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始業式5分前、教室はぬるい空気に包まれている。
「おはよう。芽衣子は暑くないの?」
席に座るとすぐに、後ろの席の相澤樹がそう声をかけてきた。彼女とは高校一年からの付き合いだ。
「暑いわよ」
「それにしては涼しい顔してるわ。暑さなんて感じないみたい。羨ましいわ」
そう言って、どこで買ってきたのか似つかわしくない古風なデザインの扇子を広げてパタパタと扇ぐ。
「冷酷無比な人間みたいに言わないでよ。どこかの誰かさんじゃあるまいし」
芽衣子は雅緋の顔を思い浮かべながら言った。
「誰のこと?」
樹も昨年同じクラスだった雅緋のことは知っているはずだが、すぐに彼女のことが頭には浮かばないようだ。しかし、それを説明するほどの話ではない。
「何でもないわ」
「もう。この暑い時に意味深なこと言わないでよ。こう暑いと何も考えたくないわ」
「暑さなんて、気持ちしだいよ」
そう答えながらも、それが違うであろうことは自分でもわかっている。
蓮華の家系には古くから妖かしの血が流れている。自らの中に流れる妖かしの血が暑さ寒さに強いのだろうということは昔から感じていた。成長するにつれ、身体能力も人のレベルを大きく超えるようになり、さらには特殊な力を持つようになった。子供の頃は戸惑うこともあったが、今ではそれを隠すことも当たり前に出来るようになった。
子供の頃から、自らが妖かしの家系であることは教えられて育った。そして、もう一方で人に害を為す妖かしから人を護る勤めであることも教えられてきた。両親は弁護士という仕事をしながら、もう一方で妖かしの血をひくものとして八神家と呼ばれる一族に仕えている。そして、同じように芽衣子も事あるごとに同じように手伝わされてきた。
そのことに芽衣子はこれまで何の疑問も感じることはなかった。
だが、今になってそれは変化しはじめている。一つは妖かしとしての力。そして、自らの存在価値というものに、今になって思い悩むことになるとは思っていなかった。
* * *
担任の上杉の声が教室に響いている。
10月上旬に予定されている文化祭の実行委員を決めるという話を、長ったらしくクドクドと説明をしている。
その話を聞き流しながら、芽衣子はぼんやりと廊下側の端の空いた席を見つめていた。
そこは三井由美子の席だ。
彼女が体調不良で学校を休みはじめたのは一週間前のことだ。
三井由美子の斜め後ろに座る新妻靖子もまたその由美子の席を見つめているようだった。無理もない。新妻靖子と最も仲が良かったのが三井由美子だった。
(いや――)
と、芽衣子は首を撚る。
確かに由美子と靖子は常に一緒に行動を共にしていたように記憶している。ただ、それが二人の仲が良かったということなのかどうかは微妙なところだ。厳密にいえば、松園啓子と三井由美子の二人の仲が良く、その二人に付き従うように新妻靖子が一緒にいるという印象だった。
ふと気づくと、既に実行委員の一人が藤宮雅紀に決まっていた。
決して驚くようなことではなかった。きっと藤宮が手を挙げるだろうと、多くのクラスメイトが思っていたことだろう。
リーダー気質で目立つことが何より好き、藤宮はそういう生徒だった。だが、単にお調子者というわけでもなく、それなりに行動力があるため、クラスメイトたちの信頼もあった。そして、その軽薄な感じは芽衣子にはそう良い印象はないのだが、それでも女子からの人気もあるようだった。きっとこのクラスに芽衣子がいなければ、藤宮がクラス委員になっていたことだろう。
「じゃあ松園、やってくれないか」
藤宮は松園啓子を指名した。それも決して不思議なことではない。そして、啓子は困ったような顔をして少し面倒そうなことを言いながらも、すぐに嬉しそうに受け入れた。
クラス委員である芽衣子にとって、それは決して他人事ではない。文化祭では常に実行委員をサポートしなければいけない立場になるからだ。だが、この二人ならばそう苦労することもないだろう。
そんなことを思いながら、芽衣子はもう一度、三井由美子の空いた席のほうへ視線を向けた。そして、その目は靖子の姿を捉えていた。
少し俯いた靖子の表情が少し暗く見えた。