兄弟の恋愛事情
「なあ,ゴウ……」
「何、タイ兄?」
自販機で買ったコーラを片手に対面の同席者に話題を振ったのは、平凡で何処にでもいそうな男子高校生だった。強いて特徴を上げるとすれば、この年台の平均身長より数センチ背が高い程度だろう。
一方、恐川大麻に水を向けられたのはそれなりに整った甘いマスクが特徴的な男子学生だった。やや童顔気味で小首を傾げる姿は小動物を連想させ、年下好きの女性が見れば黄色い悲鳴を上げそうだ。
「最近、彼女とはどうなった?」
「ぶふぁっ⁉」
「うぉわっとっ⁉」
恐川郷奇は口に含んでいたオレンジジュースを噴出した。オレンジ色の飛沫を大麻はギリギリで回避できた。
「いきなり何しやがる!」
「ごふぇっ、ごほっ……。こ、こっちの台詞だよ! 突然何⁉」
咽返りながら涙目で非難を訴える姿は、普段からの『小動物みたい』という印象をさらに引き上げ。無性に保護欲を掻き立てる。上級生女子学生を中心に密かな人気があるのも頷ける。
「突然も何も、お前が『荒川との仲を取り持て』って言ってきて、俺が色々気を回して調べて近づけてもう半年になるぞ? そろそろ進展無いのか?」
「べ、別に僕はただ荒川さんってどんなタイプが好みなのかなぁ、って聞いただけで、色々やったのはタイ兄の勝手であって……」
徐々に尻すぼみになっていく郷奇の声。最後に至っては長い付き合いの大麻が口の動きと文脈を読んで辛うじて伝わる程度の、殆ど無音に近いものだった。
名前の出てきた荒川香とは郷奇が好意を寄せている同級生で、スラリとした長身とクールな面立ちが特徴の、同年代よりも幾つか大人びいて見える女生徒だ。高校一年で同じクラスになり、一目惚れで心を撃ち抜かれた郷奇だった。しかし一年時は大人しめな郷奇が驚くべき執念で距離を詰めることに成功したものの、二年に進級。クラス替えで離れ離れになってしまった。
そのことを進級直後、別クラスになってしまったことを嘆いて萎れていた郷奇を気に掛けて事情を聴きだした大麻は、弟分の恋路を応援するべく暗躍を始めた。
まず今、郷奇が口にした『好きなタイプ』を始め、様々な情報を集めることから始めた。幸か不幸か、今年は大麻が荒川と同じクラスとなったために接近のハードルは低かった。しかし郷奇の気持ちを大麻が暴露する訳にもいかない以上、調べていること自体を隠したかったため、情報収集はあまり進まなかった。
しかし彼女と友人の何気ない会話の中で、
『文芸部があったなら入っていたけどね』
という発言を盗み聞いたことである計画を思いつく。
文芸部を設立して、そこに郷奇と荒川を巻き込む。
睡眠薬代わりに文学を嗜み、眠気覚ましにグラビア写真集を熟読する大麻が、両親に頭の病気を疑われながらも文学少年を演じ、遂には学校に文芸部を認めさせ、部室という学校におけるプライベートスペースを確保した。
そして最近、郷奇の様子がおかしいことを大麻は察知していた。何か意気込むような。あるいは何かを決意したような、真剣な顔つきだった。
事態を予想した大麻はいつも通り軽口で発破をかけることにした。
「まあ、お前の恋愛成就は昨日俺が賞味期限切れの大福を供えて無差別殺戮の女神に祈っといたから気楽に行け」
「賞味期限切れってどんな無礼だよ! ていうかよりによってなんて神に祈っているんだ! それ叶わないか叶っても生贄を要求されるルートでしょ⁉」
(やっぱり今日告白するつもりなのかね? 確かに今日は郷奇の第二の誕生日みたいなものだし、勢いに任せて突っ走るには丁度いいタイミングか)
今のコメントは郷奇が内心余裕のない証拠だ。長年の付き合いで大麻のジョークにも慣れた彼ならば
『じゃあ僕はハデスにタイ兄の冥福を祈っておくよ』
位の口撃は返した筈だった。つまりそんな返答を考える余地もない程に別の何かが頭を占領しているのだろう。
「まあ、多分上手くいくだろ。……俺と違ってな」
遠ざかる弟分の背中に伝わらないことを承知で言葉を投げる。そして曲がり角を右折して郷奇の姿は完全に見えなくなった。
(どうか二人が上手くいきますように)
それから三十分後、大麻は通学路から大きく外れた神社に手を合わせながら、部室にいるであろう二人の幸福を祈っていた。
(しっかし、まさか弟分が惚れた女に俺も惚れるとか、出来の悪い昼ドラ染みた展開だったな。まあ拗れる前に失恋が確定してたから泥沼にはならんで済んだけど)
弟分とは仲良くしながらも色々な所が似ていないと思っていた大麻だったが、二人の異性の好みは似ていた。
近しい者の恋愛のために調べていく内に、その相手の自分も惚れてしまう。似たようなシチュエーションはフィクションでいくつも見てきた大麻だが、その身で体験するとは彼の人生の中でもトップクラスの珍事だった。
『……恐川の気持ちも、こうして言葉にして伝えてくれたのも、とても嬉しいわ。でも、ごめんなさい』
二日前の土曜日に大麻は意を決して荒川香に告白し、そして見事に玉砕した。
(ま、判ってやった茶番だけど)
弟分の想い人にして自身の初恋相手。下手をすればストーカー呼ばわりされてもおかしくない程に調べ上げた。だから当人の想いが誰に向いているか察することができた。
郷奇はクラス分けの傷心と鈍感ぶりで考えもしなかったが、一年時での彼の努力は実を結んでいたのだ。
(ほんと、どんだけ好きだったんだって話だよな。まーさかあの奥手が、自力で意中の女を堕としてたとはね)
そしてそれを知っていたからこそ、大麻は二日前に告白したのだ。
郷奇と荒川香が両想い。二人をくっつけようと暗躍していた大麻にとってこれ程のグットニュースは無い。
しかし郷奇の兄貴分としては望外の幸運だったとしても、荒川香に惚れた一人の男としては黙っていられる訳もない。
郷奇は良く言えば温厚、悪く言えば引っ込み思案な性格をしているが、何かしらの切っ掛けがあれば普段とはかけ離れた爆発力を発揮することがある。
大麻は郷奇が今日、彼の『第二の誕生日』と言えるこの日に告白することを、ほぼ確信していた。
だから大麻は、絶対に失敗し、二人に迷惑を掛けるだけで終わることを承知しながらも告白に踏み切った。彼女の心を掴むか否かの勝負には負けはしたが、思いだけは決して負けていないことを証明するために。
「しかし、正直意外といえば意外だったな……。てっきりあいつは可愛い系の女子が好みだとばかり思ってたのに、あんな真逆のクールビューティーに……」
これまで頭の中に留まっていた思考が独り言として半ば無意識に口から出ている。それはつまり脳内で処理しきれない意外性のある事実ということだ。
「ま、いつまでも俺の掌ってのは無いよな。なんもかんも俺の思い通りの親友なんている訳ねぇ」
(あれからもう七年も経ったのか)
そして大麻の記憶は七年前へと遡っていった。生まれて初めて『親友』を手に入れた日のことを。
一話目を読了いただきありがとうございます。
初投稿ですので色々不手際があるかと存じますが、お付き合いいただけますと幸いです。
一応、5話の短めのストーリーで、既に全文書き起こして推敲している段階になります。
上手くいけば近日中に全話投稿できると思いますので、何卒よろしくお願いいたします。