この後、転入生がいるという紹介を挟んで、教室に入る予定だ。
……時を遡ること、一時間前。
天音からのメッセージで詳しい内容を聞いてはいたが、この姿、篠宮水樹として学校に来たのは今日が初めてだ。
故に、他の生徒の登校時間よりも早く学校へ来て、校長室で軽い顔合わせを行う必要があった。
僕が来た頃には、校長室には既に校長、教頭、福地先生、それから見知らぬ女性の四人がいて、その女性を校長と教頭の二人が接待しているという状況だった。
「おおっ、来られましたか。ささ、どうぞ、こちらへ」
入室するや否や、それを発見した校長が謙りながら僕を案内する。席は、あの女性の隣だった。
綺麗な人だ。だが、見覚えはない。
可能性があるとするならば……宵山家の人間。天音の指示で様子を見にきたのかもしれない。
僕が席についたのを確認すると、途端に、校長と教頭の二人は饒舌に語り始めた。右から左へと聞き流す程度にしか認識していなかったが、その内容は、どうにか学校を良く見せようとするための自慢話ばかりだった。
「まさか、次期当主様のご友人が本校に来られますとは……これは非常に名誉なことであります」
「ええ、そうですとも。本校は特に学習指導に重きを置いておりまして……」
あまりにも興味をそそられない無駄話に、思わず苦笑してしまいそうになったが……それは堪えた。
この場での僕の態度は、そのまま天音、引いては宵山家への評価に直結する。こうして世話になっている以上、あまり彼女たちの評判を落とすようなことはしたくない。
……と、思っていた矢先、そんな校長たちの無駄話を遮る言葉が飛んだ。
「……申し訳ありませんが、手短にお願いします」
言葉の主は、隣に座るあの女性だった。
雷を落とすかのような低いトーンで放たれた言葉は、確実に校長たちに直撃した。
これまで自慢げに話していた二人は、途端に気まずそうに笑うと、無理に話題を変えようと、端に座る福地先生を巻き込んだ。
「こ、この者が、篠宮様がご転入されますクラスの担任教師、福地でございます。何かお困りのことがあれば、福地を通して何なりとお申し付けくだされば……」
「う、うむ……」
本当に気まずいのは、僕と福地先生だ。いつ飛び火が来ないかと、内心は冷や冷やとしているんだから。
それから少しばかりの説明事項を受け、いよいよその時が迫ってくる。
校長はわざとらしく腕時計を確認すると、『あっ』と声をあげる。
「そろそろ、他の生徒が登校してくる時間ですな。福地先生、後は頼みましたよ」
「し、承知しました……」
そうして、石のように固まってしまった福地先生に連れられ、校長室を後にする。校長と教頭は、見るからに安堵に満ちた表情をしていて、宵山家の力の強大さと恐ろしさを垣間見たような気がした。
教室の前まで来ると、福地先生はホームルームのため先に入室した。
何となく、気まずい雰囲気が流れ出す。彼女とは面識もなく、何を話せばいいのか……そもそも、彼女の名前すら、僕は知らない。
「篠宮様」
「ひゃいっ!」
そんな僕の心を読んだのか、彼女は突然僕の名を呼ぶと、腰を折って頭を下げた。
「私は天音様の補佐役、雪と申します。以後、お見知り置きを」
雪。その名前には聞き覚えがあった。
確か、そう。初めて天音に電話をかけた時に、彼女が呼んでいた名前だ。
名乗りをあげた雪は頭を上げると、懐から何か小さなカードのようなものを取り出し、手渡してくる。
そのカードには『雪』という彼女の名前と、電話番号だけが記されていた。恐らくは、彼女のものだろう。
「私は一度、屋敷へ戻らねばなりません。もし何かご用がございましたら、こちらへ」
「う、うむ。助かったのじゃ、雪殿」
「いえ。篠宮様の助けとなれたこと、光栄に思います。それでは」
簡単な社交辞令だけを交わして、彼女は立ち去った。初めは歩いて、けれど、次に瞬きをした瞬間にその姿は消えていた。
……?
目を擦るが、現実は変わらない。宵山家の仙継士は天音と現当主の二人だけだという話だが……まさか、仙継士以外の人間も皆このような化け物じみた能力を有しているのだろうか。
……恐ろしい。宵山家、恐ろしい人たちだ。
そんなこんなで時間が過ぎ、教室内にいた福地先生が扉からひょこりと顔を出す。
「篠宮様……」
「ああ、分かった」
ホームルームは終わったのだろう。扉を開き中に入ると、途端に、教室がざわめき出す。
無理もない……見た目だけでいえば小学生のような幼女が、転入生としてこの場に現れたのだから。逆の立場なら、僕も目を疑うだろう。
転入生の礼儀とやらは分からない。だが、昨今のドラマや漫画で見た知識をもとに……まずは、黒板に名前を書くことにした。
『篠宮水樹』
うっかりと本名を書くこともなく名前を書き終えると、チョークを置き、クラスメイトへと向き直った。
……すぅ、はぁ。
大きく深呼吸をして、息を整える。皆がこちらに注目している。最初の挨拶が肝心だ。
大丈夫。何度も家で練習したのだ。失敗するはずがない。
ひときわ大きく息を吸い込み、そして、意を決して言葉を放つ。
「わしは篠宮水樹。こう見えても皆と同じ歳じゃ。これからよろしく頼むぞっ!」
本当はこんな言い方をしたいわけじゃない。だが、僕の口が止まらない。悪いのは僕の口であって、僕ではない。
一斉に静まり返る教室。設定に無理があったのか、この口調に忌避感を覚えたのか。
もしかすると、受け入れてもらえないかもしれない。このような姿だ、それも無理はない。やはり、学校にもう一度通うなんてことが叶うはずがなかったのだ。
そんな懸念をよそに、教室中の……主に女子生徒から、黄色い声が飛んでくる。
「キャーッ、何あの可愛い子っ!?」
「小動物っ!?」
「現代でのじゃっ子に会えるなんてっ……!」
「水樹ちゃん、こっち向いてっー!!」
思わず引いてしまいそうになるほど、圧が強い。受け入れられないのではないか、という心配は杞憂に終わり……それどころか、むしろ別の問題を心配しなければならない羽目になった。
たとえるなら、そう。椿さん一人で手に負えなかったのに、それが何十人にも増えたかのような。
女子生徒たちの歓声に紛れ、一部の男子生徒も派手な盛り上がりを見せていた。その奥にひっそりと佇む、呆れた顔をする隆盛。
そんな隆盛とぱちりと目が合い、そして、奴の口がゆっくりと動く。
『が、ん、ば、れ』
そう言っているような気がした。それはつまり……この状況を、何とか受け入れろということだろう。
元のクラスに戻ってくることは出来たが……これは、何と言うか、前途多難だ。
 




