サカサの塔
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その塔は絶望の形をしていた。
あるいは、希望の形をしていた。
空からそびえる歪な塔は、全ての在り方を変えたのだ。
2120年 ノーベル・マッカンドリュー 著
「僕たちはもう晴天を見ることはない」より抜粋
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音が降って来たので、僕は昨日作った謎かけを持ってベランダに向かった。
白い塔が生えた空を眺めて、妹のエリが右手の爪をかちかちと鳴らしている。
「エリ。音が強くなる前に、今日の分、解いちゃおうか」
「うん、ありがとー。お兄ちゃん」
声をかけると、エリはゆっくりと振り返り、静かに笑った。額に埋まった青白い鉱石がきらりと光る。
「今日のは自信作だからなー。エリに解けるかなー?」
「この前も同じこと言ってたじゃん。余裕だしー」
そう言うと読んでいた本を傍らに置いて、僕の手から謎かけを書いた紙を取って解き始めた。集中してるみたいだ。
邪魔するのも悪いので、エリがさっきまで読んでいた本をぱらぱらとめくる。「この素晴らしき音楽の世界」。この前レイナさんが持ってきてくれたやつだ。
『音楽は「音高」「音階」「調」の三つの要素から成る。これらの基本要素は五線譜の上にすべて書き表すことができ――』
なんのことだかチンプンカンプンだ。エリは音楽に興味があるらしい。ピアノもギターも、こんな辺鄙な村にはおいてないのに。
同じ手に入らないものなら、僕は「時計の歴史を刻む針」の方が好きだったなと、黄ばんだ紙の上に書かれた五線譜に指を乗せて、ぱらぱらと動かしながら思った。クォーツ時計とか、デジタル時計とか、昔の人が考えたものは、実用的でかっこよくて好きだ。
「お兄ちゃん、ちょっとうるさいよ……。静かにして?」
「何も言ってないじゃん」
「動き? 雰囲気? なんかそういうのがうるさい」
ひどい言われようだな……。
仕方ないので、今度は黙ってベランダから庭を眺めることにした。小さい丸太がたくさん置かれた庭では、レイナさんが子供たち相手に青空教室を開いていた。
流れるような黒髪を無造作に束ねて、凛とした声を響かせながら、子供たちの間を練り歩いている。レイナさんは普段、近くの遺跡を巡って、人類最盛期の本や機械を取ってきては、街で売りさばいて生計を立てている。
その傍ら、こうして村の子供たちにいろいろな知識を教えているのだ。
腕っぷしも強く、それ以上に気が強いレイナさんは、この村で一、二を争う発言力の持ち主だった。
「レイナさん! 今日はソラト病について詳しく教えてください!」
元気の良い男の子が手を挙げて言った。いいとも、と笑って、レイナさんが答える。
「ソラト病は、人類を破滅の危機に追いやった病の名前だ。数百年前に突如流行し、今なお人々を苦しめ続けている。まず、ソラト病にかかると、数日して体の一部から美しい鉱石が生えてくる。そして、そこから徐々に体つきが変わってくる。爪は鋭く禍々しく伸び、皮膚は固くなり、邪悪な色を帯び始める。顔はオオカミのようになり、髪はがたてがみのように伸びる。こうして体つきが変わることを、私たちは『変容』と呼んでいる」
子供たちは静かに先生の話を聞いていた。
ごくり、と生唾を飲み込む音が聞こえてくるような真剣さだ。
「変容を終えた病人は、すでに人の姿を無くしている。病の最終段階に至った者を人間と分けるため、昔の人はそれを『ソラト』と名付けた」
「……どうして、『ソラト』って名前をつけたんですか?」
「ふむ、いい質問だね。実は諸説あるんだ」
「諸説?」
「色々な意見がある、ということだよ」
男の子の頭を撫でて、レイナさんは続けた。
「空の人と書いてソラト、もしくは、空の使徒が訛って「空徒」となったとも言われているが……一番有力なのは、空の音と書いてソラトと読むようになった、という説だな」
「空の音……あっ」
子供たちが一斉に空を見上げる。空に、さかさまに塔が生えていた。
雲が空を覆うように、空から塔が生えている。
雨や雪が降るように、塔から音が降ってくる。
それが、今の世界の在り方だ。
ソラト病が流行り出した頃に突如現れたらしい空の塔は、今は当たり前の風景となって空に鎮座している。
