15.今宵君は、私の腕の中 sideアルファ
ヘンリー子爵との話し合いは一向に終わらなかった。
「ですから僕はですね。このトレビアーンな観光名所にトレビアーンな景色を残したいだけなのです。だって、このトレビアーンな景色は唯一無二のものですよ。ですから、このトレビアーンな…」
子爵は話を聞かない人だとは思っていたが、ここまでとは…。ここに来てすでに四日目だというのに、子爵は自身の演説を繰り返すだけで、こちらの意向は一切聞いてない。頭が痛くなってくる。
「ヘンリー子爵。あなた様の観光地への情熱はわかりましたが、しかし、防衛のためには…」
「お分かりになられましたか! さすがです。アルファ卿。トレビアーンです! そうでしょう。そうでしょう。この景色は他でもなくトレビアーンでありまして…」
はぁ…帰りたい。
このくらいのこと、自分で処理できるようにならなければいけないというのに…早く終わらせてミランダに会いに行かなければならないというのに。
歯がゆく思っていると、エミリアが近づいてくる。先ほど用があるとかで席を外していたはずだ。エミリアは私に耳打ちする。
(閣下、ミランダちゃんが宿でお待ちになってます)
……………。
なんだと? ちょっと待て。ミランダが来ている? どこに? 宿に? なぜ?
というか、ミランダちゃんとはなんだ? いつからエミリアはミランダをちゃん付けで呼ぶようになったのだ?
混乱したままの頭でエミリアを見つめる。
(閣下、お急ぎください。このトレビアーン子爵を黙らせて、早くミランダちゃんの元に向かってください)
まだ頭は混乱したままだったが、ミランダが近くにいるということだけは分かった。私は立ち上がり、まだ演説続けるトレビアーン子爵に向かって言う。
「これ以上、話が平行線になるようでしたら、閣下に報告します。閣下から陛下に報告し、陛下に判断して頂くことになります。私は子爵に会う前に閣下に電報を書き、すでに私の考えに賛同して頂いてます。閣下は陛下の信頼も厚く、陛下の判断もおそらく、私と同じ判断になることでしょう。それでも、まだ、考えを改めませんか」
さすがに陛下の名前に驚いたのか、子爵は分かりやすく青ざめ、「アルファ卿の考えは実にトレビアーンです」と言ってやっと話は終わった。
ーーーーー
屋敷を終えた私は宿に向かうすがら、エミリアに事の詳細を聞いた。
「それで、ミランダは一人でここに来たと言うのか?」
「おそらく。他に誰もいませんでしたから」
それはおかしい。彼女は町に出かける際も姉と一緒だったはずだ。彼女自身もそれをよしとしていたはずだ。なのに、一人でなど…なぜ?
「閣下、お急ぎください。雨が降りそうです。ミランダちゃんは、遅くなると帰ると言っていました。雨が降る前に帰るかもしれません」
「わかった…ところで、なぜ、ミランダをちゃん付けで呼ぶ」
「うらやましいのですか?」
「…………。君たちは会ったことがないはずだ。なぜ、親しげに呼ぶ」
「閣下が、トレビアーン子爵と話されている時にお姿が窓から見えました。それでお話した際にミランダちゃん、エミリアちゃんと呼ぶ仲になりました」
エミリアの話にため息が出た。色々言いたいが、今はとにかくミランダだ。走るスピードを早めた時、ちょうど雨が降りだした。
ーーーーー
雨が降る中、エミリアと別れた私は宿を急いだ。宿に近づいたとき、誰かがいる気配を感じた。
雨に濡れることもいとわず駆け寄ってくる姿はまさか…
「アルファ様!」
信じられなくて手を伸ばした。顔を確かめるようにその頬を包み込む。
「ミランダ…なのか…?」
呟くとミランダは嬉しそうに顔を輝かせた後、すぐに目を赤くして涙をこぼす。
会いたくて、会いたくてどうしようもなかったミランダがここにいる。目の前に、確かに。驚きと歓喜でどうにかなったしまいそうだった。
唖然としていると、雨粒が彼女の額に落ちる。それに我に返り、マントを広げる。彼女を雨にさらさないようにしながら宿へ入った。
ーーーーー
部屋に入ると誰もいなかった。エミリアの言うとおり彼女一人で来たということか? いや、姉はどうした? ここはあの町から馬車で二時間はかかる。遠い場所をミランダ一人で行かせるなど、あの姉が許すはずはない。持ち物も小さな鞄一つで、着のみ着のまま来たようなものだ。なぜ? もしかして、彼女は私に会いたいがために一人で来たのか…?
