7
薄暗い教室の中で、芽衣子はその時を待った。
日をまたいだ頃、一つの影が教室の前に立った。そして、扉が開いて影はなにかに誘われるようにフラフラと教室のなかへと入ってくる。
「新妻さん、やっぱり来たのね」
芽衣子の声に影はハッとして正面を見つめた。月明かりに新妻靖子の顔が映し出される。
「蓮華さん? どうして?」
靖子が驚いた表情で芽衣子に声をかける。
「私があなたを呼んだからよ」
「呼んだ? じゃあ、あの声は蓮華さん?」
「あなたには声として聞こえたのね。でも、本来ならそれは聞こえてはいけないもの。睡蓮の花はあの世と通じた花。その力で妖かしを呼び寄せることも出来る」
「何を言っているの?」
「惚けないで。あなただって気づいているはずよ。あなたが今、どういう状態なのかを」
「蓮華……さん? あなた、何を知っているっていうの?」
「知ってるわ。あなたが何者なのかをね」
「私が……私が何だって言うの?」
靖子の口調が少し変化した。
「あなたの中には妖かしがいる。その妖かしが他の人たちの力を奪っている。でも、その妖かしはあなたが呼び込んだものよ」
「意味がわからないわ」
芽衣子の言葉を振り払おうとするかのように、靖子は首を振った。それでも、芽衣子はさらに続けた。
「妖かしを呼び込むのには原因がある。思想、生き方。あなたが生き方を、考え方を変えなければ意味がない」
「私の考え方?」
「あなたはどうして常に誰かに頼ろうとするの?」
「誰かを頼っちゃいけないっていうの?」
「いいえ、人は一人じゃ生きていけないものよ。誰かを頼ることもあるし、大切なことを委ねることもある。でもね、すがってはいけないのよ。あなたは常に誰かにすがろうとしている。自分を捨て、他人に媚び、すがろうとしている。そして、何よりもあなたは今、妖かしにすがっている」
「蓮華さんには私の気持ちなんてわからないわ」
「そうね。わからない。あなたがなぜ由美子さんや啓子さんを恨んだのか……いえ、恨んだのではなく羨んだというかもしれないわね」
そう、未だにその理由が芽衣子にはわからないままだ。最初は知らないところでイジメのようなものがあったのかもしれないと思った。だが、彼女たちの様子を見てもやはりそれは感じられなかった。
「私が由美子さんたちを?」
「藤宮君に恋したことが原因かしら?」
試すような芽衣子の言葉に靖子は何の反応もしめさない。
(これも違う?)
さらに芽衣子は続けた。
「でも、それはただの私の想像で、本当のことは私にはわからない。それでも、あなたは妖かしにすがってはいけないの」
芽衣子は一歩踏み出した。
「来ないで」
声が変わる。靖子のなかの妖かしの力が強くなる。
「あなたを封じるわ」
「私は私を止められない」
その瞬間――
部屋を異質な気が包み込んだ。
するすると蓮華の体をいくつもの何かが包み込んでくる。
蔓だ。
「……朝顔」
そう、朝顔の蔓が蓮華の体にまとわりついてくる。植物園と呼ばれた彼女の祖母の家の庭を思い出す。
(やはり彼女のなかの妖かしの正体は――)
芽衣子は自らの体をしめつけてくる蔓を感じていた。
重い。
「蓮華さん、私はあなたが羨ましい。あなたのようにしっかりと自分を持っている人が羨ましい」
「あなたも同じように行動すればいいわ」
「それが出来ないから苦しいのよ」
「だから、私という存在を自分のものとして吸おうというの? 由美子さんを吸ったように、啓子さんを吸ったように」
「何を言っているの? さっきから何を言ってるのかさっぱりわからないわ」
その言葉を聞いた瞬間――
やっぱり、と芽衣子は理解した。
妖かしを心のなかに住まわせておきながら、靖子はそれを知らないのだ。そして、それを見ることすら出来ていないのだ。
彼女は妖かしと化したのではない。
彼女は妖かしに取り込まれたのではない。
ただ、彼女は妖かしに守られているのだ。
「終わりにしましょう。あなたはあなたに戻るのよ」