Dear My Doll
初投稿です。
彼女は僕だけのものだ。僕が造る最初で最後の最高傑作。どこまでも高尚で優美な芸術品であり、僕の従順な娘。大人たちや他の無粋な者共に邪魔をされない、僕らだけの箱庭で愛を結ぼうではないか。
美しい硝子玉を覆っていた樹脂の膜が、優雅に開かれる。その翠玉が露わになり、僕は思わず息を呑んだ。その、ふっくらとした淡い唇が震える。
「はじめまして」
鈴が転がるような、天使の声だ。
「初めまして、僕は君のマスターだ。分かるだろう?」
滑らかにその美しい顔がこちらを向いた。ぱちくりと瞬きをすると、洗練された様子でお辞儀をした。
「もちろんです、ユート様」
「君に今から名前をあげよう」
「どのような名前ですか?」
僕はずっと心の中で温めていた音の組み合わせを紡いだ。これが彼女に贈る最初のプレゼントだ。
「サラ」
「私の名前は、サラ」
鸚鵡返しにたどたどしく呟く彼女。
「そうだ、君はサラ。これからよろしく」
「よろしくお願いします、ユート様」
僕が差し出した手を、サラは柔らかく華奢なその手でそっと握った。
しんとした静寂が根城にしていたこの屋敷に、賑やかな新人がやってきた。パタパタと屋敷中を駆け回る姿はまるで子兎のようだ。サラは僕のおはようからおやすみまでずっと世話をしてくれる。朝はカーテンを開け放ち、いつまでも寝坊助な僕におはようのキスをしてくれる。寝る前には甘いおやすみのキスを。いつも通りのハムエッグサンド、甘ったるいコーヒー、ふんわりとしたオムレツ、たっぷりジャムのスコーン、深みのあるビーフシチュー。
「今日も美味しいね」
「お口に合ったのなら良かったです」
「今日も美しいね、君は」
「ユート様も素敵ですよ」
サラはクスリと微笑んだ。そして、ふと、窓の外を見た。小鳥でも居たのかもしれない。とにかく、その見上げる横顔、淡いブロンドの糸が撫でる頬、遠くを見つめる翠玉が僕の心を鷲掴みにした。
日々会話を交わす度、サラは心豊かな言葉遣いになっていった。いつからか礼儀正しい敬語は薄れ、古き良き友のような、気兼ねのない友人のような話し方に移り変わっていた。ごく自然に僕はそれを受け入れていた。彼女と言葉を交わす度、彼女を撫でる度、彼女をこの目に入れる度に彼女への愛しさは募るばかりだ。なぜ、ただの芸術品であったはずのサラがこんなにも愛しいのだろうか。
「君は不思議だね」
「どうして?」
「君を造ったのは僕のはずなのに、僕は君のことが解らないんだ。君が何を考えているかも、何もかも」
「そう」
「君をもっと教えてくれないか」
「ユートの望む通りにするわ」
天井から垂れる幕が僕らを外界から隔離する。そのまま僕はサラと溶け合って混ざりあって夜闇の中に蕩けていくのではないかと錯覚するほどに、僕は彼女と一緒だった。
長い間鍵を閉めていた部屋へ、なるべく足音を立てないように入る。埃の匂いに混じり、忌まわしい鉄と腐った果実の臭いが漂っていた。やがて二度と見たくもなかった二つの物言わぬ肉塊へ辿り着いた。
「父さん、母さん、僕は幸せだよ」
僕を縛りつけていた枷だった彼らを感情に任せて葬ったあの日。この偽りの幸せが始まった。
偽りでもいい。
僕を愛してくれた。
お前たちは僕に見向きもしなかったのだから。
コツンと物音がした。
振り返れば、陶器の置き物とも見間違うような美しさのサラが立っていた。軽やかな足取りで、この穢れた空間に踏み込む。呆気に取られた僕は彼女がすぐ目の前にやってくるまで何もできなかった。
「サラ、これは」
「ユートがやったの?」
「…彼らは僕の邪魔をするんだ。だから」
そこで僕の言葉は途絶えた。サラが僕の口を塞いだからだ。あの、柔らかな唇で。
