29.あなたと踊れる幸せ
国王陛下を前にして私はすっかり固まってしまいました。アルファ様も背が高い方だと思っていましたけど、陛下も同じくらいの高さです。
二人揃ったら火をはく竜なんてあっという間に倒しそうだわ!
そんな場違いな興奮を胸に陛下を見つめました。
「陛下、こちらが私の妻になるミランダです」
「初めまして…ミランダ・カリムと申します」
妻と言われたことにドキドキとしながら丁寧にお辞儀をしました。陛下は見定めるように私を爪先から頭まで見てニヤリと笑いました。
「確かに可憐な美少女だな」
言っている意味が分からずキョトンとしていると陛下が突然、大きな声で話出しました。
「アルファはよい妻を娶るな! 友の息子の結婚、俺は祝福するぞ!」
ざわめきが消え、静まり返る会場。アルファ様は真顔。私はというと…
な、な、なんですか、そんな声で!?
開いた口が塞がらないとはまさにこの事です。ヒソヒソとざわめきを取り戻す会場を見て、私はまだ時が止まったままでした。
「陛下…」
その中で鈴のような声が聞こえました。
「今の声の大きさでは及第点はあげられませんわ。もっと、腹の底から出しませんと」
長い艶やかな黒髪に吸い込まれそうなブルーの双眸。お伽噺の世界から出てきたような美しい女性が陛下に声をかけます。
「あ? ダメだったか? チカ」
「ダメです。すぐ会場が元に戻りました。よくて30点てところですよ」
「おーお、手厳しい」
そのお姿に見惚れていると、女性はこちらを向き小さく微笑みました。
「この愛らしい小鳥がアルファの妻となる人?」
声をかけられビクリとしてしまいます。慌ててお辞儀をしましたが緊張で声が出ません。完璧な美を前にすると圧倒されるということを私は初めて体験しました。
「そうです。王妃陛下。妻となるミランダです」
「そう…小鳥の名はミランダというの。ふふっ。可愛らしい名だこと」
「ありがとう、ございます…」
王妃陛下…きちんとご挨拶しなければいけないのに、喉が張り付いてうまく言葉にできません。王妃陛下は、の美しい眼に私が写しだされるくらい顔を近づけます。
「今度、私が主催するサロンに来て頂戴。女同士でしかできない素敵なことをしましょ」
「はい…」
ぽわーっと見惚れていると、ぐいっとアルファ様に肩を掴まれました。
「王妃陛下、あまりミランダに悪い遊びは教えないでください」
「あら…悪い遊びとはどんなものかしら?」
美しく口角を上げる王妃陛下にアルファ様は黙ってしまいます。
「ふふっ。可愛い小鳥、私の籠に遊びにくるのを楽しみにしてるわ」
そう言うと王妃陛下は行ってしまわれました。
「チカに目をつけられたか…お前の妻、色々な遊びを覚えてくるな」
「やめてください…」
くっくっと笑う陛下にうんざりするアルファ様の声。私の耳にはどちらの声も聞こえませんでした。
なんて素敵な方でしょう…
あんな方がいらっしゃるなんて…
うっとりと王妃陛下を見つめる私をアルファ様は眉を顰めていましたが、私はその顔に全然、気づけませんでした。
◇◇◇
「ミランダ…」
「…………」
「ミランダ!」
「っ! は、はい…」
ぽわーっとしていた所にアルファ様の強めの声で我に返ります。 アルファ様は私を見つめて大きくため息をつきました。
「すみません…ボーッとしてまして…あまりに王妃陛下が素敵な方だったので」
「まぁ…そうだな。あの方は…確かに美しい。美しい蜘蛛のような方だ」
「蜘蛛ですか?」
「あぁ…思春期に散々、からかわれた…」
それ以上、思い出したくないのか青ざめてしまわれます。一体どんな事が…聞きたいような聞きたくないような…
「王妃陛下のサロンに呼ばれたら本当に行く気か?」
「はい! 勿論!」
あのような美しい方をそばで見られるなんてそれだけで興奮してしまいます。お伽噺の世界から来たような皇后陛下…それだけで物語が始まりそうです!
