19.甘えるということは sideアルファ
紳士的に。
紳士的に。
紳士的に。
何十回心の中で呟いたか分からない言葉を繰り返しながら、私は着替えていた。服装は仕事着だ。これやらミランダを前にしても、欲望で我を忘れることもないだろう。
昨晩と今朝の私はおかしかった。ミランダが可愛すぎて完全に我を忘れていた。
マリア様とエミリアの言う通りだ。
結婚前に欲を交わすなどあってはならん。ミランダがいかに可愛くとも、そう、いかに可愛くとも、男なら紳士的に接するべきだ。
「ふぅ…」
一息ついて鏡で確認する。だらしない顔はしていない。よし、これならば紳士的にミランダに接することができるだろう。
ーコンコンコン
タイミング良く扉がノックされた。一つまた息を吐いて扉を開く。
この時、私は自分でも分かっていなかったのだ。いかに自分がミランダを好きかってことを。
ーガチャリ
「閣下、ミランダちゃんの着替えが終わりました」
「…アルファ様、どうですか?」
ミランダを見て、私の思考は完全に停止していた。ドアノブを持ったまま目を見開き、言葉もなく固まる。
「閣下? かっかー!」
「アルファ様、どうしました?」
いや、どうしましたも、こうしましたもないだろう…なんだ、その格好は!
首まで隠された紺色のドレスは、いつものミランダの可愛さを残しつつも、ウエストから腰のラインがタイトに作られており、それが魅惑的に見えた。頭の飾りもまた彼女の可憐さを際立たせていた。まだ蕾だった彼女が美しく花開いたようで、私は言葉を失っていた。
「閣下! 大丈夫ですか? 意識はあーりーまーすーかー!!」
「アルファ様! しっかりしてください!」
ミランダに手を握られてやっと正気に戻る。
「すまない。大丈夫だ」
まだ混乱する頭を整理しつつ二人に答える。すると、ミランダがホッと胸をなで下ろした。
「閣下、ミランダちゃんはどうですか? 禁欲的でそそりますでしょう?」
「エミリア…」
無表情で何を言い出すんだ…絶対、楽しんでいるだろう…頼むからこれ以上、頭をおかしくさせないでくれ…
「そそるんですか? アルファ様?」
ミランダまで何を言い出すんだ…そんなキラキラした目で見て、私に何を言わせたいんだ…
「どうですか?」
「どうですか?」
二人に詰められて、私は大きくため息をついた。
「あぁ、そそる…綺麗だ」
そう言うと二人は満足そうに微笑みあった。なんだこれは…恥ずかしいじゃないか…
「では、ミランダちゃん。閣下との時間を楽しんでください」
「ありがとう、エミリアちゃん」
「閣下。閣下は今日はお休みにいたしました」
「…まだ仕事があるだろう」
「いえ、トレビアーン子爵との交渉は事務処理だけですので、私にお任せください。今日はせっかくミランダちゃんが居ますので、ごゆるりとお過ごし下さい」
「そうか。すまない…ところで、トレビアーン子爵ではなくヘンリー子爵だぞ」
「分かっております。ただの皮肉です」
「………」
「その代わり明日からはまた死ぬほど仕事をしていただきますから。取り急ぎ、陛下が内々にお会いしたいそうなので、その日取りを帰ったらお伝えします」
「陛下が…?」
脳裏にあの型破りな陛下の姿が思い出された。陛下と会うとろくなことがない。不安だ…
「わかった。後は任せる」
「はっ」
そう言うとエミリアは扉を閉めた。妙に疲れて大きく息を吐いた。
「アルファ様、大丈夫ですか?」
声をかけられミランダを見つめると、先程までしつこく念じていた”紳士的に”は、木っ端微塵に消えていた。
綺麗すぎて直視できない。
「大丈夫だ。その…ミランダがあまりにも綺麗で、どうにかなり…」
ーバタン!
「閣下、いい忘れましたが、紳士的にお願いしますね」
ーバタン!
「…………」
絶対、今のはわざとだ。絶対に…
もう何度ついたか分からないため息をついた。
「ふふっ。エミリアちゃんて、いい人ですね」
笑っているミランダを見て妙な気持ちになる。
あれがいい人? いい人なのか? いや、いい人かもしれない。ミランダから見れば。
悶々と考え込む私にミランダが声をかける。
「アルファ様…その、本当に変じゃないですか?」
ん? 何がだ? エミリアなら充分、変だが。
ミランダは頬を染めて、もじもじとうつ向いてしまう。あぁ、そうか。エミリアがいたから服装を褒めたと思っているのか? そんなわけないのに。
「綺麗だ、ミランダ」
「!」
「美しすぎて、直視できない」
そう告げ、ミランダの指先をとる。そして、手の甲にキスをした。
はっ。しまった。紳士的にと思ったのに、ついしてしまった。いや、手の甲なら大丈夫か?