「邪魔だったのなら、仕方ないわ」
「…怒らないんだね」
「どうして?私は彼らを知らないわ。私にとってはユートしかいないもの」
「僕にとっても、サラしかいないよ。ずっと一緒だ」
「ええ、ずっと一緒ね」
噎せ返るほどの腐臭が、心地よく感じた。
近頃、屋敷の周りを無粋な警官が荒らしているようだ。それもそのはず、家主はとっくの昔に死に、暫く誰も姿を見せていないのだから。親と決別したあの日から、既に一ヶ月が経とうとしていた。僕らの生活は確実に終わりへと近付いている。このまま、サラと共にどこかへでも姿を消してしまおうか。愛の逃避行も悪くはない。誰にも邪魔されない、僕らだけの楽園を探そうか。
しかし、現実は僕らに非常だった。外へ行けばサラがもし壊れてしまったときに修理できないのだ。いくら人間らしくても、彼女は人形。壊れるときは壊れてしまう。僕は彼女を失うことがだんだんと恐ろしく感じるようになってきていた。
それならばもういっそのこと、ここで終わらせてしまおうか。
僕が彼女に初めて出会った部屋。ありったけの飾り付けをして、萎びかけの花を並べる。ベッドに共に座ったサラは見た者の生命の時間を止めてしまうほど美しかった。白いベールに隠された顔が愛おしい。華奢な身を包む白い花弁のようなドレスが彼女の美しさを引き立てている。対する僕はきちっとしたタキシードを着込んで腰掛けていた。
「君が好きだよ、サラ」
震えて、上手く声が出せなかったかもしれない。それでも彼女はこっくりと頷いた。
「私もよ、ユート。世界で一番愛しい人」
「嬉しいことを言ってくれるね」
「本心よ。今日は私たちだけの結婚式でしょう?こんなに嬉しいことは他にないわ」
「そうかい。今なら、どんな頼みでも聞いてくれるかい」
「どんなことでも、きっとその通りにするわ」
僕はタキシードのポケットから、無骨なソレを取り出した。黒く鈍く光るそれは、人の命を奪うためだけにこの世に生み出されたものだ。それをそっとサラの小さな手に握らせる。
「この幸せな時間のまま、時を止めよう。その銃で僕を」
自分の指で、眉間を指す。
「殺してくれ」
サラの目が揺れた。
「本気なの?」
「僕はいつでも本気さ。邪魔者が僕らの幸せを妨げにやってくる。僕らの仲は直に引き裂かれるだろう」
サラは悲しげに眉を下げた。
「だから、僕を殺してくれ。僕を殺したら、君もだ。一緒に墓に入るんだよ。ロミオとジュリエットのように」
「私たちの愛は認められないのね」
「そうだ。僕らはこの世で結ばれない運命なんだよ」
「あの世で会いましょう。すぐに行くわ」
「ああ。待ってるよ、サラ」
最期のキス。額に突き付けられたものはもはや気にもならない。彼女の、唇だけが僕を見ている。
彼女は一人、屋敷に遺された。とうとうありとあらゆる生き物は息を止めて、物言わぬ骸となって床に転がるばかりだ。扉でバタンと大きな音がした。荒々しく床を踏み鳴らす音がした。蜜のようにどろりとしたものが覆うこの空間を、紺の制服を着た大人が切り裂いた。大人たちは始め、そこにいた彼女に驚いた。しかしその背中から生える不格好な鉄のネジを見て、納得したような表情になった。彼女の前に倒れる少年と、彼女の手に握られたものを見て、静かに歩み寄る。彼女は見向きもしなかった。彼女はどこを見つめるでもなく、ただぼうっと虚空を眺めていた。大人たちも、彼女を唯一愛していた少年も、彼女の目には映っていなかった。彼女の頭にに無骨な鉄塊が突き付けられた。
彼女は誰のものでもなかった。彼が造った他の人形たちとなんら変わりない、ただの人形だった。どんな振る舞いもおままごとに過ぎない。そこには何も無かった。
そこにあったのは、からっぽの愛だけだった。




