1.身代わりになってと言われましても
ここはダンジョンの最下層。いよいよ深層の魔物との戦いが始まる──
本の中に描かれる冒険譚に、ごくりと生唾を飲み干しました。
私の名前は、ミランダ・カリム。ど田舎の令嬢をしていますが、ごめんなさい。紹介をしている暇はないんです。今、とってもいいところだから。
二日前から読み続けている冒険譚が、ちょうどクライマックス直前です。あぁ、緊張します。ドキドキがとまりません。聖騎士さまは、魔物を倒せるのかしら……よし、ページをめくるわよ。
高鳴る胸のまま、指でページを摘まみました。その時です。
「おじょうさまああああ!!」
大声が聞こえて、私の体は跳ねました。ページを摘まんだ手も固まってしまいます。
あの声は……ばあやだわ……せっかく、いいところなのに…。
でも、待って。声は遠いから、来るまで時間がありそうね。それなら、読んでしまいましょう。さぁ、最終戦は―――!
ばさっ!
「きゃっ、」
「お嬢様! 見つけましたよ!」
「ば、ばあや……」
一足、遅かったです。見つかりました。
「またテントに籠っていたのですね! お風邪を引くと何度、申し上げたらわかるのですか!」
「それは……」
ばあやの怒りは尤もなので、何も反論できません。
わたしはすぐ熱を出します。昔から病弱で、外で遊ぶこともままならない子供でした。今でこそ、こうして外には出れますが、すぐ風邪を引いてしまいます。
「くしゅっ……」
「ほら、熱が出ないうちに帰りますよ!」
ばあやに手伝われて、しぶしぶテントをしまいます。はぁ、せっかくいい雰囲気で読んでいたのに……
冒険はできないけれど、テントの中で冒険譚を読んだら、ワクワクするだろうな。
そんな思いつきで始まった私の小さな冒険は、クライマックスを前に終わってしまったのでした。
*
私は冒険に強い、それは強い憧れがあります。
病弱で、ベッドの上で過ごすことが多かった幼少期は、冒険のお話を読んで、空想旅行をしたものです。
それに、お父様が連れてきてくださった冒険者のおじ様の影響も大きいです。
その方は、屈強な体つきのおじ様で、笑い方がとても豪快でした。
「ぬあっはっはっは! そうかそうか。お嬢ちゃんは、なかなか外に出れないんだな。じゃあ、せめてワクワクするような話を聞かせてやろうか」
「……わくわく?」
「まずはそうだな。火をはく竜の話でもしようか」
「火をはく竜!? そんなものいるの?」
「あぁ、いるさ。世界はな、お嬢ちゃんの知らない不思議で満ちてるんだよ」
冒険者のおじ様の話に、私はすぐ夢中になりました。だって、火をはく竜ですよ! ごー!とか、ぐわー! とか、口から火をはくんですよ! そんな不思議な生き物がいるなんて、信じられません!
