トゥルース・ミー
あなた方は自信を待って自分だと証明出来るでしょうか?
私たちは本当の自分なのだろうか、
それは私たち自身も、周りの人々も分からない。
私たちは本当の自分なのだろうか、
それは他人を欺き、好印象を得ようとする。
私たちは本当の自分なのだろうか、
それは自身を欺き、苦しめる。
本当の自分とは……本当の自分とは……
自身を偽るのは、人生生きていく中で欠かせない。
人間関係、就活、保身、など細かいことを挙げればごまんと出てくる。
例えば、わかりやすい例だと、面接だ。
生きていくためには望まぬ職に就かなければいけない時もある。その時正直に働きたくないとでも言うのだろうか。
違う。
この時自身を偽る。明るい性格を演じ、意欲ややる気を感じさせる言葉を厳選し、態度も普段とは違った礼儀正しい態度をとる。
勿論、普段からそういう姿勢な人間もいる。
だが、みんながみんなそうではない。
本性を隠し、頼れる人間だと思ってもらうようにする。
そんなことをしているといずれボロが出る。
本当の自分とは隠しても隠しきれないもの。頼りにされるも、盛大な失敗や高飛車な態度などを続けていると、当然周りからの評価は自然と下がる。
自身を偽ると、こういうところで苦しめる。
それなら逆に正直に全てを言うべきなのだろうか。
本当の自分を知ってもらい、受け止めてもらうべきなのだろうか。
それもあまり良いとは言えない。
人間は自分が良い人間だと思う人は少ない。必ずと言っていいほど欠点を思い浮かべてしまうだろう。もしくは知人から直接言われたりする。
自身の欠点は悪い印象を与え、これもまた評価は自然と下がる。
それならよっぽど偽りの方がいいように見える。
世界は思ったより非情で、正直者や真面目な人間ほど社会的弱者になりやすい。
要は偽りは正義、と自然の摂理でなってしまうのだ。
正直者がバカを見るとは、まさにこのことだ。
全てが全て偽りが良いとは限らない。
信頼できる友人ならそれなりに包み隠さず打ち明けることができる。むしろ偽りの友情など誰もが望まないだろう。数日遊んで、戯れて、それでおしまい。
ここで、ある人は葛藤する。
偽りか真か。
日常生活の中で使い分けることによって、いくつかの自分を演じ、やがて何が本当かを見失う。
この葛藤、矛盾こそが本当の自分を今一度見つめ直す時なのだ。
しかし、すでに自分が何者か見失っていた場合、いくら考えても本当の自分は見つからない。
そんな時は人を見る目を持つのだ。
あの人は優しくて思いやりがある。あの人は態度が高慢でふてぶてしい。
あの人は…あの人は…と相手を意識することで自ずと自分を見る目が備わってくる。
その時自分が何が好きで、何が趣味で、何が得意で、何が下手で、整理のつもりで考えるのだ。
そもそも人は人を見る目がない。第一印象で判断しがちだ。肝心の中身には一切触れず、その人のことをよく知らないまま虐げたりする。
かくいう作者もこっちのタイプだ。最初は見た目で判断するが、三週間は同じ場所で同じ時を過ごし、人を判断する。
この世の中には止むを得ず、仕方なくすること、させられることが多い。ただそれに任せて良いのだろうか。
一人一人意思を持って、本当の自分が行動すべきなのではないのだろうか。
本当の自分とは、はっきり言って誰にもわからない。
本当の自分とは、偽り続けた自分なのか。
本当の自分とは、真を貫き通す自分なのか。
あなた方は、それで本当ですか?
本当は一体なんだったのでしょうか?