12.キスなんて、困ります
アルファ様から肖像画が届きました。やや小さめのそれは、とてもアルファ様に似ていて、見るだけで胸がドキドキします。でも、ドキドキしていては、お話がうまくなりませんので、最初は挨拶から。朝、起きたら「おはようございます」夜、寝る前に「おやすみなさい」それを繰り返しています。
部屋でやるのは少し恥ずかしいので、冒険者のおじ様から頂いたテントに籠ってひそかに練習中です。
アルファ様には練習は控えてほしいと書いてありました。その…嫉妬してしまうからと…アルファ様が嫉妬するなんて、想像できなくて不思議な気持ちです。だって、アルファ様はいつも堂々として、穏やかで、大人の余裕があるように見えます。少し、照れ屋さんですけど。
なので、申し訳ない気持ちでいつつも、私はこっそり練習を続けていました。
不思議なことにアルファ様の肖像画に話しかけていると、寂しい気持ちが薄れていくのです。心が穏やかになって満たされていくのです。
ロンダとヨーゼフ様に感謝しなくては、肖像画を貰えて本当によかった。
肖像画と共に手紙も送られてきました。抱きしめたいなんて、アルファ様から想像できないほど、大胆な言葉もあって、しばらくはきちんと目を通せませんでした。
少し落ち着いて読んでみると、どうしてもわからない言葉があるのです。
キスってなにかしら?
お魚の種類にそのような名前があったと思うのですが、お魚でしたら文面がおかしいです。おはようの魚も、おやすみなさいの魚もいませんもの。
いえ、いるのかしら…? アルファ様の住む場所ではそのお魚がいるのかもしれないわ。私ったら無知ね。今度、町に行った時にでも調べなくちゃ。
「アルファ様…私、頑張りますね。アルファ様が知っているお魚のこと、ちゃんと調べますから」
微笑んで言うとアルファ様も笑っている気がしました。
「あ、ミランダ、ここにいたのねー」
「っ!」
急にロンダがテントに入り込んできます。私は慌てて手紙と肖像画を隠しました。でも一足遅かったです。
「あら? アルファ様の肖像画、来たの?」
「え、ええ…」
肖像画を見つけたロンダはネズミのような素早いうごきで肖像画を私から取り上げてしまいます。
「そっくりだわ。良いものをもらったわね」
「ええ…」
ロンダは、じっと肖像画を見つめ続けました。それを見ていると訳のわからない黒い感情が私の心に広がります。見てほしくなくて、私はつい強めの口調でロンダに言いました。
「ロンダ、返して」
「ん? いいじゃない」
「良くないわ。返して」
「減るものでもないでしょ?」
「減らないけど、減るの!」
しまった。つい声をあげてしまいました。私ったら何をムキになっているのかしら…。
後ろめたくて黙る私にロンダは、にんまりと笑顔になります。
「嫉妬してるのね、ミランダ」
「私は…そんな」
嫉妬だなんて、そんな、こんなことで。嫌だわ。子供っぽい…。
「ミランダってば、かーわーいーい!」
「きゃあ!」
ロンダが急に抱きついてきたので、私は支えきれずに後ろに倒れます。狭いテントが大きく揺れて、浮いてしまいます。
「あら? これ、手紙?」
しまった。背中に隠していたアルファ様からの手紙が見つかってしまいました。恥ずかしいので見せたくはありませんが、キスのことをロンダなら知っているかもしれません。私は恥ずかしさを堪えて、ロンダに手紙を見せました。
「え? 読んでもいいの?」
「ええ…私には分からない言葉があるから、教えてくれない?」
「分からない言葉?」
そう言ってロンダは手紙を読み始めました。読み始めてすぐロンダは、首まで真っ赤になって、プルプル肩を震えさせました。手紙を握る手が強くなり震えます。恥ずかしいのは分かるけど、そんなに握ったらしわになってしまうわ。
読み終えたロンダは大きく息を吐きました。そして一言。
「アルファ様って、ずいぶん過激なことを書かれるのね…」
過激? 確かに抱き締めて眠りたいとか…恥ずかしいことは書かれているけど、そこまで過激かしら? お魚のことも書いてあるし。
「それで、分からないっていうのは、どの言葉なの?」
「えっと、『キス』という言葉よ」
「え?」
「ねぇ、ロンダ。『キス』ってなんだか分かる? お魚のことだと思うのだけど」
そう言うと、ロンダはがっくりと項垂れました。そして、何か小声でぶつぶつ言い出します。そして、言い終わると、私の両肩を掴みかかりました。
「いい、ミランダ。よく聞いて」
「は、はい」
鬼気迫るロンダの顔に私も緊張します。そんなにすごいお魚なのかしら…。
「『キス』っていうのは、口づけのことよ」
口づけ。あぁ、口づけのことなのね。アルファ様ったら、もっとわかりやすく………
ん?