わくわくと胸を躍らせていると、アルファ様に複雑な顔をされました。
「ミランダがそう言うならいいが…」
ふっとアルファ様の顔が近づきます。
「あまり王妃陛下のことばかり考えないでくれ…嫉妬してしまいそうだ」
耳に軽く触れながら囁かれた言葉にゾクゾクしました。見上げるといつか見たような意地悪な顔がありました。普段、優しい顔しかしないアルファ様のこのような顔を見ると、顔が熱くなってしまいます。それがちょっぴり悔しくてアルファ様を引き寄せ、耳打ちしました。
「アルファ様のことで頭がいっぱいなのに、これ以上考えたら、どうにかなってしまいます」
恥ずかしいことを言っている自覚はありました。でも、お返しなんですから…!
真っ赤になって言うと、アルファ様が口元を押さえました。
「早く帰りたい…」
ポツリと呟かれた言葉に私は首をかしげました。
◇◇◇
「アルファー、ミランダさん!」
よく伸びる声が聞こえたと思ったらララお母様がそばに寄ってきました。
「もう陛下にはお会いになったの?」
「はい。一番に会いに行きました。王妃陛下にもお会いしてきました」
「まぁまぁ、王妃陛下にも! それで、どうだったの?」
「ミランダが、王妃陛下主催のサロンに誘われてました」
「まぁまぁまぁまぁ! それは良かったわ。これで狐たちも大人しくなるでしょう」
ふふふっと笑いが止まらないララお母様にまたも首を傾げます。アルファ様を見ると穏やかな顔で言われました。
「後で話す。だがまぁ…私達の結婚は、君が思ってるよりも祝福されているってことだ」
そんなことを言われてもよく分かりませんでした。でも、きっと良いことなのでしょう。皆様の顔が朗らかなので。
話していると、ちょうどオープニングの曲が始まります。華やかに踊る姿を見て、私も緊張してきました。
上手く踊れるかしら…
リック先生の足を散々、踏んでしまっていたので、まだまだ不安はあります。でも、アルファ様とならきっと…
組んだ腕をぎゅっと知らずに握りしめていました。
休憩を挟みいよいよ次の曲が始まります。
「ミランダ、行こう」
「は、はい…」
手を引かれダンスホールへ向かいます。
ードクンドクンドクン…
あぁ、どうしよう…緊張してきた。
し、深呼吸! 深呼吸!
アルファ様と向かい合わせで立ちます。ポーズをとっても手は震え、足を踏まないか心配で、つい足元ばかりを見つめてしまいます。
「ミランダ」
声をかけられ、顔を上げるとコツンとおでこにアルファ様のおでこがぶつかります。視界いっぱいに広がったアルファ様の穏やかな顔。
「大丈夫だ。フォローする。私だけを見てろ」
ふっと緊張が解けていく感じがしました。手の震えが止まり、ゆっくりと曲が流れ始めました。
三拍子のリズムに合わせて体を動かします。毎日毎日この曲を聞いて練習をしてきました。アルファ様と踊れるこの日を夢見て。それが現実となっている。
ターンのたびにボリュームのあるレースがふわりと浮きます。足元を気にしなくても足を踏むことなく、余韻を残すようなステップが繰り返されました。
終始、穏やかな表情のアルファ様。心地よい時間に時が止まったような気がしました。
ーパチパチパチパチ!