屋敷の外のずっと遠くには、不思議が満ちている。ずっと同じように感じていた外の風景が、キラキラ輝いて見えました。
「お嬢ちゃんにいいものをやろう」
おじ様から古びたテントを渡されました。
「お嬢ちゃんが、大きくなったら、このテントをもって色んな場所にいけばいい。だから、しっかり薬を飲んで、体を治すんだよ」
おじ様は、ごつごつした大きな手で私の頭を撫でてくれます。
「わかったわ! 苦いお薬も飲む!」
「はっはっはっ! お嬢ちゃんはいい子だな」
おじ様と約束をし、私は苦手だった薬を飲み、ばあやの言いつけを少しは守りながら、体を治していきました。
そして、十七歳の今では、外に出歩けるようまでになったのです。
いつか、このテントを持って、色んな場所を自分の足で歩きたい。
淡い夢はいつまでも、いつまでも、私の中に小さな灯火となって残っていました。
そうそう。いい忘れていましたが、私には、双子の姉がいます。名前はロンダ。
私達は、容姿がそっくりで、違うところといえば、首にあるホクロがあるかないかです。
私にはホクロがありますが、ロンダにはありません。その違いだけで、本当に瓜二つなのです。
ロンダは私と違って、健康な体を持ち、ハツラツとしていて、とても頭の良い子です。
私がベッドで退屈していると、見計らったように、私のもとにやってきて、ちょっとの間だけ入れ替わったりもしていました。ふふっ。懐かしいです。
ロンダは私とは違い、両親にとても期待されていました。田舎娘とバカにされないように、一般常識、料理、お裁縫、礼儀作法、舞踏会のためのダンスまで。厳しくお母様から教えられておりました。
令嬢の家庭教師をしていらっしゃったお母様の指導は、まさに先生でした。わたしもロンダと一緒にマナーは学んでいますが、覚えがとても悪いです。
私はロンダがうらやましかった。
健康な体に、周りの期待。
どちらも私には手のとどかないもの。
外に出られるようになると、一人すねては、テントを持って家出しました。家出といっても、ここら辺は地平線まで見渡せそうなほど豊かな畑があるのみ。唯一、小高い丘があるので、私の家出先はいつもここです。
丘に登って、テントを張って、静かに寝そべる。
小さな小さな私だけの空間。
それが、心を落ち着かせてくれました。
でも、いつも同じ家出先なので、すぐにばあやに連れ戻されてしまい、お母様に叱られています。そして、また熱を出して寝込む私に、くどくど文句をいいながらも、お母様はかいがいしく世話をしてくれました。
そして、お母様がいなくなった頃、そっとロンダがやってきます。私の手をとっては、微笑みながら言うのです。
「ミランダ。ミランダ、大好きよ。私のかわいい妹。大好きよ」
私の嫉妬心をやさしく包む言葉。ロンダへの嫉妬心はくすぶっていましたが、それは小さく小さくなっていったのです。
いつか、いつか。
ロンダは王都に出て行ってしまうでしょう。
奉公人として、町の令嬢に仕えて、よき縁に恵まれて、むこうで暮らすのです。
そうなれる力量がロンダにはあります。
私はたぶん、このまま。
お父様が薬草を作って都市に持っていっていますし、私も自分の体を治すために薬草作りの手伝いをしています。
薬草を作りながら、ゆるりとした時間の中で、生涯を閉じるのでしょうね。
病弱な私など貰い手もありませんし。
寂しいです……ほんとうに、寂しい……です。
はっ、いけませんね。こういう時はテントに籠って、本の続きでも読みましょう。
では、さっそく。
「お嬢様! 奥様がお呼びですよ!」
ばあやの声で、私はまたもクライマックスを逃してしまいました。
*
「嫌です! 私は嫁ぎません!」
お母様の元に向かうと、なにやら強い口調で言い争っているのが聞こえました。
「あなたに拒否する権利はありません。これは、決められたことなのです」
「しかしお母様! 私はこれからお母様のように奉公人として、王都に出るはずだったのですよ? 今まで頑張ってきたのに、いきなり婚約だなんて!」
婚約……?
ロンダの言葉に、わたしは小さく息をのみました。
「あなたの嫁ぎ先は、アールズバーク伯爵のところよ。ご子息のアルファ様は優秀な方。こんな縁談、二度とありませんよ」
「でもお母様! アールズバーク伯爵の領地は森しかないような静かすぎる場所! お忙しくて、領地に帰るのもままならないというじゃありませんか!私はそんな静かすぎる場所で、帰らぬ夫を待つだけの妻になりたくはありません!」
──パシン!
