マトリックス勧誘
駅のトイレで一発キメてからは尾崎は快調そのものだった。気軽なステップで改札を抜けると、不意に生あくびが出る。
すると開いた口が侘しくなり、途端に尾崎は煙草を咥え、真っ赤なジッポで火をつけた。
紫煙が視界を霞める。煙の切れ間からアルファロメオが見えた。身に覚えのない車だ。ただ、ナンバーが『333』だけに、妙に神経が昂った。
ちなみに尾崎の愛車は真紅のポルシェだ。
「すみません」
再度、煙草を吹かしたとき、一人の男が声をかけてきた。スーツをまとったその男は脇にバインダーを挟み、ボールペンを握っていた。
尾崎は男をシカトし、足早に立ち去る。
「すみません」男はなおも同じトーンでそういい、跡をつけてくる。
尾崎は舌打ちし、さらに歩みを速める。
「すみません」
「すみません」
「すみません」
周辺の風景が一変しても男は諦めず、勧誘を続ける。
「すみません」
「すみません」
「すみません」
「すみません」
体力には自信があった尾崎だが、早々に息は上がっていた。
「すみません」
「すみません」
「すみません」
「すみません」
「すみません」
間もなく家に着く、寸のところで尾崎は観念し、男を睨みつけた。それでも男は飄々とした顔立ちでまた口を開けた。
「すみません、私こういう者で……」
「……マトリかよ」尾崎は甘い息混じりにそう呟いた。