曲が終わった後に寄せられる数々の拍手、それにホッとしてやっとアルファ様を見て笑うことができました。
◇◇◇
会場の隅に戻った私は腰が抜けそうになりました。思わずよろけた私をアルファ様が支えてくれました。
「すみません…」
「大丈夫か?」
「はい…安心したら気が抜けてしまいました…」
そう言うと、アルファ様は近くに空いていた椅子に座らせてくださいました。
「よく頑張った。頑張ってくれてありがとう」
そう言われ、頬にご褒美のようなキスをされました。
「なるほど。閣下はそうやって、ナチュラルに破廉恥なことをするのですね」
聞き覚えのある声に驚いて声の方を向くとエミリアちゃんがいました。
濃いグリーンのドレスを身に纏ったエミリアちゃんが近づきます。私も立ち上がろうとしますが「どうか、そのままで」と言われてしまい、座ったままでいます。
「エミリアちゃんも来ていたのね」
「婚約者であるバロック様のお供で来たのですが…ドレスのことでご不興を買ってしまい、壁と同化しておりました」
「まぁ、そんな…とっても綺麗なのに…」
エミリアちゃんの背の高さとスタイルの良さを際立たせるようなシルエットのドレス。凛としたエミリアちゃんの雰囲気にとてもよく似合っています。
「露出が高すぎるそうです。殿方はこういうのがお好みだと思っていたのですが…」
切なく瞳を伏せるエミリアちゃんに胸が締め付けられます。思わず立ち上がり、エミリアちゃんの手をとりました。
こんな場所で一人っきりなんて、そんなのないわ。
「婚約者様が来るまで一緒にいましょ。エミリアちゃんを一人になんてさせられないわ」
「ミランダちゃん…」
エミリアちゃんが顔を上げます。その顔は先ほどまでの悲しみはなく、いつものエミリアちゃんの無表情な顔でした。いえ、この顔は少しだけ怒っている?
「ミランダちゃん。そんな天使のような格好で”一緒にいましょ”なんて言ってはいけません。手を繋がれ、潤んだ瞳でお願いされたら、理性を失います。私が男だったら、今頃、ミランダちゃんを暗い部屋に連れ込んで――」
「落ち着け、エミリア…」
黙っていたアルファ様がため息まじりにエミリアちゃんの言葉を遮ります。アルファ様を見たエミリアちゃんは、二、三度、瞬きをした後、淡々と言いました。
「すみません。閣下の存在を忘れておりました」
その言葉にアルファ様は大きなため息をつきました。
「ミランダ! あら、この方は?」
ちょうどその時、ロンダとヨーゼフ様がこちらに来ました。
「なんと…あなたは…!」
エミリアちゃんがロンダに近づきます。エミリアちゃんの迫力にロンダが押されています。
「ミランダちゃんのお姉さまですか?」
「え、えぇ…そうだけど」
「ロンダ。アルファ様の補佐官をしているエミリアちゃんよ。一人でアルファ様の所へ行った時にすごくお世話になったの」
「まぁ、あなたが。ありがとうございます。妹がお世話になりました」
「とんでもないです。補佐官としてあるべき事をしたまでです。それよりも、ロンダ嬢…ロンダちゃんとお呼びしてもよろしいですか?」
「え、えぇ…好きなように呼んでください」
「ありがとうございます。私のことはぜひちゃん付けでお願いします」
興奮した様子のエミリアちゃんにホッとします。
よかった…落ち込んでいるみたいだから、少しでも気が紛れてくれて。
それにしても、エミリアちゃんの婚約者様はどこに行ったのかしら…エミリアちゃんを一人にさせたりして、ちょっと許せません。
一人で怒っていると、エミリアちゃんが私とロンダを並ばせます。私達は意味が分からずされるがままです。並ばせるとエミリアちゃんは、わなわなと手を震わせ頬を染めながら言います。
「天使が二人…可愛すぎます。お持ち帰りしたい」
興奮したエミリアちゃんにキョトンとしていると、ロンダと、私がそれぞれ引き寄せられます。
「ダメ。これは俺の」
「は?」
「ダメだ。ミランダは私のだ」
「アルファ様?」
見上げるとアルファ様とヨーゼフ様が呆れているような、ムッとしているような表情をされていました。
「はぁ…冗談ですよ」
遠い目をするエミリアちゃんにヨーゼフ様がすかさず言います。
「いや、今の目は本気だったよね?」
「本気か本気じゃないかと言われたら、間違いなく本気です」
キリッとした表情で言うエミリアちゃんにヨーゼフ様が呆れたような顔をしました。
そのまま話し出した三人を見つめているとぶるりと体が震えます。
「すみません、アルファ様…お化粧室に行って参ります」
「なら、部屋の前まで付き合おう」
「え!? そんな…すぐそこですし。大丈夫ですから」
「しかし」
「すみませんっ…」
さすがに付き添ってもらうのは恥ずかしくて逃げるように駆け出しました。
次の展開が1話だけだともやっとするので、二話同時にアップします。




