24.思い通りにいかない日 sideアルファ
陛下に呼ばれ王宮へ向かう馬車の中、私は本日、何度目かのため息をついた。
馬車は軽快に走り続け、王宮まであと一刻というところだろう。
陛下に会うことが憂鬱だが、私はそれ以外で頭を占めているものがあった。
――ミランダが私の屋敷にいるのだ。
ミランダが屋敷にいるのだぞ? 結婚前なのに。いや、経緯は分かっている。陛下の結婚パーティーに出席するための準備に来ているのだ。母上がきっとゴリ押しをしたのだろう。それは、いいのだ。よくぞゴリ押しをしてくださったと母上に拍手を送りたい。それぐらい嬉しい。
ミランダがいるんだぞ。家に。
嬉しいに決まっている。
きっと口笛を吹けたら、ずっと吹いていられるぐらい心は浮かれている。私にはその才能がないので、やらないだけだ。
早く帰りたい。
帰ってミランダに会いたい。
なんで陛下に会わないといけないんだ。
特に大きな案件もない。
なんで、今なのだ。
仕事1割、私をからかうための無駄話9割の人だぞ。無駄話をするなら一刻も早く帰りたい。
そうか…早く終わらせてしまえばいい。
そうすれば9割は時間を削減できる。そうしよう。そして一刻も早くミランダの元へ。
「閣下、顔がにやけすぎです。そんなに陛下に会うのが嬉しいのですか?」
隣に座っていたエミリアが声をかけてくる。それほど顔が緩んでいたか?
「違う。ミランダが私の屋敷に来ているんだ」
「………それは破廉恥な」
「おい…」
「なぜ、ミランダちゃんがいるのです? 遊びに来たのですか? 遊びというのは何をする気なんで・す・か?」
「…落ち着け。陛下の誕生パーティーがあるのは知っているだろう。それに出席するため準備で来ているだけだ」
「やはり、破廉恥です」
「…なぜ、そうなる」
エミリアの言い草に、また一つため息をついた。
「結婚を誓い合った二人が同じ屋根の下にいるなど、既成事実がいつ作られてもおかしくない状況です」
「……………それはないだろう」
「なんですか、その間は。その間は! 何もしないと本当に心の底から誓えるのですか?」
「ミランダの姉も来ているんだ。無粋な真似はしない」
「…ミランダちゃんのお姉様もですか?」
そう言うとエミリアはブツブツ言い出した。
「ミランダちゃんのお姉さまと言えば、ミランダちゃんと瓜二つのはず…え? あのような可愛い生き物が二人も? なんですかそのパラダイスは。何がなんでも会いに行かなければ…」
小声なのでよく聞こえなかったが、放っておこう。たぶん、また変な事を考えているに違いない。
ともかく、私の腹積もりは決まった。
無駄話はしない。さっさと帰る。これだ。
ーーーーー
王宮の来賓室に通される。そこで待っていたのは豪胆という言葉が似合う陛下の姿だった。
ロックス陛下――獅子王と呼ばれるこの方は国内の改革を押しすすめ、国防を強化させた。貴族の過剰なまでの特権を抑制し、代わりに能力があれば出生は問わず国民全員を重用した。反発した貴族を武力で捩じ伏せ、どこの国の者かも分からない后を娶った。皇后一人を愛し、側室も持たない。何もかもが型破りな人だ。
そして、この方は父とは旧知の仲。幼少期から俺をなぜか色々と可愛がっていた。
「おお、アルファ。久しいな、元気だったか?」
「陛下もご機嫌麗しく。今日はどういったご用件でしょうか?」
「あぁ、お前の顔が見たくてな」
「そうですか。私は心身共に健康です。では顔を見せたので帰らせて頂きます」
一礼して体を反転させる。
「ちょっと待て!? なんですぐ帰る!」
「顔を見せたので帰ろうと思います。では」
「こら、待て!…ったく、可愛いげのない。昔は…あんなに泣きべそかいていた小僧だったのに…こいつが嫁さんを貰うだからなぁ。俺も年取るわけだな」
しみじみ言われた中にひっかかるものがあった。嫁さん…? 陛下にご報告したことはなかったが、父上が言ったのだろうか。
振り返ると、にやりと笑った顔があった。まずい、これは無駄話に掴まる…
「可愛い嫁さんを貰うんだってな。相手はカリム男爵令嬢で社交界にも顔を出したことがない。あの無愛想なアルファ卿が骨抜きになるほどの美女らしいって噂だぞ」
それに大きく息をはいた。母上が言っていた社交界の噂というやつだろう。全く、他にやることはないのか。
だが、この機会にミランダのことを話すのも今後何かと煩く言われずにいいかもしれない。
「確かに私はカリム男爵令嬢のミランダと結婚します。私が骨抜きになっているのも事実です。しかし、陛下、ミランダは美女ではありません」
「そうなのか?」
「ミランダは美少女です」
「―――は?」
私は淡々と事実を述べていく。
「ミランダはまだ15歳です。その年齢に似つかわしくない艶っぽさも出しますが、年齢を考慮すれば少女という表現が妥当でしょう。いや、美少女というのも彼女を形容するにはあまりに平坦な言葉です。彼女は性格から、表情、しぐさまで全てにおいて可愛らしいです。本当にすべてが愛らしく、可愛いのです。可愛いの言葉しか出てきません。なので、美少女というより、”可憐な少女”と言った方が彼女に相応しいと言えます」
「…………」
言い切ると陛下が口を開いたまま黙っている。む。伝わらなかったか?