は?
え?
ええええ!?
口づけなのーーー!?
今度は私が真っ赤になります。ちょっと待って! 口づけって…そんな口づけって…!
したことはありませんが、知識だけはあります。その…あれですよね? その…唇と唇を…。きゃあああ!
想像すると恥ずかしくてどうにかなってしまいます。アルファ様が、私と…?そんな、どうしましょう!
「ミランダ…大丈夫?」
ロンダの言葉に私は首を勢いよくふりました。恥ずかしすぎて目頭が熱いです。
「どうしよう…私、キスなんて、困る」
「そうよね…こちらにも心の準備が必要よね………あ、だから、アルファ様は、手紙で書いてきたんじゃないかしら?」
「え?」
「そうよ! きっと、そうだわ! アルファ様はミランダが恥ずかしくならないように事前に心の準備をしておきなさい!っことなのよ。この手紙は、アルファ様の優しさよ!」
優しさ…。そうよ。そうよね。お優しいアルファ様のことですもの。きっと、私が恥ずかしがりすぎないように書いてくださったのよ。あぁ、私ったら、本当にバカね。アルファ様の心も分からないなんて。しっかりしなくては。
「私、心の準備をするわ。アルファ様の好意を無駄にしないためにも!」
「そのいきよ!」
「でも、ロンダ…」
「なに?」
「キスってどうやるのかしら?」
「は?」
「だって、やるからには、少しでも上手になりたいじゃない? でも、私、キスしたことないから…」
間違えてアルファ様を失望させたくない。まだ日がありそうだから、少しでも知っておきたい。知らないから恥ずかしいっていうこともあるし…でも、キスなんて、どうやって知れば…
「ねぇ、ロンダはキス、したことある?」
「なっ! ないわよ!」
「そうよね…。困ったわ…。知っていたら、少しは練習できるかもと思ったのだけど…」
知らないものはしょうがない。何か他の方法で練習できないかしら? たとえば、そうね…いつも使っているこのクッションとかは? このクッションをアルファ様の顔だと思って…思って……えい!
クッションを顔にくっつけてみました。ふよんとした柔らかい感触が顔に当たります。視界にはクッションの白い色が広がりました。あれ? 目は閉じればいいの? 開けておいた方がいいの? 本では確か…。
「ミランダ…なに、してるの?」
ぷはっと、クッションから顔を外すと、ロンダにキッパリと言いました。
「キスの練習」
「はい?」
「だって、私、キスしたことないもの。上手にできなくて、アルファ様を失望させたくないわ。だから、ちょっとでも練習しておかないと」
「でも、クッションだと、やっぱり違うんじゃない?」
「そうよね…」
困ったわ。どうしましょう。
ため息をつく私にロンダが立ち上がります。
「ミランダ、任せて。要は経験がないから、よくわからないってことよね」
「そうだけど…」
「私が、経験して、ミランダに教えてあげる!」
え?
ええええええ!?
ちょっと、ロンダ、それって…!
「任せて!」
そういうとロンダは走り去って行ってしまいました。
次回はヨーゼフ視点の話になります。