お母様が立ち上がり、ロンダの頬を叩きました。ロンダが頬をおさえて、呆然とします。
「口を慎みなさい。伯爵夫人に失礼です。あなたがつまらないと言う座を、伯爵夫人は立派につとめていらっしゃいます」
「っ……」
「あなたがどう思おうと、これは決まったことです。あなたも覚悟を決めなさい」
うなだれて椅子に座るロンダを見て、お母様は私の方へ向きます。思わず、びくりとしてしまいました。
「三日後に、アルファ様がいらっしゃいます。粗相のないように振る舞いなさい」
「はい……お母様」
そういうと、お母様は出ていってしまいました。
「ロンダ……」
うなだれるロンダに近づいて声をかけます。でも、情けないことに、それ以上、何を言ったらわかりません。
「ミランダ!」
ロンダは泣きながら、私に抱きついてきました。
「嫌よ! 私は嫁ぎたくなんてない! 嫁ぎたくなんてないのよ!」
ロンダの背中をさすりながら、ただただ、黙って抱きしめ続けました。
これから、どうなってしまうのでしょう。
不安で胸が苦しくなりました。
そして、伯爵との顔合わせ当日。
「こんな大事な日に! ロンダが熱を出すなんて!」
朝からお母様が発狂されていました。それもそのはずです。ロンダが高熱を出して、寝込んでいるから。
私はというと、絶好調です。体が軽いです。いつもとは、正反対の立場に、私は不思議な心地でいました。大変な状況ですのに、自分でも呆れるくらい、のほほんとしていました。
「奥様、仕方がありません。ミランダお嬢様をいかせましょう」
「マリア……ですが、それは!」
「奥様、緊急事態です」
ん? 私が行くって?
お母様とばあやが、すごい形相で迫ってきます。
え?
ええ?
ええええ────!?
気づけば私はデイドレスに着替えさせられてしまいました。ぎりぎりとコルセットを締め付けたお母様のお顔、目が笑っていませんでした。怖かったです。薄化粧をしてくれるばあやは、びっくりするぐらい上機嫌でした。
この状況は、まさか。
「ミランダ。あなたがロンダの代わりをつとめなさい。今日のあなたはロンダ。婚約者様に決して、決して粗相のないように! いいですね」
え? 私がロンダ……?
それはいくらなんでも、無茶なのでは……
冷や汗がとまらない私を置いてきぼりにして、伯爵夫人と婚約者がやってきてしまいました。ああ、本当にどうしましょう。
緊張して体を強ばらせるわたしを無視して、お母様が朗らかな笑顔で、伯爵夫人に挨拶をします。
「このような田舎にようこそお出でくださいました。本来なら、私たちの方が、伯爵様の元に行かなければなりませんのに」
「まあ、そんなことおっしゃらないで。無理を行って来たのはこちらの方ですわ」
ややふっくらとした小柄の女性。伯爵夫人は、優しそうな雰囲気のお方です。
「こちらが、娘のロンダです」
お母様に呼ばれて、一歩前に出て、ぎこちなくお辞儀をします。スカートを指を摘まんで、左足はひいて、腰を落として……緊張してうまくできた気がしません。
「カリム男爵家の長女、ロンダでございます。初めまし──」
「まぁ! あなたがロンダさんなのね!」
急に伯爵夫人が私の手をとり、ずいっと近づいてきました。
「噂通りのきれいな子! ああ、アルファは果報者だわ。こんなに、きれいな子を妻にできるなんて!」
私が目を瞬かせる間に、夫人はペラペラと捲し立てました。
「アルファはね、無口で、無骨で、面白味にかける子だけど、心根は優しい子だから、仲良くしてやってね。あ、もちろん、私とも仲良くしましょう。私ね、ずっとずっと娘が欲しかったのよ。こんなかわいらしい人が、娘になってくれるなんて本当に嬉しいわ。私のことは母親同然と思って仲良くして頂戴ね」
早口すぎて、私はうなずくだけで精一杯です。
「あと、アルファはね、仕事だけはしっかりしてくれるわ。仕事だけはね。それに……」
「母上……」
「背が高すぎるから、少し見た目が怖いかもしれないけど、大丈夫よ。意外と繊細なとこがあるの。あとね……」
「母上……」
「ふふふ。照れると下唇を噛む癖があるのよ。仏頂面に見えるかもしれないけど、照れてるだけってことが多いから。それに……」
「母上」
夫人の背後から、ゆらりと大きな影が動きます。
「そこら辺で。ロンダ嬢が驚いてます」
私は思わず、ほぅと息をはいてしまいました。
逞しく大きな体。背も高くて、首が痛くなりそうなほど見上げなければお顔が見れません。いつか見た冒険者のおじ様に似た雰囲気を持つ人。
それが、ロンダの婚約者、アルファ様でした。