「伝わっていないのでしたら、もう一度初めから…」
「いや、充分だ…」
苦笑いをされながら言われて、やや腑に落ちなかった。ミランダのことを話せと言われたらいつまでも話していられるのに。
「ほんと、骨抜きにされてんだな…いや、お前は女に関しては冷めていたからそんな風に情熱的に女性を語るなんて思わなかったぞ」
はっはっはと、豪快に笑う閣下にいささか馬鹿にされているのか、と思ったが敢えて口にはしなかった。陛下という身分を考慮してのことではない。それを餌にどこまでもこの方は酒のつまみにするからだ。
「彼女と出会えたことは奇跡だろうと感じています。生涯、愛を貫くと誓っています」
「ほぉ…なら、俺に会わせろ」
「は?」
「俺がその”可憐な少女”に会って、俺の後ろ楯があると思えば暇な狐どもも黙っているだろうさ」
陛下の言葉にハッとした。
『――無事、婚約をすませた所でまた狐達が騒ぎ出したのです。何度、お茶会に招かれたことか』
母上が言っていたことを思い出す。もしかしてこの方は…
「狐狩りをするために事前に私に会ってくださったのですか?」
そう言うと陛下がにやりと笑う。
「俺はお前が思っている以上にお前が可愛いんだよ。その嫁も同じだ。だから、ララが狐狩りをやっているというんでな。ちっとばかし、協力しようと思っただけさ」
それにふっと力が抜ける気がした。母上といい、陛下といい、私は人に恵まれている。社交界のいざこざには鈍いため、協力して頂けるというのであれば、これほど頼もしいものはない。
「陛下…ありがとうございます」
「礼には及ばん。その代わり付き合え」
「は?」
ドンと出してきたのは酒瓶のようなものだった。ワインともブランデーとも違う。小さな皿…と表現すればよいか分からないが、皿の上に透明の液体を少量注がれた。
「なんですか、それは?」
「妻の故郷の酒だ。といっても、試作品でな。妻の故郷は遥かな地にある。ずいぶん前に酒が飲みたいとごねられてな。それで作ってみたが、妻の口に入る前にお前で試してみようと思ってな」
「酒はあまり飲めませんが」
「祝い酒だ。結婚するお前にな」
小さい皿を手渡され、匂いをかぐ。ワインとは違う甘く芳醇な香りがする。 白ワインとも違う無色透明の液体。それを口に含んだ。
「どうだ? 旨いだろう」
「…はい。かなりアルコールを感じますが、後味が良いです」
「そうだろう。そうだろう。大量生産して他国のヤツに売りつけてやろうと思ってな」
皇后陛下への贈り物ではないのか…と一瞬思ったが、気にせず話に乗ることにする。この方のことだ、きっと皇后陛下にもきちんと贈った上で、利益になるものならば抜け目なく生産を考えているのだろう。
「ワインとも違う味なので売れるでしょう。我が国の特産になれば良いです」
「そうだろう。そうだろう。アルファ、分かっているじゃないか。さ、もっと呑め」
「はっ…」
こうして、私が最初に決めた”無駄話はしない”という思い通りにはいかないまま、時間は過ぎていった。
ーーーーー
まずい…飲み過ぎた。
後味が良いからつい二杯、三杯と飲んでしまった。屋敷に戻ったらミランダが居るというのに酔っぱらっていたら格好がつかない。屋敷に着いたら、水を飲んで少し落ち着こう。こんな状態でミランダを見たら、エミリアの言うとおり破廉恥な状況になってしまう。
なんとか意識をしっかり持たなくては…
一度大きく深呼吸をして、屋敷の扉を開いた。
「お帰りなさいませ、アルファ様」
「……………」
今日はことごとく思い通りにいかない日らしい。扉を開いた先にミランダが居たのだ。
―ドクン
「…なんだか照れますね。お出迎えをするというのは」
―ドクン、ドクン
「お疲れですよね? 鞄を持ちますわ」
―ドクン、ドクン、ドクン
「…アルファ様?」
―ドクン、ドクン、ドクン!