「勝手に来て申し訳ありません! 」
思案していると突然、ミランダが頭を下げた。それに驚き見つめると、ミランダは顔をあげずに言う。
「アルファ様がお忙しいのは分かっていましたのに…来れる所にいらっしゃると思ったらつい…!」
ミランダの言葉を最後まで聞けなかった。彼女の謝罪が胸をしめつける。
「君が謝らなくていい。悪いのは私だ。すまない、ミランダ。すまない」
「会いたかった…」
いくら会いたいと言ったところで、会えなくては意味がない。彼女への愛を誓いながら、私は結局は仕事ばかりで、彼女の愛に答えてはなかった。愚かだ。本当に。
何もかも飛び越えて彼女がここに来たことが嬉しかった。同時に自分が情けなかった。
「私もです。私も会いたかった…!」
ミランダの悲痛な声に胸がしめつけられる。抱き寄せる手に力がこもった。
しばらく抱きしめていると、ミランダが呟いた。
「アルファ様…私、帰らなくては…」
帰る?
そうか…そうだな。持ち物も少なかった。もともと長居するつもりはなかったのだろう、しかし…
「お会いできて嬉しかったです」
ミランダを見つめると涙を堪えて彼女は笑っていた。それを見て冷静ではいられなくなった。
「帰さない…」
自分でもバカなことを言っていると自覚があった。でも、とまらない。いや、自分でとめたくないのだ。この熱情を。
「ミランダ、私は手紙に書いたはずだ」
「次に会うときは、絶対に、君を離さないと」
彼女を引き寄せ唇を奪った。冷えた唇に熱を注ぎ込むように深く口づける。咄嗟の口づけに抵抗されるかと思ったが、意外にも彼女は抵抗しなかった。それどころか積極的に答えてきて私が戸惑った。
「んっ…」
時折もれる声は普段の彼女からは想像できないほど艶っぽく、私の理性を崩しにかかる。
まずい…
このまま抱いてしまいそうだ…
わずかに残った理性がそれはダメだと警告する。そのようなこと、勢いですべきものではないと告げている。しかし、彼女の巧みな口づけが残った理性をかき消そうとする。
くそっ…!
力任せに彼女を引き寄せた。
「……………」
その時、気づいたのだ。彼女の体が異常に冷たいことに。はっとして、彼女から離れる。
「アルファ…様?」
酸欠なのか肩を上下させ、とろんとした目で見つめてくる彼女にまたも理性のネジが吹っ飛びそうになる。なるべく見ないようにしながら、彼女を抱き上げた。
「きゃっ」
驚いた彼女が咄嗟に私にしがみついてくる。寒さなのか恐怖なのか彼女は小さく震えていた。軽すぎる体を持ち上げて私はバスルームへと向かった。
ーーーーー
ゆっくりと彼女を下ろす。彼女はわけがわからなそうにキョトンと私を見上げた。そのしぐさも可愛すぎて、理性のネジが緩みそうになる。慌ててネジを締め直し、シャワーの蛇口に手をかけた。
「わっ!…アルファ様!?」
シャワーの向きが悪く、勢いよく出たお湯が、私の顔面を直撃してしまった。熱い…。
「大丈夫ですか!?」
こんな初歩的なミスをするなど…彼女の前だというのに、なんたる様だ。余裕がなくてカッコ悪い。
ふぅ、と息を吐き出して髪をかきあげた。
「ミランダ」
「っ!…はい!」
「体が冷えている。風呂に入っておいで」
「でも、アルファ様も濡れてます…」
確かにさっきのシャワーで私の方がびしょ濡れだ。
彼女の心配そうな顔にふっと力が抜ける。
「なら、一緒に入るか?」
………………って、ナチュラルに何を言っているんだ、私は。
冗談だと言おうとした時、ミランダが真っ赤になって、ぐいぐい私を押してきた。そのままバスルームの外に押しやられる。唖然と見つめると、ミランダは頭を下げた。
「申し訳ありませんが、それはまだ練習してませんので、またの機会にしてください!!」
ーバタン!
