25.なんであんなことを…
ララお母様はダンスと礼儀作法の訓練にと専属の家庭教師をつけてくださいました。ダンスは男性のリック先生。柔らかい物腰でどことなくヨーゼフ様に雰囲気が似ています。
礼儀作法の先生は、お年を召したマチルダ先生。厳しそうな眼差しはお母様を思い出しました。
知っている人に似ている雰囲気の方々なので私は物凄く緊張することなく二人の先生の教えを乞いました。
ですが、なんというか、私って…
「ミランダ嬢は、ダンスよりも体力をつける方が先ですかね?」
ぜーはーと肩で大きく息を切らせながら私は床に突っ伏していました。一緒に受けているロンダはケロリとした表情。
先生のおっしゃる通りです。
私ってば、体力がなさすぎます…!
考えてみれば、外に出掛けることも少なく行ったとしても家の周りくらい。運動というものに縁がない生活をしておりました。
ダンス自体はワルツから習っているので、体力を物凄く使うものではありませんが、普段動かさない筋肉を使い、慣れない動きをしているとどうしても緊張して疲労感がすごいです。
一曲踊っただけでこの有り様…本当にダンス以前の問題です。
「ミランダ嬢に宿題を出しましょう」
リック先生がにこりと笑っていいます。
「毎日、時間がある限りこのお屋敷を散歩すること。最低でも3回は必ずしてください。いいですか?」
伯爵のお屋敷は広く、お庭だけでもかなりの敷地があり、歩くのも大変なほど広大でした。
「体力をつけるためによく食べましょう。ミランダ嬢は細すぎる。よく噛んで、よく食べて、よく歩きましょう。そうすれば必ずダンスが上手くなりますから」
落ち込む私にリック先生は優しく言ってくださいました。それから、私は体力をつけるべく、歩くことが日課になっていったのです。
しかし、もっと体力をつけたいと思った私はララお母様にお願いしてお屋敷のお掃除やお料理のお手伝いをさせて頂くことになりました。
元々、お母様に厳しく教えられていましたので、それらをするのは苦ではありません。最初は渋っていた執事のマールさんやメイド長アリアさんも「体力をつけてダンスを踊れるようになりたいんです!」と訴えたら勉強のお邪魔にならない程度にということで了承して頂きました。
これがかえって良かったです。
お屋敷に仕える方はかなりの数がいるので、一人一人名前を覚えるのも大変です。仕事を手伝いながら、メモを片手に名前やお仕事の様子を覚えていきました。その時、皆様とも親しくならせて頂き、とても忙しく毎日を過ごしていきました。
その方が良かったのです。
余計なことを考えなくてよいので――
そして、こちらに来てから四日目の夜の食事の時です。
「アルファ様が国王陛下の所にいるんですか?」
「ええ、その足で一度、こちらに帰ってくるんじゃかいかしら?」
「よかったじゃない、ミランダ! アルファ様がお帰りになられるんですって!」
「ええ…」
アルファ様が…帰ってくる。
ーとくん、とくん、とくん
やだ。心臓が…
早まる心音を感じながら食事を口に運びます。でも先程はまでは美味しい料理だったはずなのに、急に緊張してしまい味がよく分からなかったです。
ーーーーー
ーコチコチコチ…
玄関には大きな柱時計があります。その時計を見ながら私はアルファ様のお帰りを待っていました。時刻は11時を過ぎたところです。いつもはベッドに入る時間をとうに過ぎていましたが、私はまだ玄関で待っていました。
「くしゅっ…」
寒さが増してきた玄関では暖炉から遠く、床は冷え冷えとしておりました。何も羽織るものもなくここへ来てしまったので、寒さでぶるりと震えます。
何か羽織るものを取りに戻ろうかしら?