ミランダを見ると真っ赤になっていた。それに口元が緩む。
「ミランダ」
「は、はい!」
今度はそっとミランダの両手に触れて、思いを告げる。
「私は君が可愛く見えてしかたない。可愛くて無意識に触れたくなる。だが、怖がらせるようなことはしたくない。君が嫌ならキスもしない。怖いことはしないから、触れることは許してほしい」
愚かなお願いだが、私にとっては大事なことだ。ミランダに無理強いをしたくない。大事にしたい。愛してるから。
だから、怖がらせているようなら、無理に触れたりしない。何がなんでも自分を止めなければ…
だが、できうることなら許してほしい。私は君に焦がれて仕方ない。君を感じられなければ、私は水を与えられず枯れる花になってしまうだろう。
だから、どうか…
「アルファ様…アルファ様にされて怖いことなんて一つもないです。全て嬉しいです。キスだって、してほしいです。だから…」
ミランダが触れられた手を握り返す。
「許すとか、そんなこと、言わないでください。アルファ様のお心のままに触れてください。私は、アルファ様が喜ぶことなら何でもしたいのです!」
あぁ、君って人は本当に…
どこまで私を愚かにするのだろう。
君が愛しすぎて、もはや苦しい。
「ありがとう。ありがとう、ミランダ」
彼女を抱きしめる。そして、そっと耳元で囁いた。
「嬉しいが、何でもしたいなんて、不用意に言ってはいけない。私だけだ。私だけに言うんだよ。いいね?」
「はい…」
ミランダの答えにひどく満足した。
ミランダの言葉で彼女を自分のものだけにしたいという黒い感情がくすぶっている。
その感情がいつか彼女を傷つけないか。やはり、私は自分で自分が恐ろしかった。
ーーーーー
ミランダとの口づけをひとしきり終えた後、私達は食事をしに外へ出た。
昨日のサンドイッチが美味しかったというので、それをまた食べに行く。そして、店に着いたミランダはメニューを睨みながら唸っていた。子犬のようで可愛くて、ずっと見ていたくなる。
「決まったか?」
「すみません…二つで迷っていて…」
「どれとどれだ?」
「このたっぷりハムのサンドイッチと、ジューシーチキンのローストと卵のサンドイッチです。どちらも美味しそうで…」
「確かに。では、二つ頼めばいい。食べきれなかったら、私が食べる」
「本当ですか! 嬉しいです!」
笑顔になったミランダを見ながら、私達はサンドイッチが来るのを待った。
ーーーーー
「美味しい!」
幸せですと言わんばかりにミランダはサンドイッチを頬張る。それを見ているだけでこちらは満足しそうだ。
「本当に君は美味しそうに食べるのだな」
「そうですか?」
「あぁ、食べてみたくなる」
そう言うとミランダは赤くなってうつ向いてしまった。ん? 今日は、昨日みたいにくれないのか?
「食べさせてくれないのか? 昨日みたいに」
「えっ!? えーっと…その…半分にしますね!」
昨日のが恥ずかしかったのか、ミランダは半分にサンドイッチをちぎる。それを見てなんだか面白くはなかった。
「はい。どうぞ」
ミランダは笑顔でサンドイッチを差し出してきた。本来ならサンドイッチを受けとればいいのだと思うが、私はそうしなかった。
「アルファ様っ!」
彼女の手首をとって、がぶりとサンドイッチに食らいつく。
「きゃっ」
ミランダの指ごと口にいれて、全部を食べてしまった。彼女はポカンとしたまま、口を動かす私を見ている。
「…そんなに、食べたかったのですか?」
「あぁ…」
もちろん嘘だが、平然と言ってのける。
「ミランダの手から食べるとより美味しく感じる」
そう言うと彼女は真っ赤になった。それが可愛くて、にやけてしまいそうになる。
「じゃ、じゃあ、他のも私が口に運びましょうか?」
思ってもみない申し出に今度はこっちが照れる。でも、このチャンスを逃す手はない。
「じゃあ、お願いする」
「任せてください!」
お願い事が嬉しいのか、ミランダは張り切って、せっせとサンドイッチをちぎっては口に運んでくれる。あまりに必死にやっているので、私の口元は緩みっぱなしだった。
どうやら私は吹っ切れたらしい。
ミランダが何でもしたいって言ってくれたのがよほど嬉しかったみたいだ。
前だったら、照れて躊躇してしまうことでも、多少の照れでやってのけてしまえる。これが甘えているという状態なのかもしれない。
それに答えてくれるミランダがなにより嬉しかった。
アルファがかっこよく決めてもミランダの返しがそれを上回ってしまい決めきれません。
ミランダが一番最強なのかと思う今日この頃です。
そろそろ帰りの時間が迫ってきました。
次はミランダがついにアルファをノックダウンさせます!