そう言って扉を閉められてしまった。
「……………」
練習とはなんだ? 練習をすればいいのか? またの機会にとは、一緒に入ること自体は嫌ではないということか?
そこまで考えて、顔が熱くなった。
「はぁ…」
深いため息をつく。自分の中に籠った熱を吐き出すように。
ミランダがそばに居るだけで冷静さを失ってしまっている。思いが暴走しそうだ。
水を含んで重くなったマントをとり、冷静になるために水を飲もうとテーブルに近づいた。
ん? これは?
テーブルの上に一冊の本が置いてあった。布にくるまれたそれを持ち上げる。
エミリアが置いていったものか? 仕事関連のものだろうか。
本の内容を確かめるべく、布を開いていく。
その時の私はやっぱり冷静さをだいぶ欠いていたのだろう。よくよく考えればエミリアが何も言わずに仕事のものを置いておくわけはない。しかし、それに気づかなかったのは、やはり冷静さを欠いていたからだ。
「!?」
私はその本を見て固まった。本の題名があまりに衝撃的すぎて。
【男女の営み図鑑 ~気になるあれやそれやを完全解説した決定版!】
な、なんだこれは!?
どういうことだ!? なんで、こんなものがここにあるんだ!? エミリアか!? そこまで気を回したというのか!?
動揺で固まる私に後ろから小さな声が呼びかける。
「あの…アルファ様?」
ビクッと体が大きく震え、咄嗟に本を隠す。そのまま、振り返らずに返事をする。
「どうした?」
「すみません。私、着替えを持っていなくて…」
「…私のを貸す。扉を閉めて待っていてくれ」
「ありがとうございます」
扉が閉まる音を聞いて、また深く息をはいた。本は見なかったことにしよう。それがいい。そうしよう。【男女の営み図鑑 ~気になるあれやそれやを完全解説した決定版!】なんて本はなかったんだ。
自分に言い聞かせ、着替えを持って扉をノックする。
ーコンコンコン
「ミランダ。着替えを持ってきた」
なるべく平静を保って声をかける。すると、中からバタバタと音がして、彼女の声が聞こえてきた。
「ちょっと、お待ちください!」
「タオルケットを…あ、やだ…もう…んんっ…はぁ…」
中から生々しい声が聞こえてきて、私の脆くなっていた理性が崩れ去りそうになった。脳裏にさっきの本の表紙が浮かぶ。それを頭を振って書き消す。いや、タオルケットで体を隠そうとしているだけだ。それだけだ。それだけだ。それだけだ!
強く念じていると扉が少し開いた。
「すみません…お待たせしました」
扉の隙間から恥ずかしげな彼女が顔を出す。隙間からでも分かる彼女の白すぎる肌。まずい、頭がどうにかなりそうだ…。
なるべく見ないように視線を反らして、服を渡し扉を閉めた。
「はぁ…」
何度目かの深いため息をついた。
彼女と夜を共にするだけで、こんなにも理性を試されるとは…。帰さないと言ったことは時期尚早だったのだろうか。
「はぁ…」
今宵はミランダと共に過ごせる。それを嬉しく思う反面、このまま、自分の欲望が彼女を怖がらせることにならないか心配だった。
その欲望を抑える自信が今の私にはなかったからだ。