でも、その間にアルファ様が帰ってきたら…
一番におかえりなさいって言いたい。
笑顔で、おかえりなさいって。
そう思うと、取りに行きたくても取りにいけません。私は冷たくなった手を擦り合わせて目の前の扉が開くのを待っていました。
「ミランダ? まだ、待っているの?」
振り返るとロンダがいました。手には椅子とブランケットを抱えています。とっくに寝ていたと思っていたので驚きました。
「うん…おかえりなさいって言いたいから」
「そっか…でも、もう一時間以上待っているわよ。ほら、すっかり体も冷えてる。休んだら?」
それに私は首を振りました。少し微笑んで言います。
「お手紙に書いたの。”お帰りをお待ちしています”って。だから、お帰りになられた時に一番に顔を見たいのよ」
この時間ならすぐお休みになられると思う。だけど、少しでもいい。顔を見たらそれで…
そう言うとロンダはため息を一つついて、椅子を置き、ブランケットを私の体に掛けました。
「そう言うと思った。寒いでしょ? 厚手のものだからあったかいはずよ」
にこっと笑われて言われ、私の体だけではなく心までもあたたかくなります。
「ありがとう、ロンダ」
「いいのよ。早く、帰ってくるといいわね」
ロンダが扉を見つめます。私も同じくまだ閉ざされた扉を見つめ「そうね…」と、言いました。
ロンダが行ってしまった後、私はブランケットにくるまれながら、椅子に座り扉が開かれるのをひたすら待ちました。あたたかいブランケットにくるまれていると、どうしても瞼が落ちてきそうになります。
あぁ、寝ちゃダメ…寝ちゃダメよ…
慣れない生活に私の体は思った以上に疲れていました。うとうととし始めてしまったとき、ちょうど柱時計の音がなります。
ーボーン
静まり返った玄関に響く音。それに目を覚ましました。
ーガチャリ
重厚な扉が開かれていきます。それに立ち上がって、開く人物を見つめました。
――アルファ様!
その姿に全身が震えるようでした。ドキドキと心臓が痛いくらいに高鳴っています。アルファ様は私が出迎えているとは思ってなかったのか、目を見開き驚かれていました。
あぁ、よかった。
ちゃんと、お帰りを待てた…
嬉しくて、どうしようもなく嬉しくて。
私は笑顔で言いました。
「お帰りなさいませ、アルファ様」
その一言が言えればいいと思っていたんです。本当に…
でも、私の心は貪欲で、アルファ様ともっと、お話したいと思ってしまいました。
「…なんだか照れますね。お出迎えをするというのは」
弾む心のままに話したので、声までもステップを踏んでいるように弾んでしまいます。
でも、アルファ様は何も言わずに目を見開いたままでした。
それにチクリと心が痛み、きっとお疲れなんだわ…と寂しい心はそっと仕舞って笑顔で言いました。
「お疲れですよね? 鞄を持ちますわ」
そう言って手を差し伸べますが、様子がおかしいです。ずっと黙ったまま、私を見つめるばかり。
「…アルファ様?―――きゃっ!」
アルファ様が動いたと思ったら、次の瞬間、抱きしめられていました。あの二人で過ごした二日間の間に何度も感じた逞しい体に包まれて、息が止まりそうでした。
ーとくん、とくん、とくん
また心臓の音が高鳴ってしまう。こんなに密着していたら聞こえてしまうのではないかしら…と心配になります。
でも、聞こえてしまってもいい。だって、愛しい人の腕の中なのですから。
「会いたかった…」
すぐそばで小さな声が聞こえてきました。その言葉にきゅんと、胸が高鳴りました。ゆっくりとアルファ様の背中に手を回し存在を確かめるように撫でます。
「私も会いたかったです」
そう言うとアルファ様が離れます。熱い――火傷しそうなくらいの眼差しで射ぬかれ、ドキリとしました。ゆっくりとアルファ様の顔が近づきます。
――あ、キスされる…
そう思って目を伏せた瞬間、ロンダの声がしました。
「ミランダ、アルファ様、帰ってき…た…!?!?」
その声にびっくりして、目を開きます。ロンダを見つめると真っ赤になって固まっていました。それに我に返って慌ててアルファ様から離れます。
み、み、見られた!?
ロンダに!? うそ!? え!?
今度は違った意味で心臓が早く鳴り出し、手は震えだします。
「え、ええ…あ、アルファ様、鞄をお持ちしますねっ」
妙に高い声で言い、アルファ様の鞄を引ったくるように奪って走り出しました。
見られた! どうしよ~っ!!!
半泣きになりながら、アルファ様のお部屋へと走っていきました。
ーバタン
アルファ様の部屋に行き扉を閉めた所で、へなへな~と腰が抜けていきます。ドッドッドッと心臓が早まり、アルファ様の鞄をぎゅっと握りしめました。
「はぁ……」
どうにか落ち着こうと深呼吸をします。
あんな風に逃げ出したりして、気分が悪いわよね…あぁ…
自分の失態に目を覆いたくなります。
せめて鞄だけでも置いておかなければと思って立ち上がります。しかし…
「どこに置けばいいのかしら…」
鞄を持ったまま、途方にくれました。
どうしよう…と、部屋の中を歩き回っていると、扉が開きます。
「あ、アルファ様…」
声をかけると、ふっと視線を逸らされます。それにズキリと心が痛みました。
やっぱり、さっきのが…
手のひらをグッと握りしめ、どうにか笑顔を作ろうとしましたが、表情がひきつってしまったような気がします。
「すみません…鞄を持ったのは良いのですが、どこにしまえばいいのか分からなくて…」
そう言うと、アルファ様が疲れたように言います。
「ありがとう。目の前の机に置いてくれればいいから。少し疲れているから休ませてもらうよ」
そう言って椅子に座わられてしまいました。大きくため息をつく背中を見つめながら、切なくなります。
このまま出て行った方がいい。夜も遅いし、その方が…そう思っていても心はどこまでも貪欲にアルファ様を求めていました。
「アルファ様…その先程は逃げてしまってすみませんでした…けして嫌だったというわけではなく…恥ずかしくて…その…」
自分でも何を言いたいのか、何を伝えればいいのか分からず、言葉だけが口から出ていってしまいます。
しどろもどろの言葉が途絶えた時、アルファ様が立ち上がりました。
――また、火傷しそうな熱い眼差し。
「アルファ様? …んっ!」
抱きしめられたと思ったら、唇を奪われていました。
呼吸もできないほどの激しい口づけ。深まるそれに翻弄されながらも、心は歓喜していました。
あぁ、どうしよう…蕩けそう。
こんなに求められることが嬉しくて、幸せでした。
この人の腕の中に居られれば、他のことがどうでもよくなってしまう。
ダンスパーティーのことも
ロンダとの別れさえ…
アルファ様に答えるように腕を、頭に回しました。
ーコンコン、ガチャリ
「アルファ様、マールさんがいなかったので、代わりに水を…」
「っ!?」
「…………」
突然のロンダの登場に、そのままの体勢で顔だけロンダに向けました。
あぁ、なんでこんな…
「あっ! 水は置いておきますね! あははっ! ごゆっくり~!」
ーバタン
ロンダが出ていった後、私の頭の中は羞恥でパニック状態でした。顔は火照り目が熱くなります。
ロンダに見られたなんて…!
パニックになった私は咄嗟にとんでもないことを叫んでしまったのです。
「屋敷の中ではキス禁止です!!」
そして、そのまま走り出しました。
ーーーーー
息が切れて、部屋に戻る途中で足を止めます。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
生唾を飲み込んで息を整えますが、心臓はまだ異様に早くなったままでした。
あぁ…また、なんてことを…!
自己嫌悪でどうしようもなくなります。
あの日…二人で過ごしたあの日に、アルファ様の喜ぶことなら何でもしたいって、話したのに…
キスされて、嬉しかったのに…
なんで…
答えが分からないまま、眠る部屋に戻りました。
ーーーーー
部屋に戻ると、ロンダは先にベッドで横になっていました。恥ずかしいとこを二度も見られてしまい、かける言葉に迷いました。ロンダは”見せつけてよね”なんて冗談のように言っていましたが、実際に見せつけられたら困るに決まってます。
寝息のない無言でいる背中にポツリと言いました。
「ごめんなさい、ロンダ…」
そう言うと、目が熱くなってしまいました。
涙、出そう…
ただ恥ずかしかっただけではない。
この気持ちは…
――そっか…私、あの瞬間…
アルファ様とキスをしている時、ロンダのことが二の次だった。他のことも何もかも。どこまでもキスに溺れていきそうだった。
強くなるって決めたのに…
アルファ様に恥をかかせないようにダンスも作法も、他のこともちゃんとしなくてはいけないのに…
それを二の次にしてしまうなんて最悪です。
堰を切ったように涙がポロポロと零れては流れました。
「ごめんなさいっ…」
涙声で言うとロンダが起き上がります。
「え? どうしたの、ミランダ!?」
生まれた時からいつも一緒だった大好きなロンダの声。別れるというのに、甘えてしまう。それじゃあ、ダメなのに。涙は止まらなくて、顔をぐちゃぐちゃにしながら言いました。
「アルファ様に…」
「アルファ様に…?」
「キスは禁止って言っちゃった…」
「は?」
「はぁぁぁぁぁぁ!?」
午前1時。
ロンダの驚きの声が部屋中に響きました。
次はお姉ちゃんの出番です。
更新はあさってになります。
皆様が読みやすい時間が分からず、ひとまず朝の7時がアクセスが多いので、これで固定しようかと思います。
あと、誤字報告もありがとうございます。身をひきめながら書いていきます。