「きゃっ!」
気がつけばミランダを力いっぱい、抱きしめていた。小さな体は私の体重を支えきれずやや後ろに反り返る。戸惑いの声が聞こえたがそれを無視して抱きしめた。
思いが込み上げてくる。どうやら私は自分が思っていたよりもずっとミランダに飢えていたらしい。
彼女が目の前にいるだけで、我を忘れそうだ。
「会いたかった…」
情けないほど小さな声でいうと、ミランダの手が私の背中に回る。ゆっくりとあやすように擦られながら、ミランダの嬉しそうな声が聞こえた。
「私も会いたかったです」
それに愛しい気持ちが高まって、彼女にキスをしようと頬に手を添えた――その瞬間。
「ミランダ、アルファ様、帰ってきた…!?!?」
ミランダと同じ顔がもう一人やってくる。その人と目が合い、なぜミランダが二人いるんだ、と不思議な気持ちで見た。
その間にミランダがささっと私から抜け出す。
「え、ええ…あ、アルファ様、鞄をお持ちしますねっ」
そう言うと、ミランダはさっさと行ってしまった。
「「……………」」
残された私達は非常に気まずい空気になる。
そうだ。頭が冴えてきた。この人はミランダの姉のロンダだ。
キスをしようとしたところをバッチリ見られてしまった。まずい…かなり印象が悪い。
どうしたものかと思案していると、ロンダ嬢が近づいてくる。そして私の顔をじっと見つめた後、くんくんと匂いを嗅ぐようなしぐさをした。
「アルファ様…お酒を呑まれてます?」
「っ…あぁ、陛下に呑まされてな。旨い酒だったもので、つい呑み過ぎてしまって…その…」
酒のせいにするとは情けないが、なんとか言い訳をしたくて口を開く。しかし、上手く口が動かなかった。
「ふふっ。そんな遠慮しなくてもいいんですよ。ミランダにも言いましたけど、お二人のイチャイチャっぷりをニヤニヤしながら見るので。どんどん、遠慮なく、イチャついて下さい!」
鼻息荒く言われたが、それはそれで勘弁してほしいと思う。
「すまない。頭を冷やしたいから、部屋に水を持ってきて欲しいと執事マールに伝えてくれないか」
「マールさんですね。分かりました」
「ありがとう。先に部屋に戻っている」
「はい。分かりました」
そのままロンダと別れて部屋に行く。
頭を冷やせ。
とにかく、頭を冷やせ。
無意識に高鳴る心臓を深呼吸をして整える。そして、自室の扉を開いた。
「あ、アルファ様…」
そうだ。今日は思い通りにいかない日だった。そんなどうでもよいことを部屋に居たミランダを見つめながら思う。
鞄を抱えたままミランダは困った表情で話しかける。
「すみません…鞄を持ったのは良いのですが、どこにしまえばいいのか分からなくて…」
高ぶる心臓を押さえるようにミランダから視線を逸らした。
「ありがとう。目の前の机に置いてくれればいいから。少し疲れているから休ませてもらうよ」
そう言って椅子に座る。心臓が痛いくらい高鳴り、今すぐミランダを抱きしめたくなる。なるべく彼女を見ないように大きく息を吐き出した。
すると、背後にミランダが立った気配がした。
「アルファ様…その、先程は逃げてしまってすみませんでした…」
ドクンと、心臓が跳ねる。ミランダの声を聞いているだけで不埒な思いが込み上げてくる。早く離れなければと思うのにいい言葉が思い付かない。
「けして嫌だったというわけではなく…恥ずかしくて…その…」
その恥じらいながら言う甘い声は理性をかき消すには充分だった。
きっと、酒を呑んでいなければ
きっと、水を飲んでいれば
もう少し冷静でいられたのかもしれない。しかし、どれもがない今となっては、私の理性はいつもより脆く瓦解寸前だった。
―あぁ、本当に今日は思い通りにならない。
「アルファ様? …んっ!」
椅子から立ち上がるとミランダの体を抱きしめ、衝動のままに口づけていた。ミランダが羽織っていたブランケットが床に落ちる。久しぶりの口づけは頭の芯が蕩けそうなくらい甘かった。
戸惑いがちに応えてくれるミランダが嬉しくて、もっと口づけを深める。幾度となく交わしている時、それはやってきた。
ーコンコン、ガチャリ
「アルファ様、マールさんがいなかったので、代わりに水を…」
「っ!?」
「…………」
そうだった。
ロンダに水を頼んだではないか…
ミランダの家族の前で二度目の破廉恥行動…最悪だ。
ロンダ嬢は笑顔のまま数秒固まった後、そのままの表情で早口で言う。
「あっ! 水は置いておきますね! あははっ! ごゆっくり~!」
ーバタン
ミランダを見つめると涙目で真っ赤になってプルプル震えている。そんな顔も可愛いなと馬鹿な私は思ってしまう。
「屋敷の中ではキス禁止です!!」
ありったけの声で叫ばれ逃げられてしまった。
最悪だ。
今日は本当に何もかもが思い通りにならない。
床に落ちたままのブランケットを拾い上げ、私は盛大にため息をついた。
アルファが国王に話しているシーン。
恐らくアルファが喋る話の最長かと。
エミリアと会話しているとアルファが突っ込み役になってしまうので忘れていましたが、そうでした。アルファって、こういう恥ずかしいことを平気で言う人でした(笑)