「そう。ソラト病の患者は、あの塔から降り注ぐ音を聞くたびに体が徐々に変容していき、そしてそのたびに狂暴化する。『音狂い』と呼ばれる現象だ。狂暴化したソラトは手あたり次第に人を襲い、街を壊し、破壊の限りを尽くす。いつ、誰がソラト病にかかるか分からない恐怖と、ソラトの音狂いによる破壊行為で人類は衰退した。そして病を治す方法も見つからないまま、現在に至るというわけだ」
ソラト病が発生し、文明が崩壊してから数百年が経ったといわれているが、詳しい年代は分かっていない。あらゆる電子データが失われ、高度に発達していた文明は見る影もなく消え去ったからだ。
僕たちは人類最盛期の時代のことを、遺跡から発掘される書物や遺物でのみ、知ることができる。
「これがソラト病についてのあらましだ。塔から降る音による体の『変容』、そして『音狂い』。このあたりがキーワードだ、よく覚えておくといい。体から鉱石が生えてきた人間は、良くて追放、普通は殺される。発症者を救う方法が今のところないのが原因だ。……と、ひとまずこれくらいにしておこうか。何か質問は?」
「レイナおばちゃん」
「ふむ。言葉遣いがなってないなあ、少年。レイナお姉さんだ。もう一度言ってみな」
「れ、レイナお姉さん」
「うん、なんだい?」
大人げないことこの上ない。レイナさんはやたらと年齢の話題に敏感だ。美人だし、気にすることないのになと思う。
「ソラト病にかかった人は、殺されちゃうんですよね?」
「ああ、そうだな」
「ならどうして」
レイナさんに質問をしていた男の子(確かリュウとかいう名前だったはずだ)の目線が、ベランダに腰かけていた僕に向いた。いや、正確には、僕の隣にいるエリに向いた。
「どうしてエリちゃんは、まだ村にいるんですか?」
「ああ。あの子はいいんだよ」
「でも、お母さんも気味が悪いって……」
リュウの言葉を皮切りに、周りの子供たちもうんうんと頷き始めた。やがて、誰かの許しを得たと言わんばかりに、思い思いの言葉を口にしだす。
「いつ暴れだすか分からないから怖いってお姉ちゃんも……」「なんでレイナさんがあの子をかばってるのか理解できないって……」「早くどこかに行って欲しいっていつもお母さんが……」
「おいおい君たち。そういうことは――」
たしなめようとしたのだろうか。
レイナさんが何か言うより前に、僕はベランダから身を乗り出して、叫んだ。
「うるっせぇえええええええええええええええええええ!」
庭にいた子供たち全員がびっくりしたようにこちらを見た。レイナさんだけはあきれたように苦笑いを浮かべていた。「やれやれ、まったく君はこらえ性がないな」なんてつぶやきが聞こえてきそうだ。
「お前らいい加減にしろよ! エリがお前らを襲ったことが一回でもあんのか? ねえだろ! それなのに勝手きままに、好き勝手にエリのこと悪く言いやがって……! お前らただじゃおかねえ! ちょっとそこで首洗って――」
くいくいっと服の裾を引っ張られて、僕の罵声はすうっと途切れた。振り返ると、エリが謎かけから目を離さずに言った。
「お兄ちゃん、うるさいってば」
「いや、だけどさエリ」
「レイナさんに迷惑かかることしたらダメでしょ?」
言葉に詰まった。僕たちはレイナさんの家に居候させてもらっている身だ。エリの言うことは正しい。
「はい、解けたっと。答えは4番。これ、サイコロの面を右に回転させた時の軌跡でしょ? ?に入るのは、6の面が回転した時の図になるはずだから、答えは4」
「うっ……正解」
「ふふふーん。最近すぐ解けるようになってきちゃったなー。次はもっと骨のあるやつでお願いね。お兄ちゃんっ」
確かにエリは僕の出す謎かけを解くのが日に日に早くなっている。今日は大丈夫だったけど、音が降ってる間は解けないようなものを、ちゃんと考えなくちゃいけないな。
「あ、あとさーお兄ちゃん」
「ん、なに?」
「ありがとね」
それだけ言って、エリはたたっと部屋の中に駆けて行った。
ちょっと生意気だけど、ちゃんとお礼も言えるし、他人の心を気遣える。エリはそんな、普通のいい子なんだ。
額に埋まった、あの青白い鉱石と、禍々しい形の右手の爪さえなければ。
だから、そんなあいつを知らないやつが好き勝手言うのが、僕は許せない。
庭に目をやると、そこにはもう誰もいなかった。
いつの間にか、塔から降る音は止んでいた。