最後の救済
『あの学校で唯一仲良くしていた郷奇君が大変なことになっている。友達が辛い思いをしているなら何とかしたい』
郷奇が施設に保護されたことを知った大麻は両親に郷奇のことを相談した。
郷奇が大麻の友人という説明は矛盾しない。いじめの主犯格だったが、そうなる前は本当に友達といえる関係――後の状況からすると、いじめる相手を選んでいただけの可能性が高いが――だった。郷奇のいじめは周囲の人間を誘導して自身は高みの見物というタイプで、彼が直接何かをするものではなかった。大麻が口を閉ざせば彼の実態を大人が知ることはまず無い。
璃悔家には親戚・血縁がいないという幸運にも恵まれ、紆余曲折の末に施設から恐川家の養子に認められ、【璃悔郷奇】は【恐川郷奇】となった
恐川家の一員となったばかりの郷奇は、廃人一歩手前の状態だった。
この頃の子供にとっては〝世界〟そのものと言っても過言ではない両親から殺されかけた。他人の苦痛を愉悦とする郷奇の性格なら憎悪を糧にギリギリのところを踏みとどまりそうなものだが、今回家族を破滅させたのは自身の愚行が全てだ。
『人間は誰かに陥れられて不幸になるより、自分の行動が裏目に出て不幸になる方が、より強いショックを受ける傾向にある』
大麻がかつて読んだ精神科医の著書にこう書かれている。
仮に自分を破滅させた犯人の存在を知っていれば、郷奇は死に物狂いで復讐に邁進したことだろう。だが今の彼にあるのは後悔だけだ。
郷奇が花火をしなければ、そもそも電話の女の子供をいじめなければ。郷奇はそう認識している。
それでも郷奇が自殺したり精神の均衡を崩さないのは、自分が何よりも大切な自己中心的人物であるということだ。両親への愛情や罪悪感は勿論あるが、自己愛を上回るものではない。それを最後の命綱と見るか、大麻に目を付けられた元凶と見るかは人によるだろうが。
義理の弟になった郷奇に、大麻は積極的に世話を焼いた。自分が好きな漫画を進め、寝る時は布団を並べ寄り添った。
勿論、ただの世話焼きではない。
悪夢に苛まれる当時の郷奇は常に睡眠不足で、彼の精神を傾けるのに一役買っていた。そこに目を付けた大麻は、悪夢をコントロールすることで郷奇の精神を破壊するように計画を修正した。
恐川家には寝る前に牛乳を飲んで就寝する習慣があったが、大麻は郷奇の牛乳にだけカフェイン錠剤を溶かして渡していた。これにより郷奇の睡眠不足はさらに悪化、精神もより傾いた。
次に大麻は〝おまじない〟と称して掌に指で文字をなぞる儀式を始めた。儀式そのものは出鱈目だが、これにはスキンシップで郷奇の心を開く一手とする狙いがある。そしてその日の牛乳にはカフェインではなく睡眠薬を入れた。
この二つを不規則に繰り返し、郷奇の睡眠を操作。一週間程で郷奇は〝おまじない〟にすっかり依存するようになり、さらに一週間後には、
『○○が欲しいな~』
『○○したいな~』
と希望を仄めかすだけで大麻の思い通りに動くようになった。
そして睡眠を操作し、睡眠薬が無くても掌をなぞるだけで眠るようになったことを確かめた後に計画を本来のものに移行。
寝静まった郷奇の身体をタオルで家具に結び付けて拘束。さらに顔にも黒い布を被せ目と口を塞いだ。
この状態で目を覚ませば、郷奇は真っ暗闇の中で金縛りにあったと錯覚する。
『貴様のせいで父さんの人生はメチャクチャだ』『お前なんか生むんじゃなかった』『なんでまだ生きてるの?』『いい加減死んでよ』『存在するだけで罪』『虫けら』『必ず、必ず殺してやる』『死ね死ね死ね死ね死ね死ね……』
そして金縛りの状態から、ネット上の様々な音声を目隠しした達磨状態の郷奇に強制的に聞かせ続ける。
声にならない絶叫を上げ続け、遂には恐怖の余り気絶して夢の世界へと戻り……気絶を確認するとスタンガンで無理やり覚醒、再び怨嗟を浴びせ、気絶すればさらに……といったことを毎夜繰り返した。
睡眠不足が復活しただけでなく、肉体的な苦痛、尋常ならざる恐怖まで味わうことになる。悪夢を恐れて眠りを拒むようになるも、抗いがたい眠気、何より郷奇は既に大麻の命令に条件反射で従うパブロフの犬と化していた。掌をなぞられるだけで半ば気絶するように眠り、そして夜中に苦痛と恐怖の泥沼に頭から爪先まで浸ることになる。
眠りたくない、という願いを込めた眼差しを無視して大麻はおまじないを掛け続けた。既に郷奇に大麻を拒絶する選択肢はない。それどころか正常な思考を失い、悪夢があると知っているのに眠らせてくる非道な義兄に完全に依存、恨み言を口にすることなく、どうすれば悪夢を見ずに済むかを問うてきた。
「悪夢の解決法は判らない。だけど眠らないと本当に死んでしまう。どんなに辛くても眠らなければいけない」
と一応は理に適った理屈を方便に、郷奇を助けることなく悪夢に突き落とし続けて十日が過ぎた頃、
「どうすれば悪夢を見ずに済むのか考えた」
この大麻の発言に郷奇は血走った目で縋り付いてきた。そんな義弟の頭を撫でながら、大麻は片手に持った漫画を渡した。
その漫画は主人公〝タイ〟とその親友の〝ゴウ〟の友情を描いた青春物語だった。主人公のタイはゲームデザイナーを目指す平凡な学生。ゴウは誰からも好かれる童顔な少年で、さらに年下の恋人までいる勝ち組。境遇に差こそあれど二人は良き親友で、共に青春を謳歌しながら、時に助け合い、時に弾き合い、遂にはそれぞれの夢を叶えて大人になる。そういう物語だ。
その漫画は郷奇も大麻に進められて全巻読破した。しかしそれをここで渡す意図が判らず、弱々しい眼差しを向けてくる。
「郷奇君は「璃悔郷奇」への恨みに怯えてる」
「璃悔郷奇から恐川郷奇になるだけじゃ足りない」
「だからさ、君はこの漫画の「ゴウ」になればいい」
「これまでの「郷奇」を殺して、新しく「ゴウ」として生きていけばいい!」
「そうすれば、君は『郷奇』の失敗と憎悪、罪悪感を全て忘れ、僕と本当の親友になれるんだ!」
……この日を境に、『郷奇』は死んだ。彼の中で過去の記憶は知識となり、実感を伴わなくなった記憶が見せる負の想念は『ゴウ』の心を何ら締め付けなくなった。代わりに『ゴウ』の中には物語の中の『ゴウ』の体験が、まるで本物の過去であるかのように追体験できた。
「あ、ゴウと荒川さん……」
神社の階段を降りた所で件の二人の姿を認めた。
(あの距離感なら……成功したなゴウ!)
二人が両想いなのは判っていた。しかしフィクションでは当人の気持ち以外の問題で関係が捩じれるのが定番だ。だからこうしてお祈りに来ていたのだが、憂慮は大麻の杞憂で終わったようだ。
(色々聞きたいが、流石にお邪魔虫してまですることじゃねぇよな。さっさと消えるとす……)
「あ、タイ兄!」
隠れようとしたが一瞬遅かった。
「あのお馬鹿が……」
彼女を差し置いて兄貴に声かける神経が大麻には理解できなかった。
(荒川は不機嫌になって……いないっぽい。なんで?)
実は郷奇と荒川香は告白劇の最中にそれぞれの情報をすり合わせて、大麻が自分達のためにどれだけ骨を折ってくれていたのかを把握していた。そのため二人の恋人一日目初デートは『大麻を探せ』になってしまっていたのだ。
(なんか俺が色々動いてたのバレたっぽいな。しゃーねぇ、適当に冷やかして二人っきりに戻す!)
「おいゴウ! 二人っきりにしてやろうっていう俺の気遣いを無駄にしやがって。女を差し置いてヤローに声かけるとは、俺はホモを弟分にした覚えはないぞ?」
軽妙な毒舌に郷奇はハイテンションのまま突っ込み、その後ろでは荒川が澄まし顔の維持に努めながらも頬を赤らめて微笑んでいた。
大麻は友達が欲しかった。
しかし『どんな友達が欲しい?』と聞かれると、昔どころか、成長した今でも明確に言語化することはできなかった。そしてこれから先も言える気はしない。
それでも一つだけ、言えることがある。
『思い通りになる人間等いない』
大麻の望み通りに動く人形から、大麻の理解を超えた人間へと成長した『ゴウ』。
それは大麻がどうしても作り出せず、待つことしかできなかったもの……。
幸せオーラを全面に出しながら笑う少年を見ながら、決して聞こえない小声で一言。
――ずっと待ってた、ゴウ。
完
ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
私の最初の投稿作品故、未熟な点も多々あったと思いますが、少しでも楽しんでいただけたのであれば幸いです。
次はいつになるかはわかりませんが、また作品を投稿する予定です。興味を持っていただけましたらそちらもお願いいたします。
ありがとうございました